5月
5月1日,日曜日
[イエスは]その後も両親に従っていた。(ルカ 2:51)
子供だった時,イエスはヨセフとマリアに従順でした。自分の方がいろんなことを知っていると考えて,親からの教えを無視するようなことはしませんでした。イエスは,長男としての責任を真剣に受け止めていたはずです。家族を助けるために,ヨセフから大工の仕事を一生懸命学んだことでしょう。ヨセフとマリアは,イエスが奇跡によって生まれたことや,天使や預言者がイエスについて語った言葉を,イエスに話したことでしょう。(ルカ 2:8-19,25-38)しかし,イエスは教えてもらったことだけで満足せず,自分でも聖書をよく学んでいました。どうしてそう言えますか。エルサレムの教師たちが,まだ少年だったイエスの「理解力と答えにとても驚いていた」からです。(ルカ 2:46,47)また,イエスはすでに12歳の時には,エホバが自分の本当の父親であることをはっきり理解していました。(ルカ 2:42,43,49)塔研20.10 29-30ページ13-14節
5月2日,月曜日
キリストは生き返らされた。(コリ一 15:12)
イエスの復活を信じることは,クリスチャンが希望を持つ上で欠かせません。使徒パウロは,復活についての記述の初めに,3つの点に注意を向けました。(1)「キリストが私たちの罪のために死んでくださ」ったこと,(2)「葬られ」たこと,(3)「聖書にある通り3日目に生き返らされ」たことです。(コリ一 15:3,4)イエスが死に,葬られ,復活したことは,私たちにとってどんな意味があるでしょうか。預言者イザヤによると,メシアは「地上から除かれ」,「悪人と共に墓を与えられ」ることになっていました。それだけでなく,「多くの人の罪を担」うことにもなっていました。イエスが贖いになることによって,この預言は実現しました。(イザ 53:8,9,12。マタ 20:28。ロマ 5:8)イエスが死に,葬られ,復活したことは,私たちにとって大きな意味があります。罪と死から自由にされ,亡くなった愛する人たちと再会する,という希望をしっかり持つことができるのです。塔研20.12 2-3ページ4-6節,5ページ11節
5月3日,火曜日
私は,人間的な事柄に基づいて誇ることもできます。人間的な事柄に基づいて誇れると思う人がほかにいるとしても,その人より私の方が誇る根拠があります。(フィリ 3:4)
使徒パウロはユダヤ人の会堂で頻繁に話をしました。例えば,テサロニケの会堂でユダヤ人と「3週続けて安息日に聖書から論じ」たことがありました。(使徒 17:1,2)パウロは,ユダヤ人の家庭で育ったので,会堂は行き慣れた場所でした。(使徒 26:4,5)ユダヤ人のことをよく理解していたので,確信を込めてユダヤ人に伝道することができました。(フィリ 3:5)反対者たちにテサロニケとベレアから追い立てられたパウロは,アテネに行きました。アテネでも「会堂でユダヤ人や神を崇拝するほかの人たちと……論じ始め」ました。(使徒 17:17)しかし,広場で伝道した時は聴衆が異なっていました。哲学者や,ユダヤ人ではない異国の人々は,パウロの話を「新しい教え」と見て,「あなたは耳慣れない事柄を持ち込んでいる」と言いました。(使徒 17:18-20)塔研20.04 9ページ5-6節
5月4日,水曜日
正しいことをしたいと願うのに,自分の中に悪がある。(ロマ 7:21)
自分に何か弱いところがあるとしても,自分を責めないでください。誰も,自力でエホバから見て正しい人になることはできません。全ての人が贖いに基づいて神に惜しみない親切を示してもらう必要があるのです。(エフェ 1:7。ヨハ一 4:10)また兄弟姉妹たちから励ましが得られます。話したいと思った時に聞いてくれたり,元気づける言葉を掛けてくれたりするかもしれません。(格 12:25。テサ一 5:14)落胆していたナイジェリアのジョイという姉妹はこう言います。「仲間がいなかったらどうなっていたでしょう。兄弟姉妹たちのおかげで,エホバが祈りに答えてくださっていることが分かります。落ち込んでいる人をどうやって励ましたらいいかも学びました」。とはいえ,私たちが励ましを必要としていることに,兄弟姉妹がいつも気付くとは限りません。ですから,経験のある仲間に自分から話して,助けを求める必要があるかもしれません。塔研20.12 23-24ページ7-8節
5月5日,木曜日
