5月
5月1日,水曜日
懲らしめをとらえよ。それを放してはならない。それを守れ。それはあなたの命だからである。(箴 4:13)
矯正を受けるとつらく感じるかもしれません。しかし,もっと悪いのは,矯正を退けて苦しみを味わうことです。(ヘブ 12:11)カインの例を考えましょう。カインがアベルに激しい憎しみを抱いた時,神はカインにこう警告しました。「なぜあなたは怒りに燃えているのか。なぜあなたの顔色は沈んでいるのか。善いことを行なうようになれば,高められるのではないか。しかし,善いことを行なうようにならなければ,罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」。(創 4:6,7)しかし,カインはエホバの助言を退け,アベルを殺しました。その結果,生涯苦しみを味わいました。(創 4:11,12)エホバからの矯正を受け入れていれば,そのような苦しみを味わわずにすんだでしょう。エホバはわたしたちがそのような苦しみを味わうことを望まれません。(イザ 48:17,18)ですから,「懲らしめに聴き従って賢くな[り]」ましょう。(箴 8:33)塔研18.03 32ページ18-20節
5月2日,木曜日
わたしダニエルは,……年の数を幾つかの書によって知った。(ダニ 9:2)
ダニエルはどのようにしてエホバを知ったのでしょうか。ダニエルがエホバと神の言葉を愛するようになったのは,親からよく教えられたからに違いありません。ダニエルは生涯,その愛を抱き続けました。老齢になってからも,聖書を注意深く調べました。ダニエルは,エホバがどのような方か,またイスラエル人をどのように扱われたかをよく知っていました。そのことは,ダニエル 9章3-19節に記されている心からの悔い改めの祈りによく表われています。少し時間を取ってその祈りを読み,内容を黙想するのはいかがですか。神に忠実なユダヤ人にとって,異教の地バビロンで生活するのは大変でした。エホバはユダヤ人に「わたしがあなた方を流刑に処して行かせた都市の平安を求め」るようにと言われました。(エレ 29:7)神はご自分への全き専心も求めておられました。(出 34:14)ダニエルがこの2つの要求を果たせたのはなぜでしょうか。神から与えられた知恵により,世俗の権威に対して相対的な服従を示すという原則を理解していたからです。数百年後,イエスは同じ原則を教えました。(ルカ 20:25)塔研18.02 10ページ11-12節
5月3日,金曜日
[彼ら]の額に,あなたは印を付けなければならない。(エゼ 9:4)
わたしたちは病気や失業や迫害など様々な難しい問題に直面することがあります。エホバに仕える喜びを保つのが難しいと感じることもあるでしょう。ノア,ダニエル,ヨブについて学ぶと,問題に立ち向かう勇気が得られます。3人とも不完全な人間であり,わたしたちと同じような問題に直面しました。命が危険になったこともあります。それでも神への忠誠を保ちました。神はこの3人を,非常に優れた信仰と従順を示した人として挙げています。(エゼ 14:12-14)エゼキエルが今日の聖句の言葉を記したのは,西暦前612年,バビロニアにいた時のことです。(エゼ 1:1; 8:1)背教したエルサレムの滅びの時が近づいていました。西暦前607年にエルサレムは予告どおり滅ぼされました。ノア,ダニエル,ヨブのような信仰と従順を示して,生き残るための印を付けられた人たちは少数でした。(エゼ 9:1-5)現在の事物の体制が終わる時に,生き残るための印を付けられるのはどんな人でしょうか。エホバから見て義にかなった人たちです。(啓 7:9,14)塔研18.02 3-4ページ1-3節
5月4日,土曜日
あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ。(伝 12:1)
若い皆さんは,こう自問できます。「親から言われるので集会に行ったり伝道したりしているのだろうか。神との親しい関係を築いているだろうか」。もちろん,若い人だけでなくすべての人にとって,目標を持つことは霊的な人として成長する助けになります。(伝 12:13)改善すべき点に気づいたなら,積極的に取り組みましょう。霊的な人になるかどうかは,命にかかわる重要な問題です。(ロマ 8:6-8)もちろん,完全な人になることが求められているわけではありません。聖霊の助けもあります。とはいえ,進歩するには努力が必要です。聖書を学ぶのは楽しいことですが,聖書は娯楽小説のように読む本ではありません。自分にとって役立つ貴重な真理を見いだすために努力しなければなりません。塔研18.02 25ページ10-11節
