12月
12月1日,火曜日
イエスは……大勢の人を……かわいそうに思った。(マル 6:34)
イエスは不完全な人間が経験する問題を理解してくださる方です。そのことを考えると心温まる思いがします。イエスは地上にいた時,「歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣き」ました。(ロマ 12:15)例えば,70人の弟子たちが伝道活動で成果を収め,喜びながら戻ってきた時には,「聖霊により喜びにあふれ」ました。(ルカ 10:17-21)また,ラザロを亡くした家族や友人が悲しんでいる様子を見た時には,「霊においてうめき,また苦しみを覚え」ました。(ヨハ 11:33)完全なイエスが,不完全な人間に対してこれほどの思いやりや同情心を示せたのはなぜでしょうか。何よりも,人々を愛していたからです。イエスは人間に「親愛の情」を抱いていました。(箴 8:31)それで,人々の考え方をよく知ろうとしました。使徒ヨハネによると,イエスは「人の内に何があるかを……知っておられ」ました。(ヨハ 2:25)塔研19.03 20ページ1-2節
12月2日,水曜日
彼の持つもの全てを破壊してください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します。(ヨブ 1:11)
サタンはヨブの財産を攻撃し,すべての物を奪い去り,僕たちを殺し,ヨブの評判を落としました。次にヨブの家族を攻撃し,大切な10人の子どもたちを殺しました。さらにヨブ自身を攻撃し,頭のてっぺんから足の裏まではれ物ができる病気にしました。ヨブの妻は悲しみに打ちひしがれ,もう神に忠誠を尽くすのはやめて,神をのろって死になさい,とヨブに言いました。ヨブ自身も死にたいと思いましたが,それでも忠誠を保ちました。そこでサタンは別の方法でヨブを攻撃しました。ヨブの3人の友人を使ったのです。3人はヨブのところに何日も滞在しましたが,何の慰めも与えませんでした。それどころか,ヨブを厳しく非難して説教しました。ヨブをつらい目に遭わせているのは神だ,ヨブの忠誠など神にとってはどうでもいいことだ,と主張しました。ヨブがひどい目に遭っているのは悪いことをしたからだ,と言わんばかりでした。(ヨブ 1:13-22; 2:7-11; 15:4,5; 22:3-6; 25:4-6)塔研19.02 4ページ7-8節
12月3日,木曜日
知恵はエホバを畏れることから始まる。(詩 111:10)
エホバへの「恐れ」つまり畏敬の気持ちを抱いていれば,エホバを悲しませたくないと思うはずです。アダムとエバがそのような畏敬の気持ちを抱いていたなら,エホバに反逆することはなかったでしょう。でも2人は反逆してしまいました。その後,2人の目は開け,自分たちが罪人であることをはっきりと自覚するようになりました。2人の子孫は罪と死を受け継ぎました。自分たちの状況を理解したアダムとエバは,裸であることを恥じて,身を覆いました。(創 3:7,21)他方,死に対して病的な恐れを抱く必要はありません。エホバはわたしたちに,永遠に生きる機会を与えてくださいました。罪を犯したとしても,誠実に悔い改めるなら,許してくださいます。イエスの贖いの犠牲に基づいて許してくださるのです。わたしたちはその犠牲に信仰を働かせる必要があります。信仰を表わす最も大切な方法は,神に献身してバプテスマを受けることです。(ペテ一 3:21)塔研19.03 5-6ページ12-13節
12月4日,金曜日
エフネの子カレブとヌンの子ヨシュア以外は,誰も残っていなかった。(民 26:65)
イスラエル人には,感謝を表わすべき理由がたくさんありました。エホバは,エジプトに十の災厄を下し,イスラエル人を奴隷状態から解放されました。その後,紅海でエジプト軍を壊滅させ,イスラエル人を窮地から救われました。イスラエル人は深く感謝し,エホバを賛美する勝利の歌を歌いました。では,その後も感謝を抱き続けたでしょうか。イスラエル人は,新たな問題にぶつかると,エホバがしてくださった良いことをすべて忘れてしまいました。そして,感謝の欠けた態度を取りました。(詩 106:7)どのようにでしょうか。「イスラエルの子らの全集会は……モーセとアロンに対してつぶやくようにな[り]」ました。実際にはエホバに対してつぶやいていたのです。(出 16:2,8)エホバは,人々が感謝の欠けた態度を示したことに失望されました。後に,ヨシュアとカレブを除き,その世代のイスラエル人がみな荒野で死ぬと予告されました。(民 14:22-24)塔研19.02 17ページ12-13節
