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あなたは約束を守りますかものみの塔 1972 | 4月1日
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と考えているのだろうか。わたしは利己的だろうか。それとも,他の人に対して純粋の思いやりを持っているだろうか。
「でも,わたしはこんなことになるとは知りませんでした ――」という人がいるかもしれません。ここでほんとうに問題なのは次の点です。いったいだれが悪かったのだろうか。相手のがわに欺まん,あるいはごまかしがあったのだろうか。もしそうではなくてあなたが約束を取り消さず,約束を果たすのに避けられないどんなつらいことでも耐えるならば,忘れられない貴重な教訓を学べます。それはすなわち,話す前に,また約束する前に考えなさい,ということです。それから,話すときには,本気で話しなさい。―箴言 10:19。
たんにだれかに喜ばれるだろうと思って ― しかし,結果をまず最初に十分に考えることをせずに ― 何ごとかに同意するならば,問題に陥るおそれがあります。それとは対照的に,約束をするのに慎重であれば,つまり問題をよく考え抜き,今後の自分の生活にそれがどんな影響をおよぼすかを考慮するなら,一旦なにかをしようと約束する場合,約束を守るのはずっと容易になるでしょう。それは約束を守るよう,自分の心と思いを備えさせているからです。
もちろん,人は万事を予見できるものではありません。約束をしたときから,約束を実行するときまでのあいだに,あるいは約束を実行しているあいだでさえ,事情は変わるかもしれません。しかし,もし相手が自分の分を果たすのに不誠実でないなら,自分が不誠実になる理由はどこにありますか。
このことにかんする神の見解を示す,詩篇 15篇は,神がご自分の「客」としてどんな種類の人を受け入れられるかにかんする質問を提起し,そしてこう答えています,「直くあゆみ義をおこなひそのこゝろに真実をいふものぞその人なる……誓ひしことはおのれに禍害となるも変ることなし」― 詩 15:2,4。
神は,約束を守る人々だけをご自分の友とみなされるといっても驚くにはあたりません。なぜですか。なぜなら,神ご自身がそのことを間違いなく行なわれるからです。その理由でヨシュアは,イスラエルの国民に次のように言うことができたのです。「視よ今日われは世人の皆ゆく途を行んとす 汝らは一心一念に善く知るならん 汝らの神エホバの汝らにつきて宣まひし諸の善事は一も欠る所なかりき 皆なんぢらに臨みて その中一も欠たる者なきなり」。(ヨシュア 23:14)聖書のかなりの部分は,エホバが守られた約束にかんする記録で成っています。エホバは過去において真実な方でしたからその約束が将来成就して祝福がもたらされるということに対する強い確信をいだけるのです。
あなたは神の是認を得たいと思われますか。それでは,『おのれに禍害となること』を約束していたことがわかった場合,その約束を破って自分の約束のことばを変えてはなりません。もちろん,このことはあとで神のみことば聖書の原則に反しているということがわかるような事柄という意味での「禍害」をさしているのではありません。なぜならもしあなたが,神に仕えたいと神に告げたのであれば,神に対する自分の約束がまず第一に優先されるからです。(使行 4:19,20; 5:29)そのような場合,もし悪いことをする約束を果たすならば,神に不忠実な者となるでしょう。
また,昔のイスラエルの父親や夫が,家族のかしらとして,自分の娘や妻の立てた誓いを取り消すことが適当であると考えるなら,そうすることができたのと全く同様に,あなたの親もあなたが結ぶ約束を取り消すことができます。―民数 30:3-15。
イエスは,多くのささいなことをあれこれすると言っては誓いをたてる習慣のあった当時の人々を正されました。(レビ記 5:4とくらべなさい)イエスは彼らにこう言われました。「決して……誓ってはなりません……あなたがたの『然り』は然りを意味し,『否』は否を意味するようにしなさい。これを超えた事柄は邪悪な者から出るからです」。―マタイ 5:33-37,新。
