生活上の思い煩いを克服した人々
人が聖書を信じ,クリスチャンとなることを何が妨げるのでしょうか。イエス・キリストは「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものです。あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです」と言われました。(マタイ 6:31,32)時としてこの点での信仰を持てないことが真のクリスチャンになる妨げになり得ます。しかし,そのような信仰はエホバの証人の間で見いだすことができます。家族を抱える一家の主人たちの経験をいくつか紹介しましょう。
新潟県のSさんは次のように自分の体験を寄せてきました。「私は4人ほどの従業員を使って飲食店を経営しています。真理を学んで一番の試練は,客足が急激に減って店の経営状態が難しくなったことです。それまでは非常に混んでいて店を閉めるのも夜中の二,三時というありさまでした。ところが真理を学ぶにつれてもっと神に仕えたいという願いが強くなってきました。それで店の営業時間を少しずつ短縮していきました。このため客足は減り問屋への支払いや従業員の給料の払いも難しくなりました。しかしエホバは本当に愛ある神です。こうした時でも確固とした態度を保ち続けるなら必ず保護を与えてくださいます。『きょう一日の必要物を与えてください』と私は祈り続けました。すぐに事態が改善されたわけではなく,その間経営の悪化が理由で両親から宗教のことを悪く言われたりもしましたが,そんな時私を励ましてくれたのがローマ 5章12節,使徒 14章15節の神の言葉でした。私たちが確固とした態度を保ち続けたためか,エホバ神はこうした重荷を取り去ってくださり今では経営状態も落ち着き,親もあまり苦情を言わなくなりました。私たちは本当に,神に忠誠を保つならば必ず保護や導きが与えられるという事を確信できます」。
また東京のKさんも次のように言いました。「私は集会や大会に出席する点で試練に遭いました。私はコーヒーの販売会社の営業所長で,夜の集会に出席するためには定時に仕事を終えなければなりませんでした。ところが実際にはその時間に部下は仕事をしていましたので,そういう状態の中でも霊的な事を第一にしようとする私に対して部長や社長は『皆の士気に影響する』として苦々しく思っているようでした。それで何度も呼び出されて『所長なのだから,集会のある日でも最後まで居残るように。自分からそうしたいと皆の前で言うように』と言われました。また『会社を第一にするなら給料や地位も上がる』といった誘惑も受けました。
「一昨年の7月の巡回大会は会社で最も重要なお中元商戦の時期に開かれることになりました。上司は『この時期に大会に行くというのなら,会社をやめるかあるいは霊的な事を一切やめるかどちらかを取るように』と迫ってきました。私も本当に会社をやめさせられるのではないかと思い,家族の生活のことも考えると確かに不安になりました。それで自分の霊性が弱っている事を率直にエホバ神に打ち明けました。それでも,いつでもエホバに忠実でありたいと願っていましたから,ルカ 16章10節の『ごく小さな事に忠実な人は多くの事にも忠実であり』という聖句を思い出し『大会に出席したいという気持ちを最後まで保たせてください』と助けを求めました。会衆の長老たちとも相談したところ『エホバに忠実に仕えるならエホバは必ずこたえてくださるでしょう』と励まされました。それで,ここで妥協することはやめようと決心し,奮い立つ気持ちで大会に出席する道を選びました。大会は霊的な糧を得るのに十分なものでした。私たち家族はそこで十分に楽しみ喜んで帰りました。会社に行けばやめるように言われるのは分かっていましたからあらかじめ退職願を書いて出掛けました。ところがエホバは,思いもかけない方法で事態を解決してくださいました。私は企画室という一人でもできる仕事に配属されることになっていました。給料も変わることなく,また定時に仕事も終われるようになり,集会にも定期的に最初から出席できるようになりました。本当に,勇気をもって一歩足を踏み出す時にエホバは保護してくださるという事を強く感じました。そればかりではなく,それからは補助開拓奉仕(1か月に60時間奉仕すること)を楽しむ月も持てるようになり,また家族との霊的な時間も多く持てるようになりました」。こうしてこの人は子供たちや妻を霊的に援助する事ができるようになり,その結果妻がよい進歩を示し去年の大会でバプテスマを受けるという大きな喜びを得ました。
時には自分の家族が先に聖書を学んでいても,種々の思い煩いのために,クリスチャンの信仰に反対する人も多くいます。東京の二人の主人たちはそれぞれ次のような経験を経て自らも聖書に信仰を持つようになりました。Uさんは次のように書いています。
