エホバを待ちのぞんで勇ましく伝道する
ハワイ
人口: 62万人
伝道者最高数: 1708人
比率: 363人に1人
危機に直面したこの世の人々は恐れと不安におびえていますが,エホバの「おり」の中に安らかに住まうエホバの「羊」は恐れていません。エホバの証者は,この苦難の時が昔の預言の成就であり,終りの時のしるしであることを知っています。それゆえにエホバの証者はハワイの島々で御国の音信を伝道しているのです。光を揚げる者とはなったエホバの証者は,大きな幸福を感じています。そして次の言葉を心に留めます。「狭い戸口からはいるように努めなさい」(ルカ 13:24,新口)。彼らが努めることによって,霊的な暗やみの中にいる人々は光の中に導かれます。ハワイからの次の経験はそのことを示しています。
84歳のある兄弟は年のために腰がまがっていますが,それでも宣教に精を出しています。韓国語を話すこの兄弟は,家から家に行っても余り多くの人と話すことができないので,毎日,街頭に立っています。その姿は大勢の人の目にとまって,忠実の模範となっています。この年老いた兄弟は,何を成し遂げましたか。毎月,平均336冊の雑誌を配布し,ある時は1か月間に570冊を配布しました。去る奉仕年度のあいだ1825時間を奉仕したその努力によって,大勢の人が祝福を受けました。
太平洋の上を飛ぶ飛行機の中で偶然の伝道をして親切を示したことが,良い実を生み出しました。乗客の一人の婦人が日本語の「目ざめよ!」を読んでいるのを見て,エホバの証者の乗務員の一人は,あなたもエホバの証者ですかと尋ねました。エホバの証者ではなくて,雑誌を読んでいるだけですという返事でしたが,この乗務員は真理の話をつづけました。目的地に着くまで,この兄弟の示した配慮と親切は,この婦人に感銘を与えました。
この婦人が家に戻ってから間もなく,別の証者の訪問を受けて聖書研究が直ちに始められ,婦人はその晩,書籍研究に出席しました。かなりの年配のうえ,日本語で勉強しなければならなかったため,進歩はやや遅いようでしたが,この柔和な人は英語の集会にも出席し,また別の島で開かれた「一致した崇拝者の地域大会」にも出席して認識を示しました。
カトリックの人が断然多い地区で,巡回の僕と一緒に働いていたある姉妹は,聖書の話を聞いてくれる人にほとんど会いませんでした。ところが驚いたことに一軒の家の主婦は,聖書の勉強をしたいとすぐに言って二人を中に招じいれました。
そして次のような話をしました。「私は病院から退院したばかりです。私の病室には死ぬばかりの婦人がいました。私は死の床についている人と同室して不快な気持ちを持ちましたが,一方ではその人の幸福そうな様子と快活さを見て驚かずにはいられませんでした。その婦人は,自分が住むことのできる楽園のことを何時も話していました。私に英語の聖書を貸してくれたうえ,自分の韓国語の聖書から沢山の句を私に説明したのです。それは私の聞いたことのない事ばかりでした。私の義理の姉は,カトリック修道院の院長をしていますが,私はこんなにすばらしい事を聞いたことがなかったのです。私は聖書を勉強したかったのに,個人教授の謝礼を出すことができなかったことを彼女に語りました。彼女は神の言葉は価なしで学ぶことができると答え,私の退院した日,是非エホバの証者と連絡して家庭聖書研究をとりきめてもらいなさいとすすめました。そしてエホバの証者は無料で聖書を教えると言いました。二日前,私はこの婦人の亡くなったことを新聞で知りました。彼女の幸福で恐れを知らなかった様子が,私には忘れられません。たしかに彼女は神を愛して神を信頼していたに違いありません。それで私も聖書を学びたいのです」。
どんな時にも証者はできるものです。この忠実な姉妹は死ぬ前に,もう一人の人に生命の道を示すことができました。
一致した崇拝者の地域大会において,兄弟たちは新しい出版物を受け取り,大いに喜びました。ハワイの兄弟たちは,1963年にホノルルで開かれるエホバの証者の国際大会に大きな熱意を持ち,世界各地からの兄弟をこの大会に迎えることを待ち望んでいます。