神の愛ある親切
愛ある親切はエホバ神の貴重な特質で,神はこの特質を喜びとしておられ,それはご自分の僕たちを扱う神の方法すべてにはっきりと認められます。(詩編 36:7; 62:12。ミカ 7:18)もしそうでなかったとすれば,それら僕たちはとうの昔に滅び去っていたことでしょう。(哀歌 3:22)ですから,モーセはエホバの偉大なみ名に基づいて,またそれと同時にエホバが愛ある親切の神であられるゆえに,反抗的なイスラエルのために嘆願することができたのです。―民数記 14:13-19。
聖書はエホバの愛ある親切もしくは忠節な愛が様々な仕方で,また色々異なった状況下で表わされることを示しています。すなわち,救い出したり生き長らえさせたりする行為のうちに(詩編 6:4; 119:88,159),守るまたは保護するものとして(詩編 40:11; 61:7; 143:12),また難儀からの救済をもたらす一要因として(ルツ 1:8; 2:20。詩編 31:16,21)表わされるのです。愛ある親切のゆえに人は罪から立ち直らされることもあり(詩編 25:7),支えられたり擁護されたりすることもあるでしょう。(詩編 94:18; 117:2)神の選ばれた者たちは愛ある親切によって救助されます。(詩編 44:26)神の愛ある親切は,ロト(創世記 19:18-22),アブラハム(ミカ 7:20),ヨセフ(創世記 39:21)の場合に大いなるものとされました。イサクの妻が選ばれた際にも,愛ある親切が認められました。―創世記 24:12-14,27。
イスラエル国民が発展した期間とそれ以後もずっと,ご自分の契約に関連するエホバの愛ある親切は大いなるものとされました。(出エジプト記 15:13。申命記 7:12)このことはダビデの場合に言えましたし(サムエル第二 7:15。列王第一 3:6。詩編 18:50),エズラや彼と共にいた人々の場合にも当てはまり(エズラ 7:28; 9:9),また他の「幾千代」もの人々についても同様でした。(出エジプト記 34:7。エレミヤ 32:18)エホバはダビデとの王国契約にしたがって,イエスが死んだ後にも引き続き愛ある親切を表わされました。というのは,神は,「わたしは,ダビデに対する忠実な愛ある親切をあなた方に与える」という預言の成就として,この「忠節な者」を復活させたからです。―使徒 13:34。詩編 16:10。イザヤ 55:3。
個々の人をエホバに引き寄せるのは,エホバの側のこの愛ある親切です。(エレミヤ 31:3)それらの人はエホバの愛ある親切に依り頼み(詩編 13:5; 52:8),望みを置き(詩編 33:18,22),それを祈り求め(詩編 51:1; 85:7; 90:14; 109:26; 119:41),それによって慰められます。(詩編 119:76)また,その愛ある親切に対してエホバに感謝し(詩編 107:8,15,21,31),その特質のゆえに神をほめたたえ,賛美し(詩編 66:20; 115:1; 138:2),それについて他の人々に話します。(詩編 92:2)ダビデのように,彼らもその愛ある親切を決して隠そうとすべきではありません。(詩編 40:10)エホバの愛ある親切は良いものであり(詩編 69:16; 109:21),歓喜の大いなる源なのです。(詩編 31:7)確かに,神のこの愛ある親切は歩むのに快い道筋のようです。―詩編 25:10。
聖書の他の句の中でも,神の愛ある親切のあふれるほどの豊かさ(詩編 5:7; 69:13。ヨナ 4:2),その偉大さ(民数記 14:19),その永続性(列王第一 8:23)が強調されています。神の愛ある親切は天と同じほど高く(詩編 36:5; 57:10; 103:11; 108:4),地に満ちており(詩編 33:5; 119:64),千代までも(申命記 7:9),そして「定めのない時にまで」(歴代第一 16:34,41。詩編 89:2。イザヤ 54:8,10。エレミヤ 33:11)施されます。詩編 136編ではすべての中で,『エホバの愛ある親切は定めのない時にまで及ぶ』という文句が繰り返されています。
エホバの愛ある親切というこの驚くべき特性は,他の崇高な特質 ― 神の憐れみ,慈しみ,真実,許し,義,平和,裁き,および公正 ― と結び付けられていることが少なくありません。―出エジプト記 34:6。ネヘミヤ 9:17。詩編 85:10; 89:14。エレミヤ 9:24。