12月5日,土曜日
私は温和で,謙遜……です。(マタ 11:29)
イエスは自分の死を記念するために手の込んだ式を行なうことを求めたりしませんでした。自分に過度の注意を引こうとしなかったのです。むしろ,簡素な式によって自分のことを思い起こすようにと言いました。(ヨハ 13:15。コリ一 11:23-25)この簡素で意味深い食事から,イエスが高慢ではなかったことが分かります。わたしたちの天の王が非常に謙遜な方であるのはうれしいことです。(フィリ 2:5-8)どのようにイエスの謙遜さに倣えますか。自分より他の人のことを第一にすることによってです。(フィリ 2:3,4)地上での最後の晩,イエスは自分が間もなく苦しみの死を遂げることを知っていました。それにもかかわらず,自分の死を嘆くことになる忠実な使徒たちを深く気遣ったのです。彼らを教え,励まし,元気づけるために時間を取りました。(ヨハ 14:25-31)謙遜にも,自分より他の人のことを気遣ったのです。何と素晴らしい手本でしょう。塔研19.01 21ページ5-6節
12月6日,日曜日
エホバ,どうか喜んでください,賛美の言葉という私の自発的な捧げ物を。(詩 119:108)
コメントするために手を挙げることを考えただけでもどきどきしますか。そう感じる人は少なくありません。ほとんどの人はコメントする時に幾らか緊張するものです。そうした気持ちになるのは,ある意味で良いことです。あなたが謙遜で,他の人が上であると考えている証拠だからです。エホバは謙遜な人を愛されます。(詩 138:6。フィリ 2:3)それと共にエホバは,ご自分を賛美し,集会で兄弟姉妹を励ましてほしいとも願っておられます。(テサ一 5:11)あなたを愛し,必要な勇気を与えてくださいます。聖書はどんなことを教えているでしょうか。わたしたちは皆,何をどのように言うかという点で間違いをすることがあります。(ヤコ 3:2)エホバも兄弟姉妹も,あなたに完全さを求めていません。(詩 103:12-14)兄弟姉妹は家族のような存在であり,あなたを愛しています。(マル 10:29,30。ヨハ 13:35)あなたが思いどおりにコメントできないこともある,ということを知っています。塔研19.01 8ページ3節,10-11ページ10-11節
12月7日,月曜日
若いうちにあなたの偉大な創造者を覚えなさい。(伝 12:1)
今の世の中でそうするのは必ずしも簡単ではありません。でも不可能ではありません。エホバは満足のいく充実した生き方をしてほしいと願っておられます。神の助けがあれば,今だけでなく,これからもずっと充実した生き方ができます。では,約束の地を征服したイスラエルの例を考えましょう。イスラエル人が約束の地に入ろうとしていた時,神は彼らに戦闘の訓練をするよう命じたりはしませんでした。(申 28:1,2)むしろ,ご自分を信頼し,命令に従うよう勧めました。(ヨシュ 1:7-9)人間の見地からは良いアドバイスには思えなかったでしょう。でもそれは最高のアドバイスでした。エホバは,イスラエル人がカナン人を征服できるよう何度も助けたからです。(ヨシュ 24:11-13)確かに,神に従うには信仰が必要です。しかし,信仰があれば必ず良い結果になります。今日でもそうです。塔研18.12 25ページ3-4節
12月8日,火曜日
主よ,私たちは誰の所に行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っています。(ヨハ 6:68)
