ユダヤ人たちは,イエスが男性を癒やすことで安息日を破ったと非難します。それに対し,イエスはこう答えます。「天の父は今までずっと働いてきました。それで私も働き続けています」。(ヨハネ 5:17)
イエスは,安息日に関する神の律法に反していません。伝道や癒やしを行うことにより,神の良い行いに倣っているのです。それで,毎日良いことを行います。でも,ユダヤ人たちはイエスの答えを聞いてますます怒り,イエスを殺そうとします。なぜでしょうか。
彼らは,イエスが癒やしを行って安息日を破っているという間違った見方をしているだけでなく,イエスが自分を神の子としたことで非常に腹を立てているのです。神を父と考えるのは不敬だ,自分を神と同等の存在としていることになる,というわけです。しかしイエスは恐れずに,自分と神との特別な関係について,こう話します。「父は子に愛情を抱いていて,自分がする事全てを子に示します」。(ヨハネ 5:20)
イエスの父は命を与えることができます。過去において,復活させる力をある人たちに与えたこともあります。それでイエスは,「父が死者を生き返らせて命を与えるように,子も自分が望む人に命を与える」でしょう,と言います。(ヨハネ 5:21)まさに将来への希望を抱かせる言葉です。とはいえ,神の子はすでに,神から離れてしまった人々の心が再び神に向かうよう助けています。イエスはこう言います。「私の言葉を聞いて,私を遣わした方を信じる人は,永遠の命を受けます。処罰されず,死から命へ移っています」。(ヨハネ 5:24)
イエスが誰かを実際に生き返らせたことはまだありません。しかし,そうした復活が起きることを,イエスはこう予告します。「記念の墓の中にいる人が皆,彼の声を聞いて出てくる時が来るのです」。(ヨハネ 5:28,29)
ですから,イエスには特別な役割があります。それでもイエスは,自分は神に次ぐ存在だとはっきり言います。「私は自分からは何一つ行えません。……自分の意志ではなく,私を遣わした方の意志に沿って行うからです」。(ヨハネ 5:30)イエスが人々に神の目的の中での自分の役割を話すのは初めてです。でも人々は,別の人がイエスの役割について証言したのも聞いています。イエスはその点を指摘し,「あなた方は[バプテストの]ヨハネの所に人々を遣わし,ヨハネは真理について証言しました」と言います。(ヨハネ 5:33)
イエスを非難する人々は,2年ほど前にヨハネが宗教指導者に話すことを聞いていたでしょう。それは,「預言者」また「キリスト」と呼ばれる人が自分の後から来る,ということです。(ヨハネ 1:20-25)イエスは,今は投獄中のヨハネを彼らが尊敬していたことを指摘し,「あなた方はしばらくの間,彼の光を受けて喜びにあふれたいと思っていました」と言います。(ヨハネ 5:35)しかし,イエスはヨハネを超える証言を行っています。
イエスはさらに,「[これまで行ってきた癒やしも含め]私がしている事……それが,父が私を遣わしたことの証拠となるのです」と話した上で,「私を遣わした父が私について証言してくださいました」と言います。(ヨハネ 5:36,37)例えば,神はイエスのバプテスマの時に,イエスについて証言しました。(マタイ 3:17)
ですから,イエスを非難する人たちには,イエスを退ける根拠がありません。彼らが調べていると主張する聖書そのものが,イエスの立場について証明しているのです。イエスは結論としてこう言います。「あなた方が本当にモーセを信じているなら,私を信じるはずです。モーセは私について書いたからです。しかし,モーセが書いた物を信じないのであれば,どうして私が言うことを信じるでしょうか」。(ヨハネ 5:46,47)