楽園の平和に戻る道
1,2 (イ)人は神の地上の創造物に接して,どんな感慨をいだきますか。なぜですか。(ロ)地上の創造物に接する時,人は喜びを味わえます。なぜですか。
美しい庭や公園を歩いて喜びを感ずるのはなぜでしょうか。都会を離れて,広々とした郊外に行きたいと思うのはなぜですか。自然の美しさに心を打たれるのはなぜでしょうか。広い平野を静かに,しかしゆったりと流れる川を見て深い喜びを感じ,みごとな木々,また灌木や草花に美しく色どられた,ゆるやかな丘陵を望んで,心をおどらせるのはなぜですか。頂上に白雲をまとい,あるいはたなびかせて青空にそびえる山々を高台から見上げて,畏敬の念に打たれるのはなぜでしょうか。
2 木々のこずえで楽しげにさえずる小鳥の音楽に魅せられるのはなぜですか。森や草原など,自然の自由な環境の中で,思いのままに動き回る野生の動物,たとえば姿の優美な鹿やカンガルーが突然に姿を現わして飛び回り,エミューやヒクイドリが大またで走り,羊の群れが野で草をはむのを見てさえ,心がおどるのはなぜですか。空にも地にも水の流れにも見られる自然の輝きに接するとき,理知ある人間として,生きる限りない喜びを知るのはなぜですか。なぜなら,人間は楽園で生活するために造られたからです。
3 人間は楽園を喜ぶ心をだれから受け継ぎましたか。
3 わたしたちは楽園で生活したことがありません。しかし最初の人間夫婦,つまり人間の最初の父母は楽園で生活を始めたのです。人間は楽園を喜ぶ心をそのふたりから受け継ぎました。そのふたりは,自分たちの神として認めた創造者から,楽園を喜ぶ心を受けたのです。神は人間を,そうした喜びを解する者として造られました。なぜなら,神は美と調和を理解する完全な感覚を備えておられるからです。神は特に人間のために楽園を地上に設けられました。神は古今最大の造園者,庭園管理者また山林監督者であられるからです。楽園のすみかを喜べるようにするため,神はご自身の属性に似た特質をふたりに付与されました。したがって,そうした属性を与えられたふたりは,楽園の生活を楽しみ,その喜びにあきることはありませんでした。神は,楽園を思い,その喜びを理解する心を最初のふた親にお与えになりました。わたしたちはそうしたすぐれた特質をそのふたりから受け継いだのです。では,楽園の平和に戻ることが創造者の御心であり,創造者の取り決めであるならば,わたしたちは喜んでそうしますか。そうするに違いありません!
4 エホバはもともとどんな属性を人間に付与されましたか。これは,神の創造された人間に関して何を示すものですか。
4 天におられる創造者が,人間の家族に楽園のすみかで生活を始めさせられたのは,確かにふさわしいことでした。それは神の喜ばれることでした。人間が土のちりでできているからといって,神は人間を卑めませんでした。神は,ご自分の属性に似た特質を人間の最初のふた親に与えました。こうして地上で最も美しい生きた創造物すなわち完全な人間を創造し,地上最高の威厳を与えて,人間を尊い者とされたのです。なぜなら,人間の最初のふた親は,神にかたどり,その形のように造られたからです。人間は天使より少し劣っていますが,それでも神は,人間をご自分の子供と呼ぶことを恥とされませんでした。そして,全能の神以外には設計のできない地上の楽園に,そのふたりを置かれたのです。それは,人間のすぐれた感覚や能力,また健康で完全かつ十分に整ったそのからだにふさわしいすみかでした。しるされた神のみことば聖書は,それを「エデンの園」と呼んで,それがどんな所であったかを示しています。「エデン」とは「楽しみ」という意味だからです。―創世 1:26-28; 2:7-14。
5 エデンの園は普通の公園のような狭い所ではありませんでした。どうしてそう言えますか。
5 「エデンの園」と呼ばれたその楽園は,普通の公園のような狭い所ではありません。そこには,目にうるわしい樹木はもとより,食物となる果実を産する木を含め,あらゆる種類の植物がはえ,鳥その他の動物がたくさんいました。しかしその楽園の広さを示すのは,そこに源を持つ川です。豊かな水量に恵まれたその流れは,やがて四つの大河になりました。大海や大洋からは遠く離れていましたが,それらの川にはたくさんの魚がいました。人間の最初のすみかとなったそのすぐれた地上の楽園に山々や渓谷があったことはいうまでもありません。
