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最も偉大な政府の「鍵」を用いるものみの塔 1980 | 1月1日
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最も偉大な政府の「鍵」を用いる
「わたしはあなたに天の王国の鍵を与えます。なんでもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」― マタイ 16:19。
1,2 (イ)古代ローマ神話によると,天の門番の総元締めはだれでしたか。(ロ)歴史の上から見て,鍵を持つ者としてのイエス・キリストについては,どのように言うことができますか。
天には門番や守衛がいるでしょうか。古代ローマ神話の神々の中の神ヤヌスは,天と地の門番の総元締めでした。ヤヌスの神殿は,今でもクリア礼拝場に近いローマ公共広場の北側に建っていますが,ヤヌスの崇拝はもう行なわれていません。では現在,天において真に「神の神」たるエホバの右で栄光を受けておられる歴史上の人物,イエス・キリストについてはどうですか。(申命 10:17,新)栄光を受けたこのイエスは,西暦96年ごろ,小アジアのフィラデルフィア会衆に送る一通の手紙を口授されたとき,使徒ヨハネに次のように言われました。
2 「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実なる者,ダビデの鍵を持つ者,開けてだれも閉じぬようにし,閉じてだれも開けぬようにする者がこう言う。『わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしのことばを守って,わたしの名に不実な者とはならなかった』」― 啓示 3:7,8。
3 (イ)イエス・キリストはダビデとどんな関係にありますか。(ロ)なぜエホバは,イエス・キリストに「ダビデの鍵」を与えたのですか。イエス・キリストはどのようにその鍵を用いますか。
3 イエス・キリストは,エルサレムを治めた最初のユダヤ人の王であるダビデから数えて,この有名な王の家系の43代目にあたります。イエス・キリストをもってこの王統は終わりを告げます。イエス・キリストはダビデの王国の永久相続者となられたからです。(ルカ 3:23-31)そういうわけでエホバ神は栄光を受けたみ子に「ダビデの鍵」をお与えになりました。ダビデの王国は予型的な神権政府であり,予型的な神の王国でした。(歴代上 29:23。歴代下 13:5,8)ダビデの子孫で栄光を受けたイエス・キリストの手によって,この王国は現実の,対型的な神の王国となります。「ダビデの鍵」の正当な保持者として,イエス・キリストは地上の人々に神の王国に関連した特権や機会の戸を開いたり,閉ざしたりされます。
4,5 カエサレア・フィリピ地方で,イエス・キリストは,忠実なペテロにどんな特権を与える,と言われましたか。
4 イエスはかつてご自分の忠実な使徒シモン・ペテロに奉仕の特権の戸を開こうとされた際,次のように述べられました。「あなたはペテロ[ギリシャ語ではペトロス,ラテン語ではペテルス]であり,この岩塊の上に[ギリシャ語ではタウテーイ テーイ ペトラーイ,ラテン語ではハンク ペトラム]わたしは自分の会衆を建てます。ハデスの門はそれに打ち勝たないでしょう。わたしはあなたに天の王国の鍵を与えます。なんでもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」― マタイ 16:18,19。
5 イエスが歴史に残るこれらの言葉を語られたのは,西暦32年の過ぎ越しの少し後,ヨルダン川の源流に近いカエサレア・フィリピ地方でのことでした。―マタイ 16:13-17。
いつ与えられ,いつ用いられたか
6 これらの「天の王国の鍵」とはどんなものですか。そしてその鍵は何を表わしますか。
6 「ダビデの鍵」と同じく,「天の王国の鍵」も地上で用いる文字通りの有形の鍵ではありませんでした。それらは霊的な鍵でした。つまり,天の王国に関連した情報や教えを与える計画や個人的にそれを行なう計画に着手する,もしくは道を開くための特権や栄誉,任命,権威などのことをさしています。天の王国を第一にすることを選んだ人々は,神がそのとき天の王国の相続者であるイエス・キリストを通して得られるようにしてくださった備えを,これによって活用することができました。こうして人々は,以前には閉ざされていた所へ入りました。
7 それより前,エルサレムで,イエスは神の天の王国に入るために不可欠とされる基本的な必要条件につき,ニコデモに何を明らかにされましたか。
7 それより2年前にイエスはエルサレムで,神の天の王国への入国許可を得るために信者が満たしていなければならないある基本的な必要条件を,ユダヤ人の一支配者でパリサイ派のニコデモという人に明らかにし,「きわめて真実にあなたがたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」,と述べられました。一体どういうことでしょう。自分の人間の母親から『再び生まれる』のですか。いいえ,そうではありません。イエスはニコデモに言われました。「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。肉から生まれたものは肉であり,霊から生まれたものは霊です」― ヨハネ 3:1-6。
8 まだバプテスマを受けず,霊によって生み出されていないクリスチャンがこのような「鍵」を所有し使用することは道理に合ったことですか。この点でどんな実例がありますか。
8 では,まだ「水と霊から生まれ」ていない人,いまだにバプテスマを受けておらず,霊によって生み出されたクリスチャンではない人が,神の天の王国への道を人々に開く「鍵」を所持し使用することは可能だったでしょうか。それは筋の通ったことではありません。このようなわけで,ヨハネはイエスにバプテスマを施し,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」という宣明の口火を切った人物ではありましたが,「天の王国の鍵」は与えられませんでした。―マタイ 3:1,2。
