3月
3月1日,月曜日
エホバはこう言います。「それで,彼らの中から出て,離れなさい。汚れたものに触れるのをやめなさい」。(コリ二 6:17)
神と神の言葉に対する愛は,エホバに従う力になります。だれかが亡くなると,親族や友人が善意から,聖書に反する慣習に従うよう圧力をかけてくることがあります。従わないなら,「死者への愛や敬意がない」,「死者にたたられる」などと言われるかもしれません。カリブ海のある国では,死んだ人は霊となって,自分にひどい仕打ちをした人に仕返しをする,と信じられています。その霊が「地域の人たちに大損害を与える」こともある,と述べる参考文献もあります。アフリカには,だれかが死ぬと,家の鏡に覆いをかけ,飾ってあるその人の写真を壁に向けるという習慣があります。死者は自分の姿を見てはいけない,と信じられているからです。エホバに仕えるわたしたちは決して,作り話を信じたりサタンのうそを広める慣習にかかわったりしません。(コリ一 10:21,22)塔研19.04 16ページ11-12節
3月2日,火曜日
人からしてほしいと思うことは全て,人にもしなければなりません。(マタ 7:12)
イエスは弟子たちに様々な原則を与え,他の人に対して公正であるよう教えました。その一つに黄金律があります。だれでも公正な扱いを望むものです。そのためには,自分が他の人に対して公正である必要があります。そうすれば,他の人も公正な扱いをしてくれるでしょう。では,不公正な扱いを受けたらどうしますか。イエスは弟子たちに,エホバが「日夜ご自分に向かって叫ぶ……者たちのためには……公正が行なわれるようにしてくださ[る]」ことを信じるよう教えました。(ルカ 18:6,7)これは約束の言葉です。公正な神エホバは,わたしたちがこの終わりの時に経験している試練をご存じであり,しかるべき時に公正が行なわれるようにしてくださいます。(テサ二 1:6)イエスが教えた原則に従うなら,他の人に対して公正であることができます。サタンの世で不公正な扱いを受けたとしても,エホバが必ず公正が行なわれるようにしてくださることを知ると,慰められます。塔研19.05 5ページ18-19節
3月3日,水曜日
皆さんの抱く希望について説明を求める人にいつでも弁明できるよう,準備しておきましょう。語る時には,温和な態度と深い敬意を示しましょう。(ペテ一 3:15)
あなたは学校に通っているかもしれません。クラスメートはみんな進化論を信じていますが,あなたは聖書の教えを信じていて,神がすべてのものを創造したことを説明したいと思っています。でも,上手に話す自信がありません。そんな時こそ研究しましょう。2つの目標を持てます。(1)神がすべてのものを創造したという確信を強め,(2)自分が信じている事柄をきちんと説明することです。(ロマ 1:20)まず,「クラスメートは,どんな根拠で進化を信じているのだろう」と考えてください。そのうえで出版物を注意深く調べます。創造について説明するのは,意外に簡単かもしれません。多くの人が進化を信じているのは,単に先生や学者が信じているからにすぎません。答えを本当に知りたいと思っている人は,1つか2つの点を説明するだけで納得するかもしれません。(コロ 4:6)塔研19.05 29ページ13節
3月4日,木曜日
母親が子を慰めるように,私もあなたたちを絶えず慰める。(イザ 66:13)
預言者エリヤは自分を殺そうとする人たちから逃げていた時,すっかり意気消沈して,もう死にたいと思いました。そんな時,エホバは強力な天使をエリヤのもとに遣わしました。天使はエリヤがその時必要としていたものを与えました。温かい食べ物を差し出し,食べるよう勧めたのです。(王一 19:5-8)この記述から大切なことを学べます。ちょっとした親切な行ないが大きな力になるということです。食べ物を差し入れたり,ささやかなプレゼントや,親切なメッセージを記したカードを贈ったりすることで,愛や気遣いを感じてもらえるかもしれません。つらい経験をした相手に慰めとなる言葉をかける自信がないとしても,ここに挙げたような方法で助けになることはできます。エホバはエリヤに特別な力を与え,ホレブ山まで行けるようにされました。ここまで来ればもう安心だ,と思ったかもしれません。どんな教訓を学べますか。虐待の被害者を慰めるには,家であれ王国会館であれ,まず安心感を抱いてもらう必要があるということです。塔研19.05 16ページ11節,17ページ13-14節
