5月
5月1日,月曜日
人々は……その口から出る,人を引きつける言葉に驚嘆するようになった。―ルカ 4:22。
わたしたちもイエスに倣い,親切で礼儀正しい話し方,相手の感情を思いやる話し方をしたいと思います。イエスは,話を聞くために苦労してやって来た群衆を見て哀れに思い,「彼らに多くのことを教え始め」ました。(マル 6:34)侮辱されても,とげとげしく言い返したりはしませんでした。(ペテ一 2:23)家族や会衆内の友人など,親しい人と話す時は,温和さや巧みさの欠けた話し方をしてしまいがちです。何でも遠慮せずに言ってよい,と思ってしまうからです。イエスは,親しい弟子たちには辛らつな言い方をしてもよい,と考えたでしょうか。いいえ,そうは考えませんでした。弟子たちが自分たちの中でだれが偉いかと議論していた時,イエスは彼らを優しく正し,幼子を例えとして用いました。(マル 9:33-37)長老たちはイエスの手本に倣い,「温和な霊をもって」助言を与えるよう努めます。―ガラ 6:1。塔15 12/15 3:15,16
5月2日,火曜日
あなた方の兄弟愛を保ちなさい。―ヘブ 13:1。
兄弟愛を示し続けるのが重要なのはなぜでしょうか。簡単に言うと,エホバが求めておられることだからです。兄弟たちを愛そうとしないなら,神を愛しているとは言えません。(ヨハ一 4:7,20,21)別の理由は,わたしたちは互いを必要としているということです。難しい状況の時は特にそうです。パウロは,ヘブライ人のあるクリスチャンたちが,間もなく家や持ち物を手離さなければならなくなることを知っていました。イエスは,それがどれほど大変な時になるかを述べておられました。(マル 13:14-18。ルカ 21:21-23)ですから,ヘブライ人のクリスチャンは,互いへの愛情をそれまで以上に強める必要があったのです。(ロマ 12:9)間もなく,大患難の破壊的な風が解き放たれます。(マル 13:19。啓 7:1-3)定期的に集まるだけでは不十分です。パウロはヘブライ人のクリスチャンに,集まり合う際,「愛とりっぱな業とを」鼓舞し合うよう勧めました。―ヘブ 10:24,25。塔16.01 1:6-8
5月3日,水曜日
彼らはみな聖霊に満たされ[た]。―使徒 2:4。
西暦33年ペンテコステの日のことです。エルサレムのある階上の部屋に120人ほどのクリスチャンが集まり,「ひたすら祈りを続けて」いました。(使徒 1:13-15)それらのクリスチャンに起きようとしていたことは,預言者ヨエルが語った事柄の成就となりました。(ヨエ 2:28-32。使徒 2:16-21)その階上の部屋に集まっていたクリスチャンに聖霊が注がれたのです。(使徒 1:8)彼らは,自分たちの見聞きしたすばらしい事柄について預言する,つまり証しすることを始めました。使徒ペテロは,集まってきた群衆にその出来事の意義をこう説明します。「悔い改めなさい。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」。その日,およそ3000人が勧めに応じてバプテスマを受け,約束の聖霊を受けたのです。―使徒 2:37,38,41。塔16.01 3:1-3
5月4日,木曜日
だれでも,ふさわしくない仕方でパンを食べたり主の杯を飲んだりする人は,主の体と血に関して罪を負うことになります。―コリ一 11:27。
パウロはここで何を言わんとしているのでしょうか。油そそがれた人がエホバとの良い関係を保っていないなら,ふさわしくない仕方で表象物にあずかることになる,ということです。(ヘブ 6:4-6; 10:26-29)ですから,油そそがれた人は自分が賞をまだとらえたわけではないことを忘れてはなりません。「キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かって」走り続ける必要があるのです。(フィリ 3:13-16)パウロは霊感のもと,油そそがれた人たちに,自分の「召された召しにふさわしく歩」むよう懇願しました。どのように歩むべきなのでしょうか。パウロは続けてこう言います。「全くへりくだった思いと温和さとをもち,また辛抱強さをもって愛のうちに互いに忍び,結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励みなさい」。(エフェ 4:1-3)エホバの霊は,誇りではなく謙遜さを促進します。―コロ 3:12。塔16.01 4:5,6
