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  • ヨハネ 13
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ヨハネの概略

    • J. イエスの最後の過ぎ越しと弟子たちへの別れ際の助言(13:1–17:26)

      • イエスは弟子たちの足を洗う(13:1-20)

      • イエスは,裏切り者のユダ・イスカリオテを明らかにする(13:21-30)

      • イエスは新しいおきてを与える(13:31-35)

      • イエスはペテロが自分との関係を3度否定することを予告する(13:36-38)

      • イエスは父に近づく唯一の道(14:1-14)

      • イエスは,援助者として聖なる力が与えられることを約束する(14:15-31)

      • 真のぶどうの木の例え(15:1-10)

      • キリストのような愛を示すようにとの命令(15:11-17)

      • 世の人々はイエスと弟子たちを憎む(15:18-27)

      • イエスの弟子は死に直面することがある(16:1-4前半)

      • イエスは聖なる力を送る(16:4後半-16)

      • 弟子たちの悲しみは喜びに変わる(16:17-24)

      • イエスは世を征服した(16:25-33)

      • イエスは当時とその後の弟子たちのために祈る(17:1-26)

ヨハネ 13:1

  • 過ぎ越しの祭り: 西暦33年の過ぎ越し。ヨハ 2:13の注釈を参照。

    愛してきた: ヨハネの福音書の残りの章では,一貫して愛が際立ったテーマとなっている。ヨハネの記述の最初の12章では,ギリシャ語の動詞アガパオー(愛する)と名詞アガペー(愛)が合わせて8回使われている。しかしヨハネ 13章から21章では,これらの語が合計36回出ている。ヨハネの福音書のそれら後半の章は,イエスが父と弟子たちに対して抱いていた深い愛について,他のどの部分よりも明確に示している。例えば,4つの福音書全てがエホバに対するイエスの愛を明らかにしているが,「私が父を愛している」とイエスがはっきり述べたことを記しているのはヨハネだけ。(ヨハ 14:31)イエスは弟子たちへの別れ際の助言の中で,エホバが自分を愛していると述べるだけでなく,それがなぜかも説明している。(ヨハ 15:9,10)

    最後まで愛した: ここで使われているギリシャ語表現は,イエスの人間としての生涯の終わりを指すと思われる。しかし,この文脈では,「徹底的に愛した」,「いつまでも愛した」という意味に理解する人もいる。

欄外参照

  • +ヨハ 16:28; 17:11
  • +マタ 26:2; ヨハ 12:23; 17:1
  • +ヨハ 15:9; ガラ 2:20; エフ 5:2; ヨ一 3:16

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  • リサーチガイド

    「わたしの追随者」161–162ページ

  • 出版物索引

    追 161-162; 塔92 3/1 17


    塔80 3/1 26; 塔68 697; 塔65 646; 塔64 272; 塔62 345

ヨハネ 13:2

脚注

  • *

    もしかすると,「準備されて」。

欄外参照

  • +マタ 10:2, 4; ルカ 22:3, 4; ヨハ 13:27
  • +マタ 26:14-16, 24; マル 14:10, 11

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  • 出版物索引

    洞-2 1052


    塔84 7/15 6

ヨハネ 13:3

欄外参照

  • +ヨハ 16:28

ヨハネ 13:4

  • 腰にくくった: または,「身に帯びた」。普通,人の足を洗って拭くのは奴隷の仕事だった。(ヨハ 13:12-17)イエスは,立場の低い人がするこの仕事を行うことによって,エホバがご自分に仕える人に求めておられる態度について弟子たちに重要な教訓を与えた。その晩そこにいた使徒ペテロは,後に仲間の信者に「謙遜さを身に着けてください」と勧めた時,この出来事を念頭に置いていたのかもしれない。(ペ一 5:5)

欄外参照

  • +フィリ 2:5-7

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  • 出版物索引

    塔99 3/1 30-31; 洞-1 880-881


    塔66 662

ヨハネ 13:5

  • 弟子たちの足を洗い: 古代イスラエルで,サンダルは最も一般的な履物だった。それは底の部分を革ひもで足の甲や足首に縛り付けた程度のものだった。道や野原はほこりっぽかったりぬかるんだりしていたので,旅人の足が汚れることは避けられなかった。そのため,家に入る際にサンダルを脱ぐことが習慣になっており,もてなしの精神に富む主人は客の足が洗われるよう見届けた。この慣行は聖書の中で何度も言及されている。(創 18:4,5; 24:32。サ一 25:41。ルカ 7:37,38,44)弟子たちの足を洗ったイエスは,この習慣を用いて,仕え合うことと謙遜さに関して実例による教育を行った。