私はあなたたちを友と呼びました。(ヨハ 15:15)
誰かと親しくなるには,まず時間を共に過ごす必要があります。思っていることや経験したことを語り合ううちに友達になっていきます。イエスと親しくなる場合には,乗り越えなければならない障害があります。その1つはイエスに会ったことがないということです。1世紀のクリスチャンの中にもイエスに会ったことがない人がいました。それでも使徒ペテロはこう言いました。「皆さんはキリストを見たことはありませんが,キリストを愛しています。今キリストを見てはいませんが,キリストに信仰を抱[いています]」。(ペテ一 1:8)ですから,イエスに会ったことがなくてもイエスと親しくなることは可能です。もう1つの障害は,イエスと話すことはできないということです。祈る時にはエホバに思いを伝えます。イエスの名によって祈りますが,イエスに語り掛けることはしません。イエスも,私たちがイエスに祈ることは望んでいません。祈りは崇拝の一部であり,エホバだけを崇拝すべきだからです。(マタ 4:10)そうではあっても,私たちはイエスを愛していることを示せます。塔研20.04 20ページ1-3節
5月6日,金曜日
神[は]皆さんをしっかりした人,強い人……にしてくださる。(ペテ一 5:10)
古代ギリシャの競技に参加した走者は,疲れや痛みを感じても走り続けました。頼ることができたのは,積み重ねてきた訓練と自分の体力だけでした。私たちもクリスチャンの競走を走るための訓練を受けています。ただ文字通りの走者とは違って,私たちはエホバが与えてくださる無限の力に頼ることができます。エホバに頼るなら,エホバは私たちを訓練するだけでなく,強い人にしてくださると約束しています。使徒パウロは,さまざまな障害を乗り越えなければなりませんでした。侮辱されたり,迫害されたりしました。自分の弱さを感じることや,「体[の]1つのとげ」に悩まされることもありました。(コリ二 12:7)それでも,障害をエホバに頼る機会と見なし,諦めずにエホバに仕え続けました。(コリ二 12:9,10)そのような見方をしていたので,試練の間ずっとエホバに支えてもらえました。塔研20.04 29ページ13-14節
5月7日,土曜日
父が引き寄せてくださらない限り,誰も私のもとに来ることはできません。(ヨハ 6:44)
エホバ,イエス,天使たちと「共に働く」ことも見えない宝です。(コリ二 6:1)伝道を行う時,エホバと働いていることになります。パウロは,自分や兄弟姉妹が「神と共に働く者」だと言いました。(コリ一 3:9)伝道を行う時,イエスと共に働いていることにもなります。イエスは「全ての国の人々を弟子としなさい」と命じた後,「私は……あなたたちと共にいる」と言いました。(マタ 28:19,20)また,天使たちと働いていることにもなります。天使は,「地上に住む人々……に伝える,永遠の良い知らせを携えて」います。(啓 14:6)天使に導かれて働けるのはうれしいことです。天からの助けによって何が成し遂げられていますか。王国の知らせという種をまく時,良い土に落ちた種は成長します。(マタ 13:18,23)真理の種が成長し,実を結ぶのはなぜですか。イエスは,今日の聖句のように言いました。塔研20.05 30ページ14-15節
5月8日,日曜日
今の体制によって形作られるのをやめてください。(ロマ 12:2)
今日,多くの家族が離婚によってばらばらになっています。同じ家に住んでいる家族でも,まるで他人のようになっていることもあります。家族問題を扱うカウンセラーはこう述べています。「父親と母親と子供たちのつながりは,すっかり失われてしまった。その代わり,それぞれがコンピュータやタブレットやスマートフォンやゲームとつながるようになっている。こうした家族は,同じ屋根の下で暮らしてはいても,お互いのことをほとんど知らない」。私たちは,愛のないこの世界によって形作られたくはありません。それで,家族だけでなく会衆の兄弟姉妹に対しても,優しい愛情を深める必要があります。(ロマ 12:10)優しい愛情とは何でしょうか。この言葉は特に,親しい家族の中に見られる温かい気持ちを表しています。会衆の兄弟姉妹はエホバへの崇拝で結ばれた家族なので,互いに優しい愛情を深めるのは大切なことです。優しい愛情を示すなら,真の崇拝にとって重要な一致を守ることができます。(ミカ 2:12)塔研21.01 20ページ1-2節
