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「主の業」に対する熱意ものみの塔 1982 | 3月15日
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すなわち全時間の王国宣明者として奉仕できる人もいるでしょう。―ヘブライ 12:2,モファット訳。イザヤ 6:8-10。
19 わたしたちはみなどんな精神を示すことができますか。中にはこの業にどのようにしてより多くあずかる人がいますか。
19 開拓者の名簿に載っていてもいなくても,わたしたちはみな真の開拓者精神を持って楽しく「神聖な奉仕」をすることができます。そうしていれば多くの人は時々「補助開拓」をするようになるかもしれません。そして,もしそこから得た喜びが励ましになってわたしたちのうち幾人かが正規開拓者になるとすれば,「主の業」にあずかるわたしたちの分はどんなに多くなることでしょう!―ローマ 12:1,2。
20 (イ)わたしたちにはだれの同労者となる特権がありますか。(ロ)わたしたちはどんな確信を抱いて目標に向かい前進すべきですか。(ハ)最後に,パウロのどんな言葉をわたしたち自身の言葉にしたいと思いますか。なぜですか。
20 この主イエスの業,イエスの足跡に従うことはまた「エホバの業」でもあります。(コリント第一 16:10。ヨハネ 5:17)「事物の体制の終結」の時に,主権者なる主エホバ,主イエス・キリストおよび天のみ使いたちの同労者として働けるとは,なんと大きな特権でしょう!(コリント第一 3:9。マタイ 25:31-33; 28:19,20)わたしたちの労が「主にあってむだでないことを」わたしたちは知っているからです。復活によって新秩序に入ろうと,あるいは「大患難」に生き残って新秩序に入ろうと,コリント第一 15章57節にある,「神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!」という忠実な使徒パウロの言葉を,わたしたちも口にすることができるようになりたいものです。そうです,それはとこしえの命というすばらしい祝福につながる,死に対する勝利なのです!
次の点が理解できますか
■ 復活の希望に常に十分目覚めていることはなぜ必要ですか。
■ 毎日,死に直面しなければならない兄弟たちにとって,復活の希望はどんな励ましとなりますか。
■ 疑いを持つ人,または背教者の考えを持つ人と交わる人々は,なぜ『恥じさせられる』べきですか。
■ 堅く立つという特質は,エホバの新秩序に『間に合う』ように入るためになぜ大切ですか。
■ 70年以上昔の「ものみの塔」誌の中で「一つの経路」について言われたことはなぜ有意義ですか。
■ 『主の業においてなすべきことをいっぱいに持つ」開拓奉仕その他は,どのようにわたしたちの保護になりますか。
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目の見えないエホバの証人が一人の人の命を救うものみの塔 1982 | 3月15日
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目の見えないエホバの証人が一人の人の命を救う
ビセンテは75歳になる盲人です。この男の人はスペインでこれまで5年ほどの間,補助開拓者として奉仕してきました。毎月雑誌を約110冊配布し,3件の聖書研究を司会しています。ある冬の寒い晩,夜の9時15分に関心のある人を再訪問することになっていましたが,奉仕の友が現われませんでした。約束の時間までに少し間があり,時間をむだにしたくなかったので,ビセンテは一人で戸別訪問をすることにしました。一人の男の人が親切に迎え入れてくれて,王国の希望に耳を傾け,2冊の雑誌を受け取りました。最近号の雑誌を紹介するため,一,二週間してもう一度訪問してみると,その人はこう言いました。「ビセンテさん,あの晩,あなたが訪問してくださらなかったなら,今日こうしてわたしたちが一緒に話し合えることはなかったでしょう。ピストル自殺をするつもりでいたのです。あの時は,ただ死にたいだけでした。でも,この雑誌を読んで王国について学ぶにつれ,生きたいという意欲がしだいに強まってきました」。
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