今日でも,聖句についての新しい理解を受け入れられなかった人がいます。背教者や反対者の教えを受け入れた人もいます。理由は様々ですが,ある人たちはエホバと会衆から自分の意志で「離れ」ていきました。(ヘブ 3:12-14)そうした人たちはペテロのような信仰と確信を保つべきでした。真理から徐々に離れていった人もいます。知らず知らずのうちに離れてしまったのかもしれません。その人は岸からゆっくり離れていくボートのようです。「流され」て,真理から漂い出てしまうのです。(ヘブ 2:1)真理から漂い出る人は,自分の意志で真理から離れるわけではありません。でも,エホバとの関係が弱まり,やがて失われてしまいます。塔研18.11 9ページ5-6節
12月9日,水曜日
あなたの民は喜んで自分を差し出す。(詩 110:3)
神聖な奉仕を行なうための訓練をさらに受けたいと思いますか。もしそうなら,王国福音宣明者のための学校に申し込むのはいかがですか。この学校では,エホバを深く愛する全時間奉仕者が,組織でいっそう有用な者になるための訓練を受けます。どこに割り当てられるとしても,進んで応じる気持ちのある兄弟姉妹が申し込めます。この学校に出席して,エホバにいっそう仕えたいと思いますか。(コリ一 9:23)エホバの民は,人々に惜しみなく与え,善良さや親切や愛を表わします。いつも気遣いを示します。そうするなら,喜びや幸福を味わい,平穏な思いを持つことができます。(ガラ 5:22,23)どんな状況に置かれていても,エホバに倣って惜しみなく与え,神と共に働くなら,喜びを得られるのです。(箴 3:9,10)塔研18.08 27ページ16-18節
12月10日,木曜日
神が結び合わせたものを,人が離してはなりません。(マタ 19:6)
クリスチャンは離婚や再婚ができないのでしょうか。その点について,イエスはこう述べました。「だれでも自分の妻を離婚して別の女と結婚する者は,彼女に対して姦淫を犯すのです。また,もしも女が,夫と離婚したのち,別の男と結婚するなら,彼女は姦淫を犯すのです」。(マル 10:11,12。ルカ 16:18)イエスは結婚の絆を尊び,他の人にもそうしてほしいと願っていました。何かの口実を設けて,夫が妻と(または,妻が夫と)離婚し,他の人と結婚するなら,姦淫を犯すことになります。離婚しさえすれば結婚関係が終わるというわけではないからです。神から見れば,2人は依然として「一体」です。またイエスは,夫が一方的に妻と離婚するなら妻は姦淫を犯すことになりかねない,とも述べました。当時,離婚した女性は生活していくために再婚せざるを得ないと感じたかもしれません。しかし,再婚するなら姦淫を犯すことになりました。塔研18.12 11ページ8-9節
12月11日,金曜日
私は見張り所にずっと立ち……続ける。(ハバ 2:1)
ハバククはエホバと会話し,心が落ち着きます。エホバが行動してくださる時を待とうと決意します。これはその場限りの反応ではありませんでした。後に同じ決意を言い表わし,「苦難の日を……静かに待つ」と述べているからです。(ハバ 3:16)ハバククの決意から何を学べますか。第1に,どんな試練に遭っても祈ることをやめてはなりません。第2に,エホバが聖書や組織を通して語りかけてくださることに耳を傾ける必要があります。第3に,エホバがわたしたちの苦しみをふさわしい時に和らげてくださることを信じ,辛抱強く待つべきです。ハバククに倣って,エホバに祈り,エホバの言葉をよく聞き,エホバが行動してくださる時を待つなら,心が穏やかになり,頑張り続けることができます。希望があれば,辛抱強くあることができます。難しい問題にぶつかっても喜びを保てます。天の父エホバが必ず行動してくださるという確信も強まります。(ロマ 12:12)塔研18.11 15-16ページ11-12節
12月12日,土曜日
女性は,慎みと健全な考え方が表れた,きちんとした服装をすべきです。(テモ一 2:9)