3月5日,金曜日
この土地は……泣き叫ぶ。……ナタン氏族は自分たちだけで泣き叫[ぶ]。(ゼカ 12:12)
ゼカリヤ 12章を読んでいるとしましょう。メシアの死を予告している箇所です。(ゼカ 12:10)12節には,メシアが死ぬ時に「ナタンの家の家族」が激しく泣く,と記されています。この言葉を読み流すのではなく,こう自問してみてください。「ナタンの家とメシアにはどんな関係があるのだろうか」。ここから“捜査”が始まります。欄外参照聖句の1つであるサムエル第二 5章13,14節を見ると,ナタンがダビデ王の息子だったことが分かります。別の参照聖句であるルカ 3章23,31節からは,イエスの母マリアがナタンの直系の子孫であることが分かります。好奇心をそそられます。あなたは,イエスがダビデの子孫として生まれる,と預言されていたことは知っています。(マタ 22:42)でもダビデには息子が20人以上いました。ゼカリヤはその中からピンポイントでナタンの名前を挙げ,ナタンの氏族がイエスの死を嘆くことを正確に予告していました。これは,すごいことではないでしょうか。塔研19.05 29ページ17節
3月6日,土曜日
考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう。それは,神の善い意志,喜ばしい完全な意志を見極めるためです。(ロマ 12:2)
自分が信じていることは正しいと確信するためにはどうすればよいでしょうか。聖書を勤勉に学ぶなら,聖書の教えが正しいことを確信できます。エホバの規準が正しいことも確信できます。しっかり根を張った木のように,真理のうちにしっかりと根ざし,「信仰において安定した者」になることができます。(コロ 2:6,7)自分の信仰を強められるのは自分だけです。ですから,考え方を新しくする努力を続けてください。絶えず祈り,エホバの助けを求めましょう。深く思い巡らし,自分の考え方や動機をいつも確かめましょう。良い友達を探し,自分の考え方を新しくする助けになるような人と友達になりましょう。そうすれば,サタンの世の有毒な作用を打ち消し,「いろいろな推論や,神の知識に逆らって立てられた一切の高大なものを」覆すことができるのです。(コリ二 10:5)塔研19.06 13ページ17-18節
3月7日,日曜日
私たちの父である神から見て,清く汚れのない崇拝の型は,困っている孤児ややもめを世話すること……です。(ヤコ 1:27)
ルツは,夫を亡くしたナオミをずっと支えました。わたしたちも,配偶者を亡くした兄弟姉妹を支え続けたいと思います。(ルツ 1:16,17)ポーラはこう言います。「夫が亡くなるとすぐ,大勢の兄弟姉妹が助けてくださいました。当然のことですが,時間がたつと,みんないつもの生活に戻っていきます。でもわたしの生活はすっかり変わってしまいました。家族を亡くして悲しんでいる人には,何か月も何年も支えが必要です。それに気づいてくれる人がいると,とてもうれしいものです」。もちろん,状況の変化に比較的早く順応する人もいれば,最愛の人とかつて一緒に行なっていたことをするたびに,つらい気持ちになる人もいます。人によって悲しみ方は異なります。いずれにしても,配偶者を亡くした人を支えるという大切な機会と務めをエホバが与えてくださっていることを,忘れないようにしましょう。塔研19.06 24ページ16節
3月8日,月曜日
自分の口を口籠で守ろう,悪人が私の前にいる限り。(詩 39:1)
禁令下では,「黙っている[べき]時」を見極める必要があります。(伝 3:7)兄弟姉妹の名前,集会場所,伝道方法,出版物を受け取る方法など,内密の情報を守るようにしましょう。当局はもちろん,国内外の友人や親族にも伝えないようにします。そうした情報が漏れると,兄弟たちが危険にさらされるかもしれないからです。ささいなことで仲たがいしないようにしましょう。サタンは,分裂した家が存続しないことを知っています。(マル 3:24,25)隙を見てはわたしたちを分裂させようとします。そのようにして,わたしたちがサタンとではなく,仲間同士で戦うよう仕向けるのです。長く奉仕しているクリスチャンも,このわなに陥らないよう注意しなければなりません。わたしたちが仲間との不和を解決するよう懸命に努力するなら,わたしたちを分裂させようとするサタンのわなに陥らずに済みます。(コロ 3:13,14)塔研19.07 11-12ページ14-16節