9 ペテロが第一の「鍵」を与えられた時に,霊によって生み出されていたかどうかは,どうすればわかりますか。使徒 8章27,28節に述べられている割礼を受けたエチオピアの改宗者の場合はどうですか。
9 そうすると,イエス・キリストが使徒ペテロに第一の「鍵」を用いるよう渡された時,ペテロは霊によって生み出されていたのですか。その通りです。西暦33年のペンテコステの日に,エホバ神は栄光を受けたイエスを用いて,エルサレムのとある二階の部屋で待っていたペテロを含む約120人の弟子たちに聖霊でバプテスマを施されました。ペテロはこうして神の聖霊によって生みだされた後,まず立ち上がって,ヨエル書 2章28,29節の預言が成就し始めた様子を目撃したユダヤ人と割礼を受けた改宗者3,000人に話をします。そのペンテコステの日にエルサレムに住んでいた「敬虔な人びと」の中に,使徒 8章27,28節に述べられている割礼を受けたエチオピア人の改宗者はいたかもしれませんが,神殿を離れてペテロの話を聞きには行きませんでした。(使徒 2:1-12)しかしこのエチオピア人には後日機会が開けます。
10 いつ,どのように,ペテロは第一の「鍵」を用いましたか。
10 そこにいた幾千人もの人々に対し,ペテロは彼らが52日前にイエスを杭につけて宗教的共同体としての罪を犯したことを率直に話します。すると良心の呵責を感じたこれら「敬虔な人びと」は,「皆さん,兄弟たち,わたしたちはどうしたらよいのですか」と質問します。ペテロは答えます。「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう。この約束はあなたがたとあなたがたの子どもたち,また遠く離れたすべての人,わたしたちの神エホバがそのもとに召される人すべてに対するものなのです」。ペテロは語りつづけます。こう記されています。「そして彼は他の多くのことばで徹底的な証しをし,しきりに説き勧めて彼らに言った,『この曲がった世代から救われなさい』」。(使徒 2:14-40)こうして霊によって生み出されたペテロは第一の「鍵」を使いました。
11 ペテロの話を聞いた幾千人もの人々は,どのように「再び生まれ」ましたか。つまりどのように「水と霊から生まれ」ましたか。
11 これら生来のユダヤ人たちのうち,エホバ神からヨエル 2章28,29節の約束を与えられた者の子孫として,今開かれたこのはいり道へ足を踏み入れた者がいたでしょうか。使徒 2章41,42節はその答えを与えています。「その結果,彼のことば[ペテロのことば]を心から受け入れた者たちはバプテスマを受け,その日におよそ三千の魂が加えられた。そして,彼らは使徒たちの教えと,互いに分かち合うこと,食事を取ることと祈りとにその後も専念した」。イエス・キリストの名による水のバプテスマを受け,そのあと聖霊の無償の賜物を与えられたことによって,彼らは「再び生まれ」,「水と霊から生まれ」ました。―ヨハネ 3:3,5。
第二の鍵はだれのために使われたか
12,13 (イ)ペテロが使う必要のあった鍵が一つだけだったとしたら,どんなことになりますか。(ロ)しかしこの点につきイエスは,ご自分が昇天する直前に弟子たちに何と言われましたか。
12 ペテロに約束されたのは一つの鍵ではなく,「天の王国の鍵(複数形)」でした。ですから鍵は少なくとも二つはあります。では第二の鍵はいつペテロに与えられたのでしょうか。そしてだれのために用いる鍵だったのでしょうか。もしペテロの必要としていた鍵が一つだけであるとすれば,霊によって生み出された完全な会衆として,イエスが,岩塊であるご自分の上に建てられる14万4,000人は,生来のユダヤ人と,割礼を受けてユダヤ教に改宗した人々だけによって構成されることになります。(マタイ 16:18。啓示 7:4-8; 14:1-3)しかし天的な救いは,ペテロがペンテコステの日に鍵を用いたとき入ることを許された人々だけに限られていましたか。イエスは,復活後40日目に昇天される直前に,何を言われましたか。その日イエスは,エルサレムに近いところで,弟子たちに次のことを話されました。
13 「こう書いてあります。すなわち,キリストは苦しみを受け,三日めに死人の中からよみがえり,その名によって罪のゆるしのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる ― エルサレムから始めて,あなたがたはこれらの事の証人となるのです。そして,見よ,わたしはあなたがたの上に,[ヨエル 2:28,29で]わたしの父から約束されているものを送ります。でもあなたがたは,高い所からの力を与えられるまでは,市内に滞在していなさい」― ルカ 24:46-49。
14,15 使徒 1章8節によれば,「あらゆる国民」に悔い改めを広く宣べ伝えることに関し,イエスはどんな区別を設けられましたか。
14 一方イエスは,使徒 1章8節の中で,ご自分の名に基づく悔い改めを宣べ伝える業がどのように「あらゆる国民」へ徐々に拡大してゆくかについて,さらに詳しく,次のように話されました。「しかし,聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。
15 ここでイエスは「ユダヤ全土」とサマリアを区別しています。この点について言えば,イエスは,地上での宣教期間中ずっと,割礼を受けた生来のユダヤ人と割礼を受けたサマリア人とを区別して考えておられたのです。
16 イエスがガリラヤへ戻る途中で,サマリアの町スカルの住民のところに二日間滞在されたいきさつを述べてください。
16 イエスは,公の宣教活動を始めた最初の年である西暦30年の過ぎ越しの後に,ユダヤからガリラヤに向かう途中でサマリアを通らなければなりませんでした。その時のことについて,「ユダヤ人はサマリア人と交渉を持たない」という説明が加えられています。(ヨハネ 4:9)ところがイエスは,スカルの町に近いヤコブの泉のところで,わざわざサマリア人の女に話しかけられます。この女は事実上,イエスがご自分のことをメシアつまりキリストであると明かされた最初の者となりました。それはこの女がユダヤ人ではなかったからでしょうか。(マタイ 16:20)そのうえ,イエスと使徒たちは,スカルに住むサマリア人たちの勧めに応じて,そこに二日間滞在し,サマリア人たちに話をしました。その中の大勢の者は信じるようになり,自分たちに証言してくれたその女に向かってこう言いました。「わたしたちはもう,あなたの話で信じているのではない。自分で聞いたのであり,この人こそ確かに世の救い主だとわかるのだ」― ヨハネ 4:39-43。
