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  • 新世界訳聖書 (スタディー版)

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マタイの概略

    • K. イエスのエルサレムでの最後の宣教(21:1–23:39)

      • イエスはエルサレムに入る(21:1-11)

      • イエスは神殿を清める(21:12-17)

      • イチジクの木に災いが宣告される(21:18-22)

      • イエスの権威に異議が唱えられる(21:23-27)

      • 父親と2人の子の例え(21:28-32)

      • ブドウ園の残忍な耕作人たちの例え(21:33-46)

      • 結婚披露宴の例え(22:1-14)

      • 神とカエサル(22:15-22)

      • 復活に関する質問(22:23-33)

      • 最も重要な2つのおきて(22:34-40)

      • キリストはダビデの子か(22:41-46)

      • 律法学者とパリサイ派の人たちに倣ってはならない(23:1-12)

      • 律法学者とパリサイ派の人たちには災いがある(23:13-36)

      • イエスはエルサレムのことを嘆く(23:37-39)

マタイ 22:1

  • 例え: または,「例え話」。マタ 13:3の注釈を参照。

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  • 出版物索引

    洞-2 132-133


    塔75 110,114; 千 169

マタイ 22:2

欄外参照

  • +ルカ 14:16; 啓 19:9

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    「イエス」248ページ

  • 出版物索引

    イ道 248; 洞-2 133; 偉 107; 塔90 1/15 8


    塔75 28,110,114; 目69 12/22 27

マタイ 22:3

欄外参照

  • +ルカ 14:17, 18

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    「イエス」248ページ

    「ものみの塔」

    2008/1/15,31ページ

  • 出版物索引

    イ道 248; 塔08 1/15 31; 洞-2 133; 偉 107; 塔90 1/15 8


    塔75 110

マタイ 22:4

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    「イエス」248–249ページ

    「ものみの塔」

    2008/1/15,31ページ

  • 出版物索引

    イ道 248-249; 塔08 1/15 31; 偉 107; 塔90 1/15 8


    塔75 116

マタイ 22:5

欄外参照

  • +ルカ 14:18, 19

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    「イエス」248–249ページ

  • 出版物索引

    イ道 248-249; 洞-2 133


    塔75 116

マタイ 22:6

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    「イエス」248–249ページ

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    イ道 248-249; 洞-2 133


    塔75 116

マタイ 22:7

欄外参照

  • +ダニ 9:26

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    「イエス」249ページ

  • 出版物索引

    イ道 249; 洞-2 133; 偉 107; 塔90 1/15 9


    目80 11/8 30; 塔75 117; 塔52 133,331

マタイ 22:8

欄外参照

  • +使徒 13:45, 46

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    「イエス」249ページ

  • 出版物索引

    イ道 249; 偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 117-118

マタイ 22:9

脚注

  • *

    または,「皆」。

欄外参照

  • +マタ 21:43; ルカ 14:23

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    「イエス」249ページ

    「ものみの塔」

    2008/1/15,31ページ

  • 出版物索引

    イ道 249; 塔08 1/15 31; 偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 117

マタイ 22:10

脚注

  • *

    または,「晩餐の客」,「食卓で横になっている人」。

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    「イエス」249ページ

  • 出版物索引

    イ道 249; 偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 117,122

マタイ 22:11

  • 結婚式の服: これは王家の結婚式だったので,主人役である王が客に特別な服を供給したのかもしれない。そうであれば,それを着ないのは非常に不敬なことだった。

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  • 出版物索引

    洞-2 133; 偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 120,122; 目72 7/22 19

マタイ 22:12

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  • 出版物索引

    洞-2 665


    塔75 120; 目72 7/22 19

マタイ 22:13

  • 歯ぎしりしたり: マタ 8:12の注釈を参照。

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  • 出版物索引

    偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 122; 目72 7/22 19; 目63 1/8 30

マタイ 22:14

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  • 出版物索引

    偉 107; 塔90 1/15 9


    塔75 28-29,122,300,478

マタイ 22:15

  • イエスの揚げ足を取ろう: 直訳,「彼を言葉の点でわなに掛けよう」。鳥を網で捕らえるかのように。(伝 9:12と比較。セプトゥアギンタ訳で,ここと同じギリシャ語の狩猟用語が,「わなで捕らえる」,「わなに掛ける」という意味のヘブライ語の訳として使われている。)パリサイ派の人がお世辞を言って不誠実な質問をしたのは(マタ 22:16,17),もっぱらイエスに失言させて陥れるためだった。

