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支部の手紙王国宣教 1980 | 10月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
郊外では,収穫にいそしむ人々の姿が見られるようになりました。しかし,わたしたちの参加しているのは,文字通りの季節とは無関係に進められている重要な霊的収穫の業です。「収穫の主人」であるエホバ神は,「もっと多くの働き人」を遣わすことにより,この業を祝福しておられます。まとめられた7月の野外奉仕報告によれば,働き人の数は6月を451人上回る5万5,356人の最高数となりました。さらに,家庭聖書研究も7万8,516件の新最高数でした。これはさらに大規模な収穫の可能性が前途にあることを示すものです。みなさん,本当によく働かれました。―マタイ 9:37,38。
加えて,わたしたちの業には別の重要な面もあります。それは警告の業でもあるのです。過去およそ1年間にわたり学んできた,「ものみの塔」のエレミヤ記に関する記事はこの点で何と心を鼓舞するものだったのでしょう! エレミヤの時代と同じように,キリスト教世界と現代の邪悪な事物の体制全体に対するエホバ神の裁きの決定は変更されることはありません。警告の音信を伝える以外に,人々の命を救う道はないのです。ですから,わたしたちも,エレミヤ,イザヤ,エゼキエルがしたように,人々の命に対する深い気遣いから,そして何にもましてエホバ神への愛と忠節から,勇敢に,ねばり強く,真剣に警告を伝え続けましょう。このことを行なわずにいて,人々に真の愛を示していると言うことはできないのです。―エレミヤ 18:5-11。
夜長の秋は個人研究にも良い季節です。みなさんは地域大会で発表された新しい出版物を読んでおられますか。それらは人を強める本当に優れた霊的食物です。個人研究で学んだ事柄を互いに話し合えば大きな励ましになるに違いありません。
9月には海老名のベテル家族も500人を超えました。工場では忙しく文書の生産が行なわれています。みなさんすべてに温かいクリスチャン愛をお送りします。
みなさんの兄弟,
日本支部事務所
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自分自身の業がどんなものかをあなたは吟味していますか王国宣教 1980 | 10月
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自分自身の業がどんなものかをあなたは吟味していますか
1 人間の体はすばらしい働きをするよう作られています。そして人体は実に様々な働きをすることができます。くぎを打つためにハンマーを持ち上げたり,針と糸で縫い物をしたり,ペンで文字を書いたりするときに,目や手や神経,それにじん帯や筋肉などすべてが調和よく働く様を見て不思議に思ったことがありますか。体の各部分の協力は実に円滑で,わたしたちの驚くべき頭脳によって送り出されたそれぞれの指令を果たす点で完ぺきです。―詩 139:14。
2 パウロはクリスチャン会衆が,神から与えられた仕事の割当てをどのように果たすべきかを例証するために人体を用いました。コリント第一の手紙の12章の中で,会衆内の各人を,キリストの体の肢体になぞらえています。パウロは,良いたよりを宣べ伝えて会衆の頭であるイエス・キリストの弟子を作る業に励む彼らの間の愛,一致,協力に光を当てています。(コリント第一 12:12)体のある器官は他の器官と異なる働きをするかもしれませんが,各々は体が全体として行なっている事に貢献します。(ローマ 12:4-8)今日のわたしたちも,キリストの霊的な体を見倣うべき例とすることができます。
自分の奉仕の特権を高く評価する
3 クリスチャン会衆内でのあなたの活動分野は何ですか。それが何であるにせよ,あなたはそれを高く評価しておられますか。エホバはそうしておられます! 時々あなたは,自分は『より弱い』者だ,とか,会衆内で自分の果たしている役割は「より誉れが少ない」ものだ,と感じることがあるかもしれません。健康でないために,または年齢や他の事情のために限界があるのでそのように感じるのかもしれません。どの場合にしても,エホバがご覧になるように物事を見るのは良いことです。神のみ言葉はこう告げています。『それどころか,実際には,体のなかでほかより弱く見える肢体がかえって必要なのであり,また……ほかより誉れが少ないと思う部分,これをわたしたちはより豊かな誉れをもって包みます。……しかしそうではあっても,神が体を組み立てたのであり,欠けたところのある部分に誉れをより豊かに与えてくださったのです』― コリント第一 12:22-24。
4 物事をこの見地から見るとき,わたしたちすべては種々の限界があったとしても,エホバがわたしたちの欠けたところを補ってくださることを知って,魂をこめて働くことができます。要は,神の会衆によって今成し遂げられつつある,宣べ伝え,教えるという大仕事に,自分の努力が貢献しているだろうか,ということです。わたしたちは自分の業が『有益な事がらを目的とした』ものであること,「体」である会衆が成し遂げようとしている事柄を打ち壊すものでは決してないことを望んでいます。―コリント第一 12:7と比較。