    腰にくくった: または,「身に帯びた」。ヨハ 13:4の注釈を参照。

欄外参照

  • +創 18:3, 4; ルカ 7:44

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  • リサーチガイド

    「イエス」268ページ

    「ものみの塔」

    2009/1/1,19ページ

    「わたしの追随者」31–32,33–34ページ

    「教え手」38–39ページ

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    イ道 268; 塔09 1/1 19; 追 32-34; 学ぶ 38-39; 塔99 3/1 30-31; 洞-1 46-47,58,200,880-881; 偉 113; 塔90 6/15 8


    塔76 570; 教 29; 塔70 455; 塔69 51; 目66 7/8 3; 塔61 389

ヨハネ 13:8

欄外参照

  • +コ一 6:11; エフ 5:25, 26; テト 3:5; ヘブ 10:22

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  • 出版物索引

    塔77 639; 塔62 344

ヨハネ 13:10

  • あなたたちは清い: 弟子たちは主人に足を洗ってもらったばかりで,身体的には清くなっていた。でも,そのうちの1人は神から見て内面は汚れていた。杯や皿の外側を清めても内側を汚れたままにして人を欺くパリサイ派の人たちのように,ユダ・イスカリオテは身体的には清くても神から見て内面は汚れていた。(マタ 23:25,26)

欄外参照

  • +コ二 7:1

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    洞-1 46-47,1063

ヨハネ 13:11

  • 知っていた: イエスは周りの人の考えや態度を見分けることができたので,ユダが使徒として選ばれた時点で反逆的な態度を持っていなかったことは明らか。(マタ 9:4。マル 2:8。ヨハ 2:24,25)しかし後にユダが悪い態度を育て始めた時,イエスはそれを見抜き,裏切る者を特定できた。イエスはユダが裏切ると分かっていたが,その人の足も洗った。ヨハ 6:64,70の注釈を参照。

欄外参照

  • +ヨハ 6:64

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    洞-2 1113

ヨハネ 13:12

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  • 出版物索引

    塔70 456

ヨハネ 13:13

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  • +ヨハ 1:38
  • +マタ 23:8

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    洞-1 1115


    目64 11/8 8; 塔63 429

ヨハネ 13:14

  • 足を洗い合う: 文脈から分かるように,イエスはここで忠実な弟子たちに,兄弟たちの身体的な必要だけでなく,神との関係で必要なものにも謙遜に関心を払うよう教えている。主人であるイエスは弟子たちの足を洗って,仕え合うことと謙遜さに関する教訓を与えたばかりだった。そして,「あなたたちは清いのです。しかし全員ではありません」と述べて,文字通り足を洗うことについてだけ話しているのではないことを示した。(ヨハ 13:10)エフ 5:25,26で,イエスはクリスチャン会衆を「神の言葉という水で洗って」清める者として述べられている。弟子たちはイエスの手本に倣い,日常の誘惑やクリスチャンを堕落させかねないこの世との関わりを避けて清さを保つよう助け合うことができた。(ガラ 6:1。ヘブ 10:22; 12:13)

    べきです: または,「義務があります」。ここで使われているギリシャ語動詞はしばしば金銭的な意味で使われ,基本的に「誰かに負債がある」,「誰かに借りがある」という意味。(マタ 18:28,30,34。ルカ 16:5,7)ここや他の文脈では,何かをする義務がある,何かをしなければならないというもっと広い意味で使われている。(ヨ一 3:16; 4:11。ヨ三 8)

欄外参照

  • +ルカ 22:27
  • +マタ 20:26, 27; ルカ 9:48; 22:26; ロマ 12:10; ガラ 5:13; ペ一 5:5

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    「イエス」268–269ページ

    「ものみの塔」

    2003/3/15,4–5ページ

    2002/2/1,15ページ

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    イ道 269; 塔03 3/15 4-5; 学ぶ 38-39; 塔02 2/1 15; 塔99 3/1 30-31; 洞-1 46-47; 偉 113; 塔90 6/15 9


