「大群衆」を集める
● 使徒ヨハネは,すべての国民と部族と民と国語の中から来た「大群衆」が神のみ座の前に立ち,神の神殿で昼も夜も神聖な奉仕をささげているのを見ました。(啓示 7:9,15)地的な希望を持つそれらの人々は,イエス・キリストの油そそがれた追随者たちが神から与えられた,王国の良いたよりを宣明するというわざを行なって彼らを助けてきました。その結果,幾千幾万もの人々が流れのように「エホバの家の山」につくのを見るのはなんと感動的なことでしょう!―イザヤ 2:2-4。
「エホバの家」の中庭に集まったそれらの人々はエホバ神に献身し,そのことを水のバプテスマによって象徴しました。1958年7月30日のこと,ニューヨーク市で,「神の御心に従うバプテスマ」という話に続いて7,136名の人々が浸礼を受けました。それは西暦33年のペンテコステ以来の出来事でした。(使徒 2:41)1958年に行なわれたそのバプテスマは確かに世間の人々が無視することのできない事柄でした。その証拠に,H・L・フィルブリクは最近このように書きました。「大ぜいの人々がバプテスマを受けている場面の,とても良い写真が新聞に載りました。……新聞の読者はだれも,もはやエホバの証人を小さな『宗派』であると見なすことはできないと感じざるを得ませんでした。真理は進行していたのです!」
エホバの民は単なる数に関心を払ってきたのではありません。たいせつなのは,バプテスマ希望者が自分たちの行なっている事柄を理解していることです。ですから,1967年に「あなたのみことばはわたしの足のともしび」と題する本が発表された時には大いに喜ばれました。その本の7ページから40ページには,円熟した兄弟たちがバプテスマを希望している人々と討議するための,聖書に関する80の質問が載っていました。アール・E・ネウェル兄弟と姉妹は次のように述べました。「会衆の委員の援助で80の質問を学ぶと,彼らは献身とバプテスマが一生涯歩むべき道であり,それに伴う責任を軽く見るべきではないことを認識しました」。もっと最近になって(1972年)出版された「王国を宣べ伝え,弟子を作るための組織」という本にも,バプテスマを受けることを考えている人々と討議するための聖書に関する質問が載っています。会衆のいろいろな長老たちは,各人とのそうした討議を司会するので,バプテスマを考慮している人々は,聖書に関する自分の考えを言い表わし,エホバ神との関係をよく考える機会が与えられます。このような取決めは真の弟子を作ることに貢献しました。
弟子を作り,バプテスマを施すことがどのように増加したかを少し考えてみましょう。1968年にバプテスマを受けた人は8万2,842人でした。1969年から1973年にかけて79万2,019人がバプテスマを受けました。「大群衆」を集める努力は引き続き熱心に続けられ,年々何万人もの人々がバプテスマを受けています。1974奉仕年度だけでも,実に29万7,872名の人々が浸礼を受け,エホバ神への献身を象徴しました。エホバの賛美となるこのすばらしい集めるわざにあずかれるのは,神の民にとってなんと心の躍ることでしょう! 今日,神の王国の良いたよりを伝道するエホバのクリスチャン証人は二百万人を上回ります。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より