欄外参照

  • +マル 12:13-17; ルカ 20:20-26

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  • 出版物索引

    自 302

マタイ 22:16

  • ヘロデ党の人たち: 用語集参照。

欄外参照

  • +マル 3:6

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    「イエス」250ページ

  • 出版物索引

    イ道 250; 洞-2 800-801; 偉 108; 塔90 2/1 8


    自 302; 塔66 725

マタイ 22:17

  • カエサル: または,「皇帝」。イエスの地上での宣教期間中のローマ皇帝はティベリウスだったが,この語は在位中の皇帝だけを指すのではない。「カエサル」は,ローマの政府や国家,正当に任命されたその代表者を指すこともあった。その人たちをパウロは「上位の権威」と呼び,ペテロは「王」や「総督」と呼んでいる。(ロマ 13:1-7。ペ一 2:13-17。テト 3:1)用語集参照。

    人頭税: 毎年払う税の1つ。1デナリつまり1日分の賃金だっただろう。ローマ人が,人口調査で登録された全ての人に課した。(ルカ 2:1-3)

脚注

  • *

    または,「払うのは正しい」。

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    「イエス」250ページ

  • 出版物索引

    イ道 250; 洞-1 688; 偉 108; 塔90 2/1 8


    塔74 317; 塔73 31; 自 302

マタイ 22:18

  • 偽善者たち: マタ 6:2の注釈を参照。

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    「ものみの塔」

    2015/12/1,9ページ

    「イエス」250ページ

  • 出版物索引

    イ道 250; 塔15 12/1 9; 洞-1 688; 偉 108; 塔90 2/1 8


    塔74 317

マタイ 22:19

  • デナリ: このローマの銀貨はカエサルの称号が記され,ローマ人がユダヤ人から取り立てた「人頭税」の硬貨だった。(マタ 22:17)イエスの時代の農業労働者には普通,1日12時間の仕事に対して1デナリが支払われ,ギリシャ語聖書では通貨換算の単位としてデナリがよく使われている。(マタ 20:2。マル 6:37; 14:5。啓 6:6)さまざまな銅貨や銀貨がイスラエルで使われていて,神殿税の支払いにはティルスで鋳造された銀貨が使われた。しかし人々はローマに税を払うために,カエサルの肖像が載ったデナリ銀貨を使ったようだ。用語集と付録B14参照。

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  • 出版物索引

    洞-1 552


    創 213; 塔74 317; 塔52 328

マタイ 22:20

  • 肖像と称号: この時代の普通のデナリ硬貨の表側には,月桂冠を頂くローマ皇帝ティベリウスの頭像が刻まれていた。ティベリウスの治世は西暦14年から37年まで。「ティベリウス・カエサル・アウグスツス,神君アウグスツスの子」という称号がラテン語で記されていた。付録B14も参照。

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  • 出版物索引

    創 213; 塔74 317

マタイ 22:21

  • カエサルのものはカエサルに: イエスがローマ皇帝に言及したという記録は,ここの返答と並行記述のマル 12:17,ルカ 20:25だけ。「カエサルのもの」には,世俗の政府によるサービスに対する支払いや,そのような権威当局に示されるべき敬意と相対的な服従が含まれる。(ロマ 13:1-7)

    神のものは神に: これには,心を込めた崇拝,全てを尽くす愛,完全で揺るぎない従順が含まれる。(マタ 4:10; 22:37,38。使徒 5:29。ロマ 14:8)

    返しなさい: または,「払いなさい」。カエサルは硬貨を鋳造したので,その幾らかを返すように求める権利があった。しかし,自分に命を捧げるように人に求める権利はなかった。神は人間に「命と息と全ての物」を与えた。(使徒 17:25)だから,人が命と専心を「返[せる]」のは神に対してだけ。神は,全くの専心を要求する権利を持っている。

メディア

  • ティベリウス・カエサル

欄外参照

  • +ダニ 3:17, 18; マラ 3:8; マル 12:17; ルカ 20:25; 23:2; ロマ 13:7; テト 3:1; ペ一 2:13, 14

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」(研究用)

