11月
11月1日,火曜日
聞かないうちに返事をする人は,愚かであり,辱められる。(格 18:13)
人のことを知る点で限界のある私たちは,ヨナと聞くと,信頼できない人,もしかしたら不従順な人と思ってしまうかもしれません。ヨナは,「ニネベに行き,処罰について知らせなさい」というエホバからの直接の命令を受けました。ところが,「エホバから離れて」反対方向に向かう船に乗りました。(ヨナ 1:1-3)あなたなら,ヨナに同じ仕事をもう一度任せましたか。恐らく任せないでしょう。でもエホバは,任せることができると考えました。(ヨナ 3:1,2)ヨナの本当の人となりは,捧げた祈りから読み取れます。(ヨナ 2:1,2,9)この祈りから浮かび上がる人物像は,単に任務から逃げた人,というものではありません。ヨナは謙遜で,感謝にあふれ,エホバに従う決意を抱いていました。ヨナが祈ったのはこの時だけではなかったでしょう。エホバがヨナの間違いだけに目を留めるのではなく,祈りを聞いて引き続き預言者として用いたのもうなずけます。長老が「聞かないうちに」忠告を与えたりしないのは大切なことです。塔研20.04 15ページ4-6節
11月2日,水曜日
[パウロは]聖書から論じ,……説明したり,関連する点を挙げて証明したりし[た]。(使徒 17:2,3)
1世紀の弟子たちは,クリスチャンの教えを受け入れ,神の言葉を理解するために聖なる力に頼りました。教えが聖書に基づいているかどうか,注意深く調べました。(使徒 17:11,12。ヘブ 5:14)感性や感情だけで信仰を築いたわけでも,仲間との交流が楽しいからエホバに仕えたわけでもありません。「神についての正確な知識」に基づいて信仰を築いたのです。(コロ 1:9,10)聖書の真理が変わることはありません。(詩 119:160)仲間が私たちを傷つけたり重大な罪を犯したりしても,真理は変わりません。私たちが試練に遭っても,真理は変わりません。船は,激しい嵐の中でもいかりを下ろせば流されません。私たちも,試練の中でも聖書の真理に基づく信仰があれば,エホバのもとにとどまれます。塔研20.07 9ページ6-7節
11月3日,木曜日
この方は,……民に伝道して徹底的に知らせるように,と命じました。(使徒 10:42)
イエスは,天に行くよう選ばれた兄弟たちに対して私たちが行う事柄を,自分に対するものと見ています。(マタ 25:34-40)天に行く兄弟たちを支援する主な方法は,イエスが弟子たちに行うよう命じた,人々を弟子とする活動に十分に参加することです。(マタ 28:19,20)イエスの兄弟たちが世界中で伝道活動を繰り広げるには,「ほかの羊」の助けが欠かせません。(ヨハ 10:16)ほかの羊の皆さん,皆さんは伝道に出るたびに,天に行く兄弟たちだけでなく,イエスに愛を示しているのです。エホバとイエスが導いている活動を金銭面で支援することによっても,エホバとイエスの友になれます。(ルカ 16:9)例えば,世界的な活動のための寄付ができます。その寄付は,自然災害で被災した兄弟たちへの救援などに充てられます。会衆の出費を賄うための寄付をすることや,困っている仲間を個人的に助けることもできます。(格 19:17)塔研20.04 24ページ12-13節
11月4日,金曜日
彼は自分の父祖たちの神を無視し,……要塞の神をたたえます。(ダニ 11:37,38)
北の王はこの預言の通り,「自分の父祖たちの神を無視し」ました。どのようにですか。ソビエト連邦は,宗教を排除することを目指して,伝統的な宗教組織の影響力を弱めようとしました。ソ連政府が早くも1918年に出した通達により,学校で無神論が教えられるようになりました。北の王はどのように「要塞の神をたたえ」ましたか。ソビエト連邦は膨大な額をつぎ込んで軍備を増強し,何千発もの核弾頭を造りました。北の王も南の王も大量の兵器を備蓄しました。何十億もの人の命を奪うほどの量です。北の王は1つのことで南の王と手を組みました。「彼らは荒廃をもたらす極めて不快なものを据え」ました。それは国際連合のことです。(ダニ 11:31)塔研20.05 6-7ページ16-17節
11月5日,土曜日
