永遠に生きるための方法
親が子どもといっしょに読むための特別な記事
エホバはわたしたちにたくさんのすばらしいおくり物をくださいました。一番すぐれたおくり物の一つは命です。命がなければ,何もできませんね。でも,もしそのおくり物をずっと持っていたいなら,しなければならないことがあります。
あなたはその一つを今しています。わたしもしています。昼も夜も,眠っているときでさえしています。もしそれをやめるなら,わたしたちはすぐ死んでしまいます。それが何かわかりますか。そうです,呼吸です。
生きつづけるのに毎日していることがほかにもあります。そのいくつかを言えますか。食物を食べ,水を飲み,そして眠ります。神は,わたくしたちがそうしたことをしなければ生きていけないようにお作りになりました。
そのどれもむずかしくありません。じっさい,わたしは食べることが好きです。あなたもそうでしょう。でも食物があるとなぜ生きつづけられますか。知っていますか。食物をのみこんだあと,それはどうなりますか。
からだは食物をくだいてたいへん小さなものにします。それから血液がそれらをからだのあらゆる部分へ運びます。この食物は新しい骨,新しい肉,新しいかみの毛,つめ,眼その他のからだの部分を作るために驚くような方法で使われます。そのことを知っていましたか。
からだの古い部分がどうなるか不思ぎに思うかもしれません。それらは一度に少しずつ死んでゆき,役に立たなくなって捨てられます。そして新しいものがそれにかわります。
この変化はからだのすべての場所で起きています。からだ全体が作り直されるまでにあまり長くはかかりません。エホバはからだがこのことを行なうように,そして,それを永遠に行なうようにお作りになりました。そうです,永遠に生きるように人間をお作りになったのです。
しかし人は死にます。なぜですか。アダムが神に対して罪をおかしたからです。わたしたちはアダムから罪を受けました。アダムは人間と神との良い関係をだめにしました。そしてわたしたちの命は神によっています。
永遠に生きるためには空気や水,食物や睡眠以外にも必要な物があります。神に対して正しい立ち場を取っていることが必要です。
永遠に生きさせる医者はいません。死なないようにする魔法の薬もありません。永遠に生きられる唯一の方法は,神に親しく近づくことです。偉大な師は,どうすればそうすることができるかを教えておられます。
聖書を持ってきて,ヨハネ伝 17章3節(新)を開きましょう。そこにはイエスの言われたことばが次のように出ています。「これが永遠の命を意味しています。彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになった者イエス・キリストとの知識を取り入れることです」。
永遠に生きるために何が必要であると偉大な師はおっしゃいましたか。知識を取り入れなければなりません。それは,学ばなければならないということです。それでわたしたちは聖書を研究するのです。
でも,エホバについて学ぶことは,永遠に生きるのにどうして役だちますか。命はみな神から来ていることを思いだしてください。エホバの好意を受けるためには,エホバを唯一まことの神として崇拝すべきです。でも,神のいわれる事がらを聞かないなら,正しい方法で崇拝することはできません。毎日食物が必要なように,エホバについて毎日学ばなければなりません。そうすればいつでもエホバに親しく近づいていられます。聖書はこう述べています。『人はパンだけではなく,エホバの御口から出るいっさいのことばによっても生きねばならない』― マタイ 4:4,新。
神以外のあるかたについての知識をも取り入れるべきです。それはだれですか。イエス・キリストです。神は罪を取りのぞくためにイエスをつかわされたからです。イエスは,アダムが神に対して罪をおかしたときにもたらした害を取りのぞけます。わたしたちが神との良い関係にもどるのを助けられるのです。それはほかの方法ではできないことです。
それで聖書は「ほかのだれにも救いはありません」と述べています。永遠に生きたいなら,イエスについて学ぶべきです。イエスに対して真の信仰を持てば,永遠に生きられます。イエスは全地に良い状態をもたらされるとき,永遠に生きて幸福になるのを助けてくださいます。それは確かです。それで聖書には「御子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている」と書かれているのです。―使行 4:12,ヨハネ 3:36,新。
さて,イエスに「信仰を働かせる」とはどういう意味ですか。イエスがいなければ生きつづけられないことをほんとうに信じるという意味です。神がイエスを通して永遠の命を与えてくださることをわたしたちは信じています。あなたはそれを信じていますか。
イエスに「信仰を働かせる」とはほかの事をも意味しています。イエスをたいへん深く信じているために,イエスのおっしゃる事がらを行なうという意味です。ある事だけをして,ほかの事はしない,というのではありません。イエスのおっしゃる事がら全部を行なうのです。そして,ほんとうにしたいと思っているからするのです。あなたがしたいと思っているのはそうしたことですか。
偉大な師が行なうようにと言われている事がらの一つは,神と神の王国について他の人に話すことです。どのようにしたらよいかを示すため,イエスはご自分でもそれをなさいました。それで,イエスからほんとうに学んだ人は,神と神の王国について他の人に話します。あなたはそうしますか。
でも,たいせつなのはそれだけではありません。聖書に正しいと書かれている事がらを毎日行なうべきです。悪い事をしないように注意しなければなりません。ほんとうに愛しあっていることを示さねばなりません。
そうした事を行なうなら,偉大な師のことばをほんとうに聞いていたことになります。