東南アジアにおいて「人々を弟子とする」
― エホバの証人の1967年度年鑑から
ベトナム
国は戦争で乱れ,不穏な状態にもかかわらず,エホバの証人は強い会衆を築いています。サイゴンには今のところ2軒の宣教者の家があり,宣教者はこの首都において人々の関心を呼び起こし,将来への土台をすえるわざに良く働いています。戦争のため現在のところ地方を伝道することはできませんが,戦争が終われば,地方のしいたげられた人々に,エホバの御国の心を慰める真理を伝えようと,ベトナム語を話す伝道者や宣教者は用意をしています。孤立しているベトナム人の一伝道者は強い信仰を保ち,サイゴンの北約200マイル(320キロ)にある中心地ナトランでとても良いわざを続けています。
奉仕年度の初めの9月に,ある中年のベトナム人の男の人と研究が始まりました。同国人の多くの人と同じように,彼は自分の国を圧迫したフランスの植民地支配者を軽べつし,植民地制度の下で経験した不正や人間に対する侮辱的待遇に憤慨していました。自分の国に幸福をもたらすにはフランスの支配を打ち倒すことが必要だ,と考えた彼は,革命家になったのです。共産主義者であった8年の間,彼は,たんぼで働くかたわら,フランスに対抗していた共産党員のために地下活動を続けていました。その後,ゴ・ジン・ジェム政府がベトナムで実権を握った時,この人は共産主義者として知られていたため,捕えられて,何年間も投獄されました。しかし,1963年,ゴ・ジン・ジェムが殺され,軍隊が政権を取ったとき釈放されたのです。この時までにこの人は,情勢が切迫し,革命的行動は人々に幸福をもたらしていなかったことを悟りました。実質上無神論者になっていたにもかかわらず,彼は今や,何か良いものを見つけるにはどこに行ったらよいか考えこんでしまい,友人がある新教の教会をすすめたので,1年以上も出席しました。しかしその同じ期間に5か月ほど「ものみの塔」を読んだのちに,エホバの証人と交わる決意をしたのです。その時に,彼が全生涯の間探し求めていたものを見つけたのでした。今では,エホバの御国によってのみ,ベトナムと全世界の人類に平和と幸福がもたらされることをよく理解しています。3月から御国の伝道者になりました。サイゴンの兄弟たちは毎週の集会で彼との交わりを楽しみ,彼が神の御言葉の真理の中で着実に進歩して行く様子を見て喜んでいます。
香港
エホバの証人が,全地の人々に本当の希望と慰めを与える音信を携えていることは全く真実です。この音信は香港にも達していて,ここの兄弟姉妹たちは中国人の住民に御国の良いたよりを伝えるために熱心に働いています。しかしながら大多数の人々はこの音信に関心がありません。なぜなら生活のことに没頭しているからです。それで真理を伝えようとしても,手を止めて聞こうとしないのです。耳を傾ける人はほとんどいません。
香港では現在大きな変化が起きています。コンクリート造りの近代的な高層建築が,古めかしい中国風の建物に取って代わり,香港は近代都市のようになりました。だれもがこの世の生活でせわしく働いています。現在,繁栄の状態が行き渡っていますが,これによって人々は本当の喜びや幸福を得ていません。昨年,青年の暴徒がデモを行ない,財産にかなりの損害を与えました。特に若い世代は悩み,将来に真実の希望がないと感じています。それで,エホバの証人には,中国語を話す香港の人々になすべき大きな仕事がまだあることは明白です。支部のしもべは香港とマカオの経験を幾つか寄せています。
ある監督は,不活発になった若い伝道者を巡回のしもべと共に訪問したことについて報告しています。神の正義の新しい秩序の祝福を思い出すように,二人は手短かに話してこの若い人を援助しました。事実,彼は正義の新しい秩序を信じ,そこに住みたいと願っていますが,仕事がとても忙しかったのです。そして,生命を得たいなら何かを犠牲にすべきであると指摘されました。ある週の午前8時に特別開拓者の一人と研究をし,次の週には同じ時間に奉仕に行く計画が提案されました。監督の報告によると,彼は必要な犠牲を払い,そのうえ自分を援助してくれた兄弟たちの愛と忍耐に感激しているそうです。彼は再び活発な伝道者になって,会衆の集会に出席しています。
中国の正月は,3日の間何もかも仕事をやめて皆がごちそうをして祝う,年に一度の時です。皆が楽しい気分になります。兄弟たちはこの休日の期間を利用して雑誌の特別活動を行ない,その結果はとてもよいものでした。日頃は会えない人にもたくさん証言でき,その人たちは雑誌を受け取ったのです。32人の伝道者がいるある会衆は,めったに伝道しない区域で,1097冊の雑誌を配布しました。
マカオ
