『あなたの罪は許されています』
親が子どもといっしょに読むための特別な記事
正しいことをすると,良い気持ちがしますね。あなたも知っているとおり,お父さんやお母さん,それにエホバ神も喜ばれます。でも,どんなにいっしょうけんめい努力しても,悪いことをするばあいがありますね。神が,悪いといわれたことをする,それが罪です。
偉大な師であられるイエスは,罪はわたしたちみんなに悪い働きをすることを示されました。イエスはふしぎなわざ,つまり,きせきのひとつをおこなって,そのことを示されました。それについておはなししましょう。
イエスがガリラヤ湖に近い,ある町にとどまっておられたときのこと,大ぜいの人びとがイエスに会おうとしてそこへやってきました。あまりおおぜいの人がきたので,家にはいりきれなくなりました。戸口にちかよることさえできない人もたくさんいました。
それでも,あとからあとから人びとがやってきました。すると,一群の人びとが,重い病気にかかっている男の人を連れてきました。その人はからだがまひしていて,歩けなかったので,ちょっとしたしん台にのせられて,4人の男の人に運ばれてきました。
それらの人が病人をイエスのもとに連れてゆきたいとおもったのはなぜかわかりますか。イエスはその病人を助けてくださるにちがいない,という信仰を持っていたからです。イエスはその病人をなおしてくださるにちがいない,と信じていたのです。
でも,家のなかは人でいっぱいだったのですから,からだのまひした人をどのようにしてイエスのそばに連れてゆくことができるでしょうか。そこである方法をみつけました。やねのうえにのぼったのです。やねはたいらでした。それから,やねに大きなあなをあけ,しん台に病人をのせたまま,そのあなからつりおろしたのです。なんという信仰を持っていたのでしょう!
家の中の人びとはみな,それを見て,びっくりしました。からだのまひした男の人が,しん台にのせられたまま,人々のまんなかに,つりおろされからです。人びとがそのようなことをしたので,イエスはおこりましたか。いいえ,すこしもおこりませんでした。それらの人びとの信仰をごらんになって喜んだイエスは,からだのまひしたその病人に,「あなたの罪はゆるされています」といわれました。
でも,なかには,イエスがそういうのはまちがっていると考えた人びともいました。イエスが罪をゆるせるなどとは考えられなかったのです。そこでイエスは,ご自分が,じっさいに罪をゆるすことができるということを示すため,その病人に,こうおっしゃいました。「起きて,あなたのしん台を取り上げて,家に帰りなさい」。
イエスがそうおっしゃると,その人の病気はなおったのです。からだはもうまひしていませんでした。こんどは,ほかの人たちに運んでもらわなくてもよくなりました。自分でおきて,歩くことができたからです。
そのきせきを見た人びとはたいへんおどろきました。生まれてからその時まで,いちども見たことのないふしぎなことだったからです。人びとは,病気をさえなおせる偉大な師を自分たちにつかわしてくださったエホバをほめたたえました。―マルコ 2:1-12,新。
そのきせきからなにを学べますか。イエスは,罪をゆるして,病人をなおす力を持っておられることがわかります。でも,そのほかにもわかることがあります。人は罪のために病気になるということがわかります。
あなたは病気になったことがありますか。だれでも病気をします。ですからわたしたちはみな罪人ではありませんか。そうです。わたしたちはみな,罪を持って生まれていると聖書はのべています。
罪を持って生まれているというのは,どういう意味かわかりますか。わたしたちはみな,生まれながら不完全だという意味です。したいとは考えていないのに,あやまったことをするばあいが,だれにでもあります。このようになったのは,最初の男と女,つまり,アダムとエバが神にしたがわなかったためなのです。そのふたりは,神の律法をやぶって,罪をおかしたので,わたしたちはみな,アダムから罪を受けつぎました。
わたしたちがどのようにして,アダムから罪を受けついだかわかりますか。では,わかりやすくせつめいしましょう。どろまんじゅうを作ったことがありますか。では,おさらにきずをつけると,どうなりますか。そのおさらで作ったどろまんじゅうにはみな,おなじようなしるしがつきませんか。
アダムは,そのおさらに似ています。神の律法をやぶったとき,アダムは不完全になりました。つまり,おさらにきずをつけたように,アダムには悪いしるしがついたのです。それで,アダムに子どもができたとき,その子どもたちはどうなりましたか。アダムの子どもにはみな,おなじ不完全さのしるしがついたのです。
かたほうの腕がないとか,からだのわきにあながあいているなどというような,ひとめでわかるほどひどい不完全なからだで生まれる子どもはめったにいません。それでも,人間はとても不完全なので,病気にもかかりますし,やがては死にます。
もちろん,なかには,病気にかかりやすい人がいます。それはなぜですか。そういう人は,もっと多くの罪を持って生まれたのですか。
いいえ,だれでも同じ罪を持って生まれているのです。わたしたちはみな,生まれながらに不完全です。ですから,だれでも,いつかは同じような病気にかかるかもしれないのです。神の律法をぜんぶ守って,ほんとうに悪いことをなにひとつしないようにしようとつとめる人でさえ病気になります。
では,病気にかかりやすい人がいるのはなぜですか。いろいろな理由があります。たべるものがじゅうぶんにないばあいもあるでしょう。正しい種類のたべものをたべていないこともあれば,おかしやアメなどをたべすぎたりするばあいもあるでしょう。
そのほか,夜おそくまでおきていて,じゅうぶんのすいみんをとっていないばあいもあれば,じゅうぶんにあたたかいしたくをしないで,寒いそとに出たりすることもあるでしょう。ですから,いろいろな理由で病気にかかりやすい人がいるのです。
病気にならないような時代はくるでしょうか。罪が取りのぞかれることがあるのでしょうか。ところで,イエスは,からだのまひした病人のために何をなさいましたか。イエスは,その人の罪をゆるして,病気をなおされました。イエスはそのようにして,正しいことをしようといっしょうけんめいに努力する人すべてのために,完ぺきなしかたでおこなおうとしていることを示されたのです。
わたしたちが悪をにくんで,罪をきらっていることを示せば,イエスは,わたしたちをいやしてくださるでしょう。イエスは,わたしたちがいま持っている不完全さをのぞきさってくださるでしょう。イエスは,神の王国によって,まもなくそうしてくださるのです。
いちどにぜんぶの罪がわたしたちからのぞきさられるわけではありません。それはやがて取りのぞかれてゆくのです。そして,ついには,わたしたちの罪はなくなり,病気になるようなことはもはやなくなってしまいます。わたしたちはみな,完全なけんこうになるのです。それはなんとすばらしい祝福ではありませんか。