おまえの弟[は]……いなくなっていたのに見つかった。(ルカ 15:32)
誰が助けになれますか。私たちみんなです。長老,開拓者,不活発な人の家族,会衆の伝道者が気を配れます。友達や親族の中に不活発な人がいますか。家から家の伝道や公共エリア伝道で不活発な人に会ったことがありますか。その人が長老の訪問を望むなら,連絡先を長老に伝えることができる,と説明してください。トマスという長老は,こう言っています。「まず,不活発な人の現住所を知っているか,兄弟姉妹に尋ねます。集会に今来ていない人を誰か知っているか,会衆の人たちに尋ねることもします。不活発な兄弟姉妹を訪問する時には,子供や親戚のことも尋ねます。それらの兄弟姉妹の中には,子供と一緒に集会に来ていた人もいて,子供も伝道者だった,という場合があります。エホバのもとに戻れるよう,その人たちのことも助けられます」。塔研20.06 24ページ1節,25ページ6-7節
11月6日,日曜日
私はヤハが行ったことを思い出す。昔あなたが行った驚くべきことを思い出す。(詩 77:11)
地球上の生物の中で,人間だけがモラルを身に付ける能力があります。過去の経験を覚え,生かすことによって,より良い価値観を学び,考え方や生活を変化させることができます。(コリ一 6:9-11。コロ 3:9,10)良心を正しく働かせ,正しいことと悪いことを見分けることができます。(ヘブ 5:14)愛や同情心や憐れみを示せるようになります。公正の感覚を身に付けることもできます。記憶力というプレゼントへの感謝を表す1つの方法は,エホバが助け力づけてくださった経験一つ一つを覚えておくことです。そうすれば,今後も私たちを助けてくださるという確信が強まります。(詩 77:12; 78:4,7)別の方法は,ほかの人がしてくれたことを覚えていて,感謝の気持ちを持ち続けることです。感謝の気持ちのあつい人は幸福だという統計もあります。塔研20.05 23ページ12-13節
11月7日,月曜日
この輝かしい崇高な名,あなたの神エホバの名を畏れ[なさい]。(申 28:58)
モーセは岩の裂け目に隠れ,エホバの栄光が通り過ぎるのを見た時,どんな気持ちになったでしょうか。「聖書に対する洞察」の本によれば,モーセが経験したことは,「イエス・キリストが到来する前のどんな人も経験できなかったような,畏怖の念を起こさせる経験」でした。モーセは,天使によって語られたと思われる,次の言葉を聞きました。「エホバ,エホバ,憐れみ深く,思いやりがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に信頼できる。揺るぎない愛を幾千代までも示し,過ちと違反と罪を許す」。(出 33:17-23; 34:5-7)今日の聖句の言葉を述べたモーセはエホバの名を使うたびに,この時の出来事を思い起こしたことでしょう。私たちはエホバの名について考える時,エホバがどんな方かということもよく考える必要があります。エホバは力,知恵,公正,愛にあふれた方です。こうしたものをはじめとするエホバの性格について考えると,畏敬の気持ちが強まります。(詩 77:11-15)塔研20.06 8-9ページ3-4節
11月8日,火曜日
自分が学び,納得して信じるようになった事柄から離れないようにしなさい。(テモ二 3:14)
イエスは,弟子は互いに愛し合うことで見分けられると言いました。(ヨハ 13:34,35)とはいえ,クリスチャンが示す愛に引かれるだけでは,強い信仰を持つことはできません。エホバの証人の愛に引かれたというだけでクリスチャンになるなら,どうなりますか。兄弟姉妹,もしかしたら長老や開拓者が重大な罪を犯すかもしれません。仲間に傷つけられることもあるでしょう。あるいは,誰かが背教して聖書の真理を批判するかもしれません。そんなとき,信仰を失ってエホバに仕えるのをやめてしまいますか。もし信仰の土台がエホバとの絆ではなく,仲間との絆だけであるなら,信仰は崩れてしまうでしょう。家を建てる場合,軟らかい資材では建てられません。硬い資材が必要です。信仰も,感性や感情という土台の上に築くのではなく,確かな事実や根拠の上に築かなければなりません。自分自身が聖書の真理を確信していなければならないのです。(ロマ 12:2)塔研20.07 8ページ2-3節