5月5日,日曜日
なぜためらうのですか。立って,バプテスマを受け……なさい。(使徒 22:16)
神に献身してバプテスマを受けるために,聖書の教えを細かな点まですべて知らなければならない,というわけではありません。キリストの弟子は皆,バプテスマの後も正確な知識を取り入れ続ける必要があります。(コロ 1:9,10)では,バプテスマを受けるためにどれほどの知識が必要なのでしょうか。西暦1世紀のある家族の例は参考になります。(使徒 16:25-33)パウロは第2回宣教旅行中の西暦50年ごろ,フィリピを訪れました。そこでパウロとシラスは偽りの訴えを受け,投獄されました。その晩,地震で牢屋の土台が揺れ動き,戸がすべて開きます。牢番は囚人たちが逃げてしまったと思い,自殺しようとしますが,パウロは大声でそれをとどめます。パウロとシラスはその牢番と家族にイエスについて教えました。学んだ真理に心を打たれた牢番と家族は,すぐにバプテスマを受けました。塔研18.03 10ページ7-8節
5月6日,月曜日
エホバをその神とする民は幸いだ!(詩 144:15)
エホバは幸福な神です。ですから,神の民も幸福です。自分を愛し,受けることだけに関心がある人とは異なり,自分の時間やエネルギーを他の人に与えるので幸福です。(使徒 20:35。テモ二 3:2)神への愛よりも自分への愛が強くなっていないか,どのように確かめられますか。フィリピ 2章3,4節にはこうあります。「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち,自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」。こう自問できます。「この助言を自分の生活に当てはめているだろうか。会衆でも野外宣教でも,他の人を助けようと努めているだろうか」。自分の時間やエネルギーを与えることには,努力と自己犠牲が求められます。でも,宇宙主権者の是認を得ること以上に幸せなことはありません。塔研18.01 23-24ページ6-7節
5月7日,火曜日
自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。(コリ二 13:5)
自分が信仰にあるかどうかを試す際,こう自問できます。「この組織はエホバがご意志を行なうために用いておられる唯一の組織である,と確信しているだろうか。王国の良いたよりを伝え,教えるために,ベストを尽くしているだろうか。自分の生き方には,今が終わりの日であり,サタンの支配の終わりが近いという信仰が表われているだろうか。エホバとイエスに対する信仰は,献身した時と同じほど強いものだろうか」。(マタ 24:14。テモ二 3:1。ヘブ 3:14)こうした点を考えることは,自分がどんな者かを絶えず吟味するうえで役立ちます。記念式の大切さを説明した記事を読んで黙想するのは良いことです。(ヨハ 3:16; 17:3)永遠の命を得るには,エホバについての「知識を取り入れ」,神の独り子イエスに「信仰を働かせる」ことが必要です。記念式に備えて,エホバとイエスにいっそう近づくための個人研究をしてみるのはいかがですか。塔研18.01 13ページ5-6節
5月8日,水曜日
わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限り,だれもわたしのもとに来ることはできません。(ヨハ 6:44)
あなたは聖書や出版物や集会を通して,他の人たちがエホバの助けをどのように経験したかを学んだことがあるでしょう。でも,エホバとの関係を強めるためには,エホバの助けを自分で経験する必要があります。あなたはこれまで,エホバの善良さをどのように味わってきましたか。クリスチャンは皆,神とイエスに引き寄せられた時にエホバの善良さを味わいました。「エホバはうちの親を引き寄せてくださったけれど,自分は親に付いて行っただけだ」と考える人がいるかもしれません。でも,あなたがエホバに献身してバプテスマを受けたということは,あなた自身が神との特別な関係を築いたということです。あなたはエホバに知られています。「人が神を愛しているなら,その人は神に知られているのです」とあるとおりです。(コリ一 8:3)エホバの組織の中にいられる特権をいつも大切にしてください。塔研17.12 26ページ12-13節
