聖書はあなたを助けるものとなり得ますか
何世紀も前に書かれた本である聖書が今日の生活上の諸問題に対処する助けになり得るという考え方は,多くの人にとって奇妙に思えるかもしれませんが,確かに聖書はそのような助けとなってきました。絶望的な事情のもとにあった人々さえ聖書のおかげで,助けられ,人生の目的を見いだし,またそれゆえに生きる理由を見いだしました。
オランダでのこと,あるエホバのクリスチャン証人は,自動車事故のために陥った長いこん睡状態から目ざめました。その女性は心身ともにすっかり損われており,生き長らえて正気を取り戻す可能性はほとんど2%しかありませんでしたが,徐々に回復しました。それから後にこの証人は,自分自身も不具になったその同じ自動車事故で,それぞれ同じくエホバの証人であった兄と義姉そして夫が三人とも死んだことを知らされました。彼女にはなおも生きていたいと願う理由がありましたか。
確かにありました。復活に関する聖書の約束が確かな証拠によって裏付けられていることを認識していたからです。彼女は,亡くなった親族に再び会えるとの十分の確信を抱いていたのです。それにまた,どんな事情にもかかわりなく創造者に仕えるなら,人生は真に有意義なものになることを認識するよう他の人々を助けたいとの願いを失ってはいませんでした。彼女は書いたり話したりすることを再び学びました。右半身は麻痺していますが,聖書の真理を他の人と分かち合うことを含め,彼女は神への奉仕に携わっています。彼女はこう述べています。「わたしは自分にできる限りエホバ神に仕えます。わたしが左手でものを書くことを学んだのはそのためです。なぜなら,エホバに仕えたいからです。エホバに仕え続けないなら,わたしは夫を辱めることになります。ですから,わたしはエホバの誉れのために証言を続けてゆくのです」。
同じオランダのあるエホバの証人は,死にひんしていた男を生きる理由を知るよう助けることができました。ある晩,自宅の窓から外を見ていたその証人は,道路の反対側で騒ぎが起きているのに気付きました。もしかすると子どもの事故があったのではなかろうかと心配したこの証人は,現場へ急ぎました。そこには首つり自殺をした男の人が,死んだようになって地面に横たわっていましたが,まだ命は保たれていました。証人が直ちに人工呼吸を施したところ,男の人は意識を取り戻し,それから病院に収容されました。
この男の人は,生活に疲れたために自殺を図ったのです。彼は将来に対する希望を少しも持っていませんでした。また,家庭内の事情はみじめなもので,妻が家庭を切り回していました。
回復してから,その男の人は助けに来てくれた証人を家に呼びました。ほどなくして,この男の人とその妻と五人の子どもたちとの聖書研究が始まりました。そして,その聖書研究のために,「とこしえの命に導く真理」と題する本が聖書と共に用いられました。最初に考慮されたのは,「幸福な家庭生活を築く」と題する章でした。聖書の助言を適用することの知恵を全員が悟ったので,数週間後にはその家庭生活は良い変化を遂げました。こうして,幸いにもこの男の人は新たな生き方を見いだしました。
非常な事情のもとにあった人が聖書のおかげで助けられたのであれば,大小を問わず種々の問題に対処するのに聖書があなたを助けるものになり得ると考えるのは,理にかなっていませんか。どうすれば家庭生活や他の人との関係を改善できるかに関する聖書の助言は,あなたにとって有益なものではないでしょうか。エホバの証人は,あなたが聖書を研究するのを,喜んでご援助いたします。