5月5日,金曜日
神はアブラハムを試みられた。―創 22:1。
次の情景を思い描いてください。老齢の男性が重い足取りで山道を登っています。それは人生で最もつらい旅だったに違いありません。足取りが重いのは老齢のためではありません。アブラハムは125歳ぐらいですが,まだ活力があります。その後ろを歩いているのは25歳ぐらいの息子イサクです。イサクはまきを背負い,アブラハムは短刀と,火を起こす道具を持っています。エホバはアブラハムに息子イサクを犠牲としてささげるよう求めたのです。(創 22:1-8)それはアブラハムにとって信仰の最大の試みだったに違いありません。アブラハムは盲目的に従っていたのではありません。むしろ,見えていたので従ったのです。その純粋な信仰の目に見えていたのは,天の父エホバはご自分の忠実な僕たちに永続的な害をもたらすことを決して求めない,という事実です。エホバに従うならエホバが自分と愛する息子を祝福してくださる,ということを理解していたのです。その信仰は何に基づいていましたか。知識と経験です。塔16.02 1:3,4
5月6日,土曜日
ご覧ください,エホバの奴隷女でございます! あなたの宣言どおりのことが私の身に起きますように。―ルカ 1:38。
マリアは神の独り子を宿し,産み,育てることになりました。わたしたちは,マリアに与えられた特権の素晴らしさには注目しても,マリアの感じた大きな不安についてはあまり考えないかもしれません。み使いガブリエルは何と,マリアが男性と関係を持っていないのに奇跡的に妊娠する,と告げたのです。ガブリエルは,マリアの家族や隣人に妊娠の理由を説明しに行く,とは言いませんでした。家族や隣人は妊娠のことを聞いてどう思うでしょう。それに,婚約者ヨセフのことも気がかりです。妊娠していても貞潔であることを,どうしたら信じてもらえるでしょう。それだけではありません。至高者の独り子を育て,世話し,訓練することには,重大な責任が伴います。ガブリエルの宣言を聞いて,マリアにどんな不安が押し寄せてきたのか,詳しいことは分かりません。しかし,マリアは今日の聖句のように答えました。―ルカ 1:26-37。塔16.02 2:13,14
5月7日,日曜日
何と,彼に会ったのはアルキ人フシャイで,その長い衣は引き裂かれ,頭には泥をかぶっていた。―サム二 15:32。
フシャイという人は,神に忠節であるために勇気を必要としました。フシャイはダビデ王の忠節な友でした。しかし,ダビデの息子アブサロムが多くの人の心を勝ち得て,エルサレムと王位を手中に収めようとした時,フシャイの忠節は試みられました。(サム二 15:13; 16:15)ダビデはエルサレムから逃げました。フシャイはどうするでしょうか。命からがら逃げる高齢の王ダビデに付いて行くでしょうか。それともアブサロムの側に寝返るでしょうか。フシャイの忠節心は揺らぎませんでした。ダビデは神から任命された王だったからです。それで,フシャイはオリーブ山に行ってダビデに会います。(サム二 15:30)ダビデはフシャイに対し,エルサレムに戻ってアブサロムの友のふりをし,アヒトフェルの助言を覆すよう求めます。フシャイは命の危険を覚悟の上で,ダビデの指示に従い,エホバへの忠節を示しました。ダビデが祈ったとおり,アヒトフェルの助言は,勇気あるフシャイの助言によって確かに覆されました。―サム二 15:31; 17:14。塔16.02 4:15,16
5月8日,月曜日
あなたの神エホバの声に常に聴き従うゆえに,このすべての祝福があなたに臨み,あなたに及ぶことになる。―申 28:2。
わたしたちクリスチャンは,イスラエル国民に与えられた律法中の指針から益を得られます。どうすれば益が得られますか。立ち止まって,律法の根底にある原則に目を向ける,つまり注意を払うことです。わたしたちは律法のもとにいませんが,律法の多くは,日常生活や聖なる神エホバへの崇拝において,信頼できる指針となります。エホバが律法を聖書に記録させたのは,わたしたちが律法から学び,その原則を導きとし,クリスチャンの,より高い道徳規準を理解できるようにするためです。イエスの次の言葉に耳を傾けてください。「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」。わたしたちは,姦淫という行為だけでなく,不道徳な性的欲望を避ける必要があります。―マタ 5:27,28。塔16.03 4:6,8
