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あなたは進んで苦難を忍びますかものみの塔 1975 | 9月1日
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なことではありません。わたしたちは各々どんな苦難にあうか分かりませんし,すべての人が同じ試練を受けるわけでもありません。大切なのはエホバにより頼むことです。「神は忠実であられ,あなたがたが耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなたがたがそれに耐えられるよう,誘惑に伴ってのがれ道を設けてくださるのです」― コリント第一 10:13。
エホバはご自分の民が幸福であることを望んでおられます。ご自分の民が苦しむのを見て喜ばれるようなことはありません。しかし神は苦難にあっている人たちをさえ幸福にすることができます。なぜなら,そのような人たちは今,宇宙の主権者エホバ神に対する忠誠に関する永遠の記録を作る機会を持っているからです。―マタイ 5:11,12。
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聖書を生活の指針とする人々ものみの塔 1975 | 9月1日
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聖書を生活の指針とする人々
● ニューヨーク州に住む一傷い軍人がエホバの証人について知っていたことといえば,中立と国旗敬礼に関する彼らの見解だけでした。その人のことばを借りて言えば,そのような見解は「大抵の人にとって好ましくない」事柄でした。しかし,エホバの証人と聖書を勉強していた一人の友人との会話がきっかけとなって,その人はエホバの証人についてさらに知りたいと思うようになりました。その人はこう書いています。「エホバの証人とは目つきの鋭い狂信者の一群ぐらいに考えていました。ところが,エホバの証人は自らそれにのっとって生活している首尾一貫した信仰の原則を穏やかに,それでいて力強く示す,優しくて上品な人々であることが分かりました」。
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読者からの質問ものみの塔 1975 | 9月1日
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読者からの質問
● 「妻を持っている者は持っていないかのようになりなさい」。コリント第一 7章29節にあるパウロのこのことばはどういう意味ですか。
使徒パウロの霊感の助言は,独身であれば「気を散らすことなく絶えず主に仕えられる」という理由で,よりまさった道としてクリスチャンに独身をすすめている論議の一部です。(コリント第一 7:32-35)ゆえに『妻を持っていないかのようになる』という夫への助言は,全き献身をもってエホバ神に仕えることと関連しているに相違ありません。
結婚している人の多くは,結婚が人生において唯一の重要なことであるかのように事を行なっています。そして配偶者を喜ばせることに心を用いるあまり霊的な事柄を,全く無視しないまでも少なくともおろそかにしています。しかしクリスチャンである夫は,自分と神との関係が生活において第一でなければならないことを認識しています。彼はエホバに対し,心をこめて生きなければなりません。(ローマ 14:8)神に対する専心の愛という点では,独身の人々に比べて何ら劣るところがあってはならないのです。結果として起こることがどうあろうとも,主イエス・キリストの献身的な弟子としての神への正当な奉仕が,自分の結婚生活のために妨げられるのを許してよいわけはありません。これはイエスの次のことばとも一致すると言えるでしょう。「わたしのもとに来て,自分の父,母,妻,子ども,兄弟,姉妹,さらには,自分の魂をさえ憎まないなら[少なく愛するのでなければ],その人はわたしの弟子になることはできません」― ルカ 14:26; マタイ 10:37と比べてください。
パウロの助言は,クリスチャンの夫が妻を無視して,まるで存在していないかのように妻を扱うという意味に解すべきではありません。それとは正反対にパウロはエフェソスのクリスチャンに次のように命じました。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします」。(エフェソス 5:28,29)それでクリスチャンの夫は夫の責任をおろそかにすべきではありません。しかしいつでも自分と神との関係を中心に全生活を築くことによって,パウロの助言に従うことが必要です。結婚生活を生活のすべてにするようなことをせず,結婚生活が神との関係に最大限,貢献するように考えるべきです。
使徒パウロの与えた助言はまた,彼がそれを書き送った人々の抱いていた希望に照らして見なければなりません。それを与えられた人々(独身者のみならず夫や妻)は霊によって油そそがれたクリスチャンであり,死と復活ののちには天で主イエス・キリストと結ばれる前途がその前におかれていました。ゆえに結婚の絆をも含めてすべての地的なつながりと結びつきとは遂には完全に終わり,二度と元にもどることがないのです。彼らは地上での悲しみ,喜びあるいは持ち物を天に携えては行きません。地的な性質のものはすべてあとに残さなければならないゆえに,彼らはこのようなものが生活において不当な重要性をおびるのを許すことはできないのです。
さらには地上で生活している間でさえ,物事はずっと同じ状態であるとは限りません。使徒パウロも指摘したとおり,「この世のありさまは変わりつつあるからです」。それで永続しない間柄や持ち物にクリスチャンが過度に愛着を持つことは賢明ではありませんでした。そのようなことがあれば,妻,友人あるいは単なる物質の持ち物を失った場合,失望のあまりに神との貴重な関係をあきらめる結果になり得たでしょう。―コリント第一 7:30,31。
今日,地上に生命を得ることを望むエホバ神のしもべも,霊感によるパウロの助言から益を得られます。彼らの場合にも,地的な持ち物や間柄は永久のものではありません。予期しない事柄は時としてだれにでも臨みます。それで人は持ち物,友人,配偶者をなくすこともあるでしょう。物質的な持ち物について言えば,「大患難」のあいだ,これらのものがエホバの手で無事に保たれると期待すべきではありません。エホバは物質の持ち物ではなく,生命を保護することを約束しておられるのです。それですべてのクリスチャンにとって生活の中で最高度に重要なものは,結婚関係,持ち物あるいは他のいかなる地的な物でもなく,自分と神との良い関係です。わたしたちの命はその関係を保つことにかかっています。
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「だれがきれいなお花を作ったの?」ものみの塔 1975 | 9月1日
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「だれがきれいなお花を作ったの?」
子供は,しばしばそのような質問をします。どのようにお答えになりますか。
「偉大な教え手に聞き従う」と題する本は,正しい答えを与えるのに役立つよう書かれています。お子さんと一緒に,「すべてのものを作られたかた」と題する章をお読みください。堅い表紙を付した,192ページのこの貴重な本は,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」と共に,わずか450円のご寄付でお求めになれます。郵送料は発行者が負担いたします。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 138022番)にお申し込みください。
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