    2016/4,27–28,31ページ

    「ものみの塔」

    2009/6/15,19ページ

    「目ざめよ!」

    2003/12/8,10–11ページ

  • 出版物索引

    塔研16.04 27-28,31; 塔09 6/15 19; 目03 12/8 10-11; 塔96 5/1 7-20; 塔94 12/1 14-15; 洞-1 552; 洞-2 125,304; 塔93 2/1 17; 平 132-134


    創 213; 塔83 4/1 26; 塔79 4/15 30; 目79 6/8 28; 目78 2/22 5; 目77 5/22 28; 塔74 165,317; 塔73 31,350,508; 塔70 699; 塔69 237; 目69 1/22 6; 自 218; 塔65 582; 目65 10/8 27; 塔64 549-550; 正 25; 塔63 272,492,703; 目63 6/22 30; 目63 10/8 29; 目63 10/22 18; 塔62 454,689,713,750; 目62 4/22 28; 目62 10/8 14; 遠 196; 塔57 470; 目57 11/8 5; 塔56 394; 塔52 151,328

マタイ 22:23

  • 復活: ギリシャ語アナスタシスは字義的には,「起き上がらせること」,「立ち上がること」という意味。ギリシャ語聖書で死者の復活を指して40回ほど使われている。(マタ 22:31。使徒 4:2; 24:15。コ一 15:12,13)セプトゥアギンタ訳のイザ 26:19では,「あなたの死者は生きる」という表現に含まれるヘブライ語動詞の訳としてアナスタシスの動詞形が使われている。用語集参照。

欄外参照

  • +使徒 4:1, 2; 23:8
  • +マル 12:18-23; ルカ 20:27-33

マタイ 22:24

欄外参照

  • +創 38:7, 8; 申 25:5, 6; ルツ 1:11; 3:13

マタイ 22:25

  • 妻を兄弟のもとに残しました: マル 12:21の注釈を参照。

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  • 出版物索引

    洞-1 680

マタイ 22:26

索引

  • 出版物索引

    洞-1 680

マタイ 22:28

索引

  • 出版物索引

    塔87 6/1 30-31

マタイ 22:29

  • 聖書: 多くの場合,ヘブライ語聖書全体を指している。

欄外参照

  • +マル 12:24-27

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  • 出版物索引

    塔61 510

マタイ 22:30

欄外参照

  • +ルカ 20:35, 36

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  • 出版物索引

    洞-2 920; 塔87 6/1 30-31


    塔79 10/1 18; 塔68 61; 塔66 196; 塔62 125,376; 目62 4/8 26-27; 塔61 442,510; 遠 150; 塔51 78

マタイ 22:31

  • 復活: マタ 22:23の注釈を参照。

    神が語った: イエスは紀元前1514年ごろになされたモーセとエホバとの会話について述べている。(出 3:2,6)その時点で,アブラハムの死後329年,イサクの死後224年,ヤコブの死後197年がたっていた。しかしエホバは,私は彼らの「神だった」とではなく,私は彼らの「神である」と言った。(マタ 22:32)

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    「ものみの塔」

    2014/8/15,30ページ

  • 出版物索引

    塔14 8/15 30


    塔83 10/1 16; 王 178; 塔79 10/1 18; 塔68 61; 塔63 356

マタイ 22:32

  • この方は死んだ人の神ではなく: 最初期の最も信頼できる幾つかの写本がこの読みを裏付けているが,「神」を繰り返す写本もあり,その場合,「神は死んだ人の神ではなく」という訳になる。この読みを採用する聖書翻訳もある。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の1つ(付録CのJ18)は,ここでテトラグラマトンを使っており,「エホバは死んだ人の神ではなく」と訳している。(出 3:6,15と比較。)

    生きている人の神: マル 12:27の注釈を参照。

欄外参照

  • +出 3:6
  • +ルカ 20:37, 38; ロマ 4:17

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    「ものみの塔」

    2014/8/15,30ページ

    2013/2/1,7ページ

    「わたしの追随者」106–107ページ

  • 出版物索引

    塔14 8/15 30; 塔13 2/1 7; 追 106-107; 洞-2 673


    塔83 10/1 16; 王 178; 塔79 10/1 18; 良 50; 目73 8/22 11; 塔68 61; 塔65 297; 塔61 510

マタイ 22:33

欄外参照

  • +マタ 7:28; マル 11:18

マタイ 22:34

  • 沈黙させた: このギリシャ語動詞は,「何も言えないようにする」(直訳,「口籠を付ける」)とも訳せる。この時の偽善的な質問について考えると,これは適切な表現。イエスの答えがあまりに見事で,サドカイ派の人たちは言い返せなかった。(ペ一 2:15)