6 人間が楽園で生まれなかったのはなぜですか。
6 最初の人間がその楽園で生活を始めて以来,およそ6,000年を経た今日,地上は楽園つまり平和なエデンの園のような状態ではありません。最初の人間夫婦が住んだ,西南アジアのその楽園は,どうなったのですか。わたしたちすべてが楽園に生まれなかったのはなぜですか。それは人間の最初のふた親が,子供をもうける前にエデンの園を追放されたからです。もはや人の住まなくなったその楽園は,それから1,600年余ののち,全地をおおった大洪水のために失われました。しかし,かつてエデンの園に源を発していたチグリス・ユーフラテス川は今も流れており,その動かぬ証拠となっています。それは人々の迷信に基づく神話ではありません。その最初の人間の名前はアダムで,それは「土地から」という意味です。その妻はエバで,その名は,「生きている」という意味です。なぜならエバは他のすべての人間の母になったからです。今日のわたしたちを含め,人間はすべて,楽園であったエデンの園を追放されたのちに,そのふたりから生まれた子孫です。
7 (イ)神がこの地球に関して持っておられる不変の目的とはなんですか。(ロ)主イエス・キリストは神のみことばに対するご自分の信仰をどのように示して,みことばが真実であることの確証を与えられましたか。
7 では,アダムとエバをその楽園から追放する権利を持っていたのはだれですか。人間が住めないようにするため,それを除き去る権利を持っていたのはだれですか。それは,アダムとエバを創造し,また楽園を創造された神です。神は楽園を再び地上に設けることを人間に約束する権利をも持っておられます。事実,神はこのことを人間に約束し,かつその約束を,ご自分の霊感によるみことば聖書の中に書きしるさせました。エデンの楽園を西南アジアに設けた神は,一つの不変の目的をお持ちでした。それは,全アジア・ヨーロッパ・アフリカ・オーストラリア・南北両極・南北アメリカ・七つの海の島々を含め,全地にその楽園を広げることでした。このことに関する神の愛あるお目的は今も変わりありません。神のそうした最初のお目的は失敗に帰してはいません。神は物事を途中であきらめるかたではなく,その最初のお目的を今も保持しておられます。この喜ばしい事実を示すものとして,神は,人類家族が楽園に戻る道を備えておられるのです。それは,神が最初にもくろまれたとおりの,全地に及ぶ広大な,永遠の平和な楽園です。そして最後に神はこの地球を,月を回る宇宙船から宇宙飛行士がはるかに眺めた以上の美しいところとされるでしょう。これは単なる宗教的な空想ではありません。もしこれが空想にすぎないなら聖書を書きしるさせた神は,ご自身を笑いものにしてこられたことになります。そうであればキリスト教世界の牧師や現代の科学者の多くが神を嘲笑し,そのみことば聖書をあざけるのも当然と言えるでしょう。しかしそれら牧師や科学者のすべてをいっしょにしても及ばないほど偉大なひとりの人物が,人間の最初のふた親について真剣に話されました。そして結婚と離婚の問題に関する質問に答えて,こう言われました。「人を造り給ひしもの,はじめよりこれを男と女とに造り,しかして,『かかるゆえに人は父母を離れ,その妻に合ひて,二人のもの一体となるべし』と言ひ給ひしをいまだ読まぬか。されば,はや二人にはあらず,一体なり。このゆえに神の合せ給ひし者は人これを離すべからず」。(マタイ 19:3-6)このことを話されたのはイエス・キリストです。ここでイエスは聖書巻頭の1,2章を引用されました。―創世 1:27; 2:24。
8,9 イエスは人間の創造と人間の将来についてなぜ権威をもって語ることができましたか。
8 完全な人間として生まれるため天から地上に来られたこのイエス・キリストに向かって,神はかつて創造の六日目に天でこう言われました。「わたしたちにかたどり,わたしたちのかたちにしたがって人間を造り,海の魚と天の飛ぶ生き物,また家畜と全地と地の上を動いているあらゆる動物を彼らに従わせよう」。(創世 1:26,新)したがってイエス・キリストは,アダムとエバの創造,またそのふたりの楽園のすみかについて,権威をもって語ることができました。