5月9日,月曜日
私の心を一つにしてください,私はあなたの名を一心に畏れます。(詩 86:11)
スポーツチームが団結しているなら,そうでないチームよりも勝つ見込みは上がります。自分の心の状態を,団結しているチームのようにしましょう。エホバに仕えるという1つの目標に,自分の考えや欲求や感情を合わせるのです。サタンは,私たちの心が分かれることを望んでいます。考えや欲求や感情がエホバの基準とぶつかることを望んでいます。エホバに仕えるには,心が一つになっていなければなりません。(マタ 22:36-38)サタンに付け込まれ,心が分かれてしまうことがないようにしましょう。ダビデのように,エホバにこう祈りましょう。「私の心を一つにしてください,私はあなたの名を一心に畏れます」。この祈りの通りに生活しましょう。毎日下す大小さまざまな決定に,エホバの聖なる名に対する深い畏敬の気持ちが表れるようにしましょう。そうすれば,エホバの証人としてエホバの名誉を守れます。(格 27:11)預言者ミカと同じように,次のように語れます。「私たちは,いつまでも永遠に,私たちの神エホバの名によって歩む」。(ミカ 4:5)塔研20.06 13ページ17-18節
5月10日,火曜日
彼は……激怒して出陣します。破壊し,多くの者を滅ぼし尽くすためです。(ダニ 11:44)
北の王が他の政府と共にエホバの民を攻撃する時,全能の神は激怒します。こうしてハルマゲドンの戦いが始まります。(啓 16:14,16)ハルマゲドンの戦いにより,北の王は,マゴグのゴグを構成する他の国々と共に,終わりを迎えます。「彼を助ける者は誰もいません」。(ダニ 11:45)ダニエル 12章1節では,北の王とそれを支持する国々が滅ぼされ,私たちが救われることがさらに説明されています。どんなことが分かりますか。ミカエルは王として統治しているキリスト・イエスの別名です。ミカエルは,王国が天で設立された1914年から,エホバの「民のために立って」います。間もなく,ハルマゲドンの戦いの時に「立ち上がり」,重要な行動を起こします。(ダニ 12:1,脚注)ハルマゲドンの戦いは,ダニエルが史上最大の「苦難の時」と呼んだ期間の最後に起きることです。(啓示 6:2; 7:14)塔研20.05 15-16ページ15-17節
5月11日,水曜日
イシュマエル人はヨセフをエジプトに連れてきた。(創 39:1)
奴隷だった時や,後に牢獄に入れられた時,ヨセフにできることは限られていました。どうして前向きでいられたのでしょうか。できないことについて考えるのではなく,与えられた仕事に打ち込みました。どうすればエホバに喜ばれるかをいつも考えていました。それで,エホバはヨセフが行ったこと全てを祝福しました。(創 39:21-23)世の中は冷たく,私たちはひどい扱いを受けることがあります。兄弟姉妹に傷つけられることもあります。でも,エホバが岩であり避難所であることを覚えておくなら,失望したりエホバに仕えるのをやめたりすることはありません。(詩 62:6,7。ペテ一 5:10)エホバがヨセフに夢を見せた時,ヨセフは17歳くらいでした。ですから,エホバがご自分に仕える若い人たちを信頼していることも分かります。今でもヨセフのような若い人たちがたくさんいて,同じようにエホバに信仰を持っています。投獄されることになっても,神に従い続けるのをやめなかった人たちもいます。(詩 110:3)塔研20.12 16ページ3節,17ページ5,7節
5月12日,木曜日
皆は……使徒たちを呼び出して打ちたたき,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じ[た]。(使徒 5:40)
ペテロとヨハネは,イエスの教えを広め,イエスの弟子であるゆえに迫害されることを栄誉と見なしました。(使徒 4:18-21; 5:27-29,41,42)恥じる理由はありませんでした。1世紀の謙遜なクリスチャンたちは結果的に,反対者たちよりもはるかに人々のためになることをしたからです。例えば,イエスに従う人たちが書いた聖書は,無数の人々の役に立ち,希望を与えてきました。その人たちが広めてきた神の王国は,今存在しているだけでなく,間もなく全人類を統治します。(マタ 24:14)クリスチャンを迫害したローマ帝国はすでに崩壊していますが,イエスに従った人たちは今天で王として治めています。一方,当時の反対者たちはもう生きていません。仮に復活するとしても,神の王国の統治に従うことになります。その王国は,自分たちが憎んでいたクリスチャンたちが広めていたものです。(啓 5:10)塔研20.07 15ページ4節