他の人をつまずかせることに関する神の考えに注目しましょう。イエスはこう言いました。「信じるこれら小さな者の一人をつまずかせるのがだれであっても,その者は,ろばの回すような臼石を首にかけられて海に投げ込まれてしまったとすれば,そのほうが良いのです」。(マル 9:42)イエスの強い感情が伝わってきます。イエスは父エホバの特質を完全に表わしていました。ですから,だれかが無思慮な行動をしてイエスの弟子をつまずかせるなら,エホバは非常に不快に感じられるはずです。(ヨハ 14:9)あなたはエホバやイエスの考え方に倣っていますか。それが自分の考え方になっていますか。行動に表われていますか。例えば,あなたの気に入っている服装や身だしなみが,会衆のある人たちに不快な思いをさせたり,不道徳な考えを抱かせたりするかもしれません。そのような場合,自分の好みを優先しますか。それとも,兄弟姉妹への愛に動かされて,そのような服装や身だしなみを避けますか。塔研18.11 25ページ9-10節
12月13日,日曜日
サタンはエホバに答えた。「ヨブは本当に純粋な気持ちで神を畏れているのでしょうか。……あなたの手を出して,彼の持つもの全てを破壊してください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します」。(ヨブ 1:9,11)
忠誠を示す必要があるのはなぜでしょうか。サタンがエホバとあなたのことを悪く言っているからです。その反逆した天使は,エホバが利己的で不正直で悪い支配者だとほのめかして,エホバの名誉を汚しました。残念なことに,アダムとエバはサタンを支持し,エホバに反逆しました。(創 3:1-6)エデンで生活していた2人には,エホバへの愛を強める機会がたくさんありました。しかし,サタンがエホバを悪く言った時,2人の愛は完全ではなく,傷や欠陥のあるものになりました。ヨブの時代,サタンはもう一つの疑問を提起しました。エホバ神への愛に動かされて忠実を保つ人はいるか,言い換えれば,人間は忠誠を示せるか,という疑問です。(ヨブ 1:8-11)ヨブはわたしたちと同様,不完全でしたし,間違いもしました。しかし,忠誠を保ったゆえにエホバから愛されました。塔研19.02 3-4ページ6-7節
12月14日,月曜日
持ち物全てを……売り,その真珠を買いました。(マタ 13:46)
イエスはりっぱな真珠を探し求める旅商人の例えを話しました。旅商人はとても価値のある真珠を見つけると,自分の持つすべてのものを「即座に売り」,それを買いました。イエスはこの例えで,神の王国の真理が,それを探し求める人にとってどれほど貴重かを教えました。(マタ 13:45,46)わたしたちも神の王国や他の素晴らしい事柄に関する真理を学んだ時,進んで犠牲を払ってそれを手に入れました。真理の価値を認めている人は,それを「売っ[たり]」しません。(箴 23:23)しかし残念なことに,クリスチャンの中には,せっかく手に入れた真理の価値を見失い,売ってしまった人がいます。そのようなことは決してしたくありません。「真理のうちを歩みつづけ……る」必要があります。(ヨハ三 2-4)真理のうちを歩むとは,真理に沿って生きることです。生活の中で真理を第一にし,真理に調和して行動しなければなりません。塔研18.11 8ページ3節
12月15日,火曜日
信仰によって民は,7日間エリコの城壁の周囲を回り,その後に城壁は崩れ落ちました。(ヘブ 11:30)
イスラエル人は,エリコを攻撃するのではなく,都市の周りを6日にわたって1日に1回行進し,7日目には7回行進するよう命じられました。「時間とエネルギーの無駄だ」と思った兵士もいたかもしれません。しかし,イスラエルの指導者エホバには明確な意図がありました。この戦略に従った結果,イスラエル人の信仰は強まりました。エリコの強い戦士たちとの直接対決を避けることもできました。(ヨシュ 6:2-5)この記述から何を学べますか。組織が新しい事柄を行なう時,その理由を十分に理解できないことがあるかもしれません。例えば,個人研究や宣教や集会で電子機器を使うよう勧められた時,なぜだろうと思った人たちもいます。でも今では,電子機器を使うメリットを理解しています。最初は疑問に感じても,良い結果を見ると,信仰が深まり,兄弟たちとの一致が強まります。塔研18.10 23ページ8-9節
12月16日,水曜日
主よ,今イスラエルに王国を回復するのですか。(使徒 1:6)