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    「イエス」251ページ

  • 出版物索引

    イ道 251

マタイ 22:36

欄外参照

  • +マル 12:28

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    「ものみの塔」

    2006/12/1,20ページ

  • 出版物索引

    塔06 12/1 20

マタイ 22:37

  • 心: この語は,一般に人の内面全体を指す。しかし,「知力」や「自分の全て」と一緒に言及される場合,より限定的な意味を持ち,おもに人の感情,欲求,気持ちを指すと思われる。ここで使われている3つの語(心,知力,自分の全て)は,全く別々のものを指すのではない。それらは意味が重なり合っていて,神への愛には欠けたところがあってはならず,全てを込めたものであるべきことを最大限強調している。

    知力: 人は神を知り,神への愛を育むために,知的能力を使わなければならない。(ヨハ 17:3。ロマ 12:1)この部分は申 6:5からの引用で,元のヘブライ語本文では「心」,「自分の全て」,「力」の3つの語が使われている。しかし,ギリシャ語で書かれたマタイの記述では,「力」ではなく「知力」に当たる語が使われている。このように異なる語が使用されていることには幾つかの理由があると思われる。1つに,古代ヘブライ語では「知力」を意味する明確な言葉がなく,その概念はヘブライ語で「心」に当たる語にしばしば含まれていた。その語は人の思考,感情,態度,動機を含めた人の内面全体を指す。(申 29:4。詩 26:2; 64:6。この節の心に関する注釈を参照。)この理由から,ヘブライ語本文で「心」という語が使われている箇所で,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳はしばしば「知力」に相当するギリシャ語を使っている。(創 8:21; 17:17。格 2:10。イザ 14:13)マタイが申 6:5を引用した際,「力」ではなく「知力」に当たるギリシャ語を使った別の理由は,「力[または,「活力」,脚注。]」と訳されるヘブライ語に,身体的力と知的能力の両方の意味が含まれていたからかもしれない。いずれにしても,これらのヘブライ語とギリシャ語の語句の意味には重なり合うところがあるので,福音書筆者たちは申命記を引用した際に全く同じ言い方をしなかったと考えられる。マル 12:30,ルカ 10:27の注釈を参照。

    自分の全て: 用語集の「プシュケー」参照。

    エホバ: ここでの引用は申 6:5から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

    愛さなければならない: ここで「愛する」と訳されているギリシャ語はアガパオー。この動詞および関係する名詞アガペー(愛)はギリシャ語聖書に合わせて250回以上出ている。ヨ一 4:8では,名詞アガペーが「神は愛」という句で使われており,聖書は神を,原則によって導かれる利他的な愛の最高の模範としている。神の愛は,思いやり深くまた積極的に表される。それには,感情や感覚だけでなく,決意や行動が関係する。人間は,神に倣って意図的な選択としてそのような愛を示すことができる。(エフ 5:1)だから,この文脈にある最も重要な2つのおきてにある通り,愛を示すよう命じられている。イエスはここで申 6:5を引用していた。ヘブライ語聖書では,ヘブライ語の動詞アーヘーブまたはアーハブ(愛する),および名詞アハバー(愛)が愛を指す語としておもに使われている。これらは,上述のギリシャ語と同じように広い意味を伝える。エホバを愛することに関して,これらの語は神に全てを捧げてその方だけに仕えたいという人間の願いを表現する。イエスはそのような愛を完全に表した。そして,神への愛にはエホバに愛情を感じる以上のことが必要であることを示した。それは,人の生活全体を律して,全ての考え,言葉,行動に影響を与える。ヨハ 3:16の注釈を参照。

欄外参照

  • +申 6:5; 10:12; ヨシ 22:5; マル 12:30; ルカ 10:27

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    「ものみの塔」

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    2002/4/1,4–5ページ

    2001/1/1,10–11ページ

    「聖書全体」37ページ

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    塔14 6/15 12-16; 塔10 7/1 23-24; 塔06 12/1 20-24; 塔02 4/1 4-5; 塔01 1/1 10-11; 塔97 5/1 6; 洞-1 14,492,1222; 洞-2 215,314; 感 37; 塔86 8/1 17-18