17 イエスはこれら信者になったサマリア人と水のバプテスマに対してどんな立場をとられましたか。
17 ところが,サマリア人の中にイエスに対する信仰を抱いた者たちがいたにもかかわらず,イエスはこのことがあった後も,ユダヤ人とサマリア人を区別しておられます。イエスは信仰を抱いたサマリア人のだれかに対して,ヨハネの名による水のバプテスマを受けるよう求められたことがあるでしょうか。そのようなことはありませんでした。それには意味がありました。イエスがサマリアのスカルを訪れる直前のことが次のように記されているからです。「さて,イエスがヨハネよりたくさんの弟子を作ってバプテスマを施していることがパリサイ人たちの耳にはいったが,そのことにお気づきになった時 ― だが実際のところ,イエスご自身はバプテスマを施さず,その弟子たちが施していたのであるが ― 主はユダヤを去って再びガリラヤに向かわれた。しかし,サマリアを通って行かねばならなかった。その結果,ヤコブがその子ヨセフに与えた野に近い,スカルと呼ばれるサマリアの都市に来られた。事実,ヤコブの泉がそこにあった」― ヨハネ 4:1-6。
18 二年後,イエスがエルサレムへ行く途中でサマリアを通った時,サマリアの村人たちはどんな態度を示しましたか。
18 二年後,物事はイエスに有利に運んだでしょうか。イエスと弟子たちは,エルサレムで行なわれるユダヤ人の仮小屋の祭りに出席するため,今度は逆の方向へ旅をしていました。聖書には,それからイエスの使者は「出かけて行ってサマリア人の村に入った。彼のために準備をしようとしてであった。しかし人びとは彼を迎えなかった。その顔が[どこへ?]エルサレムへ行くことに向けられていたからであった。これを見て,弟子のヤコブとヨハネは言った。『主よ,天から下って彼らを滅ぼしつくすようわたしたちが火に命ずることをお望みですか』。しかしイエスはふり向いて彼らをおしかりになった。そこで彼らは別の村に行った」と述べられています。(ルカ 9:51-56)もしイエスがヤコブとヨハネの気性の激しさに屈してしまっていたとしたら,サマリア人はキリスト教に対して偏見を抱いてしまったことでしょう。
19 (イ)イエスが十二使徒を二人ずつ派遣した時,イエスはサマリアに関し,どんな指示をお与えになりましたか。(ロ)ヨハネ 8章47,48節によれば,ユダヤ人たちは一般に,サマリア人についてどんな見方をしていましたか。
19 その一年前,西暦32年の過ぎ越しの前にイエスが使徒たちを二人ずつ宣べ伝える業をさせるべく送り出した時でさえ,イエスは使徒たちに言われました。「諸国民の道に行ってはならず,またサマリア人の都市に入ってはなりません。そうではなく,いつもイスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」。(マタイ 10:5-7。ルカ 9:1-6)西暦32年の仮小屋の祭りから何か月かたって,イエスは70人の福音宣明者を遣わし,十二使徒に与えたのと同じ指示をお与えになりました。これらの弟子たちが神の王国を宣べ伝えたのは,サマリアにあった村や町ではなく,ユダヤの村や町だったようです。(ルカ 10:1-24)彼らはサマリア人の土地を訪れたとは報告していません。弟子たちは「イスラエルの家の失われた羊のところ」に行きました。なぜでしょうか。なぜなら,これらの福音宣明者には,使徒たちの持っていた以上の権威は与えられていなかったからです。ユダヤ人のサマリア人に対する一般的な態度は,イエスが不信仰なユダヤ人たちに,あなたがたは神からの者ではないと言ったとき,ユダヤ人たちが「あなたはサマリア人で,悪霊につかれている」と応酬した言葉に表われています。―ヨハネ 8:47,48。
20 ペテロはペンテコステの時,エルサレムで第一の「王国の鍵」を用いましたが,なぜサマリア人はこのことから何も益を得なかったのですか。それでどんな質問が生じますか。
20 イエスがサマリアの女に,「あなたがたは自分の知らないものを崇拝しています。わたしたちは自分の知っているものを崇拝しています。救いはユダヤ人から起こるからです」と話されたときにも,イエスはサマリア人とユダヤ人とを区別しておられます。(ヨハネ 4:22)イエスはサマリア人を「他国の人」,字義通りには「他民族の人」として類別されました。(ルカ 17:16-18。王国行間訳の逐語訳をご覧ください)a ゲリジム山で崇拝していたサマリア人は,西暦33年にエルサレムで行なわれたペンテコステには参加しませんでした。ですから,ペテロが「天の王国」の第一の「鍵」を用いたことからは益を受けませんでした。(使徒 2:5-11)では,使徒 1章8節にある,イエスが予告された業にあずかれるようエルサレムで聖霊を注がれたあと,十二使徒はいつサマリアに注意を向けたのでしょうか。
21 福音宣明者フィリポはどんないきさつからサマリアに行きましたか。フィリポがいたことによって大きな喜びが生じたのはなぜですか。
21 ペンテコステ以後,エルサレムのクリスチャン会衆には,さまざまな事が起きました。ステファノの殉教に次いで起こった迫害で,同会衆の成員は十二使徒を除いて全員が散らされました。(使徒 8:1-5)ステファノと一緒に働いたフィリポや他のユダヤ人のクリスチャンたちは,十二使徒の命令や指示があったからではなく,迫害が起こったために,北方のサマリア地区に逃れました。(使徒 6:1-6; 21:8)神の霊によって奇跡を行なう賜物を授けられていたフィリポは,その地で,復活して栄光を受けたイエス・キリストについての良いたよりを宣べ伝え,いやしという形で,数多くの奇跡のしるしを行ないました。「こうしてその都市には非常な喜びが生じ」ました。―使徒 8:8。
22 フィリポの手によって大勢のサマリア人の男女がバプテスマを受けたことから,どんな質問が生じますか。