3月9日,火曜日
主の奴隷[に]必要なのは,誰にでも穏やかに接すること,教える資格があること[です]。(テモ二 2:24)
多くの場合,人々の反応は,わたしたちが何を言うかではなく,どのように言うかに左右されます。親切で思いやり深くあり,誠実に気遣うなら,相手はうれしく思うでしょう。自分の伝えたいことを一方的に話すべきではありません。むしろ,宗教に対する相手の見方を理解するよう,また相手の気持ちを思いやるよう努めます。例えば,パウロはユダヤ人に話す時には聖書から論じましたが,アレオパゴスでギリシャ人の哲学者と話す時には聖書に直接言及しませんでした。(使徒 17:2,3,22-31)わたしたちも,聖書を信じていない人と話す時には,聖書に直接言及しないほうがよいでしょう。聖書を開いて読む時に,相手が人目を気にしているようであれば,スマートフォンやタブレットなどで聖句を見せることができます。塔研19.07 21ページ5-6節
3月10日,水曜日
心が誘われて道を踏み外し,ほかの神々を崇拝し……ないように,注意しなさい。(申 11:16)
サタンは,偶像礼拝を行なうようイスラエル人を巧みに誘惑しました。生きていくのに必要な食糧を得る方法に目をつけたのです。エジプトにいた時には,ナイル川から水を引いて作物を育てていました。でも,約束の地では,大きな河川がなかったので,季節ごとの雨や露を利用した耕作が行なわれていました。(申 11:10-15。イザ 18:4,5)ですから,イスラエル人は新しい耕作方法を学ぶ必要がありました。しかしエホバはイスラエル人に,耕作について話した時,偽りの神々を崇拝しないよう警告しました。それはなぜでしょうか。エホバは,神の民が近隣に住む異教の民から役立つ技術を学びたくなることを見通しておられました。また,カナン人がバアルを崇拝しその宗教に基づく考え方をしていることもご存じでした。(民 25:3,5。裁 2:13。王一 18:18)塔研19.06 3-4ページ4-6節
3月11日,木曜日
私はこう祈り続けています。皆さんが……いっそう愛の豊かな人になれますように。(フィリ 1:9)
使徒パウロ,シラス,ルカ,テモテはローマの植民市フィリピに到着しました。そこには,良い知らせに興味を持つ人が大勢いました。それら4人の兄弟たちが熱心に働いた結果,会衆が設立されました。新しい兄弟姉妹はルデアの家で集会を開いたようです。ルデアは人をよくもてなす女性でした。(使徒 16:40)発足して間もないフィリピの会衆はすぐに問題にぶつかりました。サタンが真理の敵たちに,パウロたちの伝道活動を妨害させようとしたのです。パウロとシラスは逮捕され,棒で打ちたたかれ,投獄されました。しかし,牢屋から釈放されると,兄弟姉妹の所に行って励ましました。その後,パウロとシラスとテモテはフィリピを去り,ルカはそこにとどまったようです。会衆の兄弟姉妹はどうしたでしょうか。エホバの聖なる力の助けを得て,熱心に奉仕し続けました。(フィリ 2:12)パウロはうれしく思ったことでしょう。塔研19.08 8ページ1-2節
3月12日,金曜日
借りる人は貸す人の奴隷になる。(格 22:7)
あなたは最近引っ越しをしましたか。引っ越しに予想以上のお金がかかり,負債を抱えてしまうことがあります。不必要な物をクレジットで買わないようにしましょう。(格 22:3)ストレスとなる状況に置かれると,判断が鈍ってしまうことがあります。例えば,病気の家族の世話のためにお金を借りなければならない場合などです。どうすれば賢明な決定を下せますか。「祈り,祈願を捧げ」ることが役立ちます。そうすれば,エホバからの平和が「心と考えを守り」,物事を冷静に判断できるよう助けてくれます。(フィリ 4:6,7。ペテ一 5:7)兄弟姉妹や家族との良い関係を保ちましょう。自分の状況や気持ちを友人に話してください。特に,同じような状況を経験した人に話を聞いてもらえると,気持ちが楽になるものです。(伝 4:9,10)引っ越す前からの友人は,今後も支えてくれるでしょう。塔研19.08 22ページ9-10節
3月13日,土曜日
王たちは……ハルマゲドン……に集められた。(啓 16:16)