    塔76 570; 塔74 502; 教 29; 塔70 456; 塔69 51; 塔63 626; 目60 1/22 15

ヨハネ 13:15

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  • +フィリ 2:5; ペ一 2:21; ヨ一 2:6

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    「ものみの塔」

    2005/1/1,7ページ

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    塔05 1/1 7; 塔99 3/1 30-31; 塔94 9/15 15-16; 洞-1 200; 偉 113; 塔90 6/15 9


    目82 1/8 8-9; 塔74 502; 塔73 316

ヨハネ 13:16

  • 遣わされた人: または,「使者(使節)」,「使徒」。ギリシャ語アポストロス(「遣わす」という意味の動詞アポステッローに由来)は,ギリシャ語聖書に80回出てくるうち78回は「使徒」と訳されている。(フィリ 2:25で,このギリシャ語は「遣わされて」と訳されている。)ヨハネの福音書でこのギリシャ語が出ているのはこの節だけ。(マタ 10:5。ルカ 11:49。14:32)マタ 10:2; マル 3:14の注釈と用語集の「使徒」を参照。

欄外参照

  • +マタ 10:24

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    偉 113; 塔90 6/15 9; 塔86 12/1 14


    目68 10/22 27; 塔62 655,693

ヨハネ 13:17

欄外参照

  • +マタ 7:24, 25; ルカ 11:28; ヤコ 1:25

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    塔研18.09 4; 塔86 12/1 14


    若 57; 塔73 92; 塔61 475

ヨハネ 13:18

  • 一緒にパンを食べ: 誰かと一緒にパンを食べることは,友好関係の印で,客が主人と平和な関係にあることを示した。(創 31:54。出 2:20; 18:12と比較。そこでは,「パンを食べる」というヘブライ語の表現が「食事をする」と訳されている。)誰かの客になってパンを食べた後でその人に危害を加える者は,最もひどい裏切り者と見なされた。(詩 41:9)

    私に敵対するようになった: 直訳,「私に向かってかかとを上げた」。イエスはここで詩 41:9の預言的な言葉を引用している。そこは直訳すると,「私に向かってかかとを大きくした」。ダビデは,恐らく「顧問官」アヒトフェルを指して,裏切り者となった友について比喩表現を使った。(サ二 15:12)イエスはこの言葉をユダ・イスカリオテに当てはめている。この文脈で,この表現は裏切り行為,つまりかかとを「上げ」られた相手に害をもたらすような行為を示している。

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  • +詩 41:9; マタ 26:23
  • +ヨハ 17:12

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    「イエス」270ページ

    「ものみの塔」

    2011/8/15,13ページ

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    イ道 270; 塔11 8/15 13; 洞-1 557,782,1062; 洞-2 999; 偉 114; 塔90 7/1 8


    塔79 9/15 31; 塔77 286; 塔62 710

ヨハネ 13:19

欄外参照

  • +ヨハ 14:29; 16:4

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    目72 2/22 5

ヨハネ 13:20

欄外参照

  • +マタ 25:40
  • +マタ 10:40

ヨハネ 13:21

欄外参照

  • +マタ 26:21; マル 14:18; ルカ 22:21; ヨハ 6:70; 使徒 1:16

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    「イエス」270ページ

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    イ道 270; 偉 114; 塔90 7/1 8

ヨハネ 13:22

欄外参照

  • +マタ 26:22; ルカ 22:23

ヨハネ 13:23

  • イエスが愛する人: イエスが特に愛した人のこと。ある弟子について,「イエスの愛する」とか「イエスが愛情を持っていた」という表現が5回使われているうちの1回目。(ヨハ 19:26; 20:2; 21:7,20)この弟子は,ゼベダイの子でヤコブの兄弟である使徒ヨハネのことと一般に考えられている。(マタ 4:21。マル 1:19。ルカ 5:10)そう特定できる1つの理由は,使徒ヨハネはヨハ 21:2で「ゼベダイの子たち」と述べられている以外,この福音書に名前が出てこないこと。別の点はヨハ 21:20-24にあり,そこでは「イエスの愛する弟子」という表現がこの福音書の筆者を指して使われている。またイエスはその使徒について,「私が来る時まで彼がいることが私の願いだとしても,あなたにどんな関係があるのですか」と言った。これはその弟子がペテロや他の使徒よりずっと長生きすることを示唆しており,それは使徒ヨハネに当てはまる。ヨハ 書名とヨハ 1:6; 21:20の注釈を参照。