5月9日,木曜日
エホバは自分の愛する者を懲らしめられる。(ヘブ 12:6)
「懲らしめ」とか「矯正」と聞くと,罰を与えることが頭に浮かぶかもしれません。しかし,聖書で言う「懲らしめ[または,矯正]」には良い意味があり,知識や知恵や愛や命と共に言及されています。(箴 1:2-7; 4:11-13)神がわたしたちを矯正するのは,わたしたちを愛し,永遠の命を得てほしいと願っておられるからです。(ヘブ 12:6)神が与える矯正は罰を伴うこともありますが,決して残酷なものではありません。矯正はおもに教えることと関係しています。クリスチャン会衆の成員であるわたしたちは神の家の者です。(テモ一 3:15)エホバは規準を定める権利と,その規準に従わない者を矯正する権利をお持ちです。わたしたちは愚かな行動をして悪い結果を身に招くことがあります。矯正を受けるなら,天の父に従うことがどれほど大切かを銘記できるでしょう。(ガラ 6:7)塔研18.03 23ページ1節,24ページ3節
5月10日,金曜日
自分のことばを控える者には知識があり,識別力のある人は霊を冷静に保つ。(箴 17:27)
十代の皆さんは,クリスチャンである親に気持ちを分かってもらえないとか,自由を奪われていると感じているかもしれません。いらいらが募り,エホバに仕えても幸せになれないとさえ思うかもしれません。でも,エホバに仕えることをやめてしまったら,親や会衆の兄弟姉妹以上に自分を気遣ってくれる人などいないことに気づくでしょう。あなたが何か悪いことをしても,親から何も言われないとしたらどうですか。自分のことを心配してくれていない,と思うのではありませんか。(ヘブ 12:8)もしかすると,あなたは親のしかり方に不満を感じているかもしれません。でも,親の気持ちを理解するよう努めてください。すぐにかっとなるのではなく,穏やかさを保ちましょう。助言がどんな仕方で与えられても,それを冷静に受け止め,自分の成長に役立てましょう。(箴 1:8)塔研17.11 29ページ16-17節
5月11日,土曜日
あなた[は]最初に抱いていた愛を離れた。(啓 2:4)
バプテスマを受けた若い人たちの中には,神の規準に従って生きるのが本当に良いことなのか疑問を持つようになる人がいます。真理から離れてしまう人も少なくありません。それで,「うちの子は大丈夫だろうか。エホバに仕え始めても,やがて真理への愛を失ってしまうのではないだろうか」と不安になるかもしれません。どうすればそのようなことを避け,「成長して救いに至る」よう子どもを助けられるでしょうか。(ペテ一 2:2)答えはパウロがテモテに書き送った次の勧めの言葉にあります。「自分が学びまた確信した事柄に引き続きとどまっていなさい。あなたは,それをどのような人たちから学んだかということ,また,幼い時から聖なる書物[ヘブライ語聖書]に親しんできたことを知っているのです。その聖なる書物はあなたを賢くし,キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至らせることができます」。(テモ二 3:14,15)パウロが述べた3つの点に注目しましょう。(1)聖なる書物に親しむこと,(2)学んだ事柄を確信すること,(3)賢くなり,キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至ることです。塔研17.12 18-19ページ2-3節
5月12日,日曜日
わたしの僕たちは心の良い状態のゆえに喜び叫ぶが,あなた方は心の痛みのゆえに叫び声を上げ[る]。(イザ 65:14)