22 それはどんな結果をもたらしましたか。「神の王国とイエス・キリストの名についての良いたよりを宣明していたフィリポのことばを信じた時,彼らはついで,男も女もバプテスマを受け」ました。その中には,「それまで魔術を行なってサマリア国民を驚嘆させ」ていたシモンという名の魔術師も含まれていました。(使徒 8:9,12,13)ここで生ずる疑問は,これら信仰を持ったサマリア人は「水と霊から」生まれたのだろうか,ということです。では,ここにバプテスマの水は登場していますが,霊についてはどうでしょうか。サマリア人が水のバプテスマを受けてから霊によって生み出されたのなら,サマリア人というこの新しい集団に,「天の王国」に入る道を開いたのはフィリポだったことになります。フィリポは十二使徒の一人ではなかったにもかかわらず本当にこのようなことを行なったのでしょうか。霊感による記録は何を示していますか。
23 イエスの名によるバプテスマを希望したサマリア人たちに,フィリポが聖霊についての約束をしたという記録がどこにも見当たらないのはなぜですか。
23 イエスは使徒たちに向かって,「なんでもあなたがたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたがたが地上で解くものは,天において解かれたものです」と言われましたが,フィリポはその使徒の一人ではありませんでした。(マタイ 18:18; 16:19; 10:2-4。ヨハネ 1:43-48)ですから,フィリポが水のバプテスマに関連して聖霊の賜物をサマリア人に約束したという記録はどこにも残されていません。ペンテコステの日に,「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」と,ユダヤ人に語ったペテロのような権威は,フィリポにはありませんでした。―使徒 2:38。
24 (イ)サマリア人たちは,割礼を受け,モーセ五書に示されている祭りを守り行なうことによって,モーセの律法契約の中に入れられましたか。(ロ)イエスの名によるバプテスマを受けた後,彼らはただちに「水と霊から」生まれましたか。
24 サマリア人はモーセ五書を神の言葉とみなし,サマリア地区のゲリジム山で過ぎ越しやペンテコステの祭りを守り行なっていましたが,シナイ山でモーセがイスラエル人のために仲介をつとめて結ばれた律法契約の下にはありませんでした。(列王下 17:29,30。ヨハネ 4:19,20)そのため,サマリア人の肉の割礼それ自体は,彼らをユダヤ教への改宗者とはしませんでした。サマリア人はイエスの磔刑に関与しませんでしたから,悔い改めるべきそのような重罪を許されるために,水のバプテスマを受ける必要はなかったのです。しかしサマリア人は,メシア(キリスト)及び「世の救い主」としてのイエス・キリストの名において,フィリポの手によるバプテスマを受けました。(ヨハネ 4:25,26,28,29,42)そのために,彼らは「水と霊から生まれ」たと言えるでしょうか。いいえ言えません。彼らはその時聖霊を受けなかったからです。
25 バプテスマを受けたサマリア人が,まだ水と霊から生まれていなかった理由を,使徒 8章14-17節はどのように示していますか。
25 それはなぜでしたか。使徒 8章14-17節には次のように記されています。「サマリアが神のことばを受け入れたことを聞くと,エルサレムにいる使徒たちはペテロとヨハネを彼らのもとに派遣した。それでふたりは下って行き,彼らが聖霊を受けるようにと祈った。それは彼らのうちのだれにもまだ下っておらず,彼らはただ主イエスの名においてバプテスマを受けていただけだったからである。それからふたり[使徒としてのペテロとヨハネ]が彼らの上に手を置いてゆくと,彼ら[バプテスマを受けたサマリア人]は聖霊を受けるようになった」。これは単に奇跡的な,霊的な賜物を受けたと言うだけのことではありません。
26 このようにバプテスマを受けたサマリア人にはどんな特権を得る資格が備えられましたか。ペテロはヨハネのいるところで,どんなものを用いましたか。
26 この時に初めて,バプテスマを受けたサマリア人は水から,そして霊から「生まれ」,神の天の王国に入る資格を備えました。(ヨハネ 3:5)この場合の霊の働きは,のちほどの使徒 10章44-46節,および11章15-17節に記述されている働きに似ていました。そういうわけで,使徒ペテロは第二の「天の王国の鍵」を,信仰を持ち,バプテスマを受けたサマリア人のために用いました。そのとき,使徒ヨハネがペテロに同行していたのは確かですが,その前のペンテコステの日には,他の11人の使徒たちが鍵の所有者ペテロと共にいました。―マタイ 18:1,18もご覧ください。
27 元魔術師のシモンについてペテロが指導的立場にある者として行動したことは,使徒 8章18-23節にどのように示されていますか。
27 ペテロが優先権を持っていたことは,使徒 8章18-23節の次の記述からわかります。「さて,使徒たちが手を置くことによって霊が与えられるのを見た時,シモン[魔術師]は彼らに金を差し出して,こう言った。『わたしにもその権威を与えて,だれでもわたしが手を置く者が聖霊を受けられるようにしてください』。しかしペテロは彼に言った,『あなたの銀はあなたとともに滅びてしまうように。あなたは神の無償の賜物を金銭によって手に入れようなどと考えたからです。この事においてあなたにはあずかる分も割り当てられる分もありません。あなたの心は神から見てまっすぐではないからです。それゆえ,あなたのこの悪を悔い改め,もし可能ならあなたの心の企てがゆるされるようにとエホバに祈願をしなさい。わたしは,あなたが有毒な胆汁,また不義のほだしであるのがわかるのです』」。この場合にペテロは,キリストの第一の代理として指導的立場にあったことがこの記録からわかります。王国の鍵を委ねられた者として,ペテロは語りました。
28 その時,王国への道は,ほかのだれに開かれましたか。霊によって生み出されたサマリア人たちは,どこで崇拝を始めましたか。
28 その時以来,サマリア地方のほかの人々にも同様の機会が開けました。ですから使徒 8章25節には,「こうして,徹底的に証しをしてエホバのことばを語ってから,彼ら[ペテロとヨハネ]はエルサレムに引き返したが,サマリア人の多くの村に良いたよりを宣明していった」と述べられているのです。今やバプテスマを受け,霊によって生み出されたサマリア人たちは,ゲリジム山やエルサレムではなく,その偉大な霊的な神殿で,天の父エホバを崇拝するようになりました。―ヨハネ 4:21。b
29 サウロがキリスト教に改宗した後,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの,霊によって生み出された会衆はどうなりましたか。フィリポはどこに落ち着きましたか。