    塔84 9/1 11-13; 目77 10/22 10; 塔74 730; 塔73 398; 組 184; 目73 3/8 7; 塔72 755; 塔71 370; 塔65 628; 塔64 3,263; 目64 1/8 10; 塔63 294; 塔62 393,466,505,755; 医 8; 塔61 107,264; 目61 6/22 5; 塔59 273; 見 30; 塔57 469-470; 塔56 231,404; 塔55 156

マタイ 22:38

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  • 出版物索引

    目77 10/22 10; 塔74 730; 組 184; 塔72 755; 塔62 505; 目61 6/22 5; 塔57 469-470; 塔55 156

マタイ 22:39

  • 第二: マタ 22:37で,イエスはパリサイ派の人の質問に直接の答えを述べているが,ここではさらに踏み込んで2番目のおきてを引用し(レビ 19:18),2つのおきてが切っても切れない関係にあり,律法全体と預言者の言葉がこれらのおきてに要約されることを教えた。(マタ 22:40)

    隣人: 「隣人」(直訳,「近くの者」)に当たるギリシャ語は,近くに住んでいる人だけでなく,接する人全てを指す。(ルカ 10:29-37。ロマ 13:8-10)マタ 5:43の注釈を参照。

欄外参照

  • +レビ 19:18; マル 12:31; ルカ 10:27; コロ 3:14; ヤコ 2:8; ペ一 1:22

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    「ものみの塔」

    2014/6/15,17–21ページ

    2006/12/1,25–29ページ

    2001/8/15,4–5ページ

    2001/1/1,13–22ページ

  • 出版物索引

    塔14 6/15 17-21; 塔06 12/1 25-29; 塔01 1/1 13-17,22; 塔01 8/15 4-5; 目99 6/8 12; 洞-2 314; 塔93 9/15 4-6; 目90 6/8 17; 言 168


    塔82 5/15 10; 宣 81/9 1; 塔78 5/1 18; 若 113; 目77 10/22 9-10; 塔74 601; 塔73 48; 組 184; 塔72 755; 塔71 497; 塔68 463,537; 塔64 263; 目64 12/8 12; 目64 12/22 28; 目63 4/8 7; 目63 5/22 4; 塔62 393,466,505,522,580; 目62 9/22 5; 塔61 107,264; 目61 6/22 5; 見 30; 塔57 470; 塔55 156

マタイ 22:40

  • 律法全体と預言者: マタ 5:17の注釈を参照。

    懸かっています: 字義的には「ぶら下がる」という意味のギリシャ語動詞が,ここでは比喩的に「依存している」,「基づいている」という意味で使われている。イエスは,十戒を含む律法だけでなくヘブライ語聖書全体が愛に基づいていることを示した。(ロマ 13:9)

欄外参照

  • +ロマ 13:10; ガラ 5:14

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    「ものみの塔」

    2005/8/15,26ページ

  • 出版物索引

    塔05 8/15 26


    塔72 755; 塔61 264; 塔57 470

マタイ 22:41

欄外参照

  • +マル 12:35-37; ルカ 20:41-44

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    塔68 246

マタイ 22:42

  • キリスト: または,「メシア」。マタ 1:1; 2:4の注釈を参照。

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  • +ヨハ 7:42

マタイ 22:43

  • 聖なる力によって: つまり,神の聖なる力を受けて。用語集の「プネウマ」参照。

欄外参照

  • +サ二 23:2

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    「イエス」252ページ

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    イ道 252; 塔90 2/15 8


    塔80 3/1 15; 塔64 696

マタイ 22:44

  • エホバ: ここでの引用は詩 110:1から。元のヘブライ語本文に,ヘブライ語の4つの子音字(YHWHと翻字される)で表される神の名前が出ている。付録C参照。

    あなたの足の下に: つまり,あなたの権威の下に。

欄外参照

  • +詩 110:1; 使徒 2:34, 35; コ一 15:25; ヘブ 1:13; 10:12, 13

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    イ道 252


    塔80 3/1 15

マタイ 22:45

欄外参照

  • +マル 12:37

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マタイ 22:46

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    塔75 749-750

訳の一覧

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類似の記述

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マタ 22:41マル 12:35-37; ルカ 20:41-44
マタ 22:45マル 12:37