5月9日,火曜日
私たちを裁く王を私たちのために立ててください。―サム一 8:5。
サムエルは民の要求を聞き入れる気にならなかったので,エホバから,民の声に聴き従うよう3度も言われる必要がありました。(サム一 8:7,9,22)それでもサムエルは,後継者に対するねたみや憤りを宿すことはしませんでした。サウルに油をそそぐようエホバから命じられた時,義務感から渋々従ったのではなく,愛の気持ちから進んで従いました。経験のある長老たちも,サムエルのように,訓練する兄弟たちに対して親切な態度を取ります。(ペテ一 5:2)それらの兄弟たちに会衆の特権を譲り渡すことを恐れて,訓練を控えることはありません。心の大きな教え手たちは,進んで学ぶ兄弟たちを競争相手と見るのではなく,「同労者」と見ます。会衆に与えられた貴重な贈り物と考えるのです。(コリ二 1:24。ヘブ 13:16)そうした利他的な教え手たちは,兄弟たちが能力を生かして会衆を助けるのを見て,深い満足感を味わいます。―使徒 20:35。塔15 4/15 1:16,17
5月10日,水曜日
わたしはあなたを適度に矯正しなければならない。―エレ 30:11。
アザリヤ王は「エホバの目に廉直なことを行ない続け」ました。しかし,「エホバは王に災厄を下されたので,彼はその死ぬ日までらい病人のままで……いた」とあります。(王二 15:1-5)なぜエホバはそうされたのでしょうか。そこには何も記されていません。この記述を読んで,エホバは正当な理由もなくアザリヤを罰したのだろうか,と疑問に思うでしょうか。エホバの物事の行ない方をよく知っていれば,そのようなことはないでしょう。アザリヤはウジヤとしても知られていました。(王二 15:7,32)並行記述の歴代第二 26章3-5,16-21節によると,ウジヤは一時期,エホバの目に正しいことを行なっていたものの,後年,「その心は滅びをもたらすほどにごう慢に」なり,せん越にも自分の権限を越えて祭司の務めを行なおうとしました。それを81人の祭司たちからとがめられ,阻止された時,ウジヤはどんな反応を示したでしょうか。ごう慢さを露呈し,祭司たちに対して「激怒し」たのです。エホバがウジヤをらい病で打ったのも不思議ではありません。塔15 4/15 3:8,9
5月11日,木曜日
大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。―啓 12:9。
上に記されているように,サタンは悪魔と呼ばれています。悪魔とは「中傷する者」を意味し,エホバをうそつき呼ばわりして侮辱したことを思い起こさせます。「初めからの蛇」という呼び名は,サタンがエデンの園で蛇を使ってエバを欺いた日のことを思い出させます。「大いなる龍」という名称は恐ろしい怪物をイメージさせ,エホバの目的を阻み,神の民を滅ぼそうとする飽くなき渇望を適切に描写しています。ですからサタンは,わたしたちの忠誠を脅かす最も危険な存在です。それで聖書は強くこう勧めています。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」。(ペテ一 5:8)サタンは,神の僕が重大な罪によって汚されるのを見ると,大喜びすることでしょう。そのような勝利は悪魔にとって,エホバを嘲弄するための材料になるのです。―箴 27:11。塔15 5/15 1:3,4,10
5月12日,金曜日
金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根である。―テモ一 6:10。
エホバはわたしたちが快適な生活を送ることを望んでおられます。だからこそ,アダムとエバを美しい楽園に住まわせたのです。(創 2:9)しかし,サタンは「富の欺きの力」を用いて,わたしたちの自然な欲求に付け込みます。(マタ 13:22)多くの人は,お金があれば幸福になれるとか,物質的な所有物が成功のかぎだ,と考えます。そのような考え方は欺きにほかなりません。わたしたちが持っている最も貴重なもの,つまりエホバとの友情関係を損ないかねないからです。イエスは追随者たちにこう警告されました。「だれも二人の主人に奴隷として仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛するか,一方に堅く付いて他方を侮るかのどちらかだからです。あなた方は神と富とに奴隷として仕えることはできません」。(マタ 6:24)富に奴隷として仕えるなら,エホバに仕えるのをやめたことになります。それはサタンがまさに願っていることです。金銭や物によって,エホバとの友情関係が決して弱まることがないようにしましょう。サタンと戦うには,物質的な事柄について平衡の取れた見方を保たなければなりません。―テモ一 6:6-10。塔15 5/15 2:12
