使徒たちと一緒に過ごす最後の晩です。先ほどイエスは,使徒たちの足を洗うことによって謙遜に仕えることの大切さを教えたばかりです。なぜその必要があったのでしょうか。使徒たちに弱点があったからです。彼らは神に献身していますが,誰が一番偉いかということに強い関心を抱いていました。(マルコ 9:33,34; 10:35-37)その弱さがまた出てしまいました。
使徒たちの間で「誰が一番偉いのか」について「激しい議論」が起きたのです。(ルカ 22:24)イエスはとてもがっかりしたはずです。どうするでしょうか。
イエスは彼らの態度や行動を叱らず,根気強く接し,考えさせます。「諸国の王は威張り,権威を持つ人たちは功労者と呼ばれます。しかし,あなたたちはそうであってはなりません。……というのは,食事をしている人と給仕している人では,どちらが偉いですか」。そして,自分が示してきた手本を思い出させ,「しかし私は,あなたたちに仕える人です」と言います。(ルカ 22:25-27)
使徒たちは不完全ですが,困難な時期にイエスとずっと一緒にいました。それでイエスは,「私は,天の父が私と契約を結んだように,あなたたちと王国のための契約を結[ぶ]」と言います。(ルカ 22:29)彼らはイエスに忠節な人たちです。イエスは契約を結ぶことにより,彼らが王国に入り,共に支配することを保証します。
そうした素晴らしい希望があっても,使徒たちは弱点を持つ不完全な人間です。イエスは,「サタンはあなたたちを渡すよう要求しました。小麦をふるいにかけるように試すためです」と話します。(ルカ 22:31)そして,こう警告します。「今夜,あなたたちは皆,私を見捨てます。『私は牧者を打つ。すると,群れの羊は散り散りになる』と書いてあるからです」。(マタイ 26:31。ゼカリヤ 13:7)
するとペテロは自信満々な態度で,「ほかのみんながあなたを見捨てても,私は決して見捨てません!」と主張します。(マタイ 26:33)そこでイエスは,今夜おんどりが2度鳴く前にあなたは私を知らないと言う,と話します。しかしイエスはこうも言います。「私は,あなたの信仰が尽きないように祈願しました。立ち直った後は,兄弟たちを力づけなさい」。(ルカ 22:32)それでもペテロは,「たとえ一緒に死ぬことになるとしても,あなたを知らないとは決して言いません」と言い張ります。(マタイ 26:35)他の使徒たちも同じことを言います。
イエスはこう話します。「私はもうしばらくあなたたちと一緒にいます。あなたたちは私を捜すようになります。私はユダヤ人たちに,『私が行く所へあなた方は来ることができない』と言いましたが,今はあなたたちにも同じように言います」。そしてさらにこう言います。「新しいおきてを与えます。それは,あなたたちが互いに愛し合うことです。私があなたたちを愛した通りに,あなたたちも互いを愛しなさい。あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。(ヨハネ 13:33-35)
ペテロは,イエスがもうしばらくの間だけ一緒にいると聞いて,「主よ,どこへ行くのですか」と尋ねます。イエスは,「あなたは私が行こうとしている所へ今は付いてくることができません。しかし後で来ることになります」と答えます。ペテロはその意味が分からず,「主よ,どうして今は付いていけないのですか。あなたのためには命もなげうちます」と言います。(ヨハネ 13:36,37)
次にイエスは,使徒たちをガリラヤの伝道旅行に送り出した時のことを話します。その時,彼らは財布や食物袋を持たずに出掛けていきました。(マタイ 10:5,9,10)イエスが,「何にも不足しなかったのではありませんか」と尋ねると,使徒たちは,「はい,何にも!」と答えます。しかし,これからはどうなのでしょうか。イエスは言います。「財布がある人はそれを持ち,食物袋も同じようにしなさい。剣を持っていない人は,外衣を売ってそれを買いなさい。というのは,書かれている事,すなわち『彼は不法な者たちと共に数えられた』という言葉は,私に関して必ず成し遂げられるからです。これは私に関して実現しつつあります」。(ルカ 22:35-37)
イエスは,自分が不法な者たち,つまり犯罪者と並んで杭にくぎ付けにされる時のことを話しています。その後,弟子たちはひどい迫害に遭うでしょう。使徒たちは,その準備ができていると考え,「主よ,ご覧ください,ここに剣が2本あります」と言います。イエスは,「それで十分です」と答えます。(ルカ 22:38)その後間もなく,イエスはこの剣に関係した教訓を与えることになります。