人々は,地獄の火について教えたり,寄付集めをしたり,政治に関与したりする宗教に幻滅しています。宗教がなくても幸せになれる,と考える人が増えているのも無理はありません。偽りの宗教がなくても幸せになれることは確かです。でも「幸福な神」エホバとの良い関係がなければ,本当の意味で幸せにはなれません。(テモ一 1:11)神が行なわれることはすべて人々の助けになります。神の僕であるわたしたちも,他の人を助けているので幸せです。(使徒 20:35)真の宗教は家族の幸せにどのように役立つでしょうか。真の宗教は,配偶者を敬い,結婚の誓いを守って不倫を避け,子どもをしつけ,本当の愛を実践するよう教えています。真の宗教に属する人々は,会衆で一致して神に仕え,世界的な兄弟関係を楽しみ,幸せを味わっています。塔研17.11 21-22ページ6-7節
5月13日,月曜日
わたしは実に惨めな人間です!(ロマ 7:24)
神の忠実な僕も,使徒パウロと同じように感じることがあります。わたしたちはみな罪を受け継いでいます。エホバに喜んでいただきたいと強く願っているのに,その願いどおりに行動できないことがあります。そのような時,惨めな気持ちになるかもしれません。重大な罪を犯し,自分はもう神に許していただけないと感じるクリスチャンもいます。聖書によれば,エホバのもとに避難する人は罪悪感を抱え続ける必要はありません。(詩 34:22)パウロは神に完全に従えない惨めさを嘆いた後,こう述べました。「わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです!」(ロマ 7:25)パウロは罪と闘っていました。悔い改めたとはいえ,過去に悪行も犯しました。しかし,神がイエスを通して許してくださることを確信していました。わたしたちは贖い主であるイエスのおかげで,清い良心を持ち,平安な思いを保てます。(ヘブ 9:13,14)大祭司イエスは「自分を通して神に近づく者たちを完全に救うこともできます。常に生きておられて彼らのために願い出てくださるからです」。(ヘブ 7:24,25)塔研17.11 8-9ページ1-2節,12ページ15節
5月14日,火曜日
あなた方の神エホバに誓約をなし,それを果たせ。(詩 76:11)
献身の誓いをどのように果たせるでしょうか。大小様々な試みに遭う時,神を「日ごとに」賛美するという誓いを真剣に受け止めていることを行動で示せます。(詩 61:8)例えば,職場や学校で異性に言い寄られる時,きっぱりと退けるでしょうか。「[エホバの]道を楽しみ」とし,エホバに仕えることを願う人は,そうするはずです。(箴 23:26)家族の中でエホバに仕えているのが自分だけである場合,クリスチャンとしての特質をいつも示せるよう,エホバに助けを祈り求めますか。あなたは愛情深い天の父に毎日祈り,愛と導きに対する感謝を伝えていますか。毎日聖書を読む時間を取っていますか。わたしたちは神に献身した時,いわばこうした事柄を行なうと約束したのではないでしょうか。エホバを愛し,本当に献身しているなら,神に従い,神を心から崇拝するはずです。わたしたちの崇拝は生き方であり,うわべだけのものではありません。塔研17.10 23-24ページ11-12節
5月15日,水曜日
わたしたちの神に調べを奏でるのは良いことだ。(詩 147:1)
ある人気作詞家はこう言いました。「歌詞は考えを刺激する。曲は感情を刺激する。歌は考えと感情の両方を刺激する」。エホバへの賛美と愛を歌うなら,最も優れた考えで感情を刺激することになります。一人で歌うにしても,会衆で歌うにしても,歌うことは清い崇拝において重要な役割を果たしています。あなたは会衆で大きな声で歌うことについてどう感じていますか。苦手意識がありますか。文化圏によっては,人前で歌うのは恥ずかしいと思う男性が多いようです。歌うことに対する兄弟たちの見方は,会衆全体に影響を与えます。長老たちがあまり熱心に歌わなかったり,歌の時に別の用事をしたりするなら,兄弟姉妹は歌うことがそれほど重要ではないと考えるかもしれません。(詩 30:12)歌うことが崇拝の一部であることを認識しているなら,歌の時にその場にいるようにするはずです。歌の途中で席を外すこともないでしょう。塔研17.11 3-4ページ1-3節
5月16日,木曜日
わたしが地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく,剣を投ずるために来たのです。(マタ 10:34)