5月13日,土曜日
一つの肢体が苦しめば,ほかのすべての肢体が共に苦しみ[ます]。―コリ一 12:26。
他の人が経験している痛みを理解するのは必ずしも簡単なことではありません。わたしたちが全く知らない難しい問題に直面している人も多くいます。けがや病気や老化による身体的な問題を抱えている人,うつ病やパニック発作や過去に受けた虐待などが原因で感情的なストレスと闘っている人がいます。エホバの証人ではない家族と生活している人や,ひとり親家庭の人もいます。だれもが何らかの問題を抱えており,それがわたしたちの経験したことのない問題であることも少なくありません。そのような場合,どうすれば神の愛に倣えますか。話を注意深く聞き,その人の気持ちを理解するように努めることです。そうすれば,エホバの愛に倣って,その人に必要な助けを与えたいと思うようになります。どんな助けが必要かは人によって違いますが,霊的な励ましや実際的な援助を与えることができるでしょう。―ロマ 12:15。ペテ一 3:8。塔15 5/15 4:6,7
5月14日,日曜日
神の力……なるキリスト。―コリ一 1:24。
キリストの力はエホバから出ています。ですから当然,全能の神エホバは自然の力を十分に制御できます。例えばエホバは,大洪水の前に,「あと七日のうちに,わたしは四十日四十夜地に雨を降らせる」と宣言されました。(創 7:4)出エジプト記 14章21節にも,「エホバは強い東風によって……海を退かせ」た,と書かれています。また,ヨナ 1章4節にはこう記されています。「エホバ自ら大風を海に投じ,海には大あらしが生じた。そのため船は今にも難破しそうになった」。エホバが自然の力を制御できることを知ると,心強く感じます。地球の将来について心配することは何もないのです。その時には,自然の力によって命を失ったり負傷したりすることはありません。「神の天幕が人と共にあ[る]」からです。(啓 21:3,4)間違いなく千年期には,キリストを通して働く神の力によって自然の力が制御されるのです。塔15 6/15 1:15,16
5月15日,月曜日
あなたの道を[不道徳な女]のそばから遠ざけよ。彼女の家の入口に近づいてはならない。―箴 5:8。
この助言を無視することの危険性については,箴言 7章の中で例証されています。そこには,不道徳な女の家の近くをぶらつく若い男性が登場します。若者はその女と性の不道徳を犯します。不道徳な女から遠く離れていさえすれば,そうはならなかったのです。(箴 7:6-27)それと同じようにわたしたちも,間違った欲望をそそる危険な状況に入り込むなど,良い判断力を欠くことがあるでしょうか。例えば,テレビ局によっては番組の内容に対する規制を深夜番組に対して緩めるところもあります。わたしたちがチャンネルを次々と変えるとしたら,どうでしょう。あるいは,インターネットのリンクを目的もなく次々と開くとしたら,さらには,ポルノを見るように誘ったり他の性サービスを紹介したりする,チャットルームやサイトを頻繁に訪れるとしたら,どうでしょうか。もしそうするなら,悪い欲望をかき立てられて,貞潔を守るために闘おうという気持ちがくじけてしまうことでしょう。塔15 6/15 3:8,9
5月16日,火曜日
わたしたちの負い目をもお許しください。―マタ 6:12。
