1962年の聖句
「勇ましくあれ。心を強くせよ。ただエホバを待ちのぞめ」。―詩 27:14,新世。
勇ましくあれ。この言葉を他の人に言うことは容易ですが,あなた自身にあてはめるならばどうですか。クリスチャンはエホバを待ち望むゆえに勇気があります。この希望は,唯一の真の神とその愛される御子キリスト・イエスを知ることから得られます。それには研究,深く考えること,集会に行くことが必要です。信仰が大きくなるにつれて,エホバにおいた望みも固くなります。
すべての人は自分をよく見て,自分をしらべ,本当に自分を知らなければなりません。ヤコブは述べました。「おおよそ御言を聞くだけで行わない人は,ちょうど,自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見てそこから立ち去ると,そのとたんに,自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう」。(ヤコブ 1:23,24)あなたはどんな人ですか。聞くだけの人,それとも行なう人ですか。鏡の中にどんな自分を見ますか。あるいはすぐに忘れてしまいますか。良心的な人は御言葉を行なう人です。その人は行いによって勇気を示し,エホバを喜ばせます。そしてエホバを待ち望みます。
私たちの主人,主イエス・キリストのことを考えてみましょう。イエスはどんな人でしたか。イエスは謙遜な人,親切な人でしかもきわめて多忙な人であったのを私たちは知っています。イエスは聖霊にみちた人でした。彼は自分がそれを必要とすることを知って祈り求めたからです。これによってイエスは天国の近づいたことを伝道する力を得ました。彼は追随者と共に静かに坐って彼らを教えました。イエスはエホバと神の音信にゆるがない信仰と希望をおいたので,そのために命さえも喜んで与えたのです。その住んだところを考えてごらんなさい。帝国の支配を受けた国で,ローマの兵士は無理やりに人々を服従させ,追従する偽善者のユダヤ人宗教家はカイザル以外の王が人々に語ることを望まなかったのです。このような世界に生まれてきたこの若者にとって,新しい政府,そうです,エホバの御国の良い音信を伝道するには勇気がいりました。彼は富める者にも貧しい者にもそれを宣べ伝え,また押えつけられた者と,嘆く者に慰めを与えました。その偉大なわざのはじめにあたって,この悪の世の見えない支配者悪魔はイエスを誘惑しようとしました,悪魔はイエスに多くのものを提供したのです。それを拒絶するには勇気が必要でした。イエスを神に背かせようとしてサタンはイエスを誘惑し,「またたくまに世界のすべての国々を見せて言った,『これらの国々の権威と栄華とをみんな,あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて,だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで,もしあなたがわたしの前にひざまずくなら,これを全部あなたのものにしてあげましょう』」。イエスはこの古い悪しき蛇の策略をよく知っていました。この者は幼児のイエスを殺そうと図った者であり,そのたくらみを持ちつづけていたのです。イエスは勇気のある答えをしました,「『あなたは,あなたの神エホバを崇拝し,彼のみに聖なる奉仕を捧げねばならない』と書かれている」。―ルカ 4:5-8,新世。
悪魔はイエスを三度,誘惑してのち,イエスの忠実を破ることができないのを知って「一時イエスを離れた」(ルカ 4:13)この時また他の多くの場合,特にゲッセマネの庭で,また宗教指導者やローマの支配者の前で示した勇気を,イエスは忠実な追随者に吹き込みました。あなたもエホバを待ち望むゆえに,このような確信を持ち,このような勇気を示しますか。
不完全な人間であった他の人々も,このような勇気を持っていました。ステパノを見てごらんなさい。「さて,ステパノは恵みとか力とに満みて,民衆の中で,めざましい奇跡としるしとを行っていた。すると,いわゆる『リベルテン』の会堂に属する人々……が立って…ステパノと議論したが……彼らは人々をそそのかして,『わたしたちは,彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。……『あのナザレ人イエスは,この聖所を打ちこわし,モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまう』などと,彼が言うのを,わたしたちは聞きました」。(使行 6:8-14,新口)ステパノに対するこのような言葉を語って「彼らは……民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し」ステパノを襲って捕えさせ,議会にひっぱってこさせたのです。議会で人々はステパノの言葉を聞きました。ステパノは少しも恐れを見せませんでした。その心は強く,ひとつだったのです。エホバに望みをおいたステパノには勇気がありました。彼は権威をもってユダヤ人の歴史を語り,栄光の神がアブラハムに現われたこと,またイサク,ヤコブと12支族のかしら,モーセ,ヨシュアおよびダビデについて語り,ソロモンがエホバの家を建てたことを述べました。エホバに献身したこれらの人々とかかわりを持たれた神は忠実を表わされたことを説明してのち,ステパノは祭司長やサンヘドリンの人々全部にむかい間違うことのない言葉で雄々しく次のことを述べました。「ああ,強情で,心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは,いつも聖霊に逆らっている。それは,あなたがたの祖先たちと同じである。いったい,あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が,ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し,今やあなたがたは,その正しいかたを裏切る者,また殺す者となった。あなたがたは,御使たちによって伝えられた律法を受けたのに,それを守ることをしなかった」。―使行 7:51-53。
これを聞いて人々は歯ぎしりしましたが,ステパノは勇敢に語りつづけ,次のように述べました。「ああ,天が開けて,人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」。それを聞いて宗教的な激しい怒りにかられたユダヤ人は「大声で叫びながら,耳をおおい,ステパノを目がけて,いっせいに殺到」したのです。(使行 7:56-59)ステパノはすばらしい人でした。彼はこれらのユダヤ人に徹底的な証言をしました。彼はその機会を見てとったのです。そしてイエスが学者,パリサイ人に語ったと同じく明白に語りました。ステパノはエホバを待ち望んで勇しく,強い心を持ちました。彼は退くことも妥協することも,逃げ去ることもなかったのです。彼は自分の立場を守りました。その忠実のゆえに,ステパノはキリスト・イエスの足跡に従った最初の殉教者としてその名前を記録に残しました。忠実な証者であったゆえに,人々はステパノを石で打ち殺しました。あなたがステパノの立場にあったならば,どうしたと思いますか。「ステパノと同じ事をします」とあなたは言います。その通りです。今日でも神はあなたが同様な勇気を示すことを望まれています。
当時,出来事は目まぐるしく起きました。「その日,エルサレムの教会に対して大迫害が起り,使徒以外の者はことごとく,ユダヤとサマリヤの地方に散らされて行った」。(使行 8:1)このほか最近の歴史においても,キリスト・イエスの足跡に従う何千人の追随者は同じ勇気を示しました。しかし紙面が限られているため,それを語ることはできません。私たちの兄弟の多くは支配者の前でも自分の立場を守り,そのために刑務所や強制収容所に投げ込まれました。その勇気,その強い心のために,多くの人はガス室で死んだり銃殺されたりしました。真のクリスチャンはこの古い世と妥協しません。クリスチャンが古い世の一部になることはできないからです。クリスチャンはエホバの御国を全面的に支持しなければなりません。悪魔の制度が神の忠実な民に加える迫害はまだ終わっていません。ハルマゲドンの戦いが近づくにつれて,それは激しくなるでしょう。そのような状態の下にあるとき,あなたはどうしますか。「エホバを待ちのぞめ。勇ましくあれ。心を強くせよ。ただエホバを待ちのぞめ」(詩 27:14,新世)エホバはあなたの勇気に報い,救いを与えられます。