生命の監督
1 すべての創造物をご自分と一致させるために,エホバは何をとりきめられていますか。生命を得るためには何が必要ですか。
エホバは偉大な監督です。エホバは全創造をあまねく監督されて御心の成就を図ると共に,生命の権利を持つ者を正しい道に歩ませ,生命の権利を保たせます。エホバは目的の神,秩序の神です。よい組織を維持するために,霊者および生命のあるものも,無生物にも,それぞれの場所を与え,また全創造物を常にご自身に一致させるために,自然界の法則と共に道徳律を定めました。創造物によっては,無限とも言える距離をへだてていようとも,エホバの目が届かないことはありません。詩篇を書いたダビデは,すべてのものを見るエホバの視界について,次のように述べました,「ヱホバはその聖宮にいます,ヱホバのみくらは天にあり,その目はひとのこをみその眼瞼はかれらをこころみたまふ」。(詩 11:4)偉大な監督であるエホバは,しらべ,指図し,必要に応じて矯正を与えます。エホバの定めに従うことは,生命を意味します。そのことは昔でも今でも変わりません。エホバのかえりみの日は私たちの上に臨んでいます。―ペテロ前 2:12。
2 ヘブル語およびギリシャ語の「監督」という言葉は何を意味しますか。
2 「監督」という言葉は,ヘブル語(パジッド)でもギリシャ語(エピスコポス)でも,その意味は,調べる目的で訪れる者という意味です。おとずれまたは調査は,見出された状態に従い,また是正に何を要するかに従って,友好的なものともなり,厳しいものともなります。その責任を正しくはたすために,監督は一定の事態に面したとき,何を注意して見るか,どこを見るか,至上者の原則をどのように施行するかを知らなければなりません。監督の手には罰やこらしめと共に祝福また賞賛を与える力が委ねられているのです。しかしこの委ねられたものをどのように用いるかについては,監督はエホバに対して責任を負います。
3 独り子は良い監督であることを,どのように証明しましたか。
3 エホバの創造のはじめである独り子は,忠実な監督であることを証明しました。おもな働き人となって御父と共に働いた御子は,「天にあるものも地にあるものも,見えるものも見えないものも,位も主権も,支配も権威もみな」造りました。(コロサイ 1:16,新口)地上においてその監督のわざを忠実に果たしたので,御子はエホバの御国の王としていっそう大きな栄光と力を与えられました。それは「イエスの御名によって,天上のもの,地上のもの,地下のものなど,あらゆるものがひざをかがめ」るためです。―ピリピ 2:10,新口。
4 独り子の行いを,おおうことをなすケルブのそれと対照しなさい。
4 独り子の歩んだ道は,エホバの霊的な子のひとり,遊星の地における一定の事柄の管理を委ねられた一人のケルブの行いとは,著しい対照をなしています。広大な宇宙にくらべれば,この地球がたとえ一点に過ぎなくても,その任務はきわめて重大なものです。ごく限られてはいても思考力を持ち,神のように行なうことのできる,理知ある肉の被造物を造る神の時が来ていました。「神は自分のかたちに人を創造された」。(創世 1:27,新口)どこを見ても,人間が宇宙内の他の場所にいるべきであったとは考えられません。人間はふえて地をみたし,全地を治めて楽園にするはずでした。この霊者の監督は,神の御心が地上で成就されることに大きな関心を持つべきであり,自分の創造者また人間の創造者に,賛美と崇拝がささげられるようにするべきでした。それは自分の理解に頼って事を行なう時ではありません。
5 (イ)おおうことをなすケルブ,アダムとエバは,エホバの監督をどのように無視しましたか。(ロ)「信者になって間もないもの」を監督に任命することは,どうして危険ですか。
