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エホバの清い崇拝 ついに回復される!
清 102–103ページ
聖書研究者たちが1919年に開いた大会で,ジョセフ・F・ラザフォードが木々の下に座る大勢の聴衆の前で話をしている。

1919年ねんに開ひらかれた画かっ期き的てきな大たい会かいは,神かみの民たみが大おおいなるバビロンからついに解かい放ほうされたことを示しめす強きょう力りょくな証しょう拠ことなった。

囲み 9B

なぜ1919年ねんか

神かみの民たみは大おおいなるバビロンに捕とらわれた状じょう態たいから1919年ねんに解かい放ほうされた,と言いえるのはなぜでしょうか。聖せい書しょの預よ言げんと歴れき史しの事じ実じつを照てらし合あわせると,その理り由ゆうが分わかります。

聖せい書しょ預よ言げんと歴れき史しはどちらも,イエスが確たしかに1914年ねんに天てんで王おうとして統とう治ちし始はじめたことを示しめしています。その時ときに地ち上じょうで,サタンの体たい制せいの終おわりの時じ代だいが始はじまりました。では,イエスは王おうになった時ときに何なにを行おこなったでしょうか。地ち上じょうで自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちを,大おおいなるバビロンに捕とらわれた状じょう態たいから直ただちに解かい放ほうしたのでしょうか。1914年ねんに「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を任にん命めいし,収しゅう穫かくの大おお仕し事ごとを始はじめましたか。(マタ 24:45)

そうではありませんでした。使し徒とペテロが神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれて記しるしたように,裁さばきが「神かみの家いえから始はじまる」ことになっていました。(ペテ一いち 4:17)預よ言げん者しゃマラキも同おなじように,エホバが「契けい約やくの使し者しゃ」である子こイエスを伴ともなってご自じ分ぶんの崇すう拝はいの家いえに来くる時ときのことを予よ告こくしていました。(マラ 3:1-5)それは民たみを精せい錬れんし,試ためす期き間かんとなります。こうした預よ言げんの通とおりになったことを歴れき史しは示しめしているでしょうか。

確たしかに示しめしています。1914年ねんから1919年ねんの前ぜん半はんにかけて,聖せい書しょ研けん究きゅう者しゃたち(エホバの証しょう人にんは当とう時じそう呼よばれていた)は試ためされ精せい錬れんされる困こん難なんな時じ期きを経けい験けんしました。1914年ねん,神かみの民たみの多おおくは,体たい制せいの終おわりが期き待たい通どおりに来こなかったことに落らく胆たんしました。1916年ねん,神かみの民たみの間あいだで中ちゅう心しん的てきな役やく割わりを果はたしていたチャールズ・T・ラッセルが亡なくなると,落らく胆たんは深ふかまります。ラッセル兄きょう弟だいを過か度どに慕したっていた人ひとたちは,後あとを継ついだジョセフ・F・ラザフォードに激はげしく反はん対たいしました。分ぶん裂れつが生しょうじ,1917年ねんに組そ織しきは真まっ二ぷたつになりかけます。さらに,1918年ねん,おそらく聖せい職しょく者しゃたちの扇せん動どうにより,ラザフォード兄きょう弟だいと仲なか間ま7人にんが裁さい判ばんにかけられて不ふ当とうにも有ゆう罪ざいを宣せん告こくされ,刑けい務む所しょに送おくられました。ブルックリンの本ほん部ぶは閉へい鎖さされました。明あきらかに,神かみの民たみはまだ大おおいなるバビロンから解かい放ほうされていませんでした。

しかし,1919年ねん,まさに目めまぐるしい変へん化かが生しょうじます。その年としの前ぜん半はんにラザフォードと仲なか間またちは釈しゃく放ほうされ,すぐさま活かつ動どうを再さい開かいしました。短たん期き間かんのうちに,画かっ期き的てきな大たい会かいが計けい画かくされ,伝でん道どうで使つかうための「黄おう金ごん時じ代だい」(現げん在ざいの「目めざめよ!」)という新あたらしい雑ざっ誌しが出しゅっ版ぱんされることになりました。加くわえて,伝でん道どう活かつ動どうを組そ織しきして促そく進しんするために,各かく会かい衆しゅうに監かん督とくが任にん命めいされました。同おなじ年としに,伝でん道どう活かつ動どうを組そ織しきする助たすけとして「会かい報ほう」(現げん在ざいの「クリスチャンとしての生せい活かつと奉ほう仕し 集しゅう会かいワークブック」)の出しゅっ版ぱんも始はじまりました。

こうした出で来き事ごとから明あきらかなように,キリストは民たみを大おおいなるバビロンに捕とらわれた状じょう態たいから解かい放ほうしました。そして,忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れいを任にん命めいしました。その結けっ果か,収しゅう穫かくが推おし進すすめられるようになりました。1919年ねんという重じゅう要ような年とし以い降こう,収しゅう穫かくは驚おどろくべき規き模ぼで行おこなわれてきたのです。

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