歓喜する理由
5 それで,神はわたしたちをご自分の仲間の働き人として喜んで用いてくださるのです。また,わたしたちを,行なう事柄の点で比較することもされません。むしろ神は,各人に「自分自身の業がどんなものかを吟味」させるようになさるのです。「そうすれば,他の人と比べてではなく,ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」。(ガラテア 6:4)体の各部分の間には,相互作用や協働作用があります。ある部分は別の部分にできない機能を果たすかもしれませんが,たとえそうでも,そこには相互依存があるのです。一つの部分が他の部分に逆らって働くことはありません。このことは,各人が聖霊の導きの下に自分の活動分野で働くクリスチャン会衆の何と美しい例えなのでしょう。
6 あなたご自身は,ご自分の業が会衆の他のすべての人の業と結び付いており,エホバのみ名に誉れをもたらすものであることを証明しておられますか。もしそうであれば,あなたには「歓喜する理由」があります。100年以上にわたって,神の民という体の働きすべてを一つに結びつけてきたものがあります。それは「ものみの塔」誌です。10月中,野外での提供は「ものみの塔」誌の予約です。
7 家から家の業に参加なさる時,「ものみの塔」の予約を熱意をこめて提供してください。また,非公式な形で提供する機会も逃さないようにしましょう。あなたは90時間以上を開拓奉仕に費やして予約を提供する人々の一人であるという特権を得ておられるかもしれません。体が弱い人や年配の人など,ある人々は街路での証言その他の雑誌活動に数時間をささげられるかもしれません。再訪問をする時,「ものみの塔」をためらわずに勧めてください。行なえることが何であっても,エホバは魂をこめた奉仕を望んでおられることを忘れないようにしましょう。それは,自分たち個々の事情に応じて,自分にできる時間をささげるという意味です。
8 そうです,人体はすばらしい働きをするように作られています。全世界にまたがるクリスチャン会衆についても同じです。各人 ― いわば手,神経,じん帯,筋肉それぞれ ― が自分の業がどんなものかを吟味する時,この見事に協働する会衆はキリストの頭の権の下でぼう大な証しを行なうのです。
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家庭聖書研究を通して神に賛美をもたらす王国宣教 1980 | 10月
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家庭聖書研究を通して神に賛美をもたらす
1 1世紀の使徒たちや弟子たちが,人々に良いたよりを宣べ伝え教えた結果,『諸国の人々』が真理を受け入れるようになり,それは諸会衆に喜びをもたらしました。(使徒 11:18,15:3)今日,同様に良いたよりが宣べ伝えられ,関心を示す人々が家庭聖書研究によって助けられ,キリストの弟子になるのを見るのは大きな喜びではありませんか。地域大会や巡回大会の際,献身をバプテスマによって表わそうとする新しい人たちに示される温かい歓迎のしるしはこの大きな喜びを表わすものです。
2 クリスチャンに割り当てられている公の奉仕には二つの面があります。一つは神の王国の良いたよりを宣べ伝える伝道の業であり,もう一つは快くこたえ応じる人をキリストの弟子にすることです。(マタイ 24:14,28:19,20)時間を入れたり多くの文書を配布することそれ自体が目的とされるところではありません。正直な心を持つ人が真理を学び,永遠の命の見込みを持ってエホバのクリスチャン証人となることこそ,その目的です。
3 この弟子を作る業が最も良く成し遂げられるのは家庭聖書研究の活動を通してであり,真理を進歩的に教えてゆくのに時間がどうしても必要とされます。エホバの証人のすべてはこの活動に参加することを目ざすべきです。真理の知識を他の人と共にすることから喜びと幸福が得られるでしょう。―使徒 20:35。
どのように研究を始め,それを続けてゆけるか
4 ある奉仕者は家から家に奉仕する最初の訪問で聖書を学ぶことを家の人に勧めています。区域がよく網羅されている所なら,これはとても効果的です。別の方々は再訪問を何度も繰り返し,研究を持つことに成功しています。再訪問に関しては,1980年9月号「王国奉仕」4ページの提案を参照なさってください。いずれの方法で研究を勧めるとしても,聖書の優れた提案が家の人にどんな益をもたらすか,どんな良い希望が与えられるか,簡潔な見本となる研究を巧みに示してみるのは良いことでしょう。
5 研究の際,どんな出版物を用いたらよいでしょうか。このことで規則は何もありません。「良いたより」や「真理」の本を用いることもできますし,多くの奉仕者が好んで用い
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