9 人間となる前,イエス・キリストは,前述の神のことばに従って,アダムとエバ,およびそのふたりが住む楽園を創造する仕事に神とともに携わりました。そしてイエスは,神がアダムとエバを祝福して次のように言われるのを天で聞きました。「ふえて,多くなって,地を満たし,それを従えなさい。そして海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動いているあらゆる生き物を従わせなさい」。(創世 1:27,28,新)つまり,全地を従わせ,手入れをして楽園とするのです。また,神のかたちに似た,アダムとエバの子孫で地を満たし,魚・鳥・家畜・野生の動物など下等動物を,神々や女神として崇拝するのではなく,そのすべてを従わせるのです。イエス・キリストは前述のことばを直接聞いて,これが神のお目的であることを知っておられました。全能の神がこのお目的を完全に実現なさる時,この地はすばらしい場所となるに違いありません。神はこのことに関するご自分のお考えを少しも変えておられないからです。
人間の創造,および完全性の喪失
10 創世記 2章は人間の創造をどのように説明していますか。
10 聖書巻頭の第2章には神がまずアダムを創造し,その後もなくアダムの妻エバを造り,やがてふたりを結婚させたことがしるされています。その第2章の述べることをカトリック・バルバロ訳から次に引用します。「主なる神が地のちりで人を形づくり,いのちの息をその鼻にふきいれられると,人は生きるものとなった。主なる神は,エデンにおいて,東のほうに一つの園を植え,自分が形づくった人をそこに置かれた」― 創世 2:7,8。
11,12 エバを創造する前に,神はアダムに何を行なわせましたか。どんな戒めをアダムに与えましたか。
11 しかし女エバを創造する前に,神はアダムに,飛ぶ生き物や陸生動物の名前をつけさせました。また,ある1本の木,つまり善悪の知識の木から取って食べることをアダムに禁じました。こうしるされています。
12 「さて,主なる神は人をとってエデンの園に置き,これをたがやさせ,守らせられた。主なる神は人に命じておおせられた。『園のすべての木の実を,自由にたべてもよろしい。だが,善悪の知識の木の実をたべてはいけない,それを食べたら,きっと死なねばならなくなるからである』」― 創世 2:15-17,バ。
13 (イ)人間が死ぬことから考えれば,アダムの従順に関して,どんなことがすぐわかりますか。(ロ)小さな事柄に関する従順についてイエスはなんと言われましたか。
13 ここで,主なる神は,楽園における永遠の命と永遠の死のいずれかを選ぶ機会を,最初の人間の父親の前に置かれました。これですぐ察することができるのは,やがてアダムが,禁じられた実を食べて神の律法を破り,その律法の与え主から死の宣告を受けたのではないかということです。さもなければ,アダムの子孫であるわたしたち人間が死ぬわけがありません。そのとおりです。それにしても,アダムは死の処罰を知っていながら,どうしてその律法を破ったのですか。神がアダムに禁じられたのは小さな事柄でした。しかし小さな事柄だけに,アダムの従順さを徹底的に試みるものでした。アダムが,神から受けた完全さを失って,よこしまな人間になったのは,ごくささいな悪行のためでした。重大な誘惑と試練を受けたにもかかわらず,ご自身の完全さを保たれたイエス・キリストはこう言われました。「小さな事に忠実な人は,大事にも忠実な人であり,小さな事に不忠実な人は,大事にも不忠実である」。(ルカ 16:10,バ)今日の人類に見られる不法行為はすべて,完全な人間アダムの犯した小さな罪に起因するものです。では,なぜアダムは罪を犯しましたか。聖書はその答えを述べています。
14 禁じられた木について尋ねられたエバは,なんと答えましたか,エバに質問をしたのはだれですか。
14 神が創造した女エバを妻として与えられたアダムは,善悪の知識の木から食べてはならないという神の戒めと,戒めを破ってその木から食べるなら,死の処罰を受けるということをエバに教えました。のちに,その禁じられた木について尋ねられたエバは,その質問者にこう答えました。「園のなかにある木の実は自由にたべてもよいが,園のまんなかにある木の実についてだけ,“死なないためには,これをたべても,これに触れてもいけない”と神は言われました」。(創世 3:2,3,バ)さて,禁じられた木について尋ねたのはだれでしたか。外見からすれば,それはへびでした。しかしへびは話をすることができません。したがって,人形を使う腹話術師のように,そのへびをあやつった,目に見えない何者かがその声を発していたに違いありません。それでエバはその質問者が目に見えない霊者であることに気づきませんでした。その霊者は,エバをあざむいて神の戒めを破らせ,罪を犯させようと決意していたのです。ゆえにエバはこう述べました。「へびにだまされて食べてしまいました」。―創世 3:13,バ。
