私は共産主義運動に自分の生き方を求めていた
「私が高校に入学した年に東大闘争があり,一連の学園紛争が起きて大学だけでなく多くの高校にもその影響が及びました。それまでは社会の問題を考えるということはありませんでしたが,逮捕されるのを覚悟で多くの学生が運動しているのを見て,彼らがこんなにも情熱を持つのはなぜだろうかと思いました。そして社会の多くの問題や矛盾を知るようになりました。例えば,それまで人種差別は外国の問題だと思っていましたが,日本に部落差別,在日朝鮮人差別,沖縄人差別があり就職や結婚,その他生活上の多くの面に影響を与えているということを知って驚きました。また,日本は平和憲法の下にありますが,実際には自衛隊という軍事力を持ち,当時は米軍基地からベトナムに向かって爆撃機が飛び立っていました。私たちの生活や平和や繁栄はこうした問題の上に成り立っており,この事実を知りながら何もせずに生きるというのは不当な抑圧を強いられている人々に対して加害者の立場に立つことになります。そしてこうした問題の根本的な原因が資本主義という経済機構にあるということを,大学に入ってマルクス主義の下に活動している人々と話し合うなかで徐々に分かってきました。そして共産主義運動だけがこれらの問題を解決し,人間が人間として生きるそうした社会を築くことができると思いました。
「大学で政治闘争のデモや集会に参加しましたが,一方自分の内面ではいつも不安が残っていました。本当にこの生活が正しいのだろうかと思いましたが,巧みな論議によって納得していきました。今ふり返ってみて,この当時私が求めていたのは人間と人間との心からの連帯感であったように思えます。表面的ななごやかさではなく一つの理想や共に何かを行なうという,生きることを共有する関係を求めていました。ですから大学に入ってから得ることのできた友人たちとの交わりは乾いている砂が水を吸いこむように私を生き生きとさせました。
「でもそうした生活も行き詰まってきました。大学当局や警察からの圧力もあり多くの処分者が出て,私もその中の一人でした。学校から足が遠のくにつれて絶望的な気持ちで生活し,お酒を飲んだり,友人とさわいだりする不道徳な毎日を過ごしていました。(ペテロ第一 4:3)そのころは生きるということはただ煩わしい事で,何かを求めれば求めるほど探しているものが分からなくなるように思えました。そんな生活から抜け出さなくてはと思い実家に帰り各種学校に通い始めましたが,毎日ゆううつで何の目的も喜びもなく,ただ純粋に求め続けた高校生のころがなつかしく,時には死を考えることもありました。命をかけて活動している人々に対して一生負い目を持って生きるのはやりきれず,良心の責めを感じました。大学の同期だった夫と結婚しましたが新しい生活に対する積極的な気持ちからではなく,自らを直視することからの逃避だったのです。
「真理を聞いたのは結婚後,死産をして自宅で安静にしていた時でした。私は健康が回復したらもう一度勉強して自分で何か社会にかかわってゆきたいと思っていましたので,神が政府を用いて全地球を支配するということが聖書の主題ということを聞いた時は驚きました。それまでは,宗教は何の力もなくむしろ貧しい人々から利益を得ているという状態を知っていましたので全く信用せず無神論の立場を取っていました。けれどエホバの証人の婦人から神の政府のもとで地球や私たちの生活が実際どういうものかということを聞いて,聖書を研究する約束をしました。聖書が歴史的にも文化的にも人々に大きな影響を与えてきたものですから,聖書を知ることは必要だと思ったのです。そうした観点から聖書を学びたいという姿勢だったので,実際行動するという点では集会の参加などなかなかできませんでした。また,神の存在を認める ― 自分の行ないを非とする ― ことはできないという思いもありました。たばこを吸っていましたし主人や友人の嘲笑もあり,世との交友を避けるということに関して中途半端な態度で研究を続けていました。けれど聖書そのものは読んで感動させられましたし,心にさわやかなものを感じました。ですから聖書の出版物もよく読みました。
「私自身の問題として真理を考えるようになったのは,『聖書はほんとうに神のことばですか』の本と『エホバの証人の1976年の年鑑』を読んでからです。聖書の客観的な事実に基づく信頼性と命をかけての偽善のないエホバの証人の記録からこの人たちには何かがあると思い,集会に定期的に交わりたいと考え,『もし神がおられるなら教えてください』と祈るようになりました。エホバの組織を知れば知るほど,それが人間の知恵によって運営されているのでないことが分かり,真理にしか希望がないと思いました。自分はどうするのかということを考えた時,他に行くべき所などあるはずがないとの結論を下し昨年の夏の府中のエホバの証人の大会で水のバプテスマを受けることができました。ごう慢だったにもかかわらず,『わたしたちをやみの権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださった』エホバ神のあわれみに対して少しでも感謝の気持ちを表わしたいと思い良いたよりを伝えています(コロサイ 1:13)」。―寄稿