わたしたちは皆,平穏な生活を望んでいます。ですから,エホバが「神の平和」つまり内面の穏やかさを与えてくださっていることに深く感謝しています。思い煩いや不安に押しつぶされずにすみます。(フィリ 4:6,7)エホバに献身している人は「神との平和」つまり神との良い関係も得ています。(ロマ 5:1)しかし,神が完全な平和を実現される時はまだ来ていません。危機的な終わりの日の今,対立や衝突があちこちで生じています。けんか腰な人も少なくありません。(テモ二 3:1-4)わたしたちクリスチャンは,サタンやサタンの偽りの教えと闘わなければなりません。(コリ二 10:4,5)でも,平穏な思いを保つのを難しくする一番の問題は,未信者の家族の反対かもしれません。ばかげたことを信じていると言われたり,家族を分裂させていると非難されたり,信仰を捨てなければ家族の縁を切ると脅されたりするかもしれません。塔研17.10 12-13ページ1-2節
5月17日,金曜日
わたしはどんなにあなたの律法を愛していることでしょう。それは一日じゅうわたしの思いとなっています。(詩 119:97)
言語の変化は聖書翻訳にも影響を与えます。当初はよく理解できた翻訳でも,やがて意味が分かりにくくなることがあります。一例として,英語に翻訳された聖書について考えましょう。ジェームズ王欽定訳の初版が発行されたのは1611年です。この英訳聖書は多くの人に愛され,英語そのものにも大きな影響を与えました。とはいえ,ジェームズ王欽定訳の言葉遣いの多くは今では古くなっています。他の言語の初期の聖書翻訳もそうです。ですから,現代語を用いた「新世界訳聖書」があるのは本当にうれしいことです。この訳の全巻または一部は150以上の言語で出版され,世界の大半の人たちが読むことができます。分かりやすい表現が用いられているため,聖書のメッセージが心に響きます。塔研17.09 19-20ページ5-6節
5月18日,土曜日
我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。(箴 27:11)
エホバに仕える若い人たちも,決定は自分で下さなければなりません。交友,娯楽,道徳的清さ,バプテスマなどに関して賢明な決定をするには勇気が必要です。神を嘲弄しているサタンを敵に回すことになるからです。若い人が下さなければならない重要な決定の一つは,人生で何を目標にするかということです。多くの国の若い人たちは,高等教育を受けて高収入の仕事に就くようにという圧力を受けます。経済状況の良くない国では,家族のためにお金を稼がなければならない,と感じる若い人たちもいます。若い人たちがエホバにいっそう仕える目標を持ち,生活の中で王国を第一にするのにも勇気が必要です。エホバはそのような若い人たちを豊かに祝福されます。家族を経済的に支えられるよう助けてくださいます。1世紀当時,若いテモテはエホバへの奉仕を中心にした生き方をしました。あなたもそのような生き方ができます。(フィリ 2:19-22)塔研17.09 29-30ページ10-12節
5月19日,日曜日
この律法の書があなたの口から離れてはいけない。……注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである。(ヨシュ 1:8)
聖書をよく学ぶなら,自制心を培えます。聖書には,自制心を働かせるとどんな良い結果になるか,働かせないとどんな悪い結果になるかが記されています。エホバはわたしたちのためにそうした実例を聖書に収めてくださいました。(ロマ 15:4)そのような記述を読み,研究し,黙想するのは大切なことです。自分や家族にどのように適用できるかを考えましょう。学んだことを適用できるようエホバの助けを祈り求めてください。何かの点で自制心が足りないことに気づくなら,まずはそのことを認めましょう。エホバに祈って,どのように改善できるかを真剣に考えてください。(ヤコ 1:5)出版物を調べるなら,自分に役立つ資料が見つかるでしょう。塔研17.09 6-7ページ15-16節
5月20日,月曜日
新しい人格を身に着けなさい。(コロ 3:10)
