火あぶりの伝統?
「11月5日を忘れるな!」 英国で毎年,人々がこの叫びを上げるのはなぜでしょうか。
事の始まりは,1605年にカトリック教徒たちが企てた,プロテスタントの英国王ジェームス1世 ― 聖書翻訳で有名な王 ― を,その全大臣もろとも爆死させるという陰謀でした。国会議事堂の地下室で火薬が発見され,最初に逮捕されたガイ・フォークスを含め,陰謀を企てたほとんどの者が処刑されました。以来,“ガイ・フォークスの夜”として知られる11月5日の“火薬陰謀事件”の記念祭には,英国の至る所でかがり火がたかれ,花火が打ち上げられるようになりました。
子供たちはその行事が大好きです。一方,親たちも同様で,この国家的しきたりを永続させるだけのために,1億本の花火代金として毎年約67億円を費やしています。
ガイ・フォークスのワラ人形を,かがり火のたきぎの山のてっぺんに大抵目立つように置いて火あぶりにするのはよく見かける光景です。しかし,英国南部にある市の立つ小さな町ルイスでは,著名な政治家や地元の権力者たちの人形も,人気歌手や他の有名人たちの人形と一緒に燃やされます。町にある五つのおもな“かがり火協会”はそれぞれ,一番印象的なショーを披露しようと互いにしのぎを削ります。しかし,過激的な“プロテスタント・クリフかがり火協会”だけは違っています。「カトリック反対」ののぼりを掲げながら,同協会は依然として法王パウロ5世の人形を火あぶりにすることに固執しています。この法王はガイ・フォークスと同時代の人で,“火薬陰謀事件”にかかわっていたものと多くの人から信じられているのです。
地元の町議会の訴えにもかかわらず,主催者側は,この伝統を葬り去るようなことはさせないと強硬な態度を保っています。彼らは,丘の頂上付近にある,照明の施された“殉教者記念碑”のことを指摘します。それは,ローマ・カトリック教徒の女王メアリー・チューダーの統治期間中,自分たちの信仰のゆえに昔のスター・インというホテルの外で火刑に処されたルイスの17人のプロテスタントのための記念碑です。
ルイスおよび地区教会協議会の議長である英国国教会の一牧師は,この習慣を「時代遅れで,現代のクリスチャンたちに不愉快な思いをさせるものである」として,率直に非難しました。同様に地元のローマ・カトリックの司祭たちも,「カトリックという宗教に対する公の侮辱」であるとして,年々言葉数を多くしながら「これら有害な反カトリック感情」の撲滅を力説していますが,何の効果もありません。
処刑される法王の人形が準備されると,「火あぶりにしろ! 火あぶりにしろ!」と迫る群衆の叫び声はだんだんと高まってゆきます。幾つかの花火が詰めてあるため,本当にはなばなしく,つまり技術的に最高の状態で打ち上げるには時間がかかるのです。
真夜中近くになると,6,000本のたいまつと共に人形はすべて燃え尽き,花火も使い果たされてお祭り騒ぎは終わりに近づきます。その晩の比較的早い時間に古い町の狭い通りを縫って練り歩いた,華やかなお祭りの12の楽隊も解散し,ほうぼうからやって来て浮かれ騒ぎを楽しんだ5万人の人々も姿を消します。幾千枚もの仮装服は大事にしまい込まれ,主催者たちは退いて,次の年はもっと豪華な行事にしようとひそかに計画を立てます。
たまたまここを訪れる人は,この祭りに大変戸惑いを感じさせられ,意外な思いをさせられるのです。もの静かな英国人が,これほどの宗教的熱情を持てるということ自体,驚くべきことなのです。ところが,何百年も前のローマの偏狭が,20世紀には向かない偏狭な信念の巻き返しであると,今日の熱烈な世界教会主義擁護者たちの多くが考えている事柄を燃え立たせたのです。伝統はなかなか廃れません ― 特に英国においてはそうです。―英国諸島の「目ざめよ!」通信員。