29 フィリポや他のユダヤ人のクリスチャンがサマリアに逃亡することを余儀なくされたのは,タルソスのサウロというパリサイ人の扇動による迫害が原因でした。しかしサウロ自身がキリスト教に改宗した後,パレスチナの会衆の事情は一変します。使徒 9章31節にはこのように記述されています。「こうして,会衆は実に,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り,しだいに築き上げられていった。そして,エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増していったのである」。一方フィリポは,カエサレアという海港都市に落ち着きました。そこは,ユダヤ州を治めるローマの知事の本部施設があり,イタリア隊の兵士が駐屯していたところでした。―使徒 8:40; 21:8; 10:1; 23:23-35。
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「王国の鍵」と「大群衆」ものみの塔 1980 | 1月1日
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「王国の鍵」と「大群衆」
1 フィリポが最後にはカエサレアに移ったことを考えると,西暦36年のフィリポについて,どんな疑問が生じますか。
西暦36年のこと,地中海東岸のカエサレアで,キリスト教史上特筆すべき事件が起きました。福音宣明者フィリポがその年までにそこに定住していたかどうかは定かではありません。もし定住していたとすれば,当時カエサレアに駐屯していたイタリア隊の兵士の一士官に関連した事柄で,フィリポが用いられなかったのはなぜでしょうか。サマリアにおけるクリスチャンの活動の面では,フィリポは使徒ペテロに先んじていました。それなのに西暦36年のカエサレアに姿を現わしていないのはなぜですか。霊感によって書かれた聖書はその答えを与えています。
2 モーセの律法契約が廃止されたのはいつですか。しかしながら,割礼を受けたユダヤ民族はいつまで優遇されましたか。
2 モーセを仲介者として,アラビアのシナイ山でエホバ神とイスラエルとの間に結ばれた律法契約は,アブラハムとダビデ王の子孫であるイエス・キリストが杭にかけられたことによって廃止されました。それはイエスが西暦29年に水のバプテスマを受け,霊によって油注がれてから,三年半たった後のことでした。それにもかかわらず,エホバは引き続き生来のユダヤ人を,そしてさらにこの三年半の間はサマリア人も優遇されました。それはダニエル 9章24節から27節(前半)の預言が成就するためでした。この「週」つまり七年でなる期間は,西暦36年の陰暦第七月(チスリ)に終わりました。その時以降,アブラハムの子孫のイスラエル人は,非ユダヤ国民,つまり無割礼の異邦人と霊的に同格になります。それから先は,ユダヤ人がアブラハムの神から優遇されることはなくなります。このことは西暦36年にどのように示されましたか。
3 (イ)この時使徒ペテロはどこにいましたか。なぜそこにいたのですか。(ロ)ペテロが異例の行動をとったとして,エルサレムの割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンから非難されたのはなぜですか。
3 同じころ,ペテロはヨッパという港町のクリスチャン会衆からすぐに来てくださいと頼まれてそこへ赴き,善行に富んだユダヤ人のクリスチャン,ドルカスを生き返らせます。そしてその地の皮なめし工シモンのところで,かなりの日数を過ごします。(使徒 9:36-43)その当時,無割礼の異邦人は,ユダヤ人の友としては望ましくない者,神の民の会衆から排斥された人と何ら変わるところのない者とみなされていました。(マタイ 18:17)ですから,ユダヤ人のクリスチャンであったペテロは,この時に至るまで,無割礼の異邦人の家へ進んで入ったことはありませんでした。(福音宣明者フィリポの場合も同様だったに違いありません。)その結果,後刻,エルサレムにいる割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンはペテロがついに異邦人の家に入ったことを聞き及び,「彼が割礼を受けていない者たちの家にはいっていっしょに食事をした」と言ってペテロを非難しました。―使徒 11:3。
4 ユダヤ人のクリスチャンであった使徒ペテロは,カエサレアの異邦人の家に入った後,自分の気持ちをどのように説明しましたか。
4 クリスチャン会衆の使徒としてすでにある程度の年数を経ていたペテロでさえ,ためらいつつ入ったカエサレアの家の主人に次のように述べています。「ユダヤ人にとって,別の人種の人といっしょになったり近づきになったりするのがいかに許されないことか,あなたがたはよく知っています」。(使徒 10:28,新世界訳,エルサレム聖書,新英訳聖書)ユダヤ人以外の民族は不浄で不潔なものとみなされていました。
5,6 ペテロは,非難を浴びたカエサレアでの自分の行動を弁明するため,どんな事を明らかにしましたか。
5 ペテロは弁明のため,エルサレムにいた使徒及び割礼を受けた他のユダヤ人のクリスチャンたちに,事の真相を説明しなければなりませんでした。それはどのような事ですか。つまり自分がこのような行動を取ったのは自分の意志によるのではなく,エホバ神への従順を示すためであったということです。
6 ペテロがヨッパの皮なめし工シモンの家にとどまっていた時,神はペテロに幻を送り,神がすでに清められたものを清くないと言ってはならないことをペテロに知らせました。それから,カエサレアにいたイタリア人の百人隊長コルネリオの派遣した三人の男がその家に来てペテロのことを尋ねます。神は「わたしが彼らを遣わしたのですから」,「何も疑わないで」彼らといっしょに行くように,とユダヤ人のクリスチャンであるこの使徒に言われました。ヨッパの会衆の割礼を受けたユダヤ人のクリスチャン六人がペテロに同行し,海沿いの道を通ってカエサレアに向かいます。これらの人々が翌日,異邦人の百人隊長コルネリオの家に入った時,コルネリオは,神のみ使いが自分に現われ,ヨッパのペテロを呼んでくるように,「そうすれば,彼はあなたとあなたの家の者たちすべてが救われるに必要な事がらを話してくれるでしょう」と告げたことを説明しました。―使徒 10:1-33; 11:14。