11月9日,水曜日
弱い人たちを援助しなければならない。(使徒 20:35)
エホバのもとに戻りたいと強く願っている不活発な人を捜す活動に,天使が関わっていることを示す経験はたくさんあります。(啓 14:6)エクアドルに住むシルビオの例を取り上げましょう。ある日,シルビオは,会衆に戻りたいと涙ながらに祈っていました。すると,まだ祈っている最中に家のベルが鳴りました。2人の長老が訪ねてきたのです。長老たちはシルビオに,必要な助けを与えることができました。エホバのもとに戻るよう不活発な人を助けることができたら,どんなにうれしいことでしょう。開拓者のサルバドルは,不活発な人を助けることに特に力を入れています。こう言っています。「うれしくて涙が出ることがあります。エホバの大切な羊がサタンの世から救い出されたからです。そのためにエホバと共に働けたと思うと感謝の気持ちでいっぱいになります」。あなたは,今会衆から離れている方ですか。エホバはあなたのことを今でも愛しています。エホバはあなたが戻るのを待っています。喜んで迎えてくださるのです。塔研20.06 29ページ16-18節
11月10日,木曜日
あなたは……偉大な教師を見る。(イザ 30:20)
「偉大な教師」エホバは,私たちを教えるための実例を聖書の中に残しています。(イザ 30:21)神に喜ばれた人についての記述を思い巡らすと,大切な点を学べます。慎みを示さなかった人の例からも教訓が得られます。(詩 37:37。コリ一 10:11)サウルの例を考えましょう。若い頃のサウルは慎みがありました。自分の限界を強く意識していたので,より重い責任を担うことはできないと考えていました。(サム一 9:21; 10:20-22)そのサウルはやがて出過ぎた行動を取るようになりました。王になって間もなく,良くない傾向が芽生え始めました。ある時,預言者サムエルが来るのを待ち切れなくなりました。そして権限が与えられていないのに全焼の犠牲を捧げてしまいました。結果としてエホバの好意を失い,やがて王権も失ってしまいました。(サム一 13:8-14)警告として書かれているこの実例から教訓を学び,出過ぎた行動を取らないようにしましょう。塔研20.08 10ページ10-11節
11月11日,金曜日
主に仕えつつ皆さんを監督し……ている人たちに,敬意を払ってください。(テサ一 5:12)
エホバは確かにキリストを通して,会衆に「人々という贈り物」を与えてくださっています。(エフェ 4:8)これには統治体の成員,統治体の援助者,支部委員会の成員,巡回監督,野外の教訓者,会衆の長老,援助奉仕者が含まれています。これらの兄弟たちは聖なる力によって任命され,エホバの貴重な羊を世話し,会衆の兄弟姉妹を力づけるために働きます。(ペテ一 5:2,3)聖なる力によって任命された兄弟たちは,さまざまな責任を果たします。手や足といった体の各部の働きによって,体は機能します。それと同じように,聖なる力によって任命された兄弟たちの熱心な働きによって,会衆全体に恩恵が及びます。兄弟たちは,人から称賛されるために働いているのではありません。兄弟姉妹を力づけ励ますために一生懸命働いています。(テサ一 2:6-8)仲間を世話するために働く資格ある兄弟たちを与えてくださったことについて,エホバに感謝できます。塔研20.08 21ページ5-6節
11月12日,土曜日
行って,……弟子としなさい。(マタ 28:19)
私たちが伝道する理由の一つは,人々が「痛めつけられ,放り出され」,神の王国についての真理を切実に必要としているからです。(マタ 9:36)エホバはあらゆる人が真理の正確な知識を得て救われることを望んでいます。(テモ一 2:4)伝道によって何が成し遂げられるかを考えるなら,命を救う活動に参加するよう動かされます。人々の命を救うのです。(ロマ 10:13-15。テモ一 4:16)私たちは,伝道に必要な道具を持っていなければなりません。使い方も知らなければなりません。イエスは,明確な指示を弟子たちに与えました。何を持っていき,どこで伝道し,何と言うかを教えました。(マタ 10:5-7。ルカ 10:1-11)現在,エホバの組織は,使いやすい道具を収めた宣教ツールボックスを用意しています。各種の道具の使い方も教えています。使い方の訓練を受けた私たちは,自信を持って上手に使えるようになっています。(テモ二 2:15)塔研20.09 4ページ6-7,10節