5月13日,金曜日
アブラハムは真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の設計者および建設者は神です。(ヘブ 11:10)
アブラハムは神の約束に強い信仰を抱いていました。まるですでに,神に選ばれたメシア,すなわち神の王国の王を見ているかのようでした。それでイエスは,自分と同時代のユダヤ人に次のように言うことができました。「あなた方の父アブラハムは,私が来る日をとても楽しみにしていて,その時を思い描いて喜びました」。(ヨハ 8:56,脚注)アブラハムは,自分の子孫たちがエホバによって建てられる王国の構成員になる,ということを知っていました。それで,エホバがその約束を果たすのを喜んで待ちました。アブラハムは,神が設立する都市である神の王国を待ち望んでいました。そのことをどのように示しましたか。まず,当時地上にあったどの王国にも属しませんでした。どこかに定住して王を支持することはせず,遊牧生活を送りました。また,自分の王国を築こうともしませんでした。エホバに従い続け,エホバの約束が果たされるのを待ちました。そのようにして,エホバに対して際立った信仰を示しました。塔研20.08 3ページ4-5節
5月14日,土曜日
死んだ人は自分の罪から放免されているのです。(ロマ 6:7)
エホバはイエスが統治する時,「私は病気だ」と言う人はいないと約束しています。(イザ 33:24)ですから,復活する人には健康な体が与えられます。とはいえ,その人たちが直ちに完全になるわけではありません。そうだとしたら,家族や友人は,復活してきた人が誰だか分からないでしょう。全ての人は,キリストの1000年の統治の間に徐々に完全になるものと思われます。キリストが王国をエホバに返すのは1000年の終わりのことです。その時,王国はエホバの望むことを全て成し遂げており,人間は皆完全になっています。(コリ一 15:24-28。啓 20:1-3)愛する家族と再会する時のことを想像してみてください。声を上げて喜ぶでしょうか。うれし涙がこぼれてくるでしょうか。エホバを賛美する歌を思い切り歌いますか。復活という素晴らしい贈り物を与えてくださった優しい父エホバと,自分を差し出してくださったイエスに対して深い愛を感じるに違いありません。塔研20.08 16ページ9-10節
5月15日,日曜日
人はそれぞれ神から贈り物を頂いています。ある人はこれ,別の人はあれというようにです。(コリ一 7:7)
使徒パウロは,独身の立場でエホバに仕えることができるか考えてみるよう勧めました。(コリ一 7:8,9)パウロは独身のクリスチャンを見下してはいませんでした。若い独身の兄弟テモテを選んで,重い責任を伴う仕事を委ねました。(フィリ 2:19-22)ですから,兄弟がある奉仕に適任かどうかを,結婚しているかどうかだけで判断することは正しくありません。(コリ一 7:32-35,38)イエスもパウロも,クリスチャンは結婚しなければならないとか,独身を貫かなければならないなどとは教えませんでした。では,結婚と独身についてどう考えたらよいですか。「ものみの塔」2012年10月1日号には,バランスの取れたこんな見方が示されています。「実のところ,結婚も独身も,神からのたまものと言うことができます。……独身について言えば,エホバはそれを恥や悲嘆の原因とは見ておられません」。この点を思いに留めて,独身の兄弟姉妹に敬意を示す必要があります。塔研20.08 28ページ8-9節
5月16日,月曜日
その日と時刻については誰も知りません。……父だけが知っています。(マタ 24:36)
