極東に平和が訪れるのはいつですか
この問いに答えた「地に平和」大会
極東の国々には相当の社会的動揺が生じており,新しい物の見方と旧来の伝統とが対立しています。物質主義に基づく生き方を求める多くの人々は素朴な農業生活を捨てて大都会に集まっています。こうして多年続いてきた東洋社会ののどかな生活環境は,今や失われようとしています。
社会的動揺に加えて政治的緊張が人々に恐れと不安を与えています。また,たいての土地には地方特有の問題があり,国によっては部族間の反目のためにしばしば流血事件を引き起こすところもあります。そのうえ,増大する中共の核戦力が広く恐れられています。
平和また平和を求める生き方は,世界のこの地域でその実を結ぶことができるでしょうか。国家また民族間の対立を招いている重大な問題すべてを乗り越えて,一致をもたらし得る強力な共通の希望を見いだすことができますか。人々がともに集まって,互いに信頼し,かつ助け合い,平和に通ずる道をともに進むべき理由を見いだせますか。
1969年の終わりの時期に,これらの問いに対して“はい”と答える根拠となる希望が差し伸べられました。どのようにしてですか。そうした希望を与えたのは,極東の国々の幾つかの大都市で開かれた,エホバの証人の「地に平和」国際大会でした。大会の開かれた都市からは興味深い報告,そうです,エホバの証人を暖かく迎えた多くの人々の驚きをもしるした知らせが,次々に寄せられてきました。そうした事柄の実感を味わっていただくため,それら幾つかの都市で開かれた国際大会の模様をお伝えしましょう。
永続する平和を学ぶ韓国の人々
たとえば,韓国の首都ソウルで開かれた大会を見ましょう。大会初日の午後,1万4,500人余の聴衆は,「神のことばを擁護する忠実な人々」と題する講演に耳を傾け,その話の終わりに講演者が発表した,「聖書はほんとうに神のことばですか」と題する韓国語の新しい出版物を大きな喜びをもって迎えました。
その講演で強調され,またその本の中にも明示されているとおり,「幾百万もの人々に聖書に対する偏見をいだかせた責任を負わねばならないのは,聖書に基づくキリスト教ではなく,幾多の分派を擁するキリスト教世界であり」,そのために人々は神との平和を妨げられてきました。神との平和なくして,人間どうし,また国家間の真の平和はあり得ません。
太平洋一円の各地で開かれた他の国際大会のすべてと同様,ここ韓国でも,ニューヨーク,ブルックリンのものみの塔協会の本部から訪れた二,三人の役員が行なった講演は,出席者に深い感銘を与えました。
大会では興味深い経験が多数発表されました。たとえば,ある証人は,かつて韓国陸軍の軍人として,アメリカでミサイル関係の訓練を受けていた時に,聖書の平和の音信に初めて接したいきさつを語りました。この人は今,恐ろしいミサイルを他国の大都市に向けて発射する備えをする代わりに,国籍や人種の別なくすべての人々のあいだで平和を擁護する者として奉仕しています。
月曜日の午後,「『大いなる患難』のさなかにおける神との平和」と題する主要な講演の一つが行なわれました。そうです,平和を失ったこの世界にとって,きわめて肝要なのは神との平和です。真剣に耳を傾ける聴衆は,エホバという御名を持ち,永遠に生きておられる真の神を今こそ親しく知る絶好の時であることを学びました。それこそ,この世の表面的な平和ではなく,永続する安定した平和をもたらすかぎです。
この大会では韓国のエホバの証人の総数の実に15パーセントにあたる1,511名もの人々が,「平和の君」の弟子としてバプテスマを受けました。バプテスマの行なわれたプールを見おろす山腹につめかけた一般の見物人は,その平和な光景の向こうに,戦闘訓練の行なわれている練兵場を眺めました。なんという対照でしょう。
1949年,韓国のエホバの証人はわずか8人でしたが,今では1万人を越えています。それらの人々は神との平和を見いだしました。韓国北辺の国境では,境界線の侵犯,ゲリラの侵入また射撃や射殺事件が絶えないため,国民の多くが恐怖を感じていたにもかかわらず,証人たちのあいだでは,神のみことば聖書に対する信仰を強調し,聖書が示す真の平和の源を明示する大会が開かれたのです。
