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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「モリヤ」

モリヤ

(Moriah)

ソロモンがエホバのための壮麗な神殿を建てた,岩の多い高台の名。それ以前にソロモンの父ダビデは,そこに祭壇を築くためにエブス人アラウナ(オルナン)からこの敷地を買い取っていました。人口調査の実施に関連したダビデの罪によって生じた神罰を終わらせる手段として,神はそのように祭壇を築くことを指示されたからです。―サム二 24:16-25; 代一 21:15-28; 代二 3:1。「アラウナ」を参照。

古代のユダヤ人の伝承はこの神殿の敷地を,アブラハムが神の命令でイサクをささげようとした「モリヤの地」の山と結び付けています。(創 22:2。ユダヤ古代誌,VII,329-334 [xiii,4]を参照。)そうだとすれば,「モリヤの地」はエルサレムの周りの山地だったことになります。ベエル・シェバ付近を出発したアブラハムが目指したのは「モリヤの地」でした。3日目に,神によって指定されたその場所が遠くから見えました。―創 21:33,34; 22:4,19。

中には,ベエル・シェバから“神殿の山”までの距離や,“神殿の山”が「遠くから」は見えないという点を理由に,モリヤ山をエルサレムの“神殿の山”と同定することに異議を唱える人もいます。しかし,アブラハムが行くことになっていたのは「モリヤの地」でした。最初の日,アブラハムは早く起きて,ろばに鞍を置き,まきを割ってそれをろばに載せ,それから旅を始めました。(創 22:2,3)「アブラハムが目を上げ……その場所[モリヤの地]が遠くから見えるようになった」のは「三日目」のことでした。ですから終日旅をしたのは2日目だけでした。モリヤ山が見える範囲と旅行した距離について,図説聖書辞典はこう述べています。「しかし,南フィリスティアからエルサレムまでの距離は約80㌔で,それだけの道のりを行くには恐らく3日かかっただろう。また,創世記の中で問題となっている場所は『モリヤ山』ではなく,モリヤという名の地にあった幾つかの山の一つであり,エルサレムの幾つかの丘は遠くから見える。したがって,アブラハムが犠牲をささげたのは,“神殿の山”の上でないとしても,後のエルサレムの敷地であったということに疑いをはさむ必要はない」。(J・ダグラス編,1980年,第2巻,1025ページ)ですから,ベエル・シェバからモリヤ山までのおよそ80㌔の徒歩旅行には,恐らくまる2日以上が必要だったことでしょう。

モリヤ山はアブラハムの時代のサレムから十分離れたところにあったと思われるため,イサクを犠牲にしようとする試みは同市の住民の十分見えるところで行なわれたわけではありませんでした。そこの住民がこの出来事を目撃したり,それを阻もうとしたという記録はありません。数世紀後にこの場所が幾分孤立していたということは,ダビデの時代にモリヤ山に脱穀場があったという事実から導き出せるかもしれません。しかし,この場所の建造物について述べた箇所は一つもありません。―代二 3:1。

今日,モリヤ山の頂上には,“岩のドーム”として知られるイスラム教の寺院があります。―「エルサレム」(その後の時代)を参照。

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