15 エバと話をしたへびは,どのように神を中傷しましたか。ゆえに,最初エバに話をした見えない霊者を「悪魔」と呼ぶのはなぜ適切ですか。
15 こうして最初のうそが語られました。エバに語ったその目に見えない者のことばは,神の警告に反するものだったからです。その者は自らを偽り者としながらも,神がアダムにうそを語ったかのように,また神が偽り者であるかのように見せかけようとしました。こうしるされています。「へびは女に言った,『ちがう,あなたたちは死なない! それを食べると,その目がひらかれて,神のようになり,善と悪とを知るようになると,神は知っているのだ』」。(創世 3:1-5,バ)これが偽りであることは,わたしたちすべてが知っています。わたしたちはみな死ぬべき者であり,死を受けついでいるからです。神は偽り者ではありません。しかしそのへびをあやつったのは,偽り者でした。それはだれでしたか。イエス・キリストは,その者が「悪魔」であることを指摘し,さらにこう言われました。「かれは,はじめから人殺しだった。かれは,真理において固まっていなかった。なぜなら,かれには真理がないからである。かれはうそをつくとき,心底からうそをいう。それは,かれがうそつきで,うその父だからである」。(ヨハネ 8:44,バ)イエス・キリストがその者を悪魔と呼んだのは適切なことでした。英語で「悪魔」とは「中傷する者」という意味で,悪魔は神を中傷したからです。悪魔は残忍にもエバを死の道におとし入れました。
16 (イ)ここでエバはどんな考えをいだきはじめましたか。(ロ)エバは何をしましたか。それから,エバは夫に何をさせましたか。
16 そのうそをそのまま頭に入れたエバは,自分の創造者また父である神に不信をいだきはじめました。禁じられた木は今や,死の災いのように嫌悪すべきものではなく,慕わしいもののように見えはじめました。彼女の心には,禁じられた木の実を得たいという気持ちが高まりました。神を真実とせず,高まる欲望に身をゆだねたエバは,禁じられた実を食べました。こうして神の律法を破り,人間として最初に罪を犯しました。しかしエバは直ちに死ななかったので,悪魔にあやつられたそのへびのことばは,一時,正しいかに見えました。のちに,アダムがやって来て,彼女が生きていることを知ってから,エバは,禁じられた実を差し出して夫に勧め,それを食べさせました。もし食べれば,死の処罰を受ける以外にないことをアダムは知っていました。しかしエバを失って楽園で生きるよりも,エバとともに神の御手から死を受けることを望んだのです。ふたりは直ちに心と思いの平安を失いました。良心の責めを感じたのです。ふたりは心の完全な潔白さを失い,自分たちが汚れた者であることを感じました。また,神との平和をも失ったふたりは,神が目に見えないさまで近づかれる物音に接した時,物陰に逃げて,身を隠しました。―創世 3:6-10。
17 悪魔はどのようにして偽り者とされましたか。アダムとエバはどうなりましたか。
17 神の審問を受けたエバとアダムは,故意に罪を犯したことを認めました。神の許しを願い求める根拠を持たないふたりは,許しを求めませんでした。許しを求めるのは,律法を無視することを神に求めるようなものだからです。悪魔がへびを通して語ったこととは異なり,神はご自身の律法を正しく守り,アダムとエバに死を宣告されました。永遠に生きて死の責め苦を受けるという宣告を与えたのではなく,神は,ご自身の律法の述べること,すなわち死の宣告をふたりに与えられたのです。このことは,ふたりが土のちりに戻って,意識のない状態に帰することを意味しました。もともと,アダムは土のちりから取られたのです。湟槃の教理とは違って,人が意識のない状態に帰することは,当人の功績に対する報いではありません。それは神の律法に対する故意の不従順つまり故意の罪のための罰です。クリスチャン使徒パウロはこうしるしました。「罪の払う報酬は死である。しかし神の恵みは,主イエズス・キリストにおける永遠の命である」― ロマ 6:23,バ。