    そばに: 直訳,「懐に」。この表現はイエスの時代に人々が食卓でどのような位置に着いたかを指している。客は左側を下にして横になり,クッションに左肘を突いて体を支えた。客は,隣に横になっている友の胸元に体を反らせて,内密の話ができた。(ヨハ 13:25)誰かの「そばに」あるいは「懐に」いることは,好意を受ける親密で特別な関係にあることを意味した。この習慣が,ルカとヨハネで使われている表現の背景にあったと思われる。ルカ 16:22,23,ヨハ 1:18の注釈を参照。

欄外参照

  • +ヨハ 19:26; 20:2; 21:7, 20, 24

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    「聖書全体」193ページ

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    洞-1 1062,1074,1177,1255; 洞-2 687; 感 193


    目67 7/22 4; 塔64 586; 塔62 347

ヨハネ 13:25

欄外参照

  • +ヨハ 21:20

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    「ものみの塔」

    2015/7/1,15ページ

    「イエス」270ページ

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    イ道 270; 塔15 7/1 15; 洞-2 687; 偉 114; 塔90 7/1 8


    塔64 586

ヨハネ 13:26

欄外参照

  • +詩 41:9; マタ 26:23

ヨハネ 13:27

欄外参照

  • +ルカ 22:3, 4

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    「イエス」270ページ

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    イ道 270; 偉 114; 塔90 7/1 8


    塔76 77-78; 塔65 522

ヨハネ 13:29

  • 祭りのために: 過ぎ越しの後に始まる無酵母パンの祭りを指すと思われる。

欄外参照

  • +ヨハ 12:4-6

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    洞-2 667

ヨハネ 13:30

欄外参照

  • +マタ 26:20

索引

  • 出版物索引

    塔64 586

ヨハネ 13:31

欄外参照

  • +ヨハ 12:23

索引

  • 出版物索引

    塔85 2/15 14

ヨハネ 13:32

欄外参照

  • +ヨハ 17:1

ヨハネ 13:33

  • 友よ: 直訳は「小さな子供たちよ」で,イエスがこれ以前に愛情のこもったこの表現で弟子たちに呼び掛けたという記録は福音書にない。「小さな子供たち」と訳せるギリシャ語テクニオンはテクノン(子供)の指小辞形。ギリシャ語聖書で,指小辞は愛情や親近感を示すために使われることが多い。(用語集の「指小辞」参照。)それでこの表現は「親愛なる子供たち」,「愛する子供たち」とも訳せる。ギリシャ語聖書に9回出ていて,弟子たちを指していつも比喩的に使われている。(ガラ 4:19。ヨ一 2:1,12,28; 3:7,18; 4:4; 5:21)

欄外参照

  • +ヨハ 7:34; 8:21

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    「ものみの塔」

    2003/2/1,13ページ

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    塔03 2/1 13


    塔53 347

ヨハネ 13:34

  • 新しいおきて: モーセの律法では,自分自身のように隣人を愛することが要求された。(レビ 19:18)その律法は隣人愛を要求したが,仲間の人間のために自分の命を与えるほどの自己犠牲的な愛は必ずしも求めていなかった。イエスのおきては,私があなたたちを愛した通りにという点で「新しい」つまり前例のないものだった。イエスは,愛を示し利他的に生きる点で従うべき完全な手本を弟子たちに残した。それは他の人のために命を差し出すよう動かす愛。イエスの生涯と死は,この新しいおきてが要求する愛の模範となった。(ヨハ 15:13)

欄外参照

  • +ヨハ 15:9
  • +レビ 19:18; ヨハ 15:12; ガラ 6:2; エフ 5:2; テサ一 2:8; 4:9; ヤコ 2:8; ペ一 1:22; ヨ一 3:14, 16

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    「エホバに近づきなさい」301ページ

    「ものみの塔」

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    「わたしの追随者」176–177ページ

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    近 301; 塔13 1/15 10-11; 塔12 3/1 6; 塔09 11/15 20; 塔07 10/1 5-6; 追 176-177; 塔06 3/1 5; 塔03 3/15 5-6; 塔02 2/1 15-16; 塔96 3/15 8-9; 洞-1 13; 告 710-712; 塔92 3/1 17; 楽 231; 塔90 2/1 21-22; 探 242; 塔89 5/1 27-28; 塔89 12/15 16; 平 165