7 イタリア人の百人隊長コルネリオの家で異邦人に話した際,ペテロはどんな点にまで話を進めましたか。
7 ペテロはこれから起ころうとしていた事に気づかぬまま,イエス・キリストの地上での宣教,その死,神の全能の力によって死から復活させられたことなどについての音信を述べ始めます。そして,『この方は生きている者と死んでいる者との審判者として神に定められた者です』,「彼についてはすべての預言者が証しをしています。彼に信仰を持つ者はみな,その名によって罪のゆるしを得るとです」というところまで話しました。―使徒 10:34-43。
8 ペテロが話し終わらないうちに,神は,信仰を持つ無割礼の異邦人が霊によって生み出された会衆に入る許しを得たことを示すどんな証拠を与えられましたか。
8 その時にエホバ神は,無割礼ではあっても信仰を抱いていた異邦人が,霊によって生み出されたクリスチャン会衆に入ることをお許しになった証拠を与えられました。次のように記されているからです。「ペテロがまだこれらのことについて話しているうちに,聖霊がみことばを聞いているすべての者の上に下った。そして,割礼のある人びとで,ペテロといっしょに来ていた忠実な者たちは驚嘆した。無償の賜物である聖霊が諸国の人びとの上にも注ぎ出されていたからである。彼らがいろいろな国語で話し,神をほめたたえているのを聞いたのである」― 使徒 10:44-46。
9 エルサレムで行なった説明の中で,ペテロはカエサレアで示された聖霊の働きについてどのように述べていますか。そしてそれを何と比較しましたか。
9 ペテロはエルサレムでこのことを自分で説明し,こう述べます。「ところが,わたしが話し始めると,聖霊が彼らの上に下りました。初めに[西暦33年のペンテコステの時に]わたしたちの上にも下ったのと同じようにです。そこでわたしは,主の言われたことを,つまり,『ヨハネは水でバプテスマを施したが,あなたがたは聖霊でもってバプテスマを受けるであろう』といつも言っておられたのを思いだしました。それゆえ,神が,主イエス・キリストを信じて頼ったわたしたちに与えてくださったと同じ無償の賜物を彼らにもお与えになった以上,どうしてわたしなどが神を妨げえたでしょうか」― 使徒 11:15-17。
10 ペテロはこれら無割礼の異邦人たちに今度は何をするよう命じましたか。なぜですか。
10 それでペテロはどうしましたか。「これに応じてペテロは言った,『わたしたち[割礼を受けたユダヤ人のクリスチャン]と同じように聖霊を受けたこの人びとに,[ペテロに同行したユダヤ人のクリスチャン六人のうち]だれか水を禁じてバプテスマを受けさせないようにできるでしょうか』。そうして,イエス・キリストの名においてバプテスマを受けることを彼らに命じた」― 使徒 10:46-48。
11 (イ)それ以来,霊によって生み出された異邦人の信者は,どんな資格で自由に行動しましたか。なぜですか。(ロ)同じ聖霊が三つの場合,三つの異なるグループに働いたことを説明してください。
11 こうして『神は初めて[無割礼の]諸国民に注意を向け,その中からご自分のみ名のための民を取り出されました』。(使徒 15:14)ペテロはこのときに,カエサレアの無割礼の百人隊長コルネリオの家で,もう一つの「天の王国の鍵」つまり第三の鍵を用いました。霊によって油注がれたこれらのイエスの弟子たちは,それ以来,「地の最も遠い所にまで」,イエスの証人となることができました。(使徒 1:8)神が鍵の所有者ペテロを用いて開かれたものは,地球的な証言のために開かれたままになっています。この点と一致して,神の聖霊は三つの異なる信者のグループに『下りました』(ギリシャ語エピピプト)。すなわち,(1)バプテスマを受けた120人の弟子たち,そしてその後の3,000人のユダヤ人の改宗者。そのすべては西暦33年のペンテコステの日にエルサレムで聖霊を受けました。(2)バプテスマを受けたサマリア人。ただしそれは使徒ペテロとヨハネが到着し,その奉仕を受けた後に限られます。(3)西暦36年,カエサレアのコルネリオの家に集まっていた信仰を持つ異邦人。この三つのグループです。―使徒 1:15; 2:1-4,38,41; 8:15-17; 10:44,45; 11:15,16。
「大群衆」への道を開く
12 それ以降,エホバはどんな人々から,どんなグループの人々を取り分けてこられましたか。
12 その後幾世紀にもわたって,エホバは割礼を受けたユダヤ人,割礼を受けたサマリア人,および無割礼の異邦人の中から,「ご自分のみ名のための民」を取り分けてこられました。(アモス 9:12)エホバのみ名のためのこの民の数は,ちょうど14万4,000人で,天の王国でイエスと結ばれることになっていました。―啓示 7:4-8; 14:1-3。
13 「考えるクリスチャンのための糧」と「代々に渉る神の経綸」は,互いに関連した,その人の属するところと救いについて,どんなことを明らかにしましたか。
13 ものみの塔協会は1881年の9月に,「考えるクリスチャンのための糧」という冊子を出版し,次いで1886年には「代々に渉る神の経綸」と題する本を発表しました。これら二冊の出版物は,霊に属するものと,人間つまり地に属するものとは別々のもの,区別のあるものであることを明らかにしました。ですから14万4,000人の霊によって油注がれた会衆が得る天への救いは,贖われた人類の得る救い,地上のパラダイスでの命に至る救いとは異なっています。しかしながら,イエス・キリストの贖いの犠牲は,双方の救いの基盤となっています。
14 カリフォルニア州ロサンゼルスで,1918年2月24日,日曜日に行なわれた公開講演は何を強調するものでしたか。
14 第一次世界大戦たけなわの1918年2月24日,ものみの塔聖書冊子協会会長のJ・F・ラザフォードは,アメリカ,カリフォルニア州のロサンゼルスで公開講演を行ないました。それは「現存する万民は決して死することなし」という主題の講演でした。第一次大戦後,この衝撃的な話の内容は文書の形で出版されました。その中で強調されていたのは,来たるべき神の怒りの日に命を保護される,義に傾く人々が地上に存在する,ということでした。それらの人々は生き残って神の新秩序に入り,楽園に変えられた地上から死に絶えることはありません。