ガリラヤの人々がイエスを王にしたいと思ったのも,イエスの弟子たちが持っていたようなメシアに対する期待を抱いていたからでしょう。イエスなら理想的な指導者になると考えたに違いありません。素晴らしい話をし,病気を治し,食べ物を与えることのできる人物です。イエスは約5000人の男たちに食べ物を与えた後,人々のそのような気持ちを感じ取りました。どうしたでしょうか。「イエスは,彼らが,自分を王にするためとらえに来ようとしているのを知り,再び山の中にただ独りで退かれ[まし]た」。(ヨハ 6:10-15)翌日,ガリラヤの海の対岸に集まった人々の気持ちは幾らか収まっていたことでしょう。イエスは,自分の最も大切な務めが何かを説明しました。イエスが地上に来たのは,食べ物を与えるためではなく,永遠の命を得るのに必要な事柄を教えるためです。こう述べました。「滅びる食物のためではなく,永遠の命へとながく保つ食物のために働きなさい」。(ヨハ 6:25-27)塔研18.06 4ページ4-5節
12月17日,木曜日
傷ついたアシを折らず,くすぶるランプの火を消さない。(イザ 42:3)
イエスは砕かれた葦や消えそうな灯心のように弱っていた人々の気持ちに寄り添い,思いやりと親切と辛抱強さを示しました。(マル 10:14)もちろん,わたしたちにはイエスのような洞察力や教える能力はありません。それでも,区域の人々に思いやりを示すことができます。では,人々にどのように話すか,いつ訪問するか,どれほどの時間話すかを考えましょう。今日,冷酷で腐敗したビジネスのリーダーや政治家や宗教指導者によって,大勢の人たちが「痛めつけられ,ほうり出されてい[ます]」。(マタ 9:36)多くの人は将来の希望がなく,人を信用しません。ですから,宣教で言葉をよく選び,温かな口調で話すことは,とても大切です。実際,人々を良い知らせに引き寄せるのは,わたしたちの聖書の知識や論じ方だけではなく,誠実な気遣いや思いやりです。塔研18.09 31-32ページ13-14節
12月18日,金曜日
神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。(マタ 5:3)
神の導きが必要であることを認めている人は,聖書を学び,神の命令に従い,神への崇拝を生活の中で第一にします。その結果,いっそう幸せになります。神の約束が間もなく実現するという信仰も強まります。(テト 2:13)いつまでも幸せでいるためには,エホバとの関係を強める必要があります。使徒パウロはこう述べています。「主[エホバ]にあって常に歓びなさい。もう一度言います。歓びなさい!」(フィリ 4:4)この貴重な関係を培うには,神の知恵を学ばなければなりません。(箴 3:13,18)聖書を読むだけではなく,学んだ事柄を適用することも必要です。イエスはこう述べました。「これらのことを知っているなら,それを行なうときに,あなた方は幸福です」。(ヨハ 13:17。ヤコ 1:25)学んだことを行なうなら,神の導きを感じ,いつまでも幸せでいることができます。塔研18.09 18ページ4-6節
12月19日,土曜日
エパフラスは,……いつも熱烈に祈っています。(コロ 4:12)
エパフラスはコロサイの兄弟たちをよく知っており,深く気遣っていました。パウロと同様「捕らわれ」の身でしたが,他の人の信仰を強めたいと願っていたのです。(フィレ 23)仲間の兄弟姉妹のために祈ること,特に名前を挙げて祈ることには,大きな力があります。(コリ二 1:11。ヤコ 5:16)どんな人の名前を挙げて祈ることができますか。エパフラスに倣い,会衆の兄弟姉妹のために祈ることができます。中には,重い責任を担っている人,難しい決定をしなければならない人,誘惑を受けている人もいるでしょう。家族を亡くした人,自然災害や戦争の被害に遭った人,経済的な問題を抱えている人もいるでしょう。わたしたちの祈りを必要としている人はたくさんいます。塔研18.09 5-6ページ12-13節
12月20日,日曜日
受けるより与える方が幸福である。(使徒 20:35)