5 この完全で,従順な神の子は,主たる監督であるエホバに背き,そしる者,反対者,心の腐った者になりました。この者と最初の男女は死を宣告され,全地を楽園にするわざを監督する特権を失いました。女のエバはかしらのアダムに指図を仰ごうとせず,制度に関する定めを破りました。一方,利己的な心のために盲目になったアダムは,明白ないましめを与えたエホバに従おうとせず,制度的に自分よりも低い人間の言うままになりました。二人は「日の涼しい風の吹くころ,園の中に…歩まれる」偉大な監督の前で,申し開きをすることができず,その検閲に合格しませんでした。(創世 3:8,新口)後になって使徒パウロは若い監督テモテに教訓を与え,クリスチャン会衆の監督の資格を述べたとき,地球の監督であったこの霊者の転落について述べています。監督は「信者になって間もないものであってはならない。そうであると,高慢になって,悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。さらにまた,外部の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと,そしりを受け,悪魔のわなにかかるであろう」。(テモテ前 3:6,7,新世)監督は権力を与えられたからといって,高慢になる理由は少しもありません。そして信者になって間もない人は,安心してこの権威を委ねられる人であることを示す必要があります。これは生命の問題です。
6 過去において,大多数の不忠実な人とは対照的にエホバに忠実な小数の僕は,エホバの監督に対する認識をどのように示しましたか。
6 最初の人間はエホバに牧されることを選ばず,その結果,子孫と共に罪と死に定められました。人間の歴史の中でも,エホバの恵みを求め,エホバと和解した人はごくわずかでした。しかしそれらの人々は,エホバの目が自分たちの上にとめられていることを喜びました。そして彼らのために行なわれたエホバのみわざに喜びました。その人数が増加して,組織,律法,定めが必要となったとき,彼らは喜んでエホバの導きに従いました。また地球の歴史,良いものも悪いものも地上における人間のさまざまの営み,将来に対する神の御目的が,神の霊感によって1冊の本の中に記録されたことは,彼らの喜びです。この事を考慮しつつ,私たちは神がご自分にすすんで仕える者に対して何をされたか,その導きに従う者にどう報われたかをしらべます。
7 洪水前,神の恵みを得た人々としてしるされているのはだれですか。どんなことが,ノアの時代の洪水をもたらしましたか。
7 アダムの堕落後,約1600年を経て起きた大洪水の時まで,正しい人として聖書に記録されているのはごくわずかな人です。その中でも有名な人は,死ぬまでエホバの忠実な僕だったアベルとエホバの忠実な預言者エノクです。エノクの曾孫ノアは,500歳を過ぎてからセム,ハム,ヤペテをもうけました。エホバは,大洪水の直前のこの時までに地上の人間がほしいままにしてきた堕落のさまを,とくとごらんになり,「すべてその〔人間の〕心に思いはかることが,いつも悪い事ばかりである」時代の只中で,ただ8人の人だけが例外であるのを見られました。―創世 6:5,新口。
8 ノアはエホバの導きの下にあって良い組織者であることを,どのように証明しましたか。自分と家族にとってどんな結果となりましたか。
8 ノアはエホバの監督の下に従順に行動しエホバはノアとその家族を組織して,各種の動物と共に自分たちの生命を守るための箱舟を作らせました。それは地の上で新しい出発をするためでした。洪水の水の降りそそぐ前に箱舟を完成し,動物を集め,自分と家族また動物のために十分の食料を積み込むため,ノアが行き届いた監督をすることはどうしても必要でした。何ひとつとして成り行きに任せることはできません。これは生命の問題でした。すべてのものを調べることが必要でした。そして用意万端ととのってからはじめて,「ヱホバすなわち彼を閉置たまへり」「ノアはすべての神の命じられたようにした」。(創世 7:16; 6:22,新口)このためにノアは監督として成功をおさめました。
9 ノアの時代に起きた事から,どんな教訓を学びますか。
9 この大洪水は,エホバが終りの日の悪を滅ぼし,ご自分に正しく仕える人々を正義の新しい世に生き残らせることを表わすものとなりました。私たちはいまその時に生きています。それで偉大な羊飼エホバとエホバの制度の監督に従ったノアとその家族の手本を心に留めるのは良いことです。―イザヤ 26:20,21。マタイ 24:36-42。
10 エホバはアブラハムに対する御約束を成就して,イスラエルの国民をどのように組織されましたか。