11月13日,日曜日
私の子供たちが真理に従って歩み続けているのを聞くことほど,うれしいことはありません。(ヨハ三 4)
使徒ヨハネは,真理を知るよう助けた人たちがエホバに仕え続けていることを聞きました。ヨハネがどれほどうれしかったか,想像できますか。でも,ヨハネがわが子のように見ていたその人たちは,多くの問題を経験していました。それで,その人たちの信仰を強めようとヨハネは奮闘していました。私たちも,自分の子供や真理を知るよう助けた人たちが,エホバに献身し,エホバに仕え続けているのを聞くと,うれしくなります。(ヨハ三 3)西暦98年頃,ヨハネはエホバの聖なる力の導きによって3通の手紙を書きました。それらの手紙には,エホバに仕え続けてきたクリスチャンたちがこれからもイエスへの信仰を保ち,真理に従って歩み続けてほしい,という願いが込められています。ヨハネは,偽りを教える人たちが会衆に悪影響を与えていることを心配していました。(ヨハ一 2:18,19,26)背教者たちは神を知っていると唱えていましたが,エホバの教えに従っていませんでした。塔研20.07 20ページ1-3節
11月14日,月曜日
神に信仰を抱き,私にも信仰を抱きなさい。(ヨハ 14:1)
私たちは伝えているメッセージに確信を持っています。それで,できるだけ多くの人に伝えたいと思います。私たちは,聖書の約束が果たされることを信じています。(詩 119:42。イザ 40:8)聖書の預言が現代に実現しているのを見ています。聖書のアドバイスを当てはめて生き方を改めた人たちがいるのを知っています。こうした事実を考えると,王国の良い知らせを誰もが聞く必要があるという確信が強まります。また私たちは,エホバとイエスに信仰を抱いています。エホバは私たちが伝えているメッセージを与えた方です。イエスはエホバから王国の王として選ばれ,治めています。何が起きても,エホバはいつも私たちの避難所であり,力です。(詩 46:1-3)イエスは,エホバから与えられた力と権限を用いながら,天から伝道活動を導いています。(マタ 28:18-20)信仰があるなら,エホバが私たちの努力を祝福してくださることを確信できます。塔研20.09 12ページ15-17節
11月15日,火曜日
私に立派なことをしてくれたのです。……この女性は自分にできることをしました。(マル 14:6,8)
姉妹たちは,味方になってくれる人を必要とする時があります。(イザ 1:17)夫を亡くした人や離婚した人の場合,夫がしていたことをするのを手伝ってくれる人が必要かもしれません。年配の人の場合,病院の先生に一緒に話してくれる人が必要かもしれません。開拓奉仕をしながら組織の他のプロジェクトに参加している人の場合,開拓者なのにあまり奉仕に出てこないと言われた時に,事情を説明してくれる人が必要かもしれません。イエスの手本について考えてみましょう。イエスは,神に仕える女性たちが誤解された時,すぐ味方になりました。例えば,マルタから文句を言われたマリアを弁護しました。(ルカ 10:38-42)またマリアが,なんでそんなことをしたのかと責められた時にも,マリアを弁護しました。(マル 14:3-9)イエスは,マリアがそのようにした理由を理解していたので褒めました。そして,マリアがしたことは,「世界中どこでも良い知らせが伝えられる所で」語られる,と預言しました。塔研20.09 24ページ15-16節
11月16日,水曜日
皆さんに委ねられた神の羊の群れを世話してください。強いられてではなく,神の前で進んで監督として奉仕[しましょう]。(ペテ一 5:2)