イエスが「負い目」という語を用いたのはなぜですか。別の時には,「罪」という語を代わりに使っています。(マタ 6:12。ルカ 11:4)「ものみの塔」誌は60年余り前,その点についてこう説明しました。「神の律法に対する違反の罪ゆえに,わたしたちは神に対して負い目のある者となる。......わたしたちの罪ゆえに,神はわたしたちの命を要求し,取り去ることもできた。......わたしたちとの平和な関係をことごとく断ち切り,わたしたちから平和を奪い去ることもできた。......わたしたちは従順によって神への愛を表わす務めを負っている。罪を犯すなら,神に愛という負債を返していないことになる。罪は,神への愛に欠けた行ないだからである」。(ヨハ一 5:3)わたしたちは日々許しを必要とするので,わたしたちの罪を神が帳消しにするための唯一の法的な基盤,つまりイエスの贖いの犠牲に強い関心を抱きます。この贖いは2000年近く前に支払われたものですが,わたしたちはこれを,きょう与えられた贈り物のように大切にすべきです。わたしたちの命を「請け戻す代価は非常に貴重」なので,不完全な人間はだれも,その代価を支払うことなどできないでしょう。―詩 49:7-9。ペテ一 1:18,19。塔15 6/15 5:9,10
5月17日,水曜日
わたしはわたしの足を置くその場所に栄光を与えるであろう。―イザ 60:13。
実際的で魅力的な出版物を宣教で紹介するのは,本当に楽しいことです。またわたしたちは,真理を広めるためにjw.orgのウェブサイトなど最新の科学技術を用いています。それはエホバの願いを反映する方法です。なぜですか。いま多くの人々は導きを痛切に必要としていても得ることができません。しかしエホバは,そのような人たちを含め,あらゆる国の人たちに導きを与えたいと願っておられるのです。さらに,晩の家族の崇拝や個人研究に時間を充てることができるよう,調整がなされました。そこに示されている知恵を見過ごしてはなりません。また,巡回大会や地区大会のプログラムの質が向上しているのも素晴らしいことです。年々良くなってゆく,という声をよく聞きます。神権的な種々の学校からいっそう多くの訓練を受けられるのも喜ばしいことです。そうしたすべての調整には,エホバのみ手の働きがはっきり見られます。エホバは,ご自分の組織の美しさと,今もわたしたちが楽しんでいる霊的パラダイスの美しさを,漸進的に増し加えておられるのです。塔15 7/15 1:16,17
5月18日,木曜日
隣人を自分自身のように愛さねばならない。―ルカ 10:27。
ある状況下でどのように行動すべきか分からないときは,「イエスならどうしただろうか」と自問するのは良いことです。イエスが生活していた国は,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアなど,様々な地域出身の人々で構成されていました。聖書の記述によると,地域間の関係は緊張していました。(ヨハ 4:9)さらに,パリサイ人とサドカイ人との関係(使徒 23:6-9),一般の人々と収税人との関係(マタ 9:11),ラビの教育を受けた人と受けていない人との関係(ヨハ 7:49)も緊張していました。1世紀において,イスラエルはローマ人に支配されており,その支配に対して大きな憤りを抱いていました。イエスは真理を擁護し,救いがユダヤ人から起こることを認識していましたが,対抗心を抱くよう弟子たちに勧めたことは一度もありませんでした。(ヨハ 4:22)それどころか,すべての人を隣人として愛することを強く勧めておられます。塔15 7/15 3:5
5月19日,金曜日
エホバはわたしの側にいてくださる。わたしは恐れない。地の人がわたしに何をなしえよう。エホバはわたしの側におられ,わたしを助ける者たちの中にいてくださる。―詩 118:6,7。
人間は,愛し愛される必要があるものとして創造されました。わたしたちは,病気や経済的な問題が原因で,あるいは宣教に成果が見られないために気落ちし,エホバからもう愛されていない,と思うかもしれません。しかしそう思えるときは,エホバがわたしたちを貴重なものと見ておられること,そばにいて「[わたしたちの]右手をつかんで」おられ,助けてくださることを思い起こすとよいでしょう。エホバは忠実な人たちを決してお忘れになりません。(イザ 41:13; 49:15)夫の死後,女手一つで2人の子どもを育てたブリジットという姉妹は,こう述べています。「サタンの体制下で子どもを育てるのは並大抵のことではありません。ひとり親の場合は特にそうです。でもわたしは,エホバの愛を確信しています。涙に明け暮れたつらい時期もずっと導いてくださったからです。エホバはわたしが耐えられる以上のことを決してお許しになりません」。―コリ一 10:13。塔15 8/15 1:1-3
5月20日,土曜日
待ちつづけよ。―ハバ 2:3。