日本における平和の大使たち
ソウル大会が終わらないうちに,別の幸福な集まりが東京の後楽園競輪場で幕をあけました。これら一連の「地に平和」国際大会はすべて同じ内容のプログラムで行なわれたのです。昨年その時期における日本のエホバの証人が合計7,843名だったことを考えれば,東京大会に,1万ないし1万2,000人もの人々が出席したのは目ざましいことでした。さらに,これら日本のエホバの証人のうち,1,200人もの人々が,世俗の仕事を第二にして,毎月少なくとも100時間を奉仕にささげ,全日本の野外で聖書の平和の音信を広めているのはすばらしいことです。
また,10歳の少年や,ある大学の助教授を含む798人が,献身を表明してバプテスマを受けたのも,喜ばしいできごとでした。家族の中でただひとり興味を示して,聖書研究を行なってきたその少年は,両親と先生の許しを得て東京大会に出席できたいきさつを述べました。
信仰のない両親の反対に会って家を出,別の町で働いていたある若い女性の証人が,東京大会に出席しました。このことを知ったその母親は,娘を連れ戻す目的で,大会に出席することにしました。ところが,大会で見聞きした事柄に感心した母親は,翌日,今度は夫とともに大会に出席しました。そして,ふた親はその娘を見つけましたが,今や自分たちも聖書を勉強して神との平和を得たいと願うようになりました。
この大会の閉会に際して,クリスチャン・ギリシア語聖書の新世界訳(英文)を日本語に翻訳する仕事がまもなく開始されるとの発表を聞き,聴衆は大いに喜びました。なぜ喜びましたか。なぜなら,わかりやすい明確なことばで神のみことば聖書を読み,その著者であられる偉大な神との平和を得る道を学べるようになるからです。また,東京に近い別の場所に広い土地を求めて,すでに手狭になった東京の支部事務所を移転する計画が進められているとの発表も,聴衆は盛んな拍手をもって迎えました。
大会が終わって2日もたたないうちに,東京では学生暴動が生じ,都内の交通機関はおおむね麻ひ状態に陥り,60人余の負傷者を出し,1,500人もが逮捕される事態が起きただけに,東京大会はまさに平和な大会として,このうえない成功を収めました。聖書の神のお約束は決してむなしくなりません。したがって,平和な千年統治が,その聖書の神の差し伸べられた約束であることを学んだ多くの人々は,大きな慰めを得ました。
平和の良いおとずれを聞く台湾の人々
さて情景は変わって,台北の台湾国立美術センターで開かれた大会を見ることにしましょう。中華民国政府の治める台湾の人々は,昨年10月18日から21日まで,首都台北で行なわれた国際大会を通して,「地に平和」が訪れることを学びました。
極東の他の国と同様,台湾でもエホバの証人のことは一般にあまり知られていないので,国際色豊かな,この大会は,エホバの証人の組織に対する人々の見方を広げるのに大きく貢献しました。この大会には地元の中国人,台湾人またアミ族など三つの主要な人種の人々はもとより,他の8か国からの代表が出席し,シンガポール,インドネシア,マレーシア,フィリピンなど東南アジア各国の人々がかなり出席していました。
この大会では,「あなたのみことばはわたしの足のともしび」と題する,紙表紙を施した中国語の新しい本が発表されました。真の崇拝を実践する組織は,霊感の下にしるされた神のみことばが定める型に従って組織され,運営されねばなりません。これがその本の主旨です。これこそ平和と一致のうちに物事を成し遂げる道です。この出版物は台湾で印刷され,発表される2日ほど前に大会の会場に届けられ,大ぜいの出席者に感謝されました。
次に,「忠実を保つため自分を強くしなさい」と題する,みごとな聖書劇が舞台で行なわれました。それは平和の神に対する忠節を守り,神の善意にあずかる人々にとって,聖書のエペソ書 6章にしるされている霊的な武具の一つ一つが,いかに大切かを示すものでした。政治上の深刻な争いのために苦悩する土地の人々は,台湾を含め,全地に平和の訪れる,きたるべきすばらしい時代を予示し,人の徳を高める平和な大会をエホバが備えてくださったことに,心から感謝しました。