立派な羊飼いは,羊が迷い出る場合があることを知っています。群れからはぐれてしまっても,厳しく扱ったりはしません。エホバの羊が,しばらくエホバの願い通りに行動できないことがあります。エホバは,そのような人をどのように助けましたか。預言者ヨナはエホバの指示に従いませんでした。それでもエホバはヨナを見限りませんでした。立派な羊飼いであるエホバは,ヨナを救い出し,割り当てた仕事を果たせるよう助けました。(ヨナ 2:7; 3:1,2)後にエホバはヒョウタンを使って,人の命の貴さを理解できるようヨナを助けました。(ヨナ 4:10,11)何を学べますか。長老たちは不活発になった人のことをすぐに見放してはなりません。なぜ会衆から離れてしまったかを理解するよう努めます。その人がエホバのもとに戻った後も,引き続き優しく気遣います。塔研20.06 20-21ページ10-12節
11月17日,木曜日
彼らは多少の助けを得ます。(ダニ 11:34)
1991年にソビエト連邦が崩壊した後,その広い国土に住むエホバの民は「多少の助け」を得ました。一定の期間の自由を得たのです。その結果,自由に伝道できるようになり,旧ソ連の国々の伝道者数が大幅に増えました。やがて,ロシアとそれを支持する国々が北の王になりました。北の王や南の王の描写に当てはまる政府には,3つの特徴があります。(1)エホバの民に直接影響を与えます。(2)エホバとエホバの民に敵対します。(3)2人の王は対抗し合います。ロシアとそれを支持する国々はエホバの民に直接影響を与えてきました。伝道を禁止し,大勢の兄弟姉妹を迫害しています。こうした行動は,エホバとエホバの民に対する憎しみの表れです。そして,南の王である英米世界強国と対抗してきました。塔研20.05 12-13ページ3-4節
11月18日,金曜日
自分の教えに絶えず注意を払いなさい。(テモ一 4:16)
教えることと人々を弟子とすることは,切っても切れない関係にあるので,私たちはもっと上手に教えられるようになりたいと思います。現在,世界中で聖書研究が何百万件も行われています。私たちは大好きな聖書から人々に教えています。誰でも好きなことについてはついつい話し過ぎてしまうものです。しかし,「ものみの塔」研究や会衆の聖書研究を司会する時や,家などで聖書を教える時は,話し過ぎてはいけません。聖書に語らせるために,教える人は自制を働かせる必要があります。その時考えている聖書の言葉について,知っていることを全て説明しようとしてはなりません。(ヨハ 16:12)今あなたが聖書について知っていることと,バプテスマを受けた時に知っていたことを比べてみると,どうでしょうか。その頃に知っていたのは,基本的な教えだけだったかもしれません。(ヘブ 6:1)その後,何年もかけて学んできました。ですから,学び始めた人に何から何まで一度に教えようとしてはなりません。塔研20.10 14-15ページ2-4節
11月19日,土曜日
この人は大工で,マリアの息子[だ]。(マル 6:3)
エホバは,素晴らしい人たちをイエスの親として選びました。(マタ 1:18-23。ルカ 1:26-38)聖書に書かれているマリアの心から出た言葉を読むと,マリアがエホバと神の言葉を深く愛していたことが分かります。(ルカ 1:46-55)また,ヨセフがエホバからの指示に進んで従ったことから,ヨセフも神を愛し,神に喜ばれることをしたいと思っていたことが分かります。(マタ 1:24)エホバがイエスの親として選んだのは,裕福な人ではありませんでした。ヨセフとマリアがイエスの誕生後に捧げた犠牲から,2人が貧しかったことが分かります。(ルカ 2:24)少なくとも子供が7人いたので,生活は簡素なものだったに違いありません。(マタ 13:55,56)エホバはイエスを危険から守ったこともありましたが,イエスがつらい経験を全くしないで済むようにはしませんでした。(マタ 2:13-15)例えば,親戚の中にはイエスがメシアであることを初めは信じない人たちがいました。(マル 3:21。ヨハ 7:5)育ててくれたヨセフを亡くした時にも,つらい思いをしたことでしょう。塔研20.10 26-27ページ4-6節
11月20日,日曜日
