日毎に知識を加えて平和に住む
平和,それは楽しく,また望ましいありさまです。これはとくに神との関係,クリスチャンの仲間との間柄についてあてはまります。弟子とのわかれの話の中で,イエスは,「われ平安を汝らにのこす。わが平安を汝らに与ふ。わが与ふるは世の与ふるごとくならず汝ら心を騒がすな,またおそるな」と言って,キリストにならう者すべてがそれぞれ平和を持たねばならぬ事を教えました。―ヨハネ 14:27。
クリスチャンはこの平和を得るためになにをしたら良いでしょう。神のことばである聖書,神の地上の組織,および神の聖霊を通して神から与えられる知識を定期的に,日毎に取り入れるべきです。イザヤはこの事を前以って告げて,「またなんぢの子らは皆エホバに教をうけ,なんぢの子らのやすきは大いならん」と述べました。―イザヤ 54:13。a
この面でイエスは,若い時から実に良い模範を見せたではありませんか。「イエス智慧も身のたけもいやまさり,神と人とにますます愛せられ給ふ」。その宣教の記録を調べると,イエスが聖書に精通していた事を認めぬわけにはゆきません。試むる者の誘惑をしりぞけ,逆らう者の言説を論破し,群衆を前に力強い話をした時,すばやく,しかも実に巧みに神のことばを引用したではありませんか。―ルカ 2:52。マタイ 4:3-10; 5:27-42; 22:29-40。
こうしてイエスが聖書に通ずるためには,それだけ多くの時間をかけねばなりませんでした。私たちとて同じことです。追いまくられるように忙しい今の古い世にあっては,私たちの時間を要求することがらが実に多くあります。それゆえ,個人の勉強,家族の勉強,会衆での勉強の時間を生み出すために,それほど重要でない事を整理しなければなりません。そうです,まさに聖書もすすめる通り,「賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」。―エペソ 5:15,16,新口。
知識を増し加え,平和に住むためには,聖書の勉強をする際に,霊的な食欲を強く,すなわち,自分は霊的な物が必要だとはっきり自覚していたいと思われるでしょう。しかし,きつくなるほどたくさん食べてものうくなっている時,また何時間もテレビを見て眠気をもよおしている時などに,どうしてそんな気がまえになれるでしょう。「銀のごとくこれを探り,かくれたる宝のごとくこれをたずねば,…神を知ることを得べし」と箴言のことばが述べている通りに,落ち着いた勉強をし,十分に調べ,十分に知識を掘り出すためには,単に勉強したいと願うだけでなく,勉強にふさわしい精神状態を整えねばなりません。―箴言 2:4,5。
良い成果を望むなら,定期的に勉強しなければなりません。からだの健康を守り,体力を維持するために,週に一度か二度の食事でまにあいますか。霊的な健康を保ち,霊的な力を培うためにも,規則的に,しかも日毎に,霊的な食物で自らを養わねばなりません。それで聖書を読み,その意味をゆっくり考えることのために,毎日いくらかの時間を取りなさい。
エホバ神がみこころに従ってそなえられた聖書研究用の手引を学ぶなら,次々と新しい知識に接するでしょう。そんな場合にどうしますか。ただ批判的な態度で読みますか。いえむしろ,昔のベレヤの町の人々の模範にならうべきです。「こゝの人々は…心よりみことばを受け,この事正しくしかるか然らぬか日々聖書をしらぶ」。新しい真理を学び,それを確かめるなら,それを自分の一部とし,私たちのひな型であるイエス・キリストに似る者となるべく,それをして私たちの人格を変えるものとならせなさい。―使行 17:11。コロサイ 3:10。
もう一つ注意しなければならぬ点をあげましょう。会衆の集会にそなえて予習をする場合でも,あるいは,講演を準備し,プログラムの一部を研究し,新しい本の内容を読み取る場合でも,自分が今している勉強の主題から離れてはなりません。肉や野菜など晩の買物のためにスーパーマーケットに行ったはずなのに,特売があったからといって,石けんや化粧品でかごを一杯にして帰るどこかの婦人の真似をしてはなりません。手元にある仕事に心をそそぎなさい。
知識を加えるのに役立つ多くの方法がありますが,中でも効果的なのは,復習,熟考,討議です。一人でしばらく勉強したなら,なにを学んだのか簡単に振りかえってごらんなさい。一人で歩いている時,だれかを待っている時など次の機会をとらえ,学んだ事を思い出し,その意味を深く考えてごらんなさい。さらにまた,もし機会が許すなら ― たとえば社交的な集まりのおりなどに ― 努めて共なるクリスチャンの仲間と学んだ事柄を話し合ってごらんなさい。事実,どんな知識にも伴うものがあるのです。それは,自分が得た知識を他の人と共に分かちあうという責任です。こうして進んでゆくなら,日毎に加えられた知識によって平和に住む者となるでしょう。
[脚注]
a くわしくは63年4月1日号「ものみの塔」をごらん下さい。