    塔83 3/15 27; 塔80 7/15 23; 塔79 5/1 20; 目78 10/22 29; 目78 11/8 29; 良 175; 塔75 59,713; 組 184; 平73 166; 目72 5/8 4; 目72 10/8 21; 塔71 447; 塔69 52; 事 287; 目66 4/8 8; 塔65 627,629-632; 塔64 487; 目64 7/22 12; 塔62 754; 塔61 377; 塔60 470; 宗 13

ヨハネ 13:35

欄外参照

  • +ロマ 13:8; コ一 13:8, 13; ヨ一 4:20

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    「エホバに近づきなさい」301ページ

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    塔84 10/1 10; 塔83 3/15 27; 宣 81/5 1; 塔80 7/15 23; 最 9; 鑑79 381; 目78 4/22 29; 目78 10/22 29; 塔77 561; 鑑77 237; 良 175; 将 27; 塔75 713; 目74 4/8 18; 組 184; 目72 5/8 4; 塔71 655; 塔69 52,388; 真 123; 塔65 620,622; 塔64 487; 目64 7/22 12; 塔63 21; 目62 10/8 15; 塔61 108,377; 塔60 470

ヨハネ 13:36

欄外参照

  • +ヨハ 14:3

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    塔78 2/15 32; 塔53 347

ヨハネ 13:37

  • 命: ギリシャ語,プシュケー。その意味は文脈によって判断しなければならない。ここではペテロの命を指す。ペテロはイエスのために進んで命を差し出すと言っている。用語集の「プシュケー」参照。

欄外参照

  • +マタ 26:33; マル 14:29; ルカ 22:33

ヨハネ 13:38

  • 命: ギリシャ語,プシュケー。その意味は文脈によって判断しなければならない。ここではペテロの命を指す。ヨハ 13:37の注釈と用語集の「プシュケー」参照。

    おんどり: 4福音書全てがおんどりが鳴くことを述べているが,マルコだけはおんどりが2度鳴くことまで記している。(マタ 26:34,74,75。マル 14:30,72。ルカ 22:34,60,61。ヨハ 18:27)ミシュナはイエスの時代にエルサレムでおんどりが飼育されていたことを示しており,聖書の記述を支持している。ここで言うおんどりの鳴き声は,夜が明ける前の非常に早い時間のことだったと思われる。

欄外参照

  • +マタ 26:34, 74, 75; マル 14:30, 72; ルカ 22:34, 60, 61; ヨハ 18:27

索引

  • 出版物索引

    洞-1 507


    目63 7/8 28

訳の一覧

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類似の記述

ヨハ 13:21マタ 26:21; マル 14:18; ルカ 22:21
ヨハ 13:22マタ 26:22; ルカ 22:23
ヨハ 13:26マタ 26:23
ヨハ 13:37マタ 26:33; マル 14:29; ルカ 22:33