「新しい人格」は「神のご意志にそ[って]創造された」人格です。(エフェ 4:24)新しい人格を身に着けることは可能です。人間はエホバ神の像に創造されたので,神の素晴らしい特質に倣うことができます。(創 1:26,27。エフェ 5:1)パウロは,新しい人格を身に着けるよう勧めた後,新しい人格の際立った特徴である公平さについて次のように述べました。「ギリシャ人もユダヤ人もなく,割礼も無割礼もなく,異国人も,スキタイ人も,奴隷も,自由人もありません」。会衆内には人種や国籍や社会的立場による差別があるべきではありません。なぜでしょうか。キリストの真の追随者は「皆……一人の人となっている」からです。(コロ 3:11。ガラ 3:28)新しい人格を身に着けた人は兄弟姉妹や他の人たちにどのように接しますか。相手の社会的立場や人種に関係なく,敬意をこめて接します。(ロマ 2:11)塔研17.08 22ページ1節,23ページ3-4節
5月21日,火曜日
エホバは……待ち望[んでおられる]。(イザ 30:18)
エホバはわたしたちにだけ待つよう求めておられるのではありません。ご自分も辛抱強く待っておられます。実際,待つ点で最高の手本を示しておられます。(ペテ二 3:9)エホバはエデンの園で提起された倫理的な問題が疑問の余地なく解決されるよう,これまで何千年も辛抱強く待ってこられました。ご自分の名が完全に神聖にされる時を辛抱強く「待ち望」んでおられるのです。わたしたちもエホバを心から「待ち望む」なら,豊かな祝福を受けることができます。(イザ 30:18)イエスも辛抱強く待つ点での手本です。地上で死に至るまで忠誠を保ち,西暦33年に贖いの犠牲の価値を神に差し出しましたが,王として支配を始めたのは1914年でした。それまでずっと待ちました。(使徒 2:33-35。ヘブ 10:12,13)また,イエスの敵すべてが完全に滅ぼされるのは,千年統治が終わってからです。(コリ一 15:25)しかし,確かに待つ価値があります。塔研17.08 7ページ16-17節
5月22日,水曜日
神はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださ[る]。(コリ二 1:4)
「息子が亡くなって1年くらいは,苦しくて胸が張り裂けそうでした」とスーシは言います。妻を突然亡くした兄弟は,「言葉にできないような苦しみ」を感じたと述べています。家族を亡くし,つらい気持ちを味わっている人は少なくありません。ハルマゲドンの前に家族を亡くすことなど,予期していなかった人もいるでしょう。あなたも家族を亡くした経験があるかもしれません。あるいは,そのような経験をした人が身近にいるかもしれません。どうしたら悲しみを和らげられるでしょうか。「時が悲しみをいやしてくれる」とよく言います。でも,時がたてば悲しみは自然に薄れていくのでしょうか。夫を亡くしたある女性はこう述べています。「もっと正確に言えば,どのように時を過ごすかが大切だと思います」。心の傷も体の傷と同じように,優しく手当てすれば,少しずついやされるかもしれません。塔研17.07 12-13ページ1-3節
5月23日,木曜日
エホバを無上の喜びとせよ。そうすれば,神はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩 37:4)
エホバはどんな生き方を勧めておられるでしょうか。幸せになるには,神について知り,神に忠実に仕えることが必要です。人間はそのような者として造られました。(詩 128:1。マタ 5:3)食べたり飲んだり子どもを産んだりするだけの動物とは全然違います。神はあなたがもっと高い目標を持って生活し,幸せになることを願っておられます。エホバは「愛……の神」,「幸福な神」です。人間を「ご自分の像」に造られました。(コリ二 13:11。テモ一 1:11。創 1:27)神の愛に倣うなら幸せになれます。聖書には「受けるより与えるほうが幸福である」と書かれています。あなたは「本当にそうだな」と感じたことがありますか。(使徒 20:35)これは人生の基本的な真理です。ですからエホバはあなたに,神を愛し人を愛する生き方をしてほしいと思っておられます。(マタ 22:36-39)塔研17.07 23ページ3節
5月24日,金曜日
エホバは,とがなく歩む者に良いものを何も差し控えられません。(詩 84:11)