世界のある国々では,聖書から良い知らせが伝えられると人々は快く耳を傾けます。ずっと知りたいと思っていたことだからです。一方,人々が神や聖書に無関心な国もあります。あなたの住んでいる国ではどうですか。人々の反応がどうであれ,エホバはご自分が良いとご覧になるまで私たちが伝道を続けることを望んでいます。エホバが決めた時に伝道は終了し,「終わりが来ます」。(マタ 24:14)イエスは,終わりの時代に起きる事柄を予告しました。弟子たちの注意を伝道からそらしかねない事柄です。それで弟子たちに「ずっと見張っていなさい」と言いました。(マタ 24:42)ノアの時代,人々は毎日の生活に気を取られ,ノアの警告に注意を払いませんでした。私たちも,同様の事柄のために気を取られかねません。(マタ 24:37-39。ペテ二 2:5)ですから,エホバから与えられた仕事に打ち込む必要があります。塔研20.09 8ページ1-2,4節
5月17日,火曜日
神への専心を貫き,キリスト・イエスに従って生きようとする人は皆,同じように迫害を受けます。(テモ二 3:12)
サタンは「大きな怒り」を抱いています。もしその影響を受けないと考えるなら,私たちは思い違いをしていることになります。(啓 12:12)間もなく私たちは皆,エホバに忠誠を尽くすかどうかが試されます。近いうちに,「世界の始めから今まで起きたことがな[い]大患難」が起きます。(マタ 24:21)大患難の際,家族に反対されたり伝道が禁止されたりするかもしれません。(マタ 10:35,36)あなたはアサ王のように,エホバが助け,守ってくださることを信頼しますか。(代二 14:11)エホバは,今後起きる事柄に備えて私たちの信仰を強めようとしておられます。「忠実で思慮深い奴隷」を導いて,信仰を養う食物を「適切な時に」与え,エホバへの崇拝を続けられるようにしてくださっています。(マタ 24:45)でも,エホバへの揺るぎない信仰を保つために,私たちも努力しなければなりません。(ヘブ 10:38,39)塔研20.09 18ページ16-18節
5月18日,水曜日
王の心はエホバの手にある水の流れのようだ。神はそれをどこへでも意のままに導く。(格 21:1)
エホバは,良いと思う時には,強力な聖なる力を使って,ご自分の望むことを高い地位にいる人たちに行わせることがあります。人は水路を作って水を望む方向に流すことができます。同じようにエホバは,聖なる力を使って,ご自分の望む方向に支配者たちの考えを導くことができます。高い地位にいる人たちは,そのように導かれると,神に仕える人たちに有利な決定をしたいと思うようになります。(エズラ 7:21,25,26と比較。)私たちには何ができますか。「王や高い地位にいる人たちについて」祈ることができます。そうした人たちは,私たちの伝道や集会などに影響を及ぼす決定をすることがあるからです。(テモ一 2:1,2。ネヘ 1:11)また,1世紀のクリスチャンがしたように,私たちも投獄されている兄弟姉妹のために熱烈に祈ります。(使徒 12:5。ヘブ 13:3)塔研20.11 15ページ13-14節
5月19日,木曜日
全ての国の人々を弟子とし……バプテスマを施し[なさい]。(マタ 28:19)
あなたは自分と一緒に聖書を学んできた人がバプテスマを受けたら,本当にうれしいでしょう。(テサ一 2:19,20)新たにバプテスマを受けた人は,その人に聖書を教えた人だけでなく,会衆全体にとって素晴らしい「推薦の手紙」となります。(コリ二 3:1-3)喜ばしいことに,4年間で,世界中で毎月平均約1000万件の聖書研究が行われてきました。それに対して,エホバの証人としてバプテスマを受け,イエス・キリストの弟子になったのは,毎年平均28万人余りでした。では,どうすればもっと多くの人がバプテスマを受けるよう助けられるでしょうか。エホバは人々に,キリストの弟子になるための時間とチャンスを与えておられます。私たちは,エホバの辛抱が続く限り,人々が進歩してバプテスマを受けるよう助けるためにベストを尽くしたいと思います。残された時はますます少なくなっているからです。(コリ一 7:29前半。ペテ一 4:7)塔研20.10 6ページ1-2節
5月20日,金曜日
神は傲慢な人に敵対し,謙遜な人に惜しみない親切を示してくださる。(ヤコ 4:6)