10 大洪水の後426年を経て,偉大な信仰を持った人アラブハムが出ました。その信仰のゆえに,全人類の祝福となる裔を生み出す契約が結ばれたのです。アラブハムの孫ヤコブの12人の息子は,イスラエル民族の支族のかしらでした。偉大な監督エホバは,アブラハムとの約束を忠実にはたしました。それでいろいろな出来事のために,イスラエル人はエジプトの地で奴隷となりましたが,エホバは愛の御手によって彼らを組織し,監督して約束の地に連れ戻しました。「ヱホバかれらの前に往たまひ晝は雲の柱をもてかれらを導き夜は火の柱をもて彼らを照し…たまふ」― 出エジプト 13:21。
11 モーセは神の知恵に従って,イスラエルの国民をどのように組織しましたか。
11 現代の運輸機関のない時代に,各自の持物を携えた2,300万の人々,また幕屋の全部品を持ち運ぶ人々の一隊を進ませることを,考えてごらんなさい。これを組織するのは容易なことではありません。しかしモーセの下で組織を司る70人のかしら,祭司,1000人,100人,50人,10人のそれぞれの長は各人の務をよく知り,密接に結びついた組織となって協力しました。各支族は幕屋のまわりに定まった場所を与えられ,行進のときの順も定められていました。また問題や争いを解決するにあたって,律法と原則を施行することも行なわれました。モーセ一人でこれをすることは荷が重過ぎたので,他の者を補佐に任命してこの任に当らせるという,しゅうとエテロのすすめにモーセは従いました。これは神からの実際的な知恵でした。「また,すべての民のうちから,有能な人で,神を恐れ,誠実で不義の利を憎む人を選び,それを民の上に立てて,千人の長,百人の長,五十人の長,十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ,大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ,小事件はすべて彼らにさばかせなさい」。―出エジプト 18:21,22。
12 エホバの監督に従うことは,ユダヤ人にとってどんな益となるはずでしたか。
12 この国民はメシヤの到来に先立つ「祭司の国,聖なる国民」でした。エホバから律法と戒めを与えられて後,「是においてモーセ来りて民の長老等を呼びヱホバの己に命じたまひし言をことごとくその前に陳たれば民皆等しく応へて言けるはヱホバの言たまひし所は皆われらこれを為べしと」。(出エジプト 19:6-8)この契約に忠実ならば,彼らはエホバから繁栄を与えられ,不忠実になるならば捨てられます。「そは汝の神ヱホバ汝を救ひ汝の敵を汝にわたさんとて汝の陣営の中を歩きたまへばなり是をもて汝の陣営を聖潔すべし然せば汝の中に汚なき物あるを見て汝を離れたまふことあらざるべし」― 申命 23:14。
13 ユダヤ人は約束を守りましたか。その約束とは対照的に,聖書の歴史は何を示していますか。
13 「ヱホバの言たまひし所は皆われらこれを為べし」と答えたものの,彼らの大多数はその言葉を守りませんでした。ユダヤ民族の歴史は多事多難な時代の連続であり,不従順,反逆,つぶやき,背教と腐敗によって特色づけられています。約束の地に達したとき,彼らは王であるエホバと国民の事柄を司った裁き人,祭司に満足せず,王を求めましたが,そのことは彼らのわなとなりました。最初の王サウロは悪事を重ねましたが,中でも軍隊が戦闘に突入する前,預言者サムエルの到着を待たずに犠牲をエホバにささげて,僭越な行いをしました。王位はサウロから取られて,エホバの御心にかなった人ダビデに与えられました。ダビデとその支配は,天の王キリスト・イエスの支配を表わすものです。ダビデはそのためにエホバに用いられました。ダビデはクーデターに訴えてサウロを王位から追うような早まったことをせず,エホバがこの不忠実な者を除くことをよしとされるまで待ちました。これは今日の私たちにとって良い手本です。
14 エルサレムに真の崇拝を復興させるため,エホパはご自分の民をどのように組織されましたか。
14 不忠実に徹した国民は破滅に陥り,偽りの崇拝の中心地バビロンに70年のあいだ捕われました。御約束にたがわずエホバは救いを施し,エルサレムにエホバの家を再建せよとの命令が出されました。宮の建築のわざを組織したのは総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアです。エホバは,この大規模なわざを行なうにあたって検閲し,指図し,矯正を与えたこの忠実な監督を祝福しました。宮の完成と共に,献堂式が行なわれました。「またモーセの書にしるされてあるように祭司を組別により,レビびとを班別によって立て,エルサレムで神に仕えさせた」― エズラ 6:18,新口。
