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信仰と希望によって保護されるものみの塔 1975 | 5月15日
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力をわたしたちに与えてくれます。その信仰は,死からよみがえらされてから享受するとこしえの命のほうが,現在の幾年かの命よりもはるかに貴重であることを認識させてくれます。そしてその永遠の命を得る機会を危うくするようなことがないよう,わたしたちを守ってくれます。信仰は,古代の人々のためにもそのような働きをしました。彼らについては,聖書のヘブライ人への手紙が次のように述べています。「[彼ら]は,何かの贖い[正しいことを少し曲げること]による釈放を受け入れようとはしなかったので拷問にかけられました。彼らはさらに勝った復活を得ようとしたのです」― ヘブライ 11:35。
24 信仰はイエス・キリストをして何に耐えさせましたか。
24 イエス・キリストに完全な忠誠を保たせたのも,復活させて報いを与えるエホバの能力に対する不動の信仰でした。イエスがどんなことに耐えられたかを考えてください。イエスは,ののしられ,平手でたたかれ,こぶしでなぐられ,つばをはきかけられ,むちで打たれ,最後には最悪の犯罪者でもあるかのごとくに刑柱にくぎ付けにされて死なれました。それでもイエス・キリストは決して動揺されませんでした。イエスは報いを見失われなかったのです。信仰を強めるなんとすばらしい模範をイエスはわたしたちのために残してくださったのでしょう。このことをヘブライ 12章2,3節は次のように述べています。「彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです。そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだかたのことを深く考えなさい。それは,あなたがたが疲れて,あなたがたの魂が弱り果ててしまうことのないためです」。
25 今ある命がすべてではないという真理に一致して生きることからどんな益が得られますか。
25 今ある命がすべてでないことは確かです。この事実に一致して生きるなら,わたしたちは物質中心の人々が送る空虚でむなしい生活を避けることになります。死ぬ恐れがある時でさえも,今生きている喜びを失って将来を悲観したり,不安に思ったりすることはありません。感謝すべきことに神は,心から真理を探し求める者たちがしっかりした希望と堅い信仰を持つことができるようにしてくださったのです。
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満足のいく生き方を追い求めるものみの塔 1975 | 5月15日
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満足のいく生き方を追い求める
1 今日非常に多くの人々が生活に真の満足を見いだしていないのはなぜですか。
地球上の住民の大半は,生活に真の満足を見いだしていません。多くの人は,死と死者に関する偽りの宗教の教えの故に奴隷状態にあります。さらに他の人々は絶望感に陥りつつあります。幾百幾千万という人々は,真に満足のいく生き方を追求し始めることができるよう解放を切に必要としています。次のことを考えてみましょう。
2-4 死者についての信仰は,非キリスト教宗教に属する人々にどのような影響を及ぼしていますか。
2 アジアの大部分,そしてアフリカの多くの地域では,非常に多くの人々が,死んだ先祖を終生供養しなければならないと信じています。彼らは故人となった親族の位はいの前で香をたき,祈り,花を供え,また食物をささげることさえします。なぜそのようなことをするのでしょうか。そうした崇敬の行為は,次の世での死者の生活を安楽にし,また死者がうらみを持つ霊になるのを防ぐことができると教えられているからです。
3 とりわけ喪と葬式に際しては,遺族は多くの費用をかけて死者を助けるための努力をします。
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