サウル王はエホバの指示通りにしませんでした。預言者サムエルにそのことを指摘されても,サウルは自分の間違いを認めませんでした。それどころか,指示に従わなかったのは大したことではないと考え,責任を部下たちに押し付けて,自分を正当化しようとしました。(サム一 15:13-24)サウルは以前にも,同じようにしたことがありました。(サム一 13:10-14)残念なことに,心が傲慢になっていたのです。サウルは考え方を正さなかったので,エホバから戒められ,退けられてしまいました。サウルのようにならないために,次のように考えるのは良いことです。「聖書のアドバイスを読んでも,これは自分には当てはまらないと考えることが多いだろうか。従わなくても大したことではないと思うだろうか。責任をほかの人に押し付けることがあるだろうか」。1つでも心当たりがあるなら,考え方や態度を正す必要があります。そうしないと,心が傲慢になり,エホバから退けられてエホバの友でいることはできなくなってしまいます。塔研20.11 20ページ4-5節
5月21日,土曜日
若いうちにあなたの偉大な創造者を覚えなさい。やがて,苦難の日々を迎え,「何も楽しくない」とあなたが言う年月が来るからだ。(伝 12:1)
子供の皆さん,誰に仕えるかを決めてください。あなたは,エホバがどんな方か,どんな目的を持っているか,それが自分の人生とどう関係しているかを理解する必要があります。(ロマ 12:2)そうすれば,人生で一番重要な決定をすることができます。エホバに仕えることに決めるのです。(ヨシュ 24:15)聖書を読んで研究する良い習慣を守るなら,エホバへの愛は深まり,信仰は強くなっていくでしょう。エホバの望まれることを第一にしましょう。サタンの世では,自分の能力を自分のために使えば幸せになれる,と言われています。しかし,お金や物を得ることを生活の中心にする人は,「多くの苦痛を身に招きま[す]」。(テモ一 6:9,10)一方,エホバに従い,エホバの望まれることを第一にする人は,「成功し,賢く行動でき」ます。(ヨシュ 1:8)塔研20.10 30-31ページ17-18節
5月22日,日曜日
私は……神の王国の良い知らせを広めなければなりません。そのために遣わされたからです。(ルカ 4:43)
1世紀に,イエスは全ての人にとって希望となるメッセージを伝えました。自分が始めた伝道活動を続けるよう弟子たちに命じ,「地上の最も遠い所にまで」行って伝えるようにと言いました。(使徒 1:8)しかし,その活動は弟子たちの力だけで行えるものではありませんでした。イエスが約束していた「援助者」,つまり聖なる力が必要でした。(ヨハ 14:26。ゼカ 4:6)イエスの弟子たちは,西暦33年のペンテコステの時に聖なる力を与えられました。聖なる力に助けられてすぐに伝道を始め,短い間に何千人もの人が良い知らせを信じるようになりました。(使徒 2:41; 4:4)迫害が始まっても,弟子たちは恐れに負けることはありませんでした。助けを求めて神に頼り,こう祈りました。「あなたの奴隷たちができる限り大胆にあなたの言葉を語り続けられるようにしてください」。すると,弟子たちは聖なる力に満たされ,「神の言葉を大胆に語」り続けました。(使徒 4:18-20,29,31)塔研20.10 21ページ4-5節
5月23日,月曜日
聖書にある通りキリストが私たちの罪のために死んでくださり,……生き返らされ[た]。(コリ一 15:3,4)
エホバがイエスを生き返らせたことを確信できるのはなぜでしょうか。大勢の人が,復活したイエスを目撃しました。(コリ一 15:5-7)使徒パウロが最初に挙げているのは,使徒ペテロ(ケファ)です。ほかの弟子たちも,ペテロが復活したイエスを見たと言っています。(ルカ 24:33,34)さらに,使徒たちも復活したイエスと会いました。その後イエスは,「一度に500人以上の兄弟の前に現れました」。マタイ 28章16-20節に記録されているガリラヤで開かれた喜ばしい集まりの時のことでしょう。イエスはさらに,「ヤコブの前に……現れました」。このヤコブは,初めはイエスがメシアであることを信じていなかったイエスの弟と思われます。(ヨハ 7:5)ヤコブは復活したイエスを見て,信仰を持ちました。パウロがコリントに手紙を送った西暦55年ごろには,復活したイエスを目撃した人がまだ大勢生きていたので,疑問があれば,そうした人たちに直接話を聞くことができました。塔研20.12 3ページ5,7-8節
5月24日,火曜日
エホバは病に伏せる彼を支える。(詩 41:3)