引用元

マタ 22:24申 25:5, 6
マタ 22:32出 3:6
マタ 22:37申 6:5
マタ 22:39レビ 19:18
マタ 22:44詩 110:1

全般

マタ 22:2ルカ 14:16; 啓 19:9
マタ 22:3ルカ 14:17, 18
マタ 22:5ルカ 14:18, 19
マタ 22:7ダニ 9:26
マタ 22:8使徒 13:45, 46
マタ 22:9マタ 21:43; ルカ 14:23
マタ 22:16マル 3:6
マタ 22:21ダニ 3:17, 18; マラ 3:8; ルカ 23:2; ロマ 13:7; テト 3:1; ペ一 2:13, 14
マタ 22:23使徒 4:1, 2; 23:8
マタ 22:24創 38:7, 8; ルツ 1:11; 3:13
マタ 22:32ロマ 4:17
マタ 22:33マタ 7:28; マル 11:18
マタ 22:37申 10:12; ヨシ 22:5; ルカ 10:27
マタ 22:39ルカ 10:27; コロ 3:14; ヤコ 2:8; ペ一 1:22
マタ 22:40ロマ 13:10; ガラ 5:14
マタ 22:42ヨハ 7:42
マタ 22:43サ二 23:2
マタ 22:44使徒 2:34, 35; コ一 15:25; ヘブ 1:13; 10:12, 13
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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新世界訳聖書 (スタディー版)
マタイ 22:1-46

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マタイ​に​よる​福音​書

22 イエスは,もう一いち度ど例たとえを使つかって話はなした。 2 「天てんの王おう国こくは,息子むすこの結けっ婚こんのために披ひ露ろう宴えんを設もうけた+王おうのようです。 3 王おうは奴ど隷れいたちを遣つかわして,披ひ露ろう宴えんに招まねいた人ひとたちを呼よびましたが,その人ひとたちは来きたがりませんでした+。 4 再ふたたびほかの奴ど隷れいたちを遣つかわして言いいました。『招まねいた客きゃくにこう言いいなさい。「さあ,食しょく事じの準じゅん備びができました。雄お牛うしと肥こえた動どう物ぶつの肉にくをはじめ,全すべて用よう意いができています。披ひ露ろう宴えんに来きてください」』。 5 ところが,その人ひとたちは関かん心しんを払はらわず,ある人ひとは畑はたけに,別べつの人ひとは商しょう売ばいに出で掛かけていきました+。 6 ほかの人ひとは,奴ど隷れいたちを捕つかまえて痛いためつけ,殺ころしてしまいました。

7 王おうは憤いきどおり,軍ぐん隊たいを送おくって殺さつ人じん者しゃたちを殺ころし,その町まちを焼やきました+。 8 それから奴ど隷れいたちに言いいました。『披ひ露ろう宴えんの用よう意いはできていますが,招まねいた人ひとたちはふさわしくありませんでした+。 9 それで,町まちの外そとに通つうじる道どう路ろに行いき,見みつけた人ひとを誰だれでも*披ひ露ろう宴えんに招まねきなさい+』。 10 そこで,奴ど隷れいたちは道どう路ろに出でていき,見みつけた人ひとを悪あく人にんも善ぜん人にんも皆みな集あつめました。こうして,結けっ婚こん式しきの部へ屋やは食しょく事じをする人ひと*でいっぱいになりました。

11 王おうは,客きゃくを見みるために入はいってきた時ときに,結けっ婚こん式しきの服ふくを着きていない人ひとを見みつけ, 12 言いいました。『どうして結けっ婚こん式しきの服ふくを着きないで入はいってきたのですか』。その人ひとは何なにも言いえませんでした。 13 王おうは召めし使つかいたちに言いいました。『この人ひとの手て足あしを縛しばって外そとの闇やみに放ほうり出だしなさい。彼かれはそこで泣なき悲かなしんだり歯はぎしりしたりします』。