私は決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない。(ヘブ 13:5)
あなたは,自分が独りぼっちで,助けてくれる人が誰もいないように感じたことがありますか。そのように感じている人は少なくありません。エホバに忠実に仕えている人も例外ではありません。(王一 19:14)もしそう感じることがあるなら,エホバの次の約束を思い出してください。「私は決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない」。この約束について考えると,私たちは心からこう言うことができます。「エホバは私を助けてくださる。私は恐れない」。(ヘブ 13:5,6)西暦61年ごろ,使徒パウロはこの言葉をユダヤに住むクリスチャンに宛てて書きました。詩編 118編5-7節にも同じような気持ちが表現されています。この詩編を書いた人と同じように,パウロも自分の経験から,エホバが助けてくださることを知っていました。例えば,ヘブライ人のクリスチャンへの手紙を書く2年余り前,激しい嵐の中を船で旅するという危険な経験をしました。(使徒 27:4,15,20)エホバは,この旅の間も,その前も,パウロをさまざまな仕方で助けました。塔研20.11 12ページ1-2節
11月21日,月曜日
「昔の方が良かった」と言ってはならない。(伝 7:10)
昔の方が良かったと考え続けるべきでないのはなぜですか。昔に戻りたいという気持ちが強くなると,良いことしか思い出さなくなるからです。古代のイスラエル人がそうでした。エジプトを脱出した後,そこでの生活がどれほどつらかったかをあっという間に忘れ,エジプトのおいしい食べ物のことばかり考えるようになりました。「エジプトでただで食べていた魚が本当に懐かしい。それに,キュウリやスイカ,ネギ,タマネギ,ニンニクもだ」と言いました。(民 11:5)しかし,イスラエル人は本当に「ただで」こうしたものを食べていたのでしょうか。決してそうではありません。エジプトにいた時は,奴隷としてひどい扱いを受けていたからです。(出 1:13,14; 3:6-9)それなのに,そうしたつらい経験をすっかり忘れ,昔に戻りたいと思うようになりました。エホバがしてくださった良いことではなく,エジプトでの“古き良き時代”のことばかり考えていたのです。エホバは,そのような態度を喜ばれませんでした。(民 11:10)塔研20.11 25ページ5-6節
11月22日,火曜日
エホバは心が傷ついた人のそばにいる。落胆した人を救ってくださる。(詩 34:18,脚注)
人生は短く,「悩みの多い日々」を送っている,と感じることがあります。(ヨブ 14:1)誰でも落胆することがあるものです。古代にエホバに仕えていた人たちも落胆しました。死にたいとさえ思った人たちもいます。(王一 19:2-4。ヨブ 3:1-3,11; 7:15,16)ですが,信頼していた神エホバに何度も慰められ,力づけられました。その人たちの経験は,私たちを慰め教えるために書き記されました。(ロマ 15:4)ヤコブの子ヨセフについて考えましょう。父親に大切にされていた子が,あっという間に異教徒の廷臣の奴隷になってしまったのです。(創 37:3,4,21-28; 39:1)さらにポテパルの妻が,ヨセフにレイプされそうになったとうそをつきました。ポテパルは確かめようともせずにヨセフを牢獄に入れ,ヨセフは鎖につながれてしまいました。(創 39:14-20。詩 105:17,18)ヨセフにとって,まさに落胆するような状況でした。塔研20.12 16-17ページ1-4節
11月23日,水曜日
お名前が神聖なものとされますように。(マタ 6:9)
イエスは上のように祈ることがとても大切であると教えました。この祈りにはどんな意味がありますか。神聖なものとするとは,聖なるもの,清いものとして扱う,という意味です。でも,「エホバの名はすでに聖なるもの,清いものではないか」と感じる人もいるでしょう。この点を考える際,名にはどんな意味合いがあるかを知る必要があります。名は,書いたり発音したりする名前以上のものです。聖書には,「多くの富よりも良い名を選べ」とあります。(格 22:1。伝 7:1)名にそれほどの価値があるのはなぜですか。名には他者からの評判や評価という意味合いがあるからです。名前をどう表記するか,どう発音するかよりも,名前から誰を思い浮かべ,どんな印象を持つか,ということの方が重要です。エホバについてのうそを語る人たちは,エホバの評判を損なおうとしています。エホバの名を傷つけようとしているのです。塔研20.06 3ページ5-7節