神は人間の尊厳を重んじ,親切に接してくださいます。わたしたちのことを,わたしたち以上に深く考えてくださっているのです。エホバはご自分の民全体を気遣っておられるだけではありません。一人一人にも深い関心を示されます。1つの例に注目しましょう。エホバは約300年間,裁き人たちを用いてイスラエル国民を導き,圧制者たちから救出されました。その動乱の時代,個々の人にも目を向けられました。ルツはその一人です。外国人でしたが,大きな犠牲を払ってエホバの崇拝者になりました。エホバはルツを祝福し,ルツが夫と出会い,息子を持てるようにされました。それだけではありません。将来ルツを復活させます。その時ルツは,自分の息子の家系からメシアが生まれたことを知って驚くでしょう。また,聖書に自分の名前の付いた書があり,自分のライフ・ストーリーが記されていることを知って,感激するに違いありません。(ルツ 4:13。マタ 1:5,16)塔研17.06 28-29ページ8-9節
5月25日,土曜日
聖霊[は]わたしが告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう。(ヨハ 14:26)
1970年,ピーターという兄弟は19歳で,英国のベテルで奉仕を始めたばかりでした。家から家に伝道していた時,あごひげを生やした中年の男性に会いました。ピーターは男性に「聖書を理解したいと思われますか」と尋ねました。男性はびっくりした様子で,「わたしはユダヤ教のラビだ」と言いました。そしてピーターの知識を試そうとして,「ダニエル書は何語で書かれたか知ってる?」と尋ねました。ピーターは「一部はアラム語で書かれました」と答えました。ピーターはその時のことを振り返って,こう言います。「ラビはわたしが答えを知っていることに驚きました。でも実は,もっと驚いたのはわたしのほうでした。どうして答えられたのでしょう。家に帰って『ものみの塔』と『目ざめよ!』を調べると,ダニエル書は一部がアラム語で書かれたという記事が見つかりました」。(ダニ 2:4,脚注)聖霊は,わたしたちが以前に読んだ事柄を思い起こさせるのです。(ルカ 12:11,12; 21:13-15)塔研17.06 13ページ17節
5月26日,日曜日
[結婚]する人たちは自分の肉身に患難を招くでしょう。(コリ一 7:28)
「赤ちゃんができたみたい」。妻が夫にこう言う時,新たな心配が始まります。夫も妻もとてもうれしい反面,妊娠中に問題は起きないか,赤ちゃんは元気に生まれるかが気がかりです。出産にはお金も必要です。養育費のことも考えなければなりません。赤ちゃんが生まれたあとはどうでしょうか。生活が大きく変わります。妻は赤ちゃんの世話に忙しくなります。妻が子どものことに掛かりきりになると,夫は寂しさを感じることでしょう。でも夫は,父親という新たな責任を果たさなければなりません。新たに加わった家族のために頑張らなければならないのです。夫婦にとって別の種類の「患難」もあります。子どもが欲しくて仕方がないのになかなかできない,という場合です。妻は妊娠しないことを深く悲しむかもしれません。塔研17.06 4ページ1節,5ページ5-6節
5月27日,月曜日
あなたのみことばはわたしの上あごに何と滑らかだったのでしょう。わたしの口に蜜にも勝って。(詩 119:103)
クリスチャンであるわたしたちは真理を心から受け入れ,深く愛しています。聖書には真理が収められています。イエスは天の父への祈りの中で,「あなたのみ言葉は真理です」と述べました。(ヨハ 17:17)ですから,真理への愛は聖書の正確な知識を得ることから始まります。(コロ 1:10)しかし,頭に知識を取り入れるだけでは不十分です。詩編 119編を読むと,聖書の真理を愛するとはどういうことかが分かります。(詩 119:97-100)あなたは1日のいろいろな時に,聖書の言葉を思い巡らしていますか。聖書の真理を生活に当てはめることによってどんな益が得られるかを熟考すると,聖書の真理に対する愛が深まります。またわたしたちは神の組織から受け取る,聖書に基づく出版物を味わうことができます。舌でゆっくり味わうかのようにして読むのです。そうすれば,必要な時に真理の「喜ばしい言葉」を思い起こし,他の人を助けるために用いることができるでしょう。(伝 12:10)塔研17.05 19-20ページ11-12節
5月28日,火曜日
神はほんとうにあなた方の中におられる。(コリ一 14:25)