15 羊とやぎのイエスのたとえ話に関して,1923年にロサンゼルスで行なわれた講演は,何を明らかにしましたか。
15 ロサンゼルスにおいて再度開催された1923年の大会で,協会の会長は,羊とやぎに関するイエスのたとえ話について話しました。このたとえ話の中の象徴的な「羊」が,現在のこの「終わりの時」の間,イエスの霊的な兄弟たち,つまり「再び生まれた」兄弟たちにいろいろな面で善を行なう人々であることを,会長は聖書から立証しました。このように善を行なう人々はその報いとして,来たるべきハルマゲドンの戦いの時に保護され,栄光を受けた「人の子」であり天の王であるイエス・キリストによって千年王国の地上の領域に導き入れられるのです。(マタイ 25:31-46)あたかもキリストご自身に直接行なうかのようにしてキリストの「兄弟たち」に善を行なった羊のような多くの人々にとって,これは地的希望に光輝を添えるものとなりました。
16,17 聖書の解明が最高潮を迎えたのはその12年後でしたが,なぜそれは類例のない時となりましたか。
16 しかし聖書の解明が最高潮を迎えたのは,その12年後です。これは人類史上類例のない時となりました。経済不況はその年で六年目に入っていました。ローマ・カトリックの1933年の“聖年”は,約束された“平安と安全”をもたらすことができませんでした。エチオピア帝国との紛争が原因で独裁国イタリアは交戦態勢を固め,1935年10月3日,同国の軍隊はエチオピアに侵入しました。その年は,アドルフ・ヒトラーがドイツに対する独裁的支配を始めてから三年目に相当します。ヒトラーはエホバの証人に残忍な迫害を加えていました。1934年の10月4日,ヒトラーは世界各地から幾百通もの海外電報を受け取りました。それは,もしエホバの証人の迫害をやめないなら,エホバはヒトラーとナチスを滅ぼされるであろう,という警告の電報でした。しかしヒトラーはやぎとしての性質を示し,政治に関与しないこのクリスチャンの“やから”をドイツ帝国から根絶しようと意を決します。
17 1935年,アメリカの大統領フランクリン・D・ルーズベルトは,自分が生みの親となったNRA(米国復興局)という組織に関連して苦境にあり,米国政府は,カトリック・アクションの圧力に屈しつつありました。ソ連はヨシフ・スターリンという“独裁者”の支配下にあり,日本は共産主義に対抗する国として,独裁国イタリア,ナチス・ドイツと幸先の悪い“三国同盟”を結び,枢軸国を形成する動きを見せていました。第二次世界大戦は着々と準備が進められていたのです。
18 エホバの証人は1935年の春に,どこで大会を開きましたか。その時の公開講演の主題は何でしたか。
18 世界中の政治情勢が重大な局面を迎えていた1935年は,エホバの証人の場合に限り,特に興奮で満ちた年となりました。証人たちは米国政府のおひざ元であるワシントン特別区で5月30日から6月3日まで大会を開いたのです。6月2日の日曜日に行なわれた“政府”と題する公開講演は,英国,ヨーロッパ,アフリカ,海洋の島々へ向けてラジオ放送されました。―「黄金時代」誌の1935年8月29日号(英文)をご覧ください。
19 その5月31日金曜日の午後,どんなグループの実体が明らかにされましたか。このグループは「大患難」について何を経験することになっていましたか。
19 それに先立つ5月31日の金曜日の午後には,大会出席者に感動的な呼びかけがなされました。それは重要なものだったので,二つのラジオ放送局を通して同時放送されました。楽園となった地上での永遠の命に関心を抱く羊のような人々は,特にこの大会に出席するよう招かれました。大会出席者全員の関心は,その時まで誤って解釈されていた問題,つまり欽定訳聖書の啓示 7章9-17節に示されている,ヨハネが見た幻の中の「大いなる群衆」に集中しました。その「大いなる群衆」を構成する者の実体が明らかにされたことは,その会場に出席していた,あるいはラジオの前にいた聴衆に,特別な喜びをもたらしました。それは天に行く見込みのある者たち,つまり「再び生まれた」クリスチャンのグループではありません。マタイ 25章31-46節に記されているイエスのたとえ話の中の,地的な「羊」のグループなのです。彼らは地上で生き残るという意味で『大患難から出て来ます』。―啓示 7:14。
20 「大いなる群衆」の一員となることを願う人々には,どんな責務が生じますか。それを公に示したあと,霊が何をすることは期待すべきではありませんでしたか。
20 これらの人々には,自分自身をエホバの立派な羊飼いであるイエス・キリストに委ねる責務が課されています。それはキリストを通し,エホバに自分自身を“捧げる”つまり献身することによって示されます。聖書的に言えば,この献身は,父と子と聖霊の名による水のバプテスマによって公にされるべきです。(マタイ 28:19,20)それで将来「大いなる群衆」の一員になりたいと願う人はすべて,当然ながら,今自分自身を捧げ,その献身の象徴として水のバプテスマを受けなければなりません。(「ものみの塔」誌,1934年8月15日号[英文],250ページ,34節)これらの人々の場合,バプテスマを受けた後に神の霊が『下り』,自分たちが望むことのなかった天的な命に生み出されることを期待すべきではありませんでした。
21 この解明により,幾百人もの人々は翌日何をするように動かされましたか。そしてどんな「群れ」に流れ込みましたか。
21 この解明は,とりわけ,エホバの取り決めの中における自分の立場を明確に理解したいと願っていた羊のような人々を興奮の渦に巻き込みました。いきおい彼らは,「大いなる群衆」という立場を明らかにされたことによって,活動への意欲を高められたのです。次の6月1日,土曜日には,水のバプテスマを施すことがプログラムに組み込まれていました。バプテスマを希望した840名の喜びは筆舌に尽くしがたいものでしたが,その中の多くは,ゆくゆくは「大いなる群衆」としてエホバに取り分けられることを願いつつ浸礼を受けました。それは際立ったバプテスマとなりました。まるで水門が開かれでもしたかのように,人々の大集団が流れ込んで,エホバとの関係を公に言い表わし,立派な羊飼いの「一つの群れ」に入って,霊的な「兄弟たち」と交わるようになったのです。―ヨハネ 10:16。マタイ 25:34。