18 アダムとエバはその行動によって何をしようとしていましたか。そこで神はどんな処置をとられましたか。
18 神はその宣告をどのように執行されましたか。禁じられた,善悪の知識の木から食べたアダムとエバは,物事の善悪を自ら決定するという点で,神のようになろうとしました。したがって聖書の創世記 3章22節から24節(バ)にはこうしるされています。「『見よ,人は,善悪を知り,われわれのひとりのようになったのだ! 人が手をのばして,生命の木の実もとって食べて,いつまでも死をのがれることがないように……』とおおせられ,エデンの園からおいだされた。それは,土からとられた人に,土をたがやさせるためであった。こうして,人をおいだされてから,エデンの園の東のほうにケルビムと,きらめく剣のほのおとを置いて,いのちの木への道を守らせられた」。聖書の記録は,アダムの妻エバが夫とともに追放されたことを示しています。肉体的な完全さの面では罪の影響をあまり受けなかったアダムは,楽園の外で930歳になるまで生き長らえ,多くのむすこや娘の父になりました。(創世 5:1-5)しかし楽園内で従順を守ったなら,アダムは完全なむすこや娘すべての父となり,永遠に生きることができたでしょう。
19 当時,最初の人間夫婦またその子孫にとって,その楽園に戻る道はどのように閉ざされましたか。エデンの楽園はやがてどうなりましたか。
19 以上が楽園を追われたいきさつです。こうして神との平和,人間男女間の平和,鳥や魚を含めた動物と人間とのあいだの平和が失われました。楽園の入口には,神に仕える超人的な創造物,つまり守護のケルビムが,あらゆる方向に自由に回る,炎の剣を持って立っていたため,楽園に戻る道はふさがれました。その後,1,656年間,人間はその楽園に戻り,命の木に近づくことができませんでした。アベル・エノク・ノアなどの敬虔な人々でさえ,そうすることは許されなかったのです。そしてノアの日となり,全地をおおった大洪水のため,その楽園はぬぐい去られました。(ヘブル 11:1-7。創世 6:5–8:22)以来,その楽園は発見できなくなりました。
20 (イ)ノアの洪水ののちになって地上は楽園になりましたか。今日,何がこの地球を脅かしていますか。(ロ)人間はなぜこの地上を楽園にすることができないのですか。
20 今日,世界人口は34億を越え,いわば“人口爆発”と言われる事態を迎えています。しかし4,300年前のその大洪水以来,人間は依然として全地を楽園に変えることができません。それどころか,核・化学・細菌・放射線兵器による新たな世界大戦のために,この地球は破壊と汚染をこうむり,人間の住まない荒涼とした惑星に化するのではないかとさえ懸念されています。現状からすれば,人間がこの地上を最初のエデンの園つまり楽園にすることは不可能です。さまざまな事実がこのことを示しています。なぜですか。なぜなら,人間は楽園の創造者であられる神との平和を失ったからです。人間はもはや,身心の完全さ・良心の完全な清さ・完全な道徳心を持っていると唱えることはできません。聖書が述べるとおり,人間は罪深い存在以外の何物でもありません。そのゆえにこそ,人間は神からの有罪の宣告下にあり,死に服しているのです。
楽園の平和に戻る道を備える
21,22 アダムとエバの不従順は,この地を楽園にするという神のお目的を永遠に妨げるものですか。この点をどのようにして知ることができますか。
21 では,もはや望みがありませんか。楽園の平和に戻る道を見いだすのは不可能ですか。人間の努力だけでは不可能です。しかし神によるのであれば,可能です。創造の日の初日に,「光あれ」と言われた時,神は,この地全体が楽園となることをもくろまれました。創造の第6日の終わりに,神は,創造されてまもないアダムとエバに,それがご自身の目的であることを知らせ,その実現を図るための務めをふたりに課されました。(創世 1:3,28)エバとアダムが罪を犯したため,楽園が地の果てにまで及ぶことは妨げられました。しかし全能の神は,へびをあやつった悪魔のために,ご自身の愛ある目的を放棄されるかたではありません。神はご自身の目的に忠実であられます。罪深いアダムとエバをエデンの楽園から追放する前に,神はこのことをそのふたりと悪魔に知らせ,かつ,人間が再び楽園に住むようになることを示されました。神はこのことをどのように示されましたか。悪魔に向かって言われたことばによってです。文語聖書にはこうしるされています。