エルサレムの滅びを予告するよう命じられた預言者ハバククについて考えましょう。この預言者が登場した時には,エルサレムの荒廃に関する警告が与えられてからすでに何年もたっていました。当時は,「邪悪な者が義なる者を取り囲んでいる……ために公正は曲げて施行され」るまでになっていました。ですからハバククが,「エホバよ,いつまでわたしは助けを叫び求めなければならないのですか」と尋ねたのも無理はありません。エホバは,予告された滅びが「遅くなることはない」という保証を与えました。(ハバ 1:1-4)もしハバククが気落ちして,こう考えたとしたらどうですか。「エルサレムの滅びのことは何年も前から聞いてきた。それがまだずっと先の話だとしたらどうだろう。滅びがすぐにでも生じるようなことを語り続けるのは,現実的とは思えない。この仕事はほかの人にやってもらおう」。そう考えたとしたら,エホバのみ前での良い立場を失い,エルサレムがバビロニア人に滅ぼされる時に命を失ってしまったことでしょう。塔15 8/15 2:12,13
5月21日,日曜日
悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。―コリ一 15:33。
有益な習慣が損なわれないためには,悪い事柄を行なう人たちを親しい友にしてはなりません。悪い事柄を行なう不信者との交友を避けるだけでは不十分です。エホバの崇拝者だと言いながら神の律法に故意に背く人たちとの交友も避ける必要があります。重大な悪行を犯しても悔い改めないクリスチャンがいるなら,その人との交友を続けてはなりません。(ロマ 16:17,18)神の律法に従わない人たちと交わるなら,どうなるでしょうか。受け入れてもらうために,その人たちと同じことをしてしまうかもしれません。例えば,不道徳な人たちと親しく付き合うなら,自分も不道徳なことを行なうかもしれません。実際,そのようなことが献身したクリスチャンにも生じました。悔い改めないために排斥された人たちもいます。(コリ一 5:11-13)悔い改めない人は,ペテロが述べたような状態に陥るでしょう。―ペテ二 2:20-22。塔15 8/15 4:4-6
5月22日,月曜日
わたしが命令していることを行なうなら,あなた方はわたしの友です。―ヨハ 15:14。
イエスは,よく注意して親しい友を選びました。イエスは,ご自分に忠節に従い,心をこめてエホバに仕える人たちの中から,親しい友を選びました。あなたもそのような人たちの中から,親しい友を選びますか。これが大切なのはなぜですか。温かな兄弟関係があると,円熟を目指して進歩するのは容易になります。あなたは,これからどんな生き方をしようかと考えている若い人ですか。そうであれば,エホバに長年仕え,会衆の一致に貢献してきた兄弟姉妹と交わるのは,本当に賢明なことです。そのような兄弟姉妹は,これまで様々な浮き沈みを経験し,神に仕える面で難しい問題にも直面したことでしょう。ですから,あなたが最善の生き方を選ぶうえで助けになれます。彼らとの温かで有益な交わりは,賢明な決定を下し,円熟へと進んでゆくうえで助けになることでしょう。―ヘブ 5:14。塔15 9/15 1:14,15
5月23日,火曜日
堅い信仰をもって[悪魔]に立ち向かいなさい。―ペテ一 5:9。
イエスは言葉と行動によって弟子たちの信仰を強めました。(マル 11:20-24)わたしたちはその手本に倣うべきです。信仰を強めるよう他の人を助けるなら,自分の信仰も強くなるからです。(箴 11:25)宣べ伝えて人々を教える際は,神がおられること,わたしたちを気遣っておられること,聖書が霊感による神の言葉であることを示す証拠を強調してください。また,仲間の兄弟姉妹たちにも助けを与えてください。任命された兄弟たちに対する不平など,信仰が弱くなっている傾向が見られるとしても,その人をすぐに避けてはなりません。むしろ,信仰を取り戻せるよう,巧みな方法で援助してください。(ユダ 22,23)若い皆さん,学校で進化論について討議される時は,創造を信じていることを大胆に語ってください。意外にも,先生やクラスメートは好意的な反応を示すかもしれません。エホバは,信仰のうちにしっかりと立てるよう,わたしたちすべてを助けてくださいます。(ペテ一 5:10)自分の信仰を強める努力には大きな価値があります。それには計り知れない報いがあるからです。塔15 9/15 3:20,21