パウロは,お金や物だけではなく,励ましやアドバイスや助けを与えることについても述べていました。(使徒 20:31-35)パウロは自分の時間やエネルギーを与え,愛や気遣いを示しました。自分を与えることの大切さを,言葉と行ないによって教えたのです。社会学の研究者たちも,人は与えると幸福になるということに気づいています。ある記事には,「人に親切にすると,とても幸せな気持ちになる」と述べられています。研究者たちによると,他の人を助けることによって,人生の「目的や意味を実感」できます。「人間が必要としている基本的な欲求が満たされる」からです。それで専門家たちは,自分の健康や幸福のためにもボランティア活動を行なうことを勧めています。こうした研究者たちの言葉は,驚くには当たりません。愛情深い創造者エホバが,与えるなら幸福になると教えておられるからです。(テモ二 3:16,17)塔研18.08 22ページ17-18節
12月21日,月曜日
見掛けで裁くのをやめ,正しい裁きをしなさい。(ヨハ 7:24)
イエス・キリストに関するイザヤの預言を読むと,温かい気持ちになります。こうあります。「[イエス]は目で見る単なる外見によって裁くのでも,ただ耳で聞くことにしたがって戒めるのでもない。……立場の低い者たちを必ず義をもって裁[く]」。(イザ 11:3,4)とても励みになる預言です。今の世の中は偏見で満ちているからです。わたしたちは皆,完全な裁き主であるイエスの裁きを待ち望んでいます。イエスは,わたしたちを見かけで裁くことは決してありません。わたしたちもある意味で毎日,人を裁いています。つまり,その人がどんな人かを判断しています。しかし,イエスとは異なり不完全なので,完璧な判断は下せません。見えるものに影響されることがあります。それでイエスは,「うわべを見て」裁くのではなく,「義にかなった裁きで」裁きなさいと命じました。イエスは,わたしたちが人を見かけで判断することを望んでいません。塔研18.08 8ページ1-2節
12月22日,火曜日
後ろから……「これが道である。この道を歩みなさい」という言葉が聞こえる。(イザ 30:21)
神は天から話されるわけではありません。ご自分の言葉が記された聖書を通して教えてくださいます。また,聖霊によって「忠実な家令」を導き,「食糧」を与えてくださっています。(ルカ 12:42)わたしたちは,印刷物,ウェブサイト上の記事,ビデオ,オーディオなどの形で,信仰を強める食物をあふれるほどいただいています。聖書に記されている神の言葉を学ぶなら,エホバは全能の力をお持ちであること,わたしたちがサタンと邪悪な世からどんな被害を受けるとしても,失われたものをすべて回復してくださることを確信できます。エホバの声を一心に聴く決意をしましょう。そうすれば,今どんな問題にぶつかっても,また将来どんな難しい状況に置かれても,エホバに仕え続けることができます。聖書はこう述べています。「あなた方には忍耐が必要なのです。それは,神のご意志を行なった後,約束の成就にあずかるためです」。(ヘブ 10:36)塔研19.03 13ページ17-18節
12月23日,水曜日
エホバは……ヨシュアに言った。「私に仕えたモーセは死んだ。さあ,あなたとこの民全ては,準備してヨルダン川を渡り……なさい」。(ヨシュ 1:1,2)
モーセは長年イスラエルを指導してきました。ですからヨシュアは,民が自分の指導にどう応じるか不安に思ったでしょう。(申 34:8,10-12)ある参考文献はヨシュア 1章1,2節についてこう述べています。「昔も今も,指導者が交代する時,国は非常に不安定になり,安全が脅かされる」。ヨシュアが恐れを感じたとしても無理はありません。しかしヨシュアは数日のうちに確固とした行動を取ります。(ヨシュ 1:9-11)エホバはヨシュアの信頼にこたえられました。聖書の記録が示すとおり,天使を遣わしてヨシュアとイスラエル人を導きました。この天使は,「言葉」である神の初子だったと考えられます。(ヨハ 1:1。出 23:20-23)イスラエル人にとっても指導者がヨシュアに代わるのは大きな変化でした。でも,エホバの助けによって順応できました。塔研18.10 22-23ページ1-4節
12月24日,木曜日
エホバを畏れる人……のために,神の前で記録の書が記された。(マラ 3:16)