22 (イ)どんな「鍵」が用いられ,どんな結果が生じましたか。(ロ)次の日はどんな政府のことに人々の注意が向けられましたか。彼らはその政府をどのようなものとして歓呼しつつ迎えましたか。
22 この時に「忠実で思慮深い奴隷」級はあたかも「知識の鍵」を用い,(マタイ 24:45-47。ルカ 11:52)「大いなる群衆」の一員となることを願う人々のために,すばらしい特権の戸を開いたかのように見えました。この特権を捕らえるなら,「大患難から出」,キリストによる新しい世界政府の支配する清められた地に入ることができるのです。次の日には「政府」と題する公開講演が行なわれ,人々の注意はその政府のことに向けられました。それは当時の世界情勢にうってつけの主題でした。その講演は,そこに出席していた多数の聴衆と,数の上ではそれをはるかに上回るラジオの聴取者に,世の人間による地上のあらゆる政府が,ハルマゲドンにおける神の戦いで滅びる時は差し迫っているという事前の警告を与えるものとなりました。さらに,キリストによるエホバの神権政府が全人類の唯一の希望であることが強調されました。この神の政府を,「大いなる群衆」つまり「大群衆」は,自分たちの栄光ある希望a として歓呼して受け入れました。
23 (イ)「知識の鍵」が用いられたことによって,資格を有する信者が天の王国へ入る戸は閉ざされましたか。(ロ)この点についてどんな証拠がありますか。
23 しかし,このように「知識の鍵」が用いられたことによって,資格を有する信者が天の王国に入る戸も同時に閉ざされてしまったのでしょうか。そうではありません。イエス・キリストこそ「ダビデの鍵」を持っておられる方で,イエスのほかにはだれもこの戸を閉めることはできないからです。神のご意志にかなえば,ある人はまだ入ることができました。その証拠に,1935年の春に「大いなる群衆」に関する重要な解明が発表され,この解明を記した1935年8月1日および15日号の「ものみの塔」誌が発行された後でさえ,エホバの証人の油注がれた残りの者の成員が水のバプテスマを受けています。―啓示 3:7。ルカ 11:52。マタイ 23:13。
24 (イ)立派な羊飼いのもとにある「一つの群れ」の人数が増してゆくのをとどめるものは何ですか。(ロ)どんな資格でこの羊飼いは「羊」が「一つの群れ」になることを許すのですか。
24 「大患難」に突入するまでは,人々が「大いなる群衆」つまり「大群衆」(新世界訳)を構成する羊のような人のグループに加わってゆくことをだれもとどめることはできません。大患難が勃発すれば,破滅に定められたこの事物の体制の滅びを免れようとしても,救いのための機会はもはやないでしょう。1935年以来,立派な羊飼いの「一つの群れ」に入る戸はずっと開かれており,報告によれば200万以上の人々がすでにそこに入っています。立派な羊飼いであられるイエス・キリストは,「わたしは羊の戸口です」と言われました。(ヨハネ 10:7-9)そのような立場でイエスは,ご自分の霊的な「兄弟たち」の友を今なお受け入れ,「大患難」とハルマゲドンの「戦い」を生き残ることができない「やぎ」からそれらの人々を分けておられるのです。今それを望むすべての人々に,立派な羊飼いの「声」を聞かせましょう。その声は,イエスの霊的な「兄弟たち」を通して今も地上で鳴り渡っているのです。(ヨハネ 10:16)「ひとりの羊飼い」のもとで「一つの群れ」となり,安全を享受できるのは,なんとすばらしい特権なのでしょう!
[脚注]
a 講演者は話の結びで決議を提出し,次のように述べました。「ここで,そしてラジオの前で話を聞いておられる親愛なる聴衆の皆さん,義の政府を望み,従順な人すべてに平和と繁栄と幸福をもたらす政府を見たいと思う方々は全員起立し,はい,と言ってください」。この時,新しくバプテスマを受けた幾百人という証人たちも,その場の聴衆と同じように反応しました。
この提言の後の様子を,ワシントンのヘラルド紙は次のように伝えています。
「観客席とそのまわりにいた大群衆はいっせいにさっと立ち上がった。エホバの証人たちは腕を高くあげ,声を張り上げて賛意を表明した。会場内のガラスはその響きでビリビリと震動した。警察の話によると,この大群衆の声は,一㌔以上離れたところでもよく聞こえたという」。
同じような光景は時を同じくして,ロンドン,ベルファスト,グラスゴー,コペンハーゲンなど,世界各地の幾百という場所でも見られました。―「黄金時代」誌,1935年6月19日号(英文),598ページ。「1936エホバの証人の年鑑」(英文),62ページ,3節もご覧ください。
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「人間におののくことはわなを仕掛けることになる」ものみの塔 1980 | 1月1日
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「人間におののくことはわなを仕掛けることになる」
ある日曜日の朝,ジョンとヘレンの家に一人のエホバの証人が訪れました。二人は,戸口に立ったエホバの証人の話を興味深く聞きました。自分たちの聖書から,「[エホバ神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」,という啓示 21章4節の言葉を読んだとき,二人は興奮を覚えました。ジョンとヘレンはもともと平和を愛する人だったので,そのようなすばらしい状況の下で生活するにはどうしたらよいかを知りたいと思いました。すぐに聖書研究が取り決められました。
それから三週間,水曜日の夜になると,二人の家で聖書研究が行なわれました。この若夫婦が質問をしたり答えたりしているのを見るのは喜びでした。ところが,その喜びはわずか三週間しか続きませんでした。四週目になると,エホバの証人が訪問してノックしても,戸は固く閉ざされたままでした。ジョンとヘレンは聖書研究をやめることにしたのです。いったいなぜでしょうか。神の力に対する信仰を失ったからですか。聖書の信ぴょう性や真実性に疑念を抱き始めたのですか。より良い状況の下で生活することにもはや関心を失ったのでしょうか。理由はそのいずれでもありませんでした。
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