5月24日,水曜日
天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている。―詩 19:1。
今わたしたちは,エホバの創造物とエホバの目的の進展に関する多くの知識を与えられています。この世は高等教育を奨励していますが,多くの人の経験から分かるように,そうしたものを追い求めるなら,信仰と神への愛を失ってしまう場合が少なくありません。しかし聖書は,知識を愛するだけでなく,知恵と理解を得るようにも勧めています。つまり,自分と他の人たちの益となるように,神から与えられた知識の用い方を学ぶ必要があります。(箴 4:5-7)「神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ること」です。(テモ一 2:4)わたしたちは,心をこめて王国の良いたよりをすべての人に伝え,人類に対する神の壮大な目的を理解できるよう人々を助けるとき,エホバへの愛を示しているのです。―詩 66:16,17。塔15 9/15 5:10,11
5月25日,木曜日
以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれた。―ロマ 15:4。
エホバに対するエリヤの全幅の信頼を明らかにする幾つかの事例に注目してください。エリヤは,干ばつをもたらすというエホバのお考えをアハブ王に伝えた際,確信を持ってこう告げました。「エホバは生きておられます。わたしの言葉の命令によらなければ,……露も雨もないでしょう!」(王一 17:1)またエリヤは,干ばつの期間にも自分や他の人たちの必要物をエホバが供給してくださることを信じていました。(王一 17:4,5,13,14)さらに,エホバは死んだ子どもを生き返らせることができる,という確信を言い表わしました。(王一 17:21)そして,カルメル山上の犠牲を焼き尽くすためエホバが火を送ってくださることを,信じて疑いませんでした。(王一 18:24,37)加えて,干ばつを終わらせるエホバの時が来ると,雨が降る兆候が全く見られないのに,アハブに,「上って行って,飲み食いしなさい。大雨の騒然とした音がするからです」と告げました。(王一 18:41)こうした記述を読むと,自分の信仰がそこまで強いかどうか,吟味するよう促されるのではないでしょうか。塔15 10/15 2:4,5
5月26日,金曜日
これらのことをよく考えなさい。―テモ一 4:15。
人間の言語能力は,神から与えられた驚くべき能力です。(詩 139:14。啓 4:11)人間の脳には,もう一つ卓越した点があります。人間は動物とは違い,「神の像に」創造されました。ですから,自由意志を持ち,言語能力を用いて神を賛美することができます。(創 1:27)言語の創造者を賛美したいと思う人すべてに,神は聖書という素晴らしい贈り物も与えてくださいました。聖書は,その全体もしくは一部を2800以上の言語で入手できます。わたしたちは聖書の言葉を取り入れることにより,自分の思いを神のお考えで満たすことができます。(詩 40:5; 92:5; 139:17)そのようにして,わたしたちを「賢くし,……救いに至らせる」事柄を黙想することができます。(テモ二 3:14-17)黙想するとは,良いことであれ悪いことであれ,ある物事に思いを集中させて熟考する,よく考える,という意味です。(詩 77:12。箴 24:1,2)特に黙想すべきなのは,エホバ神とみ子イエスに関する事柄です。―ヨハ 17:3。塔15 10/15 4:2-4
5月27日,土曜日
実際,自分の家の者を治めることも知らない人であれば,どのようにして神の会衆を世話するのでしょうか。―テモ一 3:5。
イエスは,謙遜に他の人たちに仕えるよう,弟子たちを言葉と手本によって訓練しました。(ルカ 22:27)エホバへの奉仕においても仲間の信者との接し方においても無私の態度を示すことを教えました。親の皆さんも自らの手本により,謙遜で無私の態度を示すようお子さんを教えることができます。2人の子どもを持つデビーという姉妹はこう言います。「夫が長老として他の人たちと過ごすのを見て,ねたましく思うことはありませんでした。必要な時は必ず家族に関心を向けてくれました」。夫のプラナスはこう述べています。「その結果,子どもたちは大会や神権的なプロジェクトで働くことに強い関心を抱くようになりました。頑張りました。友達もたくさんできました。自分の居場所があると感じていました」。今は家族みなで全時間奉仕を行ない,エホバに仕えています。親の皆さんが謙遜さと無私の態度を示すなら,お子さんは他の人たちに仕えることを学んでゆきます。塔15 11/15 1:9