15 エズラとネヘミヤは,良い監督であることをどのように証明しましたか。
15 エホバはアルタシャスタ王の心を感動して,制度に対する次の命令をエズラに与えさせました。「エズラよ,あなたはあなたの手にある神の知恵によって,つかさおよび裁判人を立て,川向こうの州のすべての民,すなわちあなたの神の律法を知っている者たちを,ことごとくさばかせよ。あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ」。(エズラ 7:25,新口)城壁と町はネヘミヤの下で完成しました。以前のある監督とはおよそ異なり,ネヘミヤは民を圧迫せず,特別な恩恵を求めませんでした。「わたしは神を恐れるので,そのようなことはしなかった。わたしはかえって,この城壁の工事に身をゆだね,どんな土地をも買ったことはない。わたしのしもべたちは皆そこに集まって工事をした」。ネヘミヤは清い良心をもって次のように祈ることができたのです,「わが神よ,わたしがこの民のためにしたすべての事を覚えて,わたしをお恵みください」。―ネヘミヤ 5:15,16,19,新口。
16 キリストの来たとき,真の崇拝はどの程度まで堕落していましたか。なぜそれは重大な時でしたか。
16 キリストの到来にはまだ約450年ありました。その間には更に二つの世界強国ギリシャとローマがエルサレムを支配し,異邦人の苛酷な支配を行なうはずでした。国をあげて真の崇拝を軽視する風潮が,こっそりとはいり込んできました。ユダヤ人は何度も反逆しましたが,解放されるどころか,かえって他の国民からいっそう圧迫されました。1世紀のユダヤの組織制度は神の清い言葉から離れ,先祖伝来の言伝えによって人々の行動を律する事とサンヘドリンがあらゆる事の中心となっていたのです。大祭司と補佐の祭司がいて犠牲をささげ,宮でつとめを行なっていましたが,実際の行いは人間の教えと相まってモーセの律法の精神を踏みにじるものでした。彼らを真の崇拝に立ち帰らせる指導者,忠実な監督が是非とも必要です。人々の生命がそのことに依存していました。いまや裁きの時が来たからです。
17 新しい組織制度の監督として,イエスは地上で何をしましたか。
17 キリスト・イエスが宣教を始めたとき,エルサレムにおいてローマの支配を代表したのは総督ピラトでした。イエスはイスラエルを支配する王になることを求めず,ローマ帝国の権力を払いのけようとしませんでした。イエスが来たのは「失われたものを尋ね出して救うため」であり,新しい組織制度を準備するためでした。この新しい組織制度は,不従順,罪,死そしてあらゆる忌むべき結果を取り除くという神の御約束をことごとく成就します。イエスは真の監督となったかたであり,ご自分を立派な羊飼であると述べました。「羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す」「わたしがきたのは,羊に命を得させ,豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は,羊のために命を捨てる」。―ルカ 19:10。ヨハネ 10:3,10,11,新口。
18 イエスはその音信に答え応じた人々を,どのように訓練しましたか。その音信を拒絶した人々はどうなりましたか。
18 イエスは3年半のあいだ,ユダヤ人に伝道しました。ご自分で精力的な伝道活動を行なったほかに,イエスはその昇天後にもわざをつづけてゆくように使徒や弟子たちを訓練しました。イエスのなさった事には,愛があふれていました。矯正やこらしめも時には必要でしたが,イエスは何が必要か,またどのようにそれを与えるかをはっきり知って,理解のある態度で弟子たちをいましめました。イエスは指導者であり,ご自分の後に従うことを追随者に求めました。一国民としてのユダヤ人は,監督であり,生命の与え主であるイエスを拒絶したのです。そこでイエスは言われました,「ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それなのに,おまえたちは応じようとしなかった。見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」。70年にローマ人は町を陥れて,略奪をほしいままにしました。こうしたことはすべて「おまえが神のおとずれの時を知らないでいたから」起きたのです。―ルカ 13:34,35; 19:44,新口。