最終的な大いなる戦争がメギドと結び付けられているのはなぜですか。メギドと付近のエズレルの谷で多くの戦いが行われてきたからです。エホバがその場所での戦いに介入したこともあります。イスラエルの裁き人バラクが,エホバの助けによってカナン人の長シセラの率いる軍隊を撃破したのは,「メギドの流れのそば」でのことでした。バラクと女預言者デボラは,奇跡的な勝利を与えたエホバに感謝し,こう歌いました。「星が天から……シセラと戦った。……エホバ,このように,あなたの敵は皆滅びますように。あなたを愛する人たちは,輝き昇る太陽のようになりますように」。(裁 5:19-21,31)ハルマゲドンの戦いの時も,神の敵は滅び,神を愛する人は救出されます。でも,この戦いとバラクの戦いには1つの大きな違いがあります。ハルマゲドンの時に神の民は戦いません。武器を持つことさえしません。「平静を保ち」,エホバと天の軍勢を「信頼する」ことによって「力を得る」のです。(イザ 30:15。啓 19:11-15)塔研19.09 9ページ4-5節
3月14日,日曜日
私の所に来てください。(マタ 11:28)
イエスの所に行くには,イエスが語り,行った事柄をできるだけ多く学ばなければなりません。(ルカ 1:1-4)聖書がイエスについて伝えている事柄を学ぶのは,自分で行うべきことです。他の人に行ってもらうことはできません。イエスの所に行くには,バプテスマを受けてイエスの弟子になることも必要です。イエスの所に行く別の方法は,必要なときに長老の助けを求めることです。イエスは「人々という贈り物」を用いて,羊のような人を世話しています。(エフェ 4:7,8,11。ヨハ 21:16。ペテ一 5:1-3)自分から長老に助けを求める必要があります。自分の気持ちを伝えなくても分かってもらえる,と考えるのは現実的ではありません。長老は人の心を読めるわけではないからです。ジュリアンという兄弟はこう言っています。「お願いして本当に良かったです。エホバからの贈り物のような時間でした」。ジュリアンを助けた2人の長老のように,忠実に働く長老たちは「キリストの考え」を知るよう助けてくれます。キリストの考え方や感じ方を理解し,それに倣うよう助けるのです。(コリ一 2:16。ペテ一 2:21)長老からのそのような助けは,まさに贈り物です。塔研19.09 21ページ4-5節
3月15日,月曜日
私にはほかの羊がいますが,この囲いのものではありません。(ヨハ 10:16)
聖書には,信仰を示して聖なる力に導かれながら14万4000人の1人にならなかった人々のことが書かれています。バプテストのヨハネがそうです。(マタ 11:11)ダビデもそうです。(使徒 2:34)ほかにも数え切れないほど大勢の人が地上のパラダイスに復活してきます。それら全ての人と大群衆には,エホバに揺るぎない愛を示し,エホバの主権を支持する機会があります。現在,全ての国から来た非常に多くの人が,エホバを一致して崇拝しています。私たちは,天に行く希望を持っているとしても地上で生きる希望を持っているとしても,できるだけ多くの人が「ほかの羊」の大群衆に加わるよう助ける必要があります。間もなく,エホバは予告されていた大患難をもたらし,人類を苦しめてきた政府や宗教を滅ぼします。大群衆の全ての人には,地上で永遠にエホバに仕えるという素晴らしい機会が開かれているのです。(啓 7:14)塔研19.09 31ページ18-19節
3月16日,火曜日
終わりの時代には,あざける人たちがやって来てあざけ[るでしょう]。(ペテ二 3:3)
サタンの体制の終わりが近い今,神に揺るぎない愛を示し,神の王国を揺るぎなく支持することは難しくなっていきます。人々にあざけられることもあります。世の事柄に中立である時は特にそうでしょう。今エホバへの揺るぎない愛を強めることはどうしても必要です。そうすれば大患難の間もエホバから離れずに済みます。大患難の間に,エホバの民全体を教え導いてきた兄弟たちの交代があります。天に行くよう選ばれ,まだ地上に残っている人たちが,ある時点で天に集められるからです。ハルマゲドンの戦いに加わるためです。(マタ 24:31。啓 2:26,27)ですから,統治体は地上に存在しなくなります。それでも大群衆は引き続き組織されます。ほかの羊の資格ある兄弟たちが教え導くことになるからです。その時,それらの兄弟たちの指示に従うことにより,エホバへの揺るぎない愛を示せます。大患難を生き残るかどうかは,指示に従うかどうかにかかっています。塔研19.10 17ページ13-14節