面積わずか23平方キロメートルしかないこの小さなポルトガルの植民地は,南支那海沿岸にある半島のちょうど先端にあります。何か良いものを求めて,中国本土から多くの中国人がこの植民地にのがれています。それでマカオの伝道者の群れは小さいですが,たくさんの中国人に会って,希望と慰めを与える唯一の音信を話すことができます。
一人の姉妹は,神に全く信仰を失なってしまっていた一人の男の人を訪問しました。この人はなぜ困苦な状態が存在するのか理解できなかったのです。研究がとり決められた結果,数か月後に彼は神への信仰を再びいだきました。その時この人が告白して言うには,自殺しようと思っていた矢先に伝道者が訪れて,真の希望を与えてくれた,とのことです。知識と理解にも良い進歩を遂げ,やがて自分が良いたよりの伝道をするようになりました。
フィリピン
伝道者最高数: 36,925
人口: 32,000,000
比率: 867人に1人
何千というエホバの証人は,フィリピン共和国を構成しているあちこちの島に散在しています。ここの兄弟たちも昨年たくさんの良い経験をしました。八つの地域大会が開催された時はこの年の最高潮となりました。この大会により兄弟は本当に元気づけられ,励まされています。一番大きな大会は,ルソン島西部海岸にあるラ・ユニオン州のサン・フェルナンドで開かれ,9,489人が公開講演を聞きました。長い渇水期のため大会の時は深刻な水不足でしたが,土地の消防署は大会のために一役買って,大会出席者に水を提供することを自発的に申し出ました。そして大会のために午前と午後,消防車で水をいっぱい運んでくれたのです。一方エホバの証人は生命の水をただでこの国のあらゆる人に与えました。ここに興味深い経験がいくつかあります。
6月と7月に140人の特別開拓者が,合計で人口75万人となる72の都市で働くよう任命されました。まだ伝道されていない区域や孤立した区域で良い経験をしたとこれらの開拓者は報告しています。二人の特別開拓者は割り当てられた町に行くのにシエラ・マドレ山脈を越え,道に沿ってぽつぽつとある家を通り抜けながら二日間歩きました。運送機関は利用できなかったため,二人は個人の所持品のほかは1箱の本と400冊の雑誌しか運べませんでした。二日間町で伝道した結果,文書は全部配布されてしまったので,二人は予約を提供したところ,全部で30ほど得られました。ある婦人は彼らの宿舎に来て,一緒に聖書を学びたいと頼んだそうです。町を去る前に催した公開集会に67人が出席しました。未割当ての区域で働くこの取り決めの上にエホバの祝福が表われていることは確かで多くの研究が始まりました。これらの研究は長く援助できる人が送られるまで,手紙で続けられるはずです。
6月にバタンガス市の下町の大部分が火事で焼けましたが,この時に兄弟たちのすばらしい愛と一致が示されました。4世帯の証人の家が全焼しましたが,その中の1軒は御国会館として使われていたものです。被害を受けなかった区域や近くの会衆からすぐに兄弟たちが助けにやって来て,食糧や衣服を運び,宿舎を提供しました。火事の二日後にはもう再建工事は進行中で,兄弟たちが協力したため1週間とちょっと経った時には4軒共全部建て直されていました。一つの家庭では妻だけが真理に入っていて主人は反対していましたが,ちょうど反対していた人たちによって自分の家が建て直されたとき,この主人は驚いて深い感銘を受けたそうです。このように愛によって協力したため,エホバの証人の家は一番最初に建て直されました。他の会衆からさらに寄付が送られたので,次の決定をしました。すなわち,今ではもう落ち着き必需品も十分あるので,このお金を集会用の御国会館を建てるのに貯える,というわけです。確かに兄弟たちはキリストの弟子であることを証明しました。―ヨハネ 13:35。
「もしすべての人がエホバの証人だったら世の中はどんなものになるでしょうね」といった質問を人々はよくします。この質問に対する見事な解答がパラワン島の小さな孤立した村で与えられました。この村の住民は献身した証人か関心を示す人かのどちらかです。およそ2年前にその村に住み始めた兄弟たちは,それ以来政府の援助も受けずに,道路を作ったり学校や御国会館を建てました。この村は市当局の登記を受けているにもかかわらず,村長も議員も選ばれていないただ一つの村ですが,よく組織され,他の村よりもずっと平和な状態です。別の所からこの村の学校に任命されたある女教師は,最近中央の学校のもっと良い勤め口への転任をすすめられました。しかし彼女は移動を断ってこう説明したのです。「私は今の任命地が好きです」。その理由を問われた時こう答えました。「それは土地でも,境遇でも,私の愛している仕事のためでもありません。一緒に住んでいる人々のためなのです。この人たちと一緒に住んでいますと,丁度私の家族と一緒に生活をしているように,安心感があります。大酒飲みもばくち打ちもいなければ,犯罪も,青少年犯罪もありません。皆,私に協力してくれ,子供たちは私の使いにも行きそのうえ丁寧でよく言うことを聞きます」。そこの人々がそんなにも違う理由について問われた時,彼女は自分の考えをこう述べました。「その理由はその人たちの宗教だと思います。ほとんどの人はエホバの証人です。これほどよく訓練を受けたグループを今まで見たことはありません」。