11月24日,木曜日
私はひどくかき乱されています。教えてください,エホバ,いつまでですか。(詩 6:3)
問題について心配し過ぎると,ほかのことは何も考えられなくなってしまう可能性があります。こんなふうに心配するかもしれません。「生活に必要なものを買うだけのお金を稼げるだろうか。病気になって,仕事ができなくなったり失業したりしないだろうか。誘惑に負けて,神のおきてを破ってしまうことはないだろうか。この先,サタンが人々を使って私たちを攻撃してくる時,どうしたらよいのだろう」。こうしたことを心配するのは間違ったことでしょうか。イエスは弟子たちに,「心配するのをやめなさい」と言いました。(マタ 6:25)これは,私たちが一切心配してはいけないという意味でしょうか。そうではありません。エホバに忠実に仕えた人たちも,不安な気持ちと闘うことがありましたが,エホバに引き続き愛されました。(王一 19:4)イエスは私たちに,生活していくのに必要なもののことを心配し過ぎて,神に仕えることを二の次にしてはいけない,と言っていたのです。塔研21.01 3ページ4-5節
11月25日,金曜日
女性の頭は男性で[す]。(コリ一 11:3)
夫は家族にどう接するかについてエホバとイエスから責任を問われます。(ペテ一 3:7)エホバは家族の頭なので,子供たちのために決まりを作る権限があります。それを守るよう求める権限もあります。(イザ 33:22)同じように,イエスも会衆の頭なので,会衆のために決まりを作ってそれを守るよう求める権限があります。(ガラ 6:2。コロ 1:18-20)エホバやイエスと同じように,クリスチャンの家族の頭にも家族に関する決定をする権限が与えられています。(ロマ 7:2。エフェ 6:4)ただし,条件があります。例えば,決まりを作る時には,聖書の原則に沿ったものにする必要があります。(格 3:5,6)また家族の頭には,自分の家族ではない人のために決まりを作る権限はありません。(ロマ 14:4)子供たちは成長して家を出た後も父親に敬意を示す必要がありますが,父親には家を出た息子や娘に対する頭としての権限はありません。(マタ 19:5)塔研21.02 2-3ページ3-5節
11月26日,土曜日
自分の家族……に必要な物を与え[る]。(テモ一 5:8)
家族の頭は,生活していくのに必要なものを家族に与えることによって,家族を愛していることを示せます。とはいえ,家族がエホバとの絆を保てるよう助けることの方がもっと重要です。(マタ 5:3)イエスは杭に掛けられて死を迎えようとしていた時にも,マリアが助けてもらえるようにしたいと思いました。イエスはひどく苦しみながらも,マリアの世話を使徒ヨハネに託しました。(ヨハ 19:26,27)家族の頭である兄弟たちにも,たくさんの大切な責任があることでしょう。一生懸命働く必要があります。それはエホバの良い評判となるからです。(エフェ 6:5,6。テト 2:9,10)会衆では,兄弟姉妹を牧羊したり伝道を熱心に行ったりする責任があるかもしれません。さらに,妻や子供たちと一緒に毎週聖書を学ぶのも大事なことです。家族の頭が,生活の面でも,感情の面でも,信仰の面でも家族を支えるために頑張っていることに,家族は心から感謝することでしょう。(エフェ 5:28,29; 6:4)塔研21.01 12ページ15節,13ページ17節
11月27日,日曜日
[有能な妻は]家で行われる物事を見守[る]。(格 31:27)