3月17日,水曜日
[私は]お母さんと同じ所に行き,……お母さんと同じ所で死に……ます。(ルツ 1:16,17)
ナオミはエホバを愛する忠実な女性でしたが,夫と2人の息子を亡くし,自分の名前を「苦い」を意味する「マラ」に変えたいと思いました。(ルツ 1:3,5,20,脚注,21)ナオミの義理の娘ルツは,そのようなつらい時期にずっとナオミのそばにいました。ナオミの世話をするだけでなく,慰めの言葉もかけました。短くても心のこもった言葉で愛を表わし,ナオミを支えたのです。配偶者を亡くした兄弟姉妹には支えが必要です。夫婦は隣り合って育つ木のようです。何年もの間に根が絡み合います。1本の木が引き抜かれてしまうと,もう1本の木は大きなダメージを受けます。同様に,夫や妻を失った人は,長い間大きな喪失感を感じます。塔研19.06 23ページ12-13節
3月18日,木曜日
人はそれぞれ,自分の欲望に引かれて惑わされることにより,試されるのです。(ヤコ 1:14)
エンターテインメントの種類だけでなく,時間をどれほど使うかにも注意が必要です。注意しないと,エホバに仕える時間よりも多くの時間を使ってしまうかもしれません。まず,時間をどれほど使っているか把握しましょう。使った時間を1週間記録してみるのはどうですか。テレビ,インターネット,スマホのゲームなどに使った時間をカレンダーに記録するのです。時間を使い過ぎていると感じたなら,毎日の予定を立てましょう。大切なことをまずしてから,エンターテインメントに時間を使うのです。予定を立てたら,決めた通りにできるようエホバに助けを求めて祈ります。こうすれば,自分で聖書を学ぶことや,家族の崇拝,集会,エホバへの奉仕のために時間とエネルギーをきちんと振り分けることができます。すべきことをまずしているので,エンターテインメントも晴れやかな気分で楽しめます。塔研19.10 30ページ14,16節,31ページ17節
3月19日,金曜日
善いことをしたいと望んではいても,実行できないからです。(ロマ 7:18)
西暦55年ごろ,コリントのクリスチャンは大切な決定をしました。エルサレムとユダヤに住む兄弟たちが何を必要としているかということを聞き,救援のための募金を一致協力して行おうと決意したのです。(コリ一 16:1。コリ二 8:6)ところが数カ月後,使徒パウロはコリントのクリスチャンがまだ募金をしていないことを知ります。そのため,各地の会衆からの寄付を回収してエルサレムに届ける時,コリントの会衆からの贈り物は間に合わない,ということになりかねませんでした。(コリ二 9:4,5)コリントのクリスチャンは良い決定をしていました。パウロも,際立った信仰や真剣さや気前よく与える気持ちを褒めています。それでも,始めたことをやり遂げるよう励ます必要がありました。(コリ二 8:7,10,11)忠実なクリスチャンでも,良い決定を実行することを難しく感じる場合があるのです。不完全さのため,先延ばしにしてしまうことが原因かもしれません。思いも寄らないことが起きることもあります。(伝 9:11)塔研19.11 26-27ページ3-5節
3月20日,土曜日
信仰の大盾を持ってください。(エフェ 6:16)
大盾はほぼ全身を守ってくれます。信仰も,今の腐敗した体制の不道徳や暴力など,神の基準に反する事柄に負けないよう私たちを守ってくれます。クリスチャンは戦っており,邪悪な天使も敵に回しています。(エフェ 6:10-12)試みに遭う時に強い信仰を示せるよう,普段から何ができますか。まず,エホバの助けを求めて祈ってから,聖書を使い,エホバがご覧になるように自分を見つめる必要があります。(ヘブ 4:12)聖書は,「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない」と述べています。(格 3:5,6)では,最近自分が下した決定を振り返ってみてください。お金にとても困るという経験をしましたか。その時,ヘブライ 13章5節のエホバの約束が思い浮かびましたか。「私は決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない」という約束です。この約束を根拠に,エホバが必ず助けてくださると信じることができましたか。そうであれば,信仰という盾は良い状態に保たれています。塔研19.11 14ページ1,4節