体調が悪く,特に慢性的な病気と闘っている場合には,なかなか前向きになれないかもしれません。エホバに支えてもらいましょう。エホバは今私たちを奇跡的に癒やすことはしませんが,私たちを慰め,忍耐する力を与えてくださいます。(詩 94:19)例えば,兄弟姉妹が家事をしてくれたり一緒に祈ってくれたりするように導くかもしれません。あるいは,もうすぐ新しい世界で完全な命を得て,病気も苦痛もなくなる,という素晴らしい希望などを聖書から思い出せるように助けてくれるかもしれません。(ロマ 15:4)それでも伝道で行えることが限られていると感じることがあります。ローレルという姉妹は,鉄の肺の中で37年間過ごしました。がんになり,大きな手術を何度も受け,慢性的な皮膚病もありましたが,伝道をやめませんでした。家にやって来た看護師や他の医療従事者たちに真理を伝え,聖書をよく知るように少なくとも17人を助けることができたのです。塔研20.12 24ページ9節,25ページ12節
5月25日,水曜日
エホバは私の側にいてくださる。私は恐れない。人が私に何を行えるだろう。(詩 118:6)
西暦56年ごろ,使徒パウロは危険な状況にありました。エルサレムで暴徒に襲われて神殿の外に引きずり出され,殺されそうになったのです。次の日にはサンヘドリンに連れていかれ,そこでも敵に殺されそうになりました。(使徒 21:30-32; 22:30; 23:6-10)パウロは,「こんな仕打ちにいつまで耐えられるだろうか」と思ったかもしれません。パウロはどんな助けを与えられましたか。その夜,「主イエス」がパウロのそばに立って,こう言いました。「勇気を出しなさい! あなたは私についてエルサレムで徹底的に知らせてきました。同じようにローマでも知らせなければなりません」。(使徒 23:11)まさにぴったりのタイミングで与えられた励ましでした。イエスは,パウロがエルサレムで徹底的に伝道したことを褒め,パウロがローマに行ってそこでも伝道することになると伝えました。パウロはその保証の言葉を聞いて,父親の腕に抱かれた子供のように安心したことでしょう。塔研20.11 12ページ1節,13ページ3-4節
5月26日,木曜日
この希望は,……確かで揺らぐことがな[い]。(ヘブ 6:19)
王国についての希望は「命のためのいかり」のようなものです。その希望があれば,私たちは難しい問題にぶつかったり不安を感じたりしても,心を穏やかに保つことができます。エホバは,不安や心配のない将来を約束しています。そのことをじっくり考えましょう。(イザ 65:17)つらいことが全くない,平和な新しい世界で生活している自分の姿を思い描いてください。(ミカ 4:4)新しい世界について人々に伝えるなら,希望は強まります。伝道し,人々を弟子とするために,自分にできることを何でも行いましょう。そうすれば,「希望に対する揺るぎない確信を最後まで保」つことができます。(ヘブ 6:11)この体制の終わりが近づくにつれて,不安や心配を感じさせるような問題は増えていくでしょう。私たちは,そうした問題に立ち向かい,平静を保つために,自分の力に頼るのではなく,エホバを信頼することができます。エホバの次の約束を信じていることを行動によって示していきましょう。「平静を保ち,信頼するなら,力を得る」。(イザ 30:15)塔研21.01 7ページ17-18節
5月27日,金曜日
エホバは優しい愛情にあふれ[た]方……です。(ヤコ 5:11)
ヤコブ 5章11節では,エホバの優しい愛情がほかの魅力的な性格と結び付けられています。それは憐れみです。(出 34:6)例えば,エホバは私たちの間違いを許すことによって,憐れみを示してくださいます。(詩 51:1)でも聖書によると,憐れみを示すとは,人を許すことだけではありません。憐れみとは,心の奥深くから湧き上がる感情のことで,困っている人を見た時に助けたいと思う気持ちのことです。聖書によると,私たちを助けたいというエホバの願いは,母親が子供を思う気持ちよりも強いものです。(イザ 49:15)エホバは私たちがつらい状況にあるのを見ると,憐れみを感じ,私たちを助けてくれます。(詩 37:39。コリ一 10:13)私たちは,仲間から嫌なことをされても,許して根に持たないことによって,憐れみを示すことができます。(エフェ 4:32)でもそれだけでなく,大変な状況にある仲間の支えになることによっても憐れみを示せます。そうするなら,優しい愛情の点で最高の手本であるエホバに倣っていることになります。(エフェ 5:1)塔研21.01 21ページ5節
5月28日,土曜日
キリスト[は]その歩みに皆さんがしっかり付いてくるよう手本を示しました。(ペテ一 2:21)