19 キリストの死後,クリスチャン会衆はどのように発展しましたか。どんな結果となりましたか。
19 イエスの死と五旬節の後,追随者に加えられた迫害にも,わざは停滞せず,かえって良いたよりはひろまりました。五旬節の日,助け主である約束の聖霊が与えられました。使徒をはじめ,古い人々がわざを監督し,エルサレムから代表者が各地に送り出されました。「彼〔イエス〕は高いところに上った時…人々に賜物を分け与えた。…そして彼は,ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を伝道者とし,ある人を牧師,教師として,お立てになった。それは,聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ…るためである」。(エペソ 4:8,11,12,新口)聖徒の諸会衆が組織され,その上に監督が立てられました。その信仰を強め,固くするために,エルサレムの統治体から指示が送られました。統治体から出された注目すべきひとつの布告は,使徒行伝 15章にしるされています。神の言葉に固くつき従い,聖霊の導きの下に下された統治体の決定は,原則にのっとるものであって不当な拘束を加えるものではありませんでした。当時におけるエホバの地的な制度の指示に忠実に従ったことから,諸会衆は「その信仰を強められ,日ごとに数を増していった」のです。―使行 16:5,新口。
20 パウロは何のためにテトスをクレテに残しましたか。監督になる見込みのある人を考慮するときに,どんな資格が求められましたか。
20 パウロ,バルナバおよび他の忠実な人々が統治体の代表として諸会衆を訪問したとき,この決定を読み聞かせ,また監督としてよく奉仕しました。宣教旅行の途中で使徒パウロはあるとき,テトスをクレテに残してきたことがあります。テトスは「欠けたる所を正し,且わが命ぜしごとく町々に長老を立て」る権威を与えられました。(テトス 1:5-9)同様な指図は,若い監督テモテにも与えられています。(テモテ前 3:1-7)監督はあらゆる点において,非の打ち所のない人であるべきです。自分の家族をよく治め,御霊の実を結ぶ人であって,「教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは,彼が健全な教によって人をさとし,また,反対者の誤りを指摘することができるためである」。
21 道徳的に非の打ちどころがないというほかに,監督には何が要求されますか。
21 クリスチャン会衆の監督は少しも非難のない人でなければなりませんが,道徳的に清い人というだけにとどまらず,会衆の内外において良い評判を得ていなければなりません。監督はよいわざに富み,その監督の下におかれるすべての人に対して,愛に根ざした関心を払わねばなりません。また羊飼が自分に委ねられた羊を守るように,群れを保護すべきです。使徒パウロは船でエルサレムに向かう途中,ミレトの港に立ち寄り,そこから人をエペソにやって会衆の古い人々を呼び寄せました。使徒行伝 20章の記録はそのことを告げています。パウロは,すべての人の血に対して自分は潔白であると言明しました。それは神の御旨をことごとくエペソの人々に告げたからです。また次のように言葉を加えました,「どうか,あなたがた自身に気をつけ,また,すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は,神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために,あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。…わたしは,あなたがたもこのように働いて,弱い者を助けなければならないこと,また『受けるよりは与える方が,さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを,万事について教え示したのである」。―使行 20:27-35,新口。