5月28日,日曜日
神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える。―ロマ 1:20。
エホバの大きな愛は,数々の点に示されています。例えば,宇宙の壮大さについて考えてください。宇宙には幾十億もの銀河があり,その各々に幾十億もの恒星や惑星が含まれています。天の川銀河にあるそうした恒星の1つが,太陽です。太陽がなければ地上の無数の生き物は生存できないでしょう。そうした創造物すべては,エホバの神性と,力・知恵・愛などの特質を明らかにしています。エホバは地球を,地上の生き物の益となるように設計されました。人間のために美しい楽園を作り,完全な心と体を与えて,永遠に生きられるようにされました。(啓 4:11)さらに神は,「すべての肉なる者に食物を与えてくださる方」です。「その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶから」です。―詩 136:25。塔15 11/15 3:7,8
5月29日,月曜日
わたしは……あなた方と共にいる。―マタ 28:20。
王はこれまで長年にわたって,王国の音信が根づくよう人々の心を整える助けとなる,様々な道具を備えてくださいました。その中には,10年ぐらい使われたものもあれば,今日まで用いられてきたものもあります。そうした道具が備えられたおかげで,わたしたちは福音宣明者としての技術を磨くことができました。多くの人にとって宣教奉仕を始めるのに助けになった道具は,証言カードです。このカードが使われ始めたのは,1933年です。このカードには聖書からの短いメッセージが載せられていました。証言カードは,別の面でも助けになりました。兄弟姉妹の中には,伝道活動に出たいと強く願ってはいても内気なため,何を言ったらよいか分からない人もいました。また,自分の知っている事柄を何もかもわずか数分で話そうとする人もいましたが,いつも家の人の気持ちを考えて話したわけではありません。それとは対照的に,証言カードは,言葉がよく選ばれた簡潔なもので,伝道者に代わって「語り」ました。塔15 11/15 5:3-6
5月30日,火曜日
彼らがエホバのみ名を賛美するように。―詩 148:13。
数え切れないほど多くの聖句が,神のみ名と,その名を神聖なものとすることの大切さを示しています。(出 3:15。詩 83:18。イザ 42:8; 43:10。ヨハ 17:6,26。使徒 15:14)聖書の著者エホバ神は,筆者たちに霊感を与え,み名を頻繁に用いるようにさせました。(エゼ 38:23)古代写本に何千回も出てくるみ名を省くのは,著者に対する不敬と言えるでしょう。聖書に神の名を残すべきであることの証拠は,減るどころか増えています。「新世界訳聖書」2013年改訂版には,み名が7216回出てきます。1984年版より6回多くなっています。そのうちの5つは,サムエル第一 2章25節,6章3節,10章26節,23章14,16節にあります。これらが復元されたのは主に,ヘブライ語のマソラ本文より1000年以上古い死海写本のそれらの聖句に,み名が出ているからです。もう1か所は裁き人 19章18節で,古代写本の研究が進んだ結果,復元されました。塔15 12/15 2:5,6
5月31日,水曜日
あなた方の兄弟愛を保ちなさい。―ヘブ 13:1。
わたしたちは今,兄弟愛を培う必要があります。そうすれば,将来どんな試練に直面するとしても,忍耐できるでしょう。大患難が始まる前の今も,兄弟愛は大いに必要です。多くの兄弟たちは,地震,洪水,ハリケーン,津波などの自然災害の影響を受けています。反対や迫害を耐えている兄弟たちもいます。(マタ 24:6-9)腐敗した世に住んでいるわたしたちは,毎日,経済的な問題も経験しています。(啓 6:5,6)そうした問題が増えると,兄弟愛の強さを実証する機会も多くなります。「大半の者の愛が冷える」としても,兄弟愛を保つ必要があるのです。―マタ 24:12。塔16.01 1:8,9