エホバはご自分に進んで仕える人に目を留め,「覚えの書[または,記録の書]」にその人の名前を記してくださいます。神の民の一人として「覚えの書」に名前を記されることには責任が伴います。マラキによれば,「エホバを恐れ……そのみ名を思う」必要があります。エホバ以外のものを崇拝するなら,わたしたちの名前は「命の書」から消し去られるでしょう。(詩 69:28,脚注。出 32:33)神のご意志を行なうことを約束し,バプテスマを受ければそれで十分というわけではありません。神の民の一員としてエホバの側にとどまるには,献身しバプテスマを受けた後もずっとエホバに従い続ける必要があります。(ペテ一 4:1,2)塔研18.07 23-24ページ7-9節
12月25日,金曜日
私たちはキリストに関する初歩の教理より先に進んだのですから,十分に成長するように努力しましょう。(ヘブ 6:1)
わたしたちは自動的に円熟したクリスチャンになれるわけではありません。「努力し」続ける必要があります。円熟に向かって成長するには,知識や理解を深めていかなければなりません。聖書を毎日読むことが繰り返し勧められているのはそのためです。(詩 1:1-3)あなたはそのように努力していますか。毎日聖書を読めば,エホバの律法と原則を一層深く理解することができます。クリスチャンにとって最も大切なのは愛の律法です。イエスは弟子たちにこう言いました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハ 13:35)イエスの異父兄弟ヤコブは,愛が「王たる律法」であると述べました。(ヤコ 2:8)パウロは,「愛は律法を全うするもの」だと述べています。(ロマ 13:10)愛が強調されているのは当然のことです。「神は愛」だからです。(ヨハ一 4:8)塔研18.06 19ページ14-15節
12月26日,土曜日
彼らが感情を刺激したので,モーセは軽率な発言をした。(詩 106:33)
イスラエル人はエホバを怒らせるようなことをしました。その時モーセは憤激して自制心を失い,結果を考えずに話してしまいました。人々が最初のメリバで不平を述べた時,モーセは正しく行動しました。でも2番目のメリバでは,他の人たちの言動のせいでエホバから目をそらしてしまいました。(出 7:6)反抗的なイスラエル人と何十年も接し,疲れやストレスがたまっていたのでしょう。エホバに栄光をもたらすことを忘れ,感情のままに行動してしまったのかもしれません。モーセのような忠実な預言者が神から目をそらし,罪を犯してしまったのであれば,わたしたちにも同じことが生じ得ます。わたしたちも,エホバの約束しておられる新しい世に入ろうとしています。(ペテ二 3:13)その素晴らしい機会を失いたいとは思いません。新しい世に入るには,エホバにいつも目を向け,ご意志を行なう必要があります。(ヨハ一 2:17)塔研18.07 15ページ14-16節
12月27日,日曜日
皆さん[は]邪悪な者を征服した。(ヨハ一 2:14)
サタンは,わたしたちに無理やり何かをさせることはできません。(ヤコ 1:14)多くの人はそれと知らずにサタンの目的に沿って行動しています。しかし真理を学んだ後は,エホバの側に付くかサタンの側に付くかを決めなければなりません。(使徒 3:17; 17:30)わたしたちが神のご意志を行なう決意をしているなら,サタンは神への忠誠を捨てさせることなどできません。(ヨブ 2:3; 27:5)サタンと邪悪な天使たちには,ほかにもできないことがあります。聖書には,サタンや邪悪な天使たちが人の思いや心を読めるとは書かれていません。それができると述べられているのはエホバとイエスだけです。(サム一 16:7。マル 2:8)最善を尽くして神のご意志に調和して語り,行動するなら,エホバは悪魔がわたしたちに永続する害をもたらすことのないよう守ってくださいます。(詩 34:7)わたしたちは敵について知る必要がありますが,おびえる必要はありません。エホバの助けによって,不完全なわたしたちもサタンを征服することができます。わたしたちがサタンに立ち向かえば,サタンは逃げ去ります。(ヤコ 4:7。ペテ一 5:9)塔研18.05 26ページ15-17節
