アラブ連合共和国で反対に打ち勝つ
アラブ連合共和国内の新世社会の昨奉仕年度は,もっとも危険なものでした。その年の出来事は,特に南方のエジプトにいるエホバの証者にとって将来崇拝の自由が得られるかどうかに大きな影響を持ちます。政府当局は政府命令を出して,ものみの塔協会を解体しました。その理由は,協会が特定な法律にしたがって登記されていないということでした。その法律は博愛主義的な社会や社会的な協会を認めても,宗教団体を認めません。それでも,1960年9月1日,政府の指示にしたがうため,登記申請書が政府当局に提出されました。政府との交渉は面倒なものです。しかし,エホバの証者はそれにもかかわらず,善意者に忍耐を示し,良い結果を得ています。だれもイエスの羊を奪うことができないとイエスは言われました。ほんとうに,イエスはその制度を通して羊を集めておられます。
ある小さな町で官憲は会衆の僕を逮捕しました。彼は特別開拓者ですが,奉仕に良い結果を得ています。協会はこの町で,出版物の配布についての合法的な勝利をはじめて得ました。警察は,野外奉仕をしていたときに逮捕したふたりの兄弟たちを起訴して次のように言いました。すなわちふたりは検閲をうけなかった,不法に国内にはいった文書を配布していたというのです。協会側は,その文書は正式に関税を通してはいり,配布する前に検閲をうけたと証明することに,その訴訟を楽々と勝ちました。
ひとりの姉妹は聖書研究を司会していました。善意者は良く進歩して,隣人や知人に伝道しはじめました。ある日,この人は姉妹の家に彼女と研究し始めた新しい善意者を連れてきました。この人はひじょうに悲しんでいて,神の御言葉の中になぐさめを求めました。彼女は姉妹に聖書を持って来てくださいとたのみました。夫へのプレゼントにしたいと思ったのです。それから,姉妹と最初の善意者はその人の夫に証言しました。その人と15歳の女の子および12歳の男の子はふかい興味を示しました。この人はすぐに仲間の者に証言し始め,仲間のひとりは家庭聖書研究に出席するよう招待をうけました。しかし,2ヵ月後,姉妹がきめられた研究の時間に2度も行きましたが2度ともるすでした。彼女が不意に訪問してみると,家族は家にいました。夫は真面目な態度で,彼女が聖書から教えたことはみな正しいがとうていそれは難かしいので,やっていけそうもないと言いました。そして,彼はある日親族のパーティに出席して,真理のことを話したが大多数の者は彼に反対し,彼は真理を効果的に説明することができなかったと説明しました。親族たちは,もし彼がエホバの証者と研究をつづけるなら,彼を親族の一員と認めないと脅しました。姉妹はこの話を聞くとすぐに,彼が神を愛するかどうか彼が自分の生命と家族の生命を愛するかどうかをたずねました。彼がはいと答えてから,こんどは姉妹は親族の者は彼に生命を与えるか,また彼は神よりも親族の方を深く愛するかどうかとたずねました。もちろん,彼は否定の答えをしました。それから,姉妹は巧みに言葉をつづけて,私たちはサタンに反抗しなければならない。そうすれば彼は私たちから逃げると説明しました。彼女はまた種まき人のたとえも話して,私たちが岩地の土でなく,良い種類の土でなければならぬと述べました。彼は深い感銘をうけてふたたび研究を始めると約束しました。そして,彼は知己,親族および仲間の者たち全部にふたたび伝道し始めました。姉妹の15歳になる娘は,彼の娘と研究しましたが,彼も自分の家族と研究を始めました。彼は妻も証言しているので幸福です。
法律上の問題や当局者たちの干渉が激しいにもかかわらず,またふたりの特別開拓者が国外に追放され,数人の他の開拓者がこの国を去ったにもかかわらず,わざはたいへん良い進歩を見せました。―エホバの証者の年鑑(英文)より