香港で宣明された良いたより
10月17日,海外からの出席者が香港に到着しはじめました。ここ香港は,中国大陸の東南端にあぶなげに突き出た英国の直轄植民地で,町には高層建築が立ち並び,あふれるほど大ぜいの人が住んでいます。シンガポールやマレーシアからの35人の代表が,啓徳空港に到着するとともに,香港のエホバの証人は,この大会の国際色を感じはじめました。外国からの出席者は暖かい歓迎を受け,同じ信仰を持つ香港の多数の兄弟姉妹たちの家に設けられた宿舎に,直ちに案内されました。
この大会の公開講演は第2日に行なわれました。その時までの出席者数の最高は303人でしたから,「近づく一千年の平和」と題する講演の時に,出席者が678人にまでふえたことを知った聴衆はたいへん喜びました。このことは,香港のエホバの証人の総数の1倍半余に当たる人々が,「地に平和」をもたらす神の備えに深い関心をいだいているということを意味しています。
欧米からの出席者のために取り決められたある見学旅行で,兄弟たちは竹のカーテンの背後,つまり中共の領土を眺望できる場所に行き,人々を隔てている狭い川と,有刺鉄線をめぐらしたさくとを見ました。聖書の平和の音信がこの障壁の背後に達することは可能でしょうか。もしそれがエホバの御心であれば可能でしょう。神はご自分の方法に従って,永遠の平和と正義を,ご自身の所有物であるこのすぐれた地球の全域に,まもなくもたらされるからです。
「地に平和」大会の目ざましいニュースが広く伝えられた香港の,多数の謙遜な人々は,一般社会には見られない平和と一致が,エホバの崇拝者の中に明白に宿っていることを知り,深い感銘を受けたに違いありません。
フィリピンの人々に差し伸べられた平和の希望
フィリピン共和国も他の国々と同様に,幾多の内政問題をかかえており,選挙には殺人などの暴力行為がつきものです。事実,マニラ警視庁の発表によれば,昨年11月に行なわれた選挙に際して,選挙当日までの8週間に59人が殺され,60人が負傷したとのことです。
このことを考えると,10月22日から26日まで,エホバの証人の「地に平和」大会がマニラで開催されたのは,時宜を得たことと言えませんか。しかし予想される大ぜいの出席者を収容するには,一つの球場だけでは,とてもまにあいませんでした。この国のエホバの証人は過去10年間に3万77人から4万9,257人にまでふえたからです。そこでリサール記念総合競技場の使用契約が結ばれました。この競技場には3万人を収容する,フットボール用の球場と,2万人の収容能力を持つ野球場があります。これで問題は解決し,小さいほうの球場は,タガログ語で行なわれる大会にあてられ,フットボール用の球場に設けられた二重の舞台は,他の二つの主要な言語であるイロカノ語とセブアノ語の大会に用いられることになりました。またヒリガイナン語,パガシナン語,ビコル語そしてサマーライト語などを話す人々のためにも,それぞれ集会が設けられました。
土曜日の午前,神との平和な関係にはいる第一歩として自分自身を無条件でエホバ神にささげることの必要性を強調した話ののち,1,835人が多数の証人の前でバプテスマを受けました。しかも昨年8月31日で終わった1969奉仕年度中,すでに6,381名が同様の段階に進んだほかに,これだけの人がバプテスマを受けたのです。
日曜日午前の集まりには,4万人余が出席しました。そして午後,時間が進むにつれて,二つの球場は聴衆で満たされはじめ,すべての座席が埋めつくされるとともに,場外にいた大ぜい人々がグランド内に流れるようにはいり,演壇の前の芝生に腰をおろしました。講演を一心に待ち望むこの膨大な聴衆を前にして,いよいよ講演者が紹介されました。聴衆は明らかに,キリストの治める神の御国が人類の中の敬虔な人々のためにもたらす平和な千年統治について,真剣に学ぼうとしていました。そしてこの講演には,予想をはるかに越える,6万4,715名もの人々が出席しました。