14 招まねかれる人ひとは多おおいですが,選えらばれる人ひとは少すくないのです」。

15 その時とき,パリサイ派はの人ひとたちは出で掛かけ,イエスの揚あげ足あしを取とろうと相そう談だんした+。 16 そして,自じ分ぶんたちの弟で子しをヘロデ党とうの人ひとたちと一いっ緒しょに遣つかわして+,こう言いわせた。「先せん生せい,私わたしたちは,あなたが真しん実じつを話はなす方かたで,真しん理りに沿そって神かみの道みちを教おしえることを知しっています。あなたは誰だれの顔かお色いろもうかがったりしません。人ひとの外がい見けんを見みないからです。 17 それで,考かんがえを聞きかせてください。カエサルに人じん頭とう税ぜいを払はらってよい*でしょうか,払はらってはいけないでしょうか」。 18 しかしイエスは彼かれらの悪あく意いに気き付づいて,言いった。「なぜ私わたしを試ためすのですか,偽ぎ善ぜん者しゃたち。 19 人じん頭とう税ぜいの硬こう貨かを見みせなさい」。デナリ硬こう貨かがイエスの所ところに持もってこられた。 20 イエスは言いった。「これは誰だれの肖しょう像ぞうと称しょう号ごうですか」。 21 その人ひとたちは,「カエサルのです」と言いった。イエスは言いった。「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神かみのものは神かみに返かえしなさい+」。 22 その人ひとたちはこれを聞きいてとても驚おどろき,イエスを残のこして去さっていった。

23 その日ひ,復ふっ活かつなどはないと言いうサドカイ派はの人ひとたち+がやって来きて,こう尋たずねた+。 24 「先せん生せい,モーセは,『男おとこが子こ供どもを持もたずに死しんだなら,彼かれの兄きょう弟だいが残のこされた妻つまと結けっ婚こんして兄きょう弟だいのために子し孫そんをもうけなければならない+』と言いいました。 25 さて,私わたしたちの所ところに7人にんの兄きょう弟だいがいました。長ちょう男なんは結けっ婚こんし,死しにましたが,子し孫そんがおらず,妻つまを兄きょう弟だいのもとに残のこしました。 26 次じ男なん,三さん男なん,結けっ局きょく7人にんともが同おなじようになりました。 27 最さい後ごにその女じょ性せいが死しにました。 28 そうすると復ふっ活かつの際さい,この女じょ性せいは7人にんのうち誰だれの妻つまなのでしょうか。全ぜん員いんが妻つまにしたのです」。

29 イエスは答こたえた。「あなた方がたは考かんがえ違ちがいをしています。聖せい書しょも神かみの力ちからも知しらないからです+。 30 復ふっ活かつの際さい,男だん性せいも女じょ性せいも結けっ婚こんしません。天てん使しのようになります+。 31 死し者しゃの復ふっ活かつに関かんして,神かみが語かたった事こと柄がらを読よまなかったのですか。こう言いっています。 32 『私わたしはアブラハムの神かみ,イサクの神かみ,ヤコブの神かみである+』。この方かたは死しんだ人ひとの神かみではなく,生いきている人ひとの神かみです+」。 33 群ぐん衆しゅうはこれを聞きいて,イエスの教おしえに大たい変へん驚おどろいた+。

34 パリサイ派はの人ひとたちは,イエスがサドカイ派はの人ひとたちを沈ちん黙もくさせたことを聞きいた後あと,一いち団だんとなってやって来きた。 35 その中なかの律りっ法ぽうに通つうじた人ひとが,イエスを試ためしてこう尋たずねた。 36 「先せん生せい,律りっ法ぽうの中なかで最もっとも重じゅう要ようなおきてはどれですか+」。 37 イエスは言いった。「『あなたは,心こころを尽つくし,知ち力りょくを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして,あなたの神かみエホバを愛あいさなければならない+』。 38 これが最もっとも重じゅう要ような第だい一いちのおきてです。 39 第だい二にも同どう様ようで,こうです。『あなたは隣りん人じんを自じ分ぶん自じ身しんのように愛あいさなければならない+』。 40 律りっ法ぽう全ぜん体たいと預よ言げん者しゃの言こと葉ばはこの2つのおきてに懸かかっています+」。

41 パリサイ派はの人ひとたちが集あつまっている間あいだに,イエスが尋たずねた+。 42 「キリストについてどう考かんがえますか。彼かれは誰だれの子こですか」。その人ひとたちは,「ダビデの子こです+」と言いった。 43 イエスは尋たずねた。「では,どうしてダビデは,聖せいなる力ちからによって+彼かれを主しゅと呼よんでいるのですか。こう言いっています。 44 『エホバは私わたしの主しゅに言いった。「私わたしの右みぎに座すわっていなさい。私わたしがあなたの敵てきたちをあなたの足あしの下したに置おくまで+」』。 45 ダビデが主しゅと呼よんでいるのであれば,どうしてダビデの子こでしょうか+」。 46 誰だれも一ひと言ことも答こたえられなかった。その日ひ以い降こう,あえてイエスに質しつ問もんする人ひとはいなかった。

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