「私が育った家庭環境はあまり愛や一致のない寂しいものでしたので結婚した時から家族は一致していなければならない,会話がなければならないと思い,そのように努めていました。しかし子供が生まれて間もなく妻は聖書を学びはじめ,そのうちひんぱんにまた喜々として集会に行くようになりました。妻が熱心になっていくのを見て,これでは自分の望みがくずれてしまうと思い,やり切れない気分で反対しはじめました。そのような中で妻と幼い子供にせがまれてある大きな大会に出た時,とうとう自分のうっせきしていたものを爆発させました。大勢の敬けんそうな男女子供がうだるような暑さの中で食事の列に行儀よく並び,食事を手にすると祈りはじめました。うんざりしていた私はそのような敬けんな態度がしらじらしく感じられ,思わず盛りつけられたトレーを食台の上に投げつけ『こんなまずいめしが食えるか!』と大声でどなり,妻や子供の悲しそうな姿を背に大会場を出て近くの競馬場に向かい,一かく千金を夢みて祈るような気持ちで馬券を求めました。このことがきっかけとなってその後はいつも集会に一緒に行くようなふりをし,途中まで来ては集会所の前を素通りして競馬やパチンコに行きうさを晴らしていました。また二言目には離婚という言葉を口にしました。このような私の反対やいやがらせに対しても妻や子供は,少なくとも私の前では,明るく振る舞っていました。そしてなんとか私に聖書を学んで欲しいと願っているのがよく分かりました。機会をつくっては会衆のレクリエーションや長老家族との交わりなどに,いやがる私を連れて行こうと積極的に努めていました。
「私は女子供が夜出歩くなどもってのほかといつも言っていましたが,妻は巧みに『それなら火曜日の書籍研究を家ですれば1日は出かけないで済む』と言ってきました。それもそうだと思い許可したのが祝福のはじまりとなり,それから私の方がエホバの証人のペースにのせられてゆくようになりました。ただ,何かする場合,自分で確認してからという気持ちがありましたから,妻や他の人から『もうそろそろご主人も真理を学ばれるのはどうですか』と言われるのはいやでした。それでも,幼い子供が日曜日になると,『パパとママとボクと3人で楽園に行こうよ。だから集会に行こうよ』としつようにせがみ,私がおもちゃや動物園で逆に子供の注意をそらそうとしても『集会のあとでね』と言い,最後には大声で泣き出すありさまでした。その熱心で純真な楽園への期待は私の心を動かしはじめていました。そんな頃,妻や子供を満足させてあげようという気持ちから休暇をとって名古屋の大会に行きました。そこでの四日間は,私の今までのエホバの証人を見る目を全く変えさせるものとなりました。エホバの証人の熱心で一致した自発奉仕,互いの間での親切な会話などを実際に見て,他の宗教と際立った違いのある事を認めざるを得ませんでした」。
Sさんは自分の経験とともに,同様の境遇にある人々の妻に良い提案をも述べています。「私が真理に反対した一番大きな理由はそれまで私中心だった家庭がエホバ中心になったことです。また集会に出掛けた後,一人取り残されたようで寂しくて反対しました。はじめはいやがらせのために,集会の日には妻が準備した食事は食べず外食し,わざと夜中に帰って眠らせませんでした。また勉強している机をひっくり返したり,半年ほど口をきかないといったこともしました。一方,妻と子供はどんなに反対しても集会や奉仕には出掛けて行きました。また妻としてのするべき家事は文句のつけようがないほどよくやっていました。さらに私の実家の両親や親戚によく手紙を書いてよい気づかいを示し,私の妻としての良い評判も得ていました。それでも,何か頼もうとする時に妻が勉強しているのはとてもいやなことでした。悪いことをしているわけでないので自分の方が頼むのをがまんするようになり,そのがまんがたまりたまって時には大きく爆発しました。また,何か問題があるとすぐに『聖書にはこう書いてあります』,『聖書ではこう言っています』とすぐに聖書をふりかざすのは,知らない私を低く見下げているようでとてもいやでした」。
しかしこの方はあることがきっかけとなり心が動かされて真理に耳を傾けるようになりました。続けてこう述べています。「集会に出掛ける朝子供に,私と遊ぶか集会に行くかを選ばせた時,子供が集会に行く方を選んだので,私は聖書に負けたと思いました。そして,あるエホバの証人に招待されて,義理と好奇心から集会に出席してみて,そこにいる人たちの温かい,人を引き付ける話し方にとても心がひかれました。それでエホバの証人の柔和な話し方を自分も身に着け,仕事の上で役立てたいといった利己的な気持ちから研究をはじめました。
「男として女房から自分の知らない事を聞かされるのはおもしろくありませんが,自分の知らないことを子供が語るのは親として嬉しいものです。ですから子供たちは積極的に親に証言するよう勧めます。また婦人のクリスチャンは話し方の訓練の割当てを受けた場合,それが自分のでも子供のであっても,夫に資料を渡してどこが要点か教えてもらうよう勧めます。主人は答えるために自然と熱心に資料を読むので,真理の知識を取り入れる良い機会となります。今ふり返ってみると私も妻にそうされて割当てをつくらされ,しかもそれを妻が話すのを聴くために集会に出席したのを思いだします」。