22 「エホバ神 へびに言たまひけるは汝これをなしたるによりて汝はすべての家畜と野のすべてのけものよりもまさりてのろはる汝ははらばひて一生の間ちりを食ふべし また我なんぢと婦の間および汝のすえと婦のすえの間にうらみをおかん 彼は汝のかしらを砕き汝は彼のくびすを砕かん」― 創世 3:14,15。
23 (イ)創世記 3章14,15節にしるされている象徴的なへびと象徴的な女はだれですか。(ロ)へびの頭を砕くとは,人類にとって結局なにを意味していますか。
23 そのへびをのろった神は,実際には,へびをあやつった悪魔をのろわれたのです。そしてへびは悪魔を象徴するものとなりました。(黙示 12:9; 20:2)悪魔の象徴となった実際のへびが卑しめられたのであれば,悪魔も卑しめられねばなりません。それで,神は悪魔を「古き蛇」と呼んで,その者が卑しめられたことを示されました。したがって,へびのすえ,あるいは子孫は,悪魔のすえ,もしくは子孫を象徴するものとなりました。女のすえ,もしくは子孫は,神の象徴的な「女」,すなわち霊者で構成される神聖かつ忠実な天の組織のすえ,もしくは子孫を表わします。女のすえが,へびの頭を砕くとは,悪魔の頭を砕くこと,すなわち悪魔の死と滅びを意味しました。しかしそれは,悪魔すなわち「古き蛇」を罰するだけでなく,そのよこしまなわざを一掃することをも意味しました。またそれには,人間を地上の楽園に再び住まわせることも含まれていました。
24 『へび』およびそのすえと戦う神の『女』のすえにはどんな祝福が与えられることになっていましたか。神の『女』のすえを見分ける手がかりはどこにありますか。
24 くびすを砕くことも,意味のないことではありません。くびすを砕かれることによって,女のすえは報いを受けることになっていました。へびと女,また,へびのすえと女のすえとの間に置かれた敵意から生ずる戦いにおいて,女のすえはエホバ神の側に立って戦い抜くからです。くびすを砕かれる女のすえは,エホバの御心を成し遂げ,大いなるへびの頭を砕いて,神の主要な敵対者を滅ぼすという名誉と栄光をもって報われることになっていました。今や神の『女』のすえが,大いなるへびの頭を砕いて,とこしえの栄光を受ける時は目前に迫っています。今生きている人々は,その時,人間の主要な敵すなわち悪魔から人類を解放するその偉業のゆえに,輝かしい女のすえに感謝することでしょう。それにしても,この神の『女』のすえとはだれですか。歴史はそのすえがだれかを明らかにしています。そしてその明確な歴史は,人類のための楽園の,きたるべき再興を告げる偉大な本,すなわち聖書にしるされています。では,問題を明らかにする手がかりを簡単にたどってみましょう。
25,26 セムから始まって,神の『女』のすえに至る歴史の流れのあらましを述べてください。
25 世の一般の歴史家からこの問題の資料を得ることはできません。一般の歴史は,ほんとうに重要な歴史上の事実をたいてい見過ごしたり,見落としたり,また省いたりしています。しかし聖書をひもとけば,ノアのむすこセムが特に選び出されていることがわかります。セムを祝福したノアはこう言いました。「セムの神エホバはほむべきかな カナン彼のしもべとなるべし 神ヤペテを大ならしめたまはん 彼はセムの天幕にすまはん」。(創世 9:24-27)さて,セムののち9代を経ると,メソポタミヤの地に住んだ,セムの子孫アブラム(またはアブラハム)に至ります。セムの神エホバはアブラハムに現われて,次のように言われました。「汝の国をいで汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さんその地に至れ 我なんぢを大なる国民となし汝をめぐみ汝の名を大ならしめん汝は祉福の基となるべし 我は汝を祝する者を祝し汝をのろふ者をのろはん 天下のもろもろのやから汝によりてさいはひをえん」。(創世 12:1-3)アブラハムは神に従い,神の祝福を得ました。