この大会はあらゆる方面から賞賛されました。マニラのイブニング・ニューズ紙10月24日号はこう報じました。「今エホバの証人が開いているような秩序正しい有意義な大会を,われわれは見たことがない。……よく行なわれる政治集会とは対照的に,出席者はみな礼儀正しくふるまい,激動する世界にあって信仰を保つようにと勧める講演者の話に静かに,かつ一心に耳を傾けているのである」。
たしかにこの大会はエホバの御名に大いなる誉れをもたらしました。それは争いや騒乱また反目などを見ずに,5日間運営された大きな町のようでした。この大会を通してマニラ市民は,まもなく始まるキリストの千年統治の期間に実現を約束されている,「地に平和」の宿る時代を,前もって味わうことができました。
平和裏にパプアに移った大会
パプアではポートモーズビーから20キロ余離れた,かん木の茂る原野に,大会用の施設を備えた町を建てねばなりませんでした。しかしパプアの証人たちは,どこにでもあるかん木などを利用して,予定どおりの施設をたちまち作り上げました。
大会出席者のための食事は,野外で火をたいて整え,この島における4日間の大会中,合計6,500食もの食事が供給されました。64の異なった言語を用いる大ぜいの人々が,いっしょに食事をして,ともに生活し,平和裏に神を崇拝する様子を見た一般の人々は驚嘆しました。大会に出席した人々はみな,他のどんなグループにも見られない平和と幸福を心ゆくまで味わいました。事実,しばらく前のこと,1週間にわたる南太平洋地域の大競技会がパプアで行なわれ,ニューギニアその他の島々からの訪問者を収容する特別な宿舎が建てられました。しかしいろいろな部族のあいだに見られる恐れや不信のために,それらの建物はほとんど使用されませんでした。
大会のプログラムは英語,メラネシアの混成語,モツ語などで進められ,大会の様子は広く一般に報道されました。大会には毎日1,000人ほどの人々が出席し,パプアの人々はもとより,この地域の遠方の島々から大会に出席した多数の島民も,「地に平和」の到来する聖書の希望が実現し,恐れや悩みから解放される時代がどのようにして訪れるかということに,深い関心を示しました。
ものみの塔協会パプア支部の管轄するこの広大な地域に,1952年に至るまでエホバの証人がただひとりしかいなかったとは,とても考えられません。昨奉仕年度中,活発なエホバの証人は1,481人の最高数に達しました。こうしてこの大会は,神の御国のもたらす永遠の平和に関するすばらしい希望を,南太平洋の地域にさらに広めるすぐれた踏み石となりました。
オーストラリアに伝えられた希望の音信
太平洋地域で行なわれた「地に平和」大会にとっては,10月26日は特筆すべき日でした。それはマニラ大会の最後の日であり,ポートモーズビー大会では最終日の前日にあたり,オーストラリア,メルボルン市のショーグランドでは,6日間にわたる大会の初日だったからです。出席者はオーストラリア大陸の各地から集まり,中には4,000ないし4,800キロの旅行をして出席した人々もいました。また外国から数百人の代表が訪れました。
この大会にはフィンランド語,ギリシア語,ドイツ語,イタリア語,ポーランド語,クロアチア語などを話す人々のためのプログラムも設けられており,それはまさに国際色豊かな大会でした。これら多くの国の人々が,ことばの違いのために分裂したり,平和と一致を妨げられたりすることは,少しもありませんでした。欧米からの訪問者のために,話や経験またスライドを織りまぜた特別の催しが2度行なわれ,オーストラリアにおける御国のわざの始まりから,その発展の歴史が紹介されました。
人のあまり住んでいない広大な区域で平和の良いたよりを伝えるには,相当の距離を旅行しなければなりません。外国からの訪問者はこの点に深い関心を示しました。全時間奉仕に携わっているひとりの証人は,それまでの3年半のあいだに,設備に工夫をほどこした自家用トラックに乗って,16万キロも走破しました。彼の受け持つ区域は,およそ78万平方キロもあります。彼はこの広大な区域で多数の原住民に接します。それで文盲の問題をある程度克服するため,スライドやカラー写真を携帯し,全能の創造者との平和な関係を,どうすれば享受できるかについて,正直な心を持つ原住民に説明しています。