3月21日,日曜日
子供はエホバからの財産。(詩 127:3)
子供は一人一人,父親からも母親からもかなりの時間とエネルギーを振り向けてもらう必要があります。そのことを神も望んでいます。短期間に何人も子供が生まれるなら,それぞれの子供を構ってあげるのが難しくなるものです。夫婦の中には,立て続けに子供が生まれたため,気持ちがめいってしまったと言う人もいます。母親が,体も心も疲れ切ってしまう場合もあります。このような状態で,聖書を学び,祈り,伝道に出るという習慣が崩れてしまわないでしょうか。集会で集中して学ぶことも難しくなるでしょう。もちろん,子供をあやすとき,夫は王国会館でも家でも自分にできることをして妻をサポートし,愛を示します。家事を手伝うこともします。家族の崇拝を欠かさず行い,みんなが学べるようにします。家族を連れて定期的に伝道に出ます。塔研19.12 24ページ8節
3月22日,月曜日
その50年目はあなたたちにとってヨベルとなる。(レビ 25:11)
ヨベルからはどんな恩恵を受けるのでしょうか。こんな状況をイメージしてください。あるイスラエル人が多額の負債を抱え,返済のためにやむなく自分の土地を手放します。でもヨベルの年に,その土地は戻されます。その人は「自分の所有地に帰る」ことができました。土地はいずれ子供に継がせることができます。別のケースとして,ある男性がひどく困窮し,借金を返すために自分自身か子供の1人を奴隷として売ります。でも奴隷になった本人または子供は,ヨベルの年に「家族のもとに帰る」ことができました。(レビ 25:10)奴隷が望みを絶たれ,いつまでも奴隷のままでいる,ということはありませんでした。また,エホバはこう言われました。「イスラエルの中では誰も貧しくならないはずです。あなたの神エホバが授けて所有させてくださる土地で,エホバは必ずあなたを祝福するからです」。(申 15:4)裕福な人がもっと裕福になり,貧しい人がもっと貧しくなる今の世界とは全く違います。塔研19.12 8-9ページ3-4節
3月23日,火曜日
わが子よ,賢くあって,私の心を喜ばせよ。(格 27:11)
イエスは試練に直面した時には,「大きな声で叫び,涙を流しながら」祈りました。(ヘブ 5:7)真剣な祈りには,エホバへの揺るぎない愛が込められていました。祈ることで,エホバに従い通す決意は強まりました。イエスの祈りはエホバにとって,香り高い香のようでした。イエスは生涯を通じて父エホバに喜ばれる生き方をし,エホバの主権を立証しました。私たちもイエスのように生きることができます。ベストを尽くしてエホバに忠誠心と揺るぎない愛を示すことによってです。試練に遭う時には,助けを求めてエホバに真剣に祈ります。エホバに喜ばれたいと思っているからです。エホバが嫌うことをしているなら,祈りは受け入れられません。反対に,エホバの基準に従って生活するなら,祈りはエホバにとって香り高い香のようになります。私たちが揺るぎない愛と忠誠心を示して従うのを見て,エホバは喜んでくださいます。塔研19.11 21-22ページ7-8節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン9日) ルカ 19:29-44
3月24日,水曜日
忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。(マタ 24:45)
1919年,イエスは天に行く希望を持つ兄弟たちの少人数の一団を「忠実で思慮深い奴隷」に任命しました。この一団は先頭に立って伝道を進め,キリストの弟子たちに「適切な時に食物を与え[て]」います。サタンは自分が支配する世界を使い,忠実な奴隷の活動を妨げようとしてきました。エホバの助けがなければ,忠実な奴隷は活動できなかったでしょう。2度の世界大戦や世界的な不況に加え,エホバの民は不当な仕打ちを受け,迫害されてきました。それでも,「忠実で思慮深い奴隷」は地上にいるキリストの弟子たちに食物を供給しています。今,私たちにはたくさんの出版物があります。900以上の言語で無償で提供されています。エホバが忠実な奴隷と共にいる紛れもない証拠です。伝道が行われていることも,エホバが組織を祝福している証拠です。良い知らせは「全ての国の人々」に伝えられています。(マタ 24:14)塔研19.11 24ページ15-16節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン10日) ルカ 19:45-48。マタイ 21:18,19; 21:12,13