たしかに人は不完全であるため,時には安うけ合いをしすぎて,自分がすると言ったことが,すでに約束した何かほかの事柄に反するものであることがわかる場合があるかもしれません。では,どうしますか。ほとんどすべての場合にいえることですが,最初にした約束が有効なものであるべきです。自分の好みにもとづいて事を決めてはなりません。
他の人に対する約束を守ることがたいせつであるならば,神との約束を守るのはなんとたいせつなことなのでしょう。もしかしてあなたが,ほんとうに悔いあらためて神に転じ,バプテスマの段階をふみ,そうすることによって,神のしもべにならせてくださいと願いもとめたのでしたら,その約束を裏切ってはなりません。もしそのようなことをしたとすれば,とこしえの命を得る希望は失われてしまうでしょう。
もしわたしたちが神を愛し,神を喜ばせようと誠実に努力するならば,神はわたしたちを助けてくださり,約束を守るための強さを与えてくださるでしょう。神はそのような助けを約束しておられます。しかも神はご自分の約束を守られるのです。―申命 31:6。詩 27:9,10。ヘブル 13:5。
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おぼえていますかものみの塔 1972 | 4月1日
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おぼえていますか
最近の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次のような重要な事柄にお気づきになられたことでしょう。
● どうすれば,忠誠を保てるよう自分自身を強化できますか。
聖書およびものみの塔協会の聖書研究の手引きを個人的に読み,また研究すること,悪い交わりを避けること,集会に出席すること,神の王国の伝道にあずかること,定期的に祈ることによってそうすることができる。―719-722ページ。a
● 『天の父が完全であられるように完全』であるとはどういう意味ですか。
それは自分の友人という狭い範囲に愛を限ることなく,自分に敵意を示す者たちにさえ愛を差し伸べることにより,完成された全き仕方で愛を表わすということを意味する。―758-760ページ。b
● 諸国民すべてがまもなく神と正面衝突するのを避けられないのはなぜですか。
神の主権を認めて,聖書に述べられている神の原則に従う代わりに,諸国民は人間の政治,政府による地の支配を固執しているため。また,諸国民は神のメシヤによる王国と戦い,混成政治組織である国際連合に人々の希望を向けさせているため。―4,5ページ。c
● いつも子どもとの意志の疎通を図れるようにするには,親にとって何が助けとなりますか。
子どもの年齢の程度に応じて話すこと。子どもの好き,嫌いや子どもの意見を聞くこと。子どもがかかえている問題に対する解決策を見いだすよう助けること。いっしょに話し合って考えること。子どもに打ち明けて話したり,いっしょに計画をたてたりすること。―44-48ページ。d
● 結婚する年齢に達していないクリスチャンが“デート”をするのはなぜ賢明なことでありませんか。
なぜなら,“デート”をすると,性欲を正しく満たせる立場にいないのに,往々にして性的欲求の圧力や誘引力を強めることになるから。それは事を「性急に」運ばせるものとなるため,後日,ほんとうに幸福な結婚をするに必要な,若い男女の能力,態度,知識,平衡の取れた見方などを培うことが妨げられる。―49-51ページ。e
● わたしたちは自分の名前以上に神のお名前を尊んでいることをどのように示せますか。
聖書を神のみことばとして受け入れること。キリストを通して神に献身すること。エホバの民と交わり,彼のお名前を証するわざにあずかることによって。―83ページ。f
● クリスチャンの円熟とはなんですか。
もはや霊的な「幼児」ではなく,霊的な成人になった状態。このような円熟は,キリスト教の真理すべてを十分に受け入れ,それに合致した生活をするように誠実に努力することによって得られる。―87,90ページ。g
● クリスチャン会衆内の長老たちの間にはどんな関係がありますか。
会衆内の長老たちは互いに同等で,会衆の霊的な状態を見守る義務に等しくあずかる。それから長老たちはクリスチャンの統治体によって任命され,その導きのもとで働く。―115,117,118ページ。h
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