引用元

ヨハ 13:18詩 41:9

全般

ヨハ 13:1ヨハ 16:28; 17:11
ヨハ 13:1マタ 26:2; ヨハ 12:23; 17:1
ヨハ 13:1ヨハ 15:9; ガラ 2:20; エフ 5:2; ヨ一 3:16
ヨハ 13:2マタ 10:2, 4; ルカ 22:3, 4; ヨハ 13:27
ヨハ 13:2マタ 26:14-16, 24; マル 14:10, 11
ヨハ 13:3ヨハ 16:28
ヨハ 13:4フィリ 2:5-7
ヨハ 13:5創 18:3, 4; ルカ 7:44
ヨハ 13:8コ一 6:11; エフ 5:25, 26; テト 3:5; ヘブ 10:22
ヨハ 13:10コ二 7:1
ヨハ 13:11ヨハ 6:64
ヨハ 13:13ヨハ 1:38
ヨハ 13:13マタ 23:8
ヨハ 13:14ルカ 22:27
ヨハ 13:14マタ 20:26, 27; ルカ 9:48; 22:26; ロマ 12:10; ガラ 5:13; ペ一 5:5
ヨハ 13:15フィリ 2:5; ペ一 2:21; ヨ一 2:6
ヨハ 13:16マタ 10:24
ヨハ 13:17マタ 7:24, 25; ルカ 11:28; ヤコ 1:25
ヨハ 13:18マタ 26:23
ヨハ 13:18ヨハ 17:12
ヨハ 13:19ヨハ 14:29; 16:4
ヨハ 13:20マタ 25:40
ヨハ 13:20マタ 10:40
ヨハ 13:21ヨハ 6:70; 使徒 1:16
ヨハ 13:23ヨハ 19:26; 20:2; 21:7, 20, 24
ヨハ 13:25ヨハ 21:20
ヨハ 13:26詩 41:9
ヨハ 13:27ルカ 22:3, 4
ヨハ 13:29ヨハ 12:4-6
ヨハ 13:30マタ 26:20
ヨハ 13:31ヨハ 12:23
ヨハ 13:32ヨハ 17:1
ヨハ 13:33ヨハ 7:34; 8:21
ヨハ 13:34ヨハ 15:9
ヨハ 13:34レビ 19:18; ヨハ 15:12; ガラ 6:2; エフ 5:2; テサ一 2:8; 4:9; ヤコ 2:8; ペ一 1:22; ヨ一 3:14, 16
ヨハ 13:35ロマ 13:8; コ一 13:8, 13; ヨ一 4:20
ヨハ 13:36ヨハ 14:3
ヨハ 13:38マタ 26:34, 74, 75; マル 14:30, 72; ルカ 22:34, 60, 61; ヨハ 18:27
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新世界訳聖書 (スタディー版)
ヨハネ 13:1-38

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ヨハネ​に​よる​福音​書

13 イエスは,過すぎ越こしの祭まつりの前まえに,自じ分ぶんがこの世よを去さって天てんの父ちちのもとに行いく+べき時ときが来きたことを知しった+。そして,世よにいて自じ分ぶんに従したがう人ひとたちを,それまでも愛あいしてきたが,最さい後ごまで愛あいした+。 2 食しょく事じが進すすんで*いたが,悪あく魔まはすでに,シモンの子こユダ・イスカリオテ+にイエスを裏うら切ぎる考かんがえ+を抱いだかせていた。 3 イエスは,父ちちが全すべてのものを与あたえてくださったことと,自じ分ぶんが神かみのもとから来きて神かみのもとに行いこうとしていることを知しっていて+, 4 食しょく事じの席せきから立たち,外がい衣いを脇わきに置おいて,拭ふき布ぬのを取とって腰こしにくくった+。 5 それから,たらいに水みずを入いれて弟で子したちの足あしを洗あらい,腰こしにくくった布ぬので拭ふき始はじめた+。 6 こうしてシモン・ペテロの所ところに来きた。ペテロは,「主しゅよ,あなたが私わたしの足あしを洗あらうのですか」と言いった。 7 イエスは答こたえた。「あなたは私わたしがしていることを今いまは理り解かいしていませんが,後あとになれば理り解かいできます」。 8 ペテロは言いった。「足あしを洗あらっていただくことなどできません」。イエスは答こたえた。「私わたしが洗あらわないとしたら+,あなたは私わたしの仲なか間まではありません」。 9 シモン・ペテロは,「主しゅよ,足あしだけでなく,手ても頭あたまもお願ねがいします」と言いった。 10 イエスは言いった。「体からだを洗あらった人ひとは全ぜん身しんが清きよく+,足あし以い外がいは洗あらう必ひつ要ようがありません。あなたたちは清きよいのです。しかし全ぜん員いんではありません」。 11 イエスは,自じ分ぶんを裏うら切ぎろうとしている者ものを知しっていたので+,「全ぜん員いんが清きよいのではない」と言いったのである。

