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どんな悔い改めが「慰安の時」をもたらすかものみの塔 1972 | 6月1日
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今日,悔い改めと回心は,使徒時代と同様,人を別の段階,すなわちバプテスマに導きます。使徒ペテロが霊感を受けて書いた書によると,バプテスマは,「善き良心の神に対する要求」を象徴するものです。(ペテロ前 3:21)そうです,それによって人は,神との正しい関係にはいることを許されるよう神に正式に請い求め,神に対する善い良心の益を享受するのです。死を伴う罪という『王』への隷属の悪影響を経験してきたので,そのような人は,神の子が愛の心から支払われたあがないの代価によって,自分を神ご自身のどれいとして買いもどしてくださるよう,神に願い求めます。―ロマ 6:16-18。コリント前 7:22,23。
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神に献身した生活を送るものみの塔 1972 | 5月15日
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使徒ペテロは,クリスチャンのバプテスマは「肉の汚れを除くものではなく,神に対して良心を求めること」を表わしていると述べています。(ペテロ前 3:21,新)したがって,人はバプテスマを受ける際,あたかも『わたしはあなたのしもべになります』と言いえるかのように神に近づくのではありません。その人は哀願者として神のみまえにくるのです。自分がやましい心を持っているので,清くなれるように,神が自分を受け入れて良い良心を与えてくださるよう願う,もしくは求めるのです。そして神に仕えるのを許されることを希望しながらそれをお願いするのです。その人は誠実な心で自分の罪を悔い改め,心を転じ,それからバプテスマを受けます。それで神はご自分の約束どおり,キリストの犠牲を基礎としてその人を受け入れられます。
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