22 (イ)使徒ヨハネはその宣教の後期において,どのように会衆のよい監督でしたか。(ロ)黙示録 1章によれば,キリストは周到な監督として何をしていますか。
22 使徒たちは最後の使徒であるヨハネに至るまで,みな会衆に深い関心を寄せていました。会衆を訪問して親しく励まし,指図と矯正を与えただけでなく,会衆に手紙を書き送ったのです。これらは当時広く流布され,さいわいにも聖書の一部となって今日に伝えられています。しかし預言によれば,「不法の人」,すなわちクリスチャンと唱える人々の背教の指導者が現われて,クリスチャン会衆の上に次第に強い影響を及ぼすでしょう。西暦100年頃には年老いた使徒ヨハネも世を去ろうとしており,従って不法を阻止していた者の最後の者が除かれようとしていました。(テサロニケ後 2:1-12)エホバ神から御子キリストを通して強い,しかし励ましを与える助言を与えられることが必要でした。これはヨハネに与えられ,ヨハネの手で諸会衆の監督に与えられるはずでした。小アジアにある七つの会衆は,当時の全部の会衆を代表していましたが,特に今日,地上にある,霊に生み出された者たちの会衆を表わしています。ヨハネはこの幻を与えられたとき,霊感によって「主の日」にいたからです。ヨハネは七つの燭台を見ました。それは霊に生まれた者たちの会衆全部を表わしています。燭台の間を歩む者は忠実な監督キリスト・イエスであり,検閲し,指図し,真の崇拝と神権的な進歩を阻む事柄を矯正します。各会衆には一人の監督がいました。監督は星によって表わされています。七つ(完全な数)がキリストの右の手にあり,キリストの支配を受けていました。監督はキリストの導きに従わねばならず,キリストを通して働く聖霊によって任命されたこと,キリストに対して申し開きすべきことを何時も心に覚えなければなりません。星の光が燭台の光よりも強いように,監督はよいわざ,よい行い,模範を示すことによって光り輝かなければなりません。
23 ある会衆はどんな点をほめられましたか。またある会衆はどんな事に欠けていましたか。
23 当時の七つの会衆の状態は,今日の会衆に存在し得る状態を表わしています。それで与えられている助言に従うことによって,監督は事態にどう対処すべきかを知ります。ある会衆はその労と忍耐をほめられましたが,奉仕と集会の出席がおろそかになっていました。神の奉仕のあらゆる面を行なわなかったため,霊的に死んでしまった会衆もありました。目ざめて,個人研究,集会の出席,宣教活動に精を出すことが必要でした。監督は会衆をはじめの愛に立ち帰らせるため,率先して導かねばなりません。ある会衆は物質主義の影響に屈しなかったことをほめられましたが,国家主義,宗教宗派の風潮の犠牲になる危険に瀕していました。監督は自分の地位を利得のために用いたり,性的な不道徳に陥らぬように,また会衆が不道徳によって汚れることのないように,注意しなければなりません。姉妹は会衆内における地位から出過ぎないようにし,クリスチャンの婦人にふさわい柔和,しとやかさを示して協力しなければなりません。なまぬるい態度をとることはできません。人は全くエホバの側に立っていることが必要です。またエホバに専心の献身をすることによって得る霊的な富の価値を知らねばなりません。―黙示録 1-3章。
24 会衆内で何を保護しなければなりませんか。指示はどのように会衆に与えられましたか。
24 アジアにある七つの会衆の監督に与えられた助言は,十分に適用すべきものでした。それは会衆が繁栄し,エホバの聖霊の自由な働きを妨げる状態が存続しないためです。ここで注目すべきことは。これらの指図がまず地上のヨハネに与えられ,それから会衆の監督に伝えられて,実行に移されたことです。エホバは何時でも制度的な手段を用いて,御心を行なわれます。エホバは秩序の神,目的の神,原則の神です。エホバの制度と一致し,その監督と一致して働くことは,神の僕の生きた時が何時であっても,祝福と繁栄を意味しました。エホバの愛の監督に答え応ずる人は,永遠の生命の報いを得ます。