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あなたは神の愛に答え応じていますかものみの塔 1973 | 7月1日
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を見いだせるものと考えることでしょう。それらの人びとは,『聖書はみな神の感動によるものにして教えと戒めと矯正と義を薫陶するとに益あり。これ神の人の全くなりて,もろもろの良きわざに備えんためなり』という聖書のことばを信じていて,そのことをことばと行ないによって明らかにする人であって然るべきです。―テモテ後 3:16,17。
ということは,エホバのクリスチャン証人の生活を見てみると,証人たちは聖書の教えを適用した結果,それぞれより良い夫や父親,より良い妻や母親,より良い息子や娘になっていることがわかるようであって然るべきだという意味です。クリスチャンに対する次のような神の要求にかなうよう努めている人びとを見いだせるはずです。
『すべての苦き・憤り・怒り・騒ぎ・そしり,およびすべての悪意をなんじらより捨てよ。互いに情けと憐れみとあれ,キリストにありて神のなんじらを許したまいしごとくなんじらも互いに許せ。さればなんじら愛せらるる子どものごとく,神に倣う者となれ。またキリストのなんじらを愛し,我らのためにおのれをこうばしき香りのささげ物とし犠牲として,神にささげたまいしごとく愛のうちを歩め。聖徒たるにかなうごとく,淫行,もろもろの汚れ,また貪りをなんじらのうちにて唱えることだにすな。また恥ずべきことば・愚かなる話・たわむれごとを言うな,これよろしからぬことなり,むしろ感謝せよ。…光の子どものごとく歩め。(光の結ぶ実はもろもろの善と正しきとまこととなり)』― エペソ 4:31–5:9。
もしあなたがこうした高潔な要求に自分の生活を一致させたいと願っている人びとのひとりになりたいと思われるなら,お近くのエホバの証人の王国会館にお出かけになるようお勧めいたします。今週にもそうなさってはいかがですか。
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読者からの質問ものみの塔 1973 | 7月1日
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読者からの質問
● 職務上,挙銃あるいは警棒で武装する必要のある職業につくことは,クリスチャンとしての良心を維持することと両立するでしょうか。―アメリカの読者より
エホバ神ご自身,もし必要とあれは武器を用いて法を執行する権威を行使することを,人間の諸政府に許しました。そのような政府の権威についてはこうしるされています。『かれは汝を益せんための神の役者なり,されど悪をなさば恐れよ,彼はいたずらに剣をおびず,神の役者にして悪をなす者に怒りをもて報ゆるなり』。(ロマ 13:4)したがって,武器をもって法を執行する警察機関の存在や,財産もしくは人びとを保護するにさいして武器を携帯する権限を政府がある人びとに認めていることに対して,聖書に基づいて異議を唱えることはできません。
しかしながら,もしクリスチャンが挙銃その他の武器を携帯するよう要求される場合,警察官・監視人・夜警などのような職業を選ぶかどうかは自分自身で決定しなければならない事がらです。その人は次のように考えるべきでしょう。わたしは,人間の命が関係している重大な事態に面してむずかしい決定を直ちに下さねばならないような重荷を負いたいと考えているのだろうか。わたしは,武器を用いざるをえなくなるような情況に身を置き,おそらくエホバのみ前で流血の罪を自らに招くような仕方で武器を用いるようになるのを望んでいるだろうか。
さらに,クリスチャンの主要な目的は,他の人びとが真理を正確に知るようになるのを助けることです。クリスチャンは,『すべての人と相和らぐ』方法を他の人びとに教えたいと願っています。(ロマ 12:18)このような点から考えて,次のように自問できるでしょう。わたしが職場で武器を携帯することは,他の人たちにとってキリスト教の教えと矛盾した行為と思われるようになるだろうか。それは人をつまずかせる原因となると信ずべき理由があるだろうか。クリスチャンは神のみことばと,現状に関する自分の知識とに基づいて自ら決定を下さねばなりません。もし,職務上武器を携帯するそうした職業に従事していると,聖書の真理を広めるのにほんとうに妨げになると感じるなら,そのクリスチャンは別の職業を選ぶという賢明な処置を講ずるでしょう。聖書は,『他の人びとをつまずかせ』ないようにすべきことをさとしているからです。―ピリピ 1:10,新。
クリスチャンはどんな決定をするにしても,その決定は,聖書で訓練された良心と調和したものであるべきです。しかし,そのさい,生活上の必要なものが失われるのではなかろうかという心配で圧倒されるように感ずる必要は決してありません。神のみことばは次のように保証しています。『エホバは公平をこのみ その〔忠節な者たち〕をすてたまわざればなり』。(詩 37:28〔新〕)『われさらに汝を去らず,汝を捨てじ』― ヘブル 13:5。
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