3月25日,木曜日
[キリストは]神への畏れゆえに聞き入れられました。(ヘブ 5:7)
年1度の贖罪の日,大祭司は,犠牲を捧げる前に香をたかなければなりませんでした。エホバの好意を得て初めて犠牲を捧げることができたのです。イエスは地上で自分の命を犠牲として捧げる前に,とても大切なことをしました。人類を救うよりも大切なことです。地上で生きていた間ずっと,エホバに忠誠心と揺るぎない愛を示し,自分の犠牲が受け入れられるようにしたのです。イエスは,エホバの方法で物事を行うのが正しい,ということを示しました。エホバの主権を立証する,つまりエホバの統治の方法が正しいということを明らかにしたのです。イエスは地上で生きていた間ずっと,エホバに完全に従いました。誘惑されることが分かっていましたが,エホバの統治の正しさを証明したいという決意は揺らぎませんでした。(フィリ 2:8)塔研19.11 21ページ6-7節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン11日) ルカ 20:1-47
3月26日,金曜日
あなたたちは私が試練に遭っている間もずっと一緒にいました。(ルカ 22:28)
イエスは宣教という,大きな仕事を行なわなければなりませんでした。その間ずっと,忠実な使徒たちは真の友としてイエスを支えました。(箴 18:24)イエスはそのような友を大切にしました。宣教期間中,実の弟たちはだれもイエスに信仰を持ちませんでした。(ヨハ 7:3-5)イエスは気が狂ってしまった,と思った親族もいました。(マル 3:21)他方,使徒たちはイエスに忠実に従い続けました。イエスは亡くなる前の晩,彼らに今日の聖句の言葉を述べました。使徒たちは時折,間違いをしましたが,イエスに信仰を示しました。イエスは,彼らの欠点ではなく,そうした信仰に目を留めました。(マタ 26:40。マル 10:13,14。ヨハ 6:66-69)処刑される前の晩には,忠実な使徒たちにこう述べました。「わたしはあなた方を友と呼びました。自分の父から聞いた事柄をみなあなた方に知らせたからです」。(ヨハ 15:15)イエスは友である使徒たちから大きな励みを得ていたに違いありません。塔研19.04 11ページ11-12節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン12日) ルカ 22:1-6。マルコ 14:1,2,10,11
記念式を行う日
日没後
3月27日,土曜日
私たちが神の子供であることを,聖なる力が私たちの精神と共に証明します。(ロマ 8:16)
天に行くよう招かれた人は,そのことをどのように知るのでしょうか。答えは,使徒パウロの手紙に明確に記されています。「招かれて聖なる人とな[った]」ローマのクリスチャンに宛てた手紙です。パウロは今日の聖句の言葉に加えて,「皆さんは,聖なる力により奴隷とされて再び恐れを抱いたのではなく,聖なる力により養子とされたのであり,その力によって私たちは『アバ,父よ!』と叫びます」と述べました。(ロマ 1:7; 8:15)エホバは,選ばれた人が天に行くよう招かれていることを,聖なる力によって本人にはっきり示します。(テサ一 2:12)天に行くよう招かれた人は,そのことを全く疑いません。招かれたという自覚をエホバが本人にはっきり持たせるからです。(ヨハ一 2:20,27)選ばれたクリスチャンは,選ばれたことを誰かに確かめないと不安になる,ということはありません。塔研20.01 22ページ7-8節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン13日) ルカ 22:7-13。マルコ 14:12-16(日没後の出来事: ニサン14日) ルカ 22:14-65
3月28日,日曜日
友のために自分の命をなげうつこと,これより大きな愛はありません。(ヨハ 15:13)