神権宣教学校の訓練を十分に活用している人は,筋道の通った証言をする「用意をいつも」していて,エホバに賛美をもたらします。ルソン島のある町の公立学校での記念祭のプログラムの中でこの事が示されました。その地方の宗教家たちはその祝典の際に講演をするように,その前の日に頼まれましたが,そんなに突然頼まれても用意がしてないと言って断わりました。ついに儀式の当日,御国会館に主催者が来て,エホバの証人のだれかに話をしてもらいたいと招いたので,一人の若い兄弟が喜んでこの招待を受け入れました。もうプログラムは始まっていたので兄弟は服を着換えて一緒に学校に行き,「今日の青少年問題に対処する」という話の筋書きを使って,40分間話しました。州の主任視学官が次の来賓演説者として立ち上がった時,彼は兄弟をほめてこう言いました。「私が用意してきた話をするならこの若い人が話したことを単にくり返すにすぎないでしょう。そのうえこの若い人の上手な話し方に及ばないと思います」。こう言って彼は腰をおろしましたが,聴衆はそれに拍手を送りました。驚いた学校の教職員はあとで,「無学でただの」人である彼がどうして著名人の前でそんなに上手な話ができるのかと兄弟に尋ねました。この時にもう一度よい証言がなされました。―ペテロ第一 3:15。使行 4:13。
マーシャル群島
奉仕年度の終わりには,マーシャル群島の孤立した伝道者の群れは円熟に向かってよく進歩してきました。5人の伝道者と二人の宣教者は今,合計73の聖書研究を司会しています。そして,新しい研究を始めるかわりに,関心のある人々を,すでに行なわれている研究に加わるように招待し,その結果,聖書研究の出席者の平均は4人ないし7人で,二,三家族が出席します。神権宣教学校には今9人はいっており,この集会の出席者は平均23人です。そして今急速に進歩している少なくとも4人の男の人が近い将来に献身して浸礼を受けられるでしょう。また昨奉仕年度中,会衆の書籍研究の出席者数は5人から19人に増加し,「ものみの塔」研究の出席も同様に増加しました。今奉仕年度中に新しい会衆が設立される見込みはますます大きくなっています。
その二人の宣教者は休暇を利用して周囲の八つの島々や環礁をめぐりました。ところが同じ船に,米国人で新教の教会の牧師が乗っていました。それで二人の宣教者は,この牧師がこれらの島々をめぐることが,御国の良いたよりを島の謙遜な人々に伝えようとする自分たちのわざにどんな影響をもたらすだろうかと考えました。しかし,その牧師が訪れたことは宣教者たちの努力の妨げになるどころか,かえって,エホバの証人の宣教者と大いなるバビロンのそれとの違いを明らかに人々に示す結果となりました。二人の兄弟たちは,朝早くから夜遅くまで島の人々に彼らのことばで伝道し,人々の質問に聖書から答えました。一方,その牧師はマーシャル群島に3年以上住んでいながら島のことばを何一つ話せず,島の一教会で集会を1回司会しただけで,あとは見物をしたり,写真をとったりして過ごしました。
島の人々は深い興味を示し,英語は読めませんが,さし絵だけでも見て,マーシャル語の聖書で聖句を読んで勉強するために「失楽園から復楽園まで」の本を求めました。その二人の兄弟は,その本を二箱と他に鞄にぎっしり詰めて持っていたのですが,人々の求めにはとても応じ切れないことがわかったので,それらの島々全部に少しづつでも配れるように割り当てることにしました。伝道で話し合えた人々は真理に飢えかわいており,次の船便の時までその二人の宣教者たちに島に滞在してほしいと懇願したほどです。「食べ物や宿舎のことは私たちが引き受けますから,何も心配いりません。ただ,このすばらしい事柄について聖書から私たちに是非教えてくださいませんか」と人々は何度も願い出ました。そして宣教者たちは将来に再び訪ねることを約束して,去りがたい気持ちを押えて,これらの羊のような人々に別れを告げたのです。
昨年の中で特筆すべき事柄は2月に巡回のしもべがマーシャル群島を訪れたときの出来事です。「神の御心国際大会」と題する協会の映画が上映されたとき,合計2550人もの人々が出席し,エホバの証人の組織やその愛に関して映画で見た事柄に多くの人々が賛辞を寄せました。そして人々は,浸礼について,またエホバの証人の一人になるにはどうすれば良いかについて多くの質問をし,説明を聞きました。映画は,関心を持つ多くの人々にとって大きな励ましとなりました。