子供たちの振る舞いは父親を動かす
四国に住む一人の男性は,エホバの証人と聖書を研究していましたが,聖書の内容を真剣に自分の生活に当てはめてはいませんでした。そんなある日,エホバの証人である妻が3週間入院することになりました。この夫婦には,バプテスマを受けたエホバの証人である中学1年生の長女を頭に,3人の子供がいました。母親のいない間,だれがこの3人の世話をするのでしょうか。
3人の子供たちはよくしつけられていました。午前6時に起床して,長女を中心に,前日すませた洗濯物を手分けして干し,小学5年生の次女が1年生の三女と一緒に朝食の支度をし,食事をすませ,食器を洗い,片づけてから学校へ出かけてゆきました。そして,早く帰宅する順に,洗濯物を取り込み,たたみ,たんすの中に整理して入れ,当番を決めて風呂洗いと五つの部屋の掃除,廊下と居間の床のぞうきん掛けをしました。そして,長女が下の子たちを助けて,聖書の勉強をし,学校の宿題もしていました。そして,クリスチャンの集会のある日には,父親に王国会館まで送り迎えをしてもらい,欠かすことなくその益にあずかりました。
父親は,監督官である母親がいないので,長続きはしないだろうと思い,自分が会社を休んで家事をしなければならなくなるだろうと考えていました。ところが,驚いたことに母親の入院中の3週間だけでなく,退院後1か月間も,母親を気遣って子供たちは家事を切り盛りしたのです。「今の時代,勉強さえできれば,また,スポーツでずば抜けた成績を収めれば,家事や家業の手伝いなどしなくてもよいという風潮の中にあって,子供たちの立派な考え方と行状に改めて感心させられました。その上,妻が道理にかなったしつけをしてきたことに感謝の気持ちで一杯になりました」と,父親は語っています。
でも,子供たちは一体どのようにして,このような生活態度を身に付けたのでしょうか。どうして,母親の言いつけや教えに従順な態度を示せるのでしょうか。父親は,「本当に立派な教育があり,偉大な教え手がいることに気づき」ました。聖書を通して,また,王国会館での集会を通して学んでいた事柄が,子供たちにそのような行動を取らせたのです。
父親はさらにこう語っています。「では,父親たる自分は子供たちに何を教え,何を与えてきたのだろうか。生活費を入れているだけで,何も教えもしないし,精神的な支えとなる物も与えてはいないことに気が付きました。また,子供が生まれて以来妻が入院するまでの12年間というもの,仕事にかこつけて,『忙しいから』と叫び,子供たちと共にいる時間を持たなかった自分を深く反省するようになりました。これからは父親として聖書の研究をもっと真剣に行ない,全快した妻と子供たちと共に,一家5人で集会に出席することを決意しました」。
その後,父親は聖書から学んだことに基づき,生活を変化させてゆきました。以前は会社の仕事が5時に終わると趣味も兼ねてコンピューターの前で夜の1時,2時までプログラムをしていたのが,その時間を自分の霊的な必要を満たすために用いるようになったのです。(マタイ 5:3)その結果はどうなりましたか。この人はさらにこう述べています。「この世での出世,富,良い車,名誉などを追い求め,好ましくない競争にうつつを抜かすといった煩い事を捨てることができ,肩の荷が軽くなりました。かつては企業戦士として時間に追われ,家庭崩壊や親子の断絶を招く可能性の大きい道を歩んでいました。そのような生き方から,家庭に目を向け,家族で一致して清い崇拝をすることができ,家族全員で遊び,学び,クリスチャンの集会や大会に出席できるようになったことは本当に喜ばしく,神に感謝する次第です」。
子供たちの立派な行状に心を動かされたこの父親は,自分が味わったこのすばらしい解放感を,思い煩いの多い他の企業戦士たちに伝えるようになり,昨年の夏に開かれた,エホバの証人の地域大会で神に対する献身の象徴としてバプテスマを受けました。9年前には妻が聖書を勉強することに反対し,迫害までしていたこの人は,家族で神を賛美する道を歩むことを固く決意しています。