26 アブラハムは地のすべての家族にとって祝福となりましたが,それは,彼の最初のむすこイシマエルを通してではなく,2番目のむすこイサクを通してでした。神のご命令に従って,愛するむすこイサクを犠牲にするほどエホバ神に従順であることを示したアブラハムに対し,神は,犠牲を供える祭壇のそばでこう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し,またあなたのすえを天の星のように,砂浜の砂粒のようにふやすであろう。そしてあなたのすえはその敵の門を取るであろう。またあなたのすえによって地のすべての国の民は自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」。(創世 22:15-18,新)この神の約束は,神の『女』のすえが,地のすべての国の民を祝福するアブラハムのすえと同一であることを示しています。
27,28 (イ)そのすえに達するこの家系はイサクののち,だれを通して続いてゆきますか。(ロ)次に,イスラエルの12人のむすこに対する祝福について聖書の記録は何を示していますか。
27 エホバ神は,アブラハムのむすこイサクを祝福することを再三約束されました。しかしイサクにはふたごのむすこエサウとヤコブがありました。2番目のむすこヤコブを選んだ神はヤコブを祝福することを繰り返し約束されました。神はまた,ヤコブをイスラエルと改名させました。今日のイスラエル民族はヤコブすなわちイスラエルの子孫です。しかし今日,地上のすべての国の民は,ヤコブすなわちイスラエルのそれら肉身の子孫によって自らを祝福したいとは決して考えていません。なぜですか。聖書にしるされている歴史はその理由を明らかにしています。聖書の記録によれば,ヤコブには12人のむすこがあり,彼らはのちに,一家族から生じた国民であるイスラエルの12部族の族長になりました。大いなるへびの頭を砕いて,地上のすべての国の民を等しく祝福する,神の『女』のすえは,それら12人のむすこのうちのだれを通して到来するのですか。エジプトの地で臨終の床にあったヤコブは,それがだれを通してであるかを示しました。預言的な祝福のことばを12人のむすこすべてに与えたヤコブは,4番目のむすこユダにこう言いました。
28 「ユダよ汝は兄弟のほむる者なり……ユダは獅子の子のごとし……杖ユダを離れず 法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロのきたる時にまでおよばん 彼にもろもろの民したがふべし」。
29 神の『女』のすえに関してどんな事実が得られますか。
29 創世記 49章8節から10節にしるされて,わたしたちのために保存されたこのことばによれば,大いなるへびを砕き,従順な人々すべてを祝福する者は,ユダヤ人でなければならないということが確かになりました。その者は王の杖を用いるのです。また,正統な命令者のつえはその足の間に据えられる,あるいはそのひざに立てかけられることになりました。「シロ」という名前または称号はその者に属するのです。この称号は「それを所有する者」という意味を持っています。その者は,エホバ神の任命する統治者であり,アブラハムのすえによる祝福を求める人々すべての服従を要求する権利を持つことになりました。
30 ユダの子孫であるダビデとソロモンは,神の『女』のすえになる資格を持ちませんでした。どうしてそう言えますか。
30 それから641年の後,すなわち紀元前1070年,族長ユダの子孫のひとり,すなわちベツレヘムの町のエッサイの子ダビデがこの国の王になりました。エルサレムで王として治めたダビデは,イスラエル12部族すべての服従を求めました。彼は,神がアブラハムに与えると約束した,中東の土地すべてを平定したため,征服されたそれらの土地の人々はダビデ王に従わざるを得なくなりました。しかしダビデも,また王位相続者であるその子ソロモンも,全地の人々に服従を要求することはできませんでした。世界の統治権は,ダビデの王統の子孫のひとりに与えられることになりました。神はその者に永遠の御国をゆだねられるのです。神はダビデ王と契約を結んで,このことを示されました。(サムエル後 7:4-17)ダビデの子ソロモンの平和な治世の下で,イスラエルの地の大半は,エデンの楽園に近い状態となりました。―列王上 4:20-25。
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人間の創造者は,人間家族の生活を平和な楽園のすみかで始めさせた