わたしたちは,苦しんでいる人を助けたいと思っています。それにはエホバの証人ではない人々も含まれます。(ルカ 10:33-37)最善の方法は,良いたよりを伝えることです。多くの難民を援助してきた長老はこう述べています。「自分がエホバの証人で,主な目的は経済的な支援をすることではなく,聖書の希望を伝えることであることをすぐに知らせます。そうしないと,ある人たちは経済的なメリットを期待してエホバの証人と付き合おうとするかもしれません」。「外人居留者」にクリスチャン愛を示すなら,良い結果が生じます。(詩 146:9)ある姉妹の家族は,エリトリアでの迫害を逃れるために避難しました。4人の子どもたちは大変な思いで砂漠を8日間旅し,何とかスーダンにたどり着きました。姉妹はこう言います。「兄弟たちは子どもたちに家族のように接してくれました。衣食住を提供し,交通の便宜も図ってくれました。同じ神を崇拝しているというだけで,見知らぬ人を家に迎えてくれる人たちが,ほかにいるでしょうか。エホバの証人以外に考えられません」。(ヨハ 13:35)塔研17.05 7ページ17,19-20節
5月29日,水曜日
あなた方[は]わたしの僕ヨブがしたように,わたしに関して真実なことを語らなかった。(ヨブ 42:8)
「強健な人は,神の役に立つことができようか。洞察力のある者も自分にとって役に立つだけだ。全能者はあなたが義にかなっていることを喜ぶだろうか。また,あなたが自分の道をとがめのないものにしても,何の益になろう」。テマン人エリパズはヨブにこう述べました。(ヨブ 22:1-3)あなたもそう感じたことがありますか。エリパズの仲間であるシュアハ人ビルダドは,人間が神に正しいと見てもらうことはできないとさえ述べました。(ヨブ 25:4)エリパズやビルダドは,人間が神に忠節に仕えようと努力しても神の役には立たない,人間の価値など神から見れば蛾やうじや虫けらと同じだ,と主張しました。(ヨブ 4:19; 25:6)エホバは,偽りを述べたエリパズとビルダドとツォファルを戒めましたが,ヨブのことを喜び,「わたしの僕」と呼んでいます。(ヨブ 42:7)人間は「神の役に立つ」ことができるのです。塔研17.04 28-29ページ1-2節
5月30日,木曜日
柔和な者たちは……豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。(詩 37:11)
この古い世で長年生活していると,世の中の悪い状況に慣らされ,大きなストレスにさらされていることに気づかなくなるかもしれません。電車の往来の激しい駅の近くに住む人が騒音を感じなくなったり,ごみ捨て場の近くに住む人が臭いを気にしなくなったりするのと同じです。でも,悪い状況がすべてなくなる時,人々は深い安堵感を覚えることでしょう。ストレスがなくなる時,どんな気持ちになるでしょうか。今日の聖句に記されている約束に注目してください。素晴らしいと思いませんか。これこそエホバが望んでおられる事柄です。では,ストレスに満ちた終わりの日の今,エホバ神と組織に固く付くため,力を尽くして励みましょう。希望を大切にし,思い巡らし,強めましょう。他の人にも進んで知らせましょう。(テモ一 4:15,16。ペテ一 3:15)そうすれば,あなたは古い世と共に過ぎ去ることはありません。新しい世に入り,喜びにあふれて永遠に生きることができるのです。塔研17.04 13ページ16-17節
5月31日,金曜日
わたしたちはみな何度もつまずくのです。(ヤコ 3:2)
この点はだれもがすぐに認めます。問題は,他の人の不完全さによって自分が嫌な思いをした場合です。そのような時,エホバと同じ公正な見方ができますか。例えば,長老の言葉に幾らか偏見が表われている場合,どう反応しますか。長老がよく考えずに傷つくようなことを言う時,つまずいてしまいますか。すぐに,「こんな兄弟は長老にふさわしくない」と考えますか。それとも,会衆の頭イエスが行動する時を辛抱強く待ちますか。物事を広い視野で見るように努め,その兄弟の長年に及ぶ忠実な奉仕について考えるでしょうか。自分を傷つけた兄弟が引き続き長老として奉仕している場合はどうですか。その兄弟にさらに特権が与えられたとしたら,共に喜びますか。進んで許すなら,エホバの公正さに倣っていることになるのです。(マタ 6:14,15)塔研17.04 27ページ18節