聖書は,有能な妻が果たす役割として,家事を取り仕切ること,土地を買って管理すること,商売を行うことを挙げています。(格 31:15,16,18)そのような妻は,意見を言う権利もない奴隷のような存在ではありません。夫から信頼され,意見を聞いてもらえます。(格 31:11,26)このように,敬意を持って接してもらえるなら,妻は夫に喜んで従いたいと思うことでしょう。イエスは多くのことを成し遂げましたが,頭であるエホバに従うと自分の尊厳が傷つく,とは考えませんでした。(コリ一 15:28。フィリ 2:5,6)同じように,イエスの手本に倣う有能な妻は,夫に従うと自分が下に見られる,と考えることはありません。妻が夫をサポートするのは,夫を愛しているからだけでなく,エホバを愛し,敬っているからです。クリスチャンの妻は夫に従うとはいえ,聖書の教えに反することをするよう夫から言われた場合には,その通りにはしません。塔研21.02 11ページ14-15節,12ページ19節
11月28日,月曜日
苦難によって忍耐力が身に付[きます]。(ロマ 5:3)
エホバに仕える人たちも,神への愛によって迫害を耐え忍んできました。例えば,使徒たちはユダヤ人の最高法廷から伝道をやめるようにと厳しく命じられた時,神への愛に動かされて,「人ではなく神に従」いました。(使徒 5:29。ヨハ一 5:3)こうした極めて強い愛は,現代の兄弟姉妹にとっても力となっています。多くの仲間たちは,残酷な政府から圧力をかけられても,しっかり立ち,忠実を保っています。世の人々から憎まれるとしても,気落ちするのではなく,喜びます。(使徒 5:41。ロマ 5:4,5)自分の家族から反対されることは,非常に大きな試練となるかもしれません。私たちがエホバについて学びたいと思うようになると,家族の中には,私たちがだまされていると考える人や,頭がおかしくなったと思う人がいるかもしれません。(マルコ 3:21と比較。)激しく反対する人もいるでしょう。しかし,こうした反応は意外なものではありません。「自分の家の人たちが敵になる」とイエスは言いました。(マタ 10:36)塔研21.03 21ページ6-7節
11月29日,火曜日
皆が,人の言うことに進んで耳を傾けるべきです。すぐに話し……てはなりません。(ヤコ 1:19)
聖書研究に参加する時は,研究中の会話を注意深く聞きましょう。そうすれば,良いタイミングを見極めることができます。何を話すかについても,注意が必要です。話し過ぎたり,教えている人の説明を遮ったり,違う話題を持ち出したりしないようにしましょう。短いコメントや例えや質問によって,要点を理解するよう助けることができます。助けになることを何も言えないと思うこともあるかもしれません。それでも,学んでいる人を褒めて気遣うなら,進歩するよう助けることができるでしょう。学んでいる人の助けになるようなら,真理を知ったいきさつや,問題を乗り越えた経験,エホバの助けを感じた出来事などを短く話すことができます。(詩 78:4,7)それが,学んでいる人にとってぴったりの話だったということがあります。信仰を強め,バプテスマを目指して進歩していくよう励みを与えるものとなるかもしれません。塔研21.03 10ページ9-10節
11月30日,水曜日
全ての国の人々を弟子としなさい。(マタ 28:19)
伝道で良い結果が得られたとき,どう考えたらよいでしょうか。パウロは,コリントの会衆に宛てた手紙の中で次のように述べています。「私は植え,アポロは水を注ぎました。しかし,成長させたのは神です。ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させる神なのです」。(コリ一 3:6,7)伝道で良い結果が得られたら,パウロのように,エホバのおかげであることを忘れないようにしましょう。エホバ,イエス,天使たちと「共に働[ける]」ことへの感謝をどのように表せますか。(コリ二 6:1)良い知らせを人々に熱心に伝えることによってです。私たちは,真理の種を植えるだけでなく,水を注ぐ必要もあります。関心を示す人がいたら,自分が再び会って話すようにして,聖書レッスンにつなげる努力を払います。レッスンが進むにつれて,学んでいる人の心をエホバが動かし,その人が考え方を変えるようになるのを見て,喜べるでしょう。塔研20.05 30ページ14,16-18節