12 イエスは弟で子したちの足あしを洗あらい,外がい衣いを着きてから,再ふたたび食しょく卓たくに着つき,こう言いった。「あなたたちにしたことが理り解かいできますか。 13 あなたたちは私わたしを『先せん生せい+』や『主しゅ』と呼よびます。それは正ただしいことです。私わたしはそういう者ものだからです+。 14 それで,主しゅであり先せん生せいである私わたしがあなたたちの足あしを洗あらったのであれば+,あなたたちも足あしを洗あらい合あうべきです+。 15 私わたしはあなたたちのために模も範はんを示しめしました。あなたたちも同おなじようにするためです+。 16 はっきり言いっておきますが,奴ど隷れいは主しゅ人じんより偉えらくなく,遣つかわされた人ひとは遣つかわした人ひとより偉えらくありません+。 17 あなたたちはこうしたことを知しっていますが,それを実じっ行こうするとき,幸しあわせです+。 18 全ぜん員いんについて語かたっているのではありません。私わたしは自じ分ぶんが選えらんだ者ものたちのことを知しっています。しかし,『一いっ緒しょにパンを食たべていた人ひとが私わたしに敵てき対たいするようになった+』という聖せい句くが実じつ現げんします+。 19 私わたしは,それが起おきることを今いまあなたたちに告つげます。それが実じっ際さいに起おきた時ときに,私わたしのことが言いわれていたと分わかるようにです+。 20 はっきり言いっておきますが,私わたしが遣つかわした人ひとを受うけ入いれる人ひとは私わたしをも受うけ入いれ+,私わたしを受うけ入いれる人ひとは私わたしを遣つかわした方かたをも受うけ入いれます+」。

21 イエスはこれらのことを言いってから,ひどく苦く悩のうし,「はっきり言いっておきますが,あなたたちの1人ひとりが私わたしを裏うら切ぎります」と断だん言げんした+。 22 弟で子したちは,誰だれのことかと戸と惑まどいながら顔かおを見み合あわせていた+。 23 弟で子しの1人ひとりでイエスが愛あいする人ひと+が,イエスのそばに横よこになっていた。 24 そこでシモン・ペテロはその人ひとに顎あごで合あい図ずして言いった。「誰だれのことを言いっているのか分わかるか」。 25 それで,その人ひとはイエスの胸むな元もとに体からだを反そらせて,「主しゅよ,それは誰だれですか」と言いった+。 26 イエスは答こたえた。「私わたしがパン切きれを鉢はちに浸ひたして与あたえるのがその人ひとです+」。そしてパンを浸ひたしてから,シモン・イスカリオテの子こユダに与あたえた。 27 パンを受うけ取とると,ユダにサタンが入はいった+。そこでイエスはユダに言いった。「あなたがしていることをもっと早はやくしなさい」。 28 しかし,食しょく卓たくに着ついていた人ひとは誰だれも,なぜイエスがそう言いったのか分わからなかった。 29 とはいえ,ある人ひとたちは,ユダが金かね箱ばこを保ほ管かんしていたので+,イエスが,「祭まつりのために必ひつ要ような物ものを買かいなさい」とか,貧まずしい人ひとたちに何なにかを与あたえるようにと命めいじていると思おもっていた。 30 ユダはパンを受うけ取とった後あと,すぐに出でていった。夜よるであった+。

31 こうしてユダが出でていくと,イエスは言いった。「今いま,人ひとの子こは栄えい光こうを受うけ+,神かみは人ひとの子こによって栄えい光こうを受うけています。 32 神かみは自みずから人ひとの子こに栄えい光こうを与あたえ+,しかもすぐにそうします。 33 友ともよ,私わたしはもうしばらくあなたたちと一いっ緒しょにいます。あなたたちは私わたしを捜さがすようになります。私わたしはユダヤ人じんたちに,『私わたしが行いく所ところへあなた方がたは来くることができない+』と言いいましたが,今いまはあなたたちにも同おなじように言いいます。 34 私わたしはあなたたちに新あたらしいおきてを与あたえます。それは,互たがいに愛あいし合あうことです。私わたしがあなたたちを愛あいした通とおりに+,あなたたちも互たがいを愛あいしなさい+。 35 あなたたちの間あいだに愛あいがあれば,全すべての人ひとは,あなたたちが私わたしの弟で子しであることを知しります+」。

36 シモン・ペテロが言いった。「主しゅよ,どこへ行いくのですか」。イエスは答こたえた。「あなたは私わたしが行いこうとしている所ところへ今いまは付ついてくることができません。しかし後あとで来くることになります+」。 37 ペテロは言いった。「主しゅよ,どうして今いまは付ついていけないのですか。あなたのためなら命いのちもなげうちます+」。 38 イエスは答こたえた。「私わたしのために命いのちをなげうつというのですか。はっきり言いっておきますが,おんどりが鳴なくまでの間あいだに,あなたは3度ど,私わたしを知しらないと言いいます+」。

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