12月28日,月曜日
行うことは何でもエホバに委ねよ。そうすれば,計画は成功する。(格 16:3)
あなたは大切なイベントのために,遠くの町へ出かけようとしています。その町に行くには,長距離バスに乗らなければなりません。バス・ターミナルに行くと,バスがたくさんあります。バスを乗り間違えたら大変です。でも,行き先がちゃんと分かっているので,正しいバスに乗ることができます。若い皆さんが置かれているのはそのような状況です。バスの旅ではありません。人生という旅です。人生にはいろいろな選択肢があるので,どの道を進めばよいか迷うかもしれません。でも,行きたい所がはっきり決まっていれば,正しい方向に進めます。あなたは,エホバに喜ばれる生き方を目指していますか。教育や仕事や結婚など,いろいろなことを決める時,エホバのアドバイスに従ってください。エホバとの友情を築くうえで役立つ目標を決め,その目標に向かって頑張ることも大切です。一生懸命奉仕するなら,エホバは幸せな人生を送れるように助けてくださいます。塔研18.04 25ページ1-3節
12月29日,火曜日
ああ,何ということをしてくれたのだ。私はおまえを追い出さなければならない。(裁 11:35)
エフタは誓いを守り,処女である娘をシロに送って生涯幕屋で仕えさせました。(裁 11:30-35)つらかったのはエフタだけではありません。娘はもっとつらかったでしょう。それでも,父親の誓いのとおりに行動しました。(裁 11:36,37)結婚して子どもを持ち,家名と財産を受け継ぐ機会を手離しました。確かに慰めと励ましを必要としていました。こうあります。「イスラエルにおいてはこれが定めとなった。すなわち,年ごとにイスラエルの娘たちは出かけて行き,年に四日ずつギレアデ人エフタの娘をほめるのであった」。(裁 11:39,40)今日,独身の立場を生かして「主の事柄」に打ち込んでいる兄弟姉妹が大勢います。そのような仲間を心から褒め,励ましましょう。(コリ一 7:32-35)塔研18.04 17ページ10-11節
12月30日,水曜日
[天使たちは]本来の立場にとどまらずに自分の居場所から離れた。(ユダ 6)
かなりの数の天使がサタンの反逆に加わりました。大洪水前,サタンはある天使たちを唆し,人間の女性と性関係を持つよう仕向けました。聖書はその点を象徴的な表現で明らかにしています。龍が自分と共に天の星の3分の1を地に引きずり落とした,と述べています。(創 6:1-4。啓 12:3,4)それらの天使たちは神の家族との関係を絶って,サタンに従うようになりました。彼らは寄り集まっただけの集団ではありません。サタンは神の王国をまねて,目に見えない領域で政府を作りました。自分が王となり,邪悪な天使たちを組織して彼らに権威を与え,世を支配させています。(エフェ 6:12)サタンは邪悪な天使たちの組織を使って,人間の政府すべてに権威を行使しています。塔研18.05 23ページ5-6節
12月31日,木曜日
私は,助言してくださったエホバを賛美する。夜,自分の奥底の考えによって正される。(詩 16:7)
神は父親のように優しく矯正することによって,愛を示してくださることがあります。ダビデはそのような矯正を進んで受け入れました。神の考えを熟考し,それを自分のものにし,それによって形作られるようにしたのです。あなたもエホバを信頼してそうするなら,エホバへの愛が深まり,エホバに従いたいという願いが強まります。クリスチャンとして成長することもできます。クリスタンという姉妹はこう述べています。「聖書を調べ,読んだ事柄を熟考すると,これはエホバがわたしのために書いてくださったんだ,という気持ちになります」。神の見方に倣うなら,豊かな知識と鋭い洞察力を身に着けられます。世界とその将来を神がご覧になるような仕方で見ることができるのです。エホバがそのような知識や洞察力を与えてくださるのはなぜでしょうか。あなたが生活の中で正しい優先順位を定め,賢い決定をし,確信を持って将来を待ち望むことを願っておられるからです。(イザ 26:3)塔研18.12 26ページ9-10節