家族の頭は上手にバランスを取る必要があります。家族を養うための仕事ばかり行うなら,家族がエホバとの友情を築いたり安心感を持ったりするよう助けることや家族を教えることができなくなってしまうからです。エホバは,私たちのためを思って教え,矯正してくださいます。(ヘブ 12:7-9)イエスも,自分に従う人たちを愛情深く教えます。(ヨハ 15:14,15)イエスは何をすべきかはっきり言いますが,親切な方です。(マタ 20:24-28)そして,私たちが不完全で何度も間違いをすることを分かってくださっています。(マタ 26:41)エホバとイエスに倣う家族の頭は,妻や子供が不完全であることを忘れません。妻や子供に「ひどく怒っ」たりはしません。(コロ 3:19)そうではなく,ガラテア 6章1節の原則を当てはめ,家族を「優しく正」します。自分も不完全であることを忘れません。イエスと同じように,手本で教えるのが一番良いということを理解しています。塔研21.02 6-7ページ16-18節
5月29日,日曜日
生きている全てのものはヤハを賛美せよ。(詩 150:6)
エホバは,贖いによって会衆の一人一人の命を買い取りました。(マル 10:45。使徒 20:28。コリ一 15:21,22)それで,命を贖いとして差し出したイエスを会衆の頭として任命しました。私たちの頭であるイエスには,個々の人や家族や会衆全体の行動に関する決まりを作り,それを守らせる権限があります。(ガラ 6:2)しかし,イエスは決まりを作るだけではなく,私たち一人一人を養って大切にします。(エフェ 5:29)キリストは,姉妹たちを世話するよう兄弟たちを任命しています。姉妹たちは,そうした兄弟たちの指示に従うことによって,キリストに敬意を示すことができます。兄弟たちは,姉妹たちに敬意を持って接するなら,頭という立場を正しく理解していることを示せます。会衆の全ての人が,頭という立場を正しく理解して敬意を示すなら,会衆には平和が行き渡ります。そして何よりも,愛情深い天のお父さんエホバへの賛美となるのです。塔研21.02 19ページ14-17節
5月30日,月曜日
ダビデはエホバに尋ねた。(サム一 30:8)
ダビデと部下たちは,サウルから逃げていた時,家族を家に残して戦いに出掛けていきました。ところが,留守にしている間に敵が家を襲撃し,家族を連れ去ってしまいました。ダビデは,それまでの戦いの経験を生かして,家族を救い出すための作戦を自分で考えることもできたでしょう。でも,そうするのではなく,導きを求めてエホバに頼りました。「略奪隊の後を追うべきでしょうか」とエホバに尋ねました。エホバはダビデに,追っていくようにと言い,家族を救い出すことができると保証しました。(サム一 30:7-10)この出来事から何を学べますか。決定をする前にアドバイスを求めてください。若い皆さん,親に相談しましょう。経験を積んだ長老たちに話すなら,良いアドバイスをもらえるでしょう。エホバが長老たちを信頼しているのですから,あなたも信頼することができます。長老はエホバから会衆への「贈り物」なのです。(エフェ 4:8)その信仰に倣い,アドバイスに従うなら,良い決定ができるでしょう。塔研21.03 4-5ページ10-11節
5月31日,火曜日
[何ものも]神の愛から私たちを引き離すことはできません。(ロマ 8:38,39)
イエスは,学んだことを実行しない人を砂の上に家を建てた人に例えました。一生懸命に家を建てても,その人の努力は無駄になってしまいます。嵐が来て洪水が押し寄せると,その家は崩れ落ちてしまうからです。(マタ 7:24-27)同じように,学んだことを実行しないなら,努力は無駄になってしまいます。問題や迫害に立ち向かえるほどの強い信仰を築くことはできないからです。一方,学んだことを当てはめるなら,良い決定ができるようになります。また,心は穏やかになり,信仰は強くなります。(イザ 48:17,18)試練の下でも忠実であり続けるには,祈ってエホバに頼り,聖書を研究する良い習慣を保つことが必要です。そして,私たちにできる最も重要なことはエホバに栄光をもたらすことだという点を忘れてはなりません。エホバは私たちを決して見捨てたりはしません。誰もエホバの愛から私たちを引き離すことはできないのです。(ヘブ 13:5,6)塔研21.03 15ページ6節,18ページ20節