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ローマものみの塔出版物索引 1951-1985
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10:9 塔84 8/15 9; 塔84 9/1 15; 塔81 11/1 31; 塔80 8/1 12; 塔79 2/1 15; 塔78 9/1 26; 人 163; 塔76 543; 塔74 94,209,211; 塔73 25,118-121; 目63 1/8 26; 目62 11/8 7; 塔61 309; 塔60 332; 塔54 33-34
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ローマ 注釈 10章新世界訳聖書 (スタディー版)
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イエスは主である: イエスが地上にいた時,弟子でない人たちもイエスを「主」と呼んだ。この語を敬意や礼儀を表す称号として使っていた。サマリア人の女性がイエスを「旦那さま」と呼んだのも敬意の表れだった。聖書筆者が使ったギリシャ語(キュリオス)には広い意味があり,文脈によって「旦那さま」,「ご主人さま」,「主」と訳せる。(マタ 8:2。ヨハ 4:11)しかしイエスの言葉から分かるように,弟子たち(学ぶ人たち)はイエスを主と呼ぶことでイエスを自分の主人あるいは主と認めていることを示した。(ヨハ 13:13,16)特にイエスが死んで復活し,天での高い立場に就いた後,主という称号はより大きな意味を持つようになった。イエスは犠牲の死によって弟子たちを買い取ることにより,彼らの所有者(コ一 7:23。ペ二 2:1。ユダ 4。啓 5:9,10)また王(コロ 1:13。テモ一 6:14-16。啓 19:16)になった。イエスを主と認めることは,単にその称号で呼ぶ以上のことを意味する。真のクリスチャンはイエスの立場を認め,イエスに従わなければならない。(マタ 7:21。フィリ 2:9-11)
主: ここで使われているギリシャ語キュリオス(主)は,聖書で普通,名詞として使われている。厳密に言えば,この語は力(キュロス)や権威があることを意味する形容詞。パウロのテトスへの手紙とヨハネの手紙を除くギリシャ語聖書の各書で使われている。神によって創造された子また奉仕者であるイエス・キリストが,父また神である方(ヨハ 20:17)を,勝った力と権威を持つ方や頭として「主」(キュリオス)と呼ぶのは正しいこと。(マタ 11:25。コ一 11:3)しかし,聖書の原語で「主」という称号が使われているのは,エホバ神だけではない。イエス・キリスト(マタ 7:21。ロマ 1:4,7),ヨハネが幻で見た天の長老の1人(啓 7:13,14),天使たち(ダニ 12:8),人間(使徒 16:16,19,30,そこでは「主人たち」や「先生方」と訳されている),偽りの神々(コ一 8:5)を指しても使われている。「イエスは主である」というフレーズは,イエスが父エホバと同じ者であることを意味していると主張する人もいる。しかし,文脈に「神はイエスを生き返らせた」とあるので,そうでないことは明らか。イエスの主としての権威は,父から与えられたものだった。(マタ 28:18。ヨハ 3:35; 5:19,30)この節のイエスは主であるに関する注釈を参照。
人々に伝え: または,「人々に表明し」。ギリシャ語ホモロゲオーを「告白し」と訳している聖書もある。多くの辞典は,この語を「人前で告げる(認める)」と定義している。10節でも同じ動詞が使われている。パウロが説明しているように,クリスチャンは心の中で信仰を持つだけでは十分でない。救いを得るには,その信仰を人々に表明しなければならない。(詩 40:9,10; 96:2,3,10; 150:6。ロマ 15:9)そのように人々に表明するのは,バプテスマの時の1度だけではない。仲間と集まる時や信者でない人に救いの良い知らせを広める時にも,引き続きそうする。(ヘブ 10:23-25; 13:15)
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