「キリストの律法」は,最高の土台である愛に基づいています。(ガラ 6:2)イエスの行動はすべて愛を動機としていました。哀れみ,もしくは温かい思いやりは,愛の表われです。イエスはそのような哀れみに動かされて,人々を教え,病気を治し,食べ物を与え,死者を復活させました。(マタ 14:14; 15:32-38。マル 6:34。ルカ 7:11-15)自分のことよりも他の人のことを喜んで優先させました。何よりも,人々のために自分の命をなげうつことによって,大きな愛を示しました。どうすればイエスに倣えるでしょうか。自分のことよりも他の人のことを優先させることによって,また区域の人々に温かい思いやりを示すことによってです。思いやりに動かされて良い知らせを伝え教えるなら,キリストの律法に従っていることになります。塔研19.05 4ページ8-10節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン14日) ルカ 22:66-71
3月29日,月曜日
私は[エホバ]から遣わされて,捕らわれている人に釈放を……知らせ,打ちのめされた人を解放[する]。(ルカ 4:18)
イエスは宗教指導者の厳格過ぎる教えから人々を自由にしました。当時のユダヤ人は,伝統や間違った教えに縛られていました。(マタ 5:31-37; 15:1-11)宗教指導者でさえ,神について正しく理解しておらず,あたかも目が見えないかのようでした。メシアであるイエスを退け,イエスの教えも退けて,闇の中にとどまったため,彼らの「罪は見過ごされません」でした。(ヨハ 9:1,14-16,35-41)イエスは正しい教えと手本により,温厚な人が間違った教えから自由になるよう助けました。(マル 1:22; 2:23–3:5)イエスはまた,人々を罪への奴隷状態から自由にしました。イエスは自分の命を贖いとして差し出しました。そのイエスの犠牲に信仰を抱く人の罪をエホバは許します。(ヘブ 10:12-18)塔研19.12 10ページ8節,11ページ10-11節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン15日) マタイ 27:62-66
3月30日,火曜日
皆さんも……キリストにより,約束されていた聖なる力で証印を押されました。それは私たちが財産を受けることを前もって保証するしるしで[す]。(エフェ 1:13,14,脚注)
エホバは聖なる力を使い,選ばれたことをすべての油そそがれたクリスチャンに非常に明確に知らせます。聖なる力はその人たちが将来地上ではなく天で永遠に生きることを保証する「しるし」,または誓約となります。(コリ二 1:21,22)では,聖なる力によって選ばれたクリスチャンは必ず天に行けるのでしょうか。そうではありません。その人は,自分が天に行くよう選ばれたことをはっきり知っていても,次の助言を心に留めなければなりません。「兄弟たち,招かれ選ばれた者であり続けられるように,いっそう努力してください。これらのことを行い続けるなら,決して失敗には至りません」。(ペテ二 1:10)天に行くよう招かれた人でも,忠実であり続けなければ報いを受けることはできません。(フィリ 3:12-14。ヘブ 3:1。啓 2:10)塔研20.01 21-22ページ5-6節
記念式の聖書朗読: (日中の出来事: ニサン16日) ルカ 24:1-12
3月31日,水曜日
心ない発言は剣のように突き刺し,賢い人たちの舌は人を癒やす。(格 12:18)
3人の偽りの慰め手がヨブに対して思いやりを示せなかったのはヨブの状況を表面的にしか見ていなかったからです。その結果,思い込みで,悪いのはヨブだと決めつけました。わたしたちは,どうすればそのような間違いをしないで済むでしょうか。人の状況についてすべての事実を知っているのはエホバだけである,と認めることです。苦しんでいる人の言うことによく耳を傾けてください。言葉を聞くだけではなく,痛みを感じ取るよう努めましょう。そのようにして初めて,兄弟姉妹の気持ちに寄り添うことができます。思いやりがあれば,他の人が直面している問題について,その人を傷つけるようなうわさを広めたりはしません。うわさ話をするなら,会衆の一致は弱まり,分裂が生じます。(箴 20:19。ロマ 14:19)また,ただでさえ苦しんでいる人に,さらに深い傷を負わせることになります。(エフェ 4:31,32)相手の良い点を探し,試練に対処できるよう助ける方法を考えるほうが,はるかに優れています。塔研19.06 21-22ページ8-9節