メルボルン大会では,2万5,000人を優に越える聴衆が,最後の講演を聞きました。講演者は,その話の中で,この大会はもとより,エホバの証人の開いたそれまでの他のどの国際大会にも,平和がゆきわたっていたことを指摘しましたが,それはまじめな態度で受け入れた人々に,人を一致させる神のみことばの力が働いたからにほかなりません。また,全地に及ぶ平和に関する神のお約束が,まもなく完全に成就するとの確信があるからです。それら大会出席者が家路についた時,多くは長途の旅行をしなければなりませんでしたが,その心には,互いの,またすべての人との平和,なかんずく,自分たちの神エホバとの平和を追い求め,それを保ちたいとの決意があふれていました。
ニュージーランドに差し伸べられた平和のたより
オークランドのアレクサンドラ・パーク競馬場は,いつもなら,かけに勝つことばかりを考えて,場内に紙くずを散らすことなど少しも気にかけない,いらいらした群衆でいっぱいです。しかし11月4日,この競馬場にはいつもとは異なる人々が集まりました。それらの人々は押し合ったり,叫んだりせず,たばこものみません。それはほかならぬエホバの証人の「地に平和」国際大会の出席者たちでした。
ニュージーランドの人口の大半は,ヨーロッパ系の人々で占められており,その10%足らずが,ポリネシア系のマオリ人です。しかし人種的背景にはかかわりなく,ニュージーランドの人々の多くが,信仰の基盤としての神のみことば聖書を喜んで受け入れ,永遠の平和をもたらす御国の希望に喜びを見いだしています。その競馬場での大会の初日,出席者たちは車やバスで続々と集まり,午後の出席者数は7,115名に達しました。これは1963年に開かれた前回の国際大会の出席者の最高数をすでに1,000人も上回るものとなりました。
美しい飾りつけの施された演壇には,マオリ語で“歓迎”を意味する“ハエレ・マイ”(HAERE-MAI)という文字が,花を用いて描かれていました。何年も前,ほとんどのマオリ人は名目上クリスチャンになりましたが,今でもタブー,その他古来の異教の慣習をかなり守っています。しかし今や多くのマオリ人が熱心な聖書研究生となり,エホバの証人として平和の音信を広めるわざに携わっています。演壇でインタビューを受けたそのひとりは,エホバの証人になった親族200人のうち,193人がこの大会に出席していると述べました。
金曜日の朝,「神の善意を追い求める」と題する話が行なわれ,神との平和を願う人は,献身の道を進まねばならないことが指摘されました。事実,ニュージーランドその他の土地の多数の新しい人々は,すでに神への献身を心に誓っていました。そしてこの話の後,421名のバプテスマ希望者は,バスでマウント・エデン温水プールに運ばれ,その広いプールで水のバプテスマを受けました。
ニュージーランドの美しい自然は,人間の最初の夫婦が,エデンの楽園で神との平和を享受した人類史の初期を思い起こさせるに十分でした。したがって,「楽園の平和に戻る道」と題して広く宣伝されたこの大会の公開講演は実にふさわしいものでした。その楽園に見られた状態が,いつ,またどのようにして回復されるかにつき,聖句を次々に用いてなされた説明に,8,400人の聴衆はなんと大きな喜びを味わったのでしょう。
大会の平和な空気,徳を高める内容のプログラム,また実際に即した大会の組織は,出席者相互の一致はもとより,全地の神の会衆との一致をもいっそう親密なものにする点で大いに貢献しました。なかんずく,数多くの国からの仲間の証人と親しく接し,その経験を聞き,互いの一致を強めることができました。出席者はみな,たしかにエホバが平和と豊かな霊の糧をもってご自分の民を繁栄させておられるという確信を深めました。こうして彼らは,全地に平和を確立する神の御国を待ち望む誠実な人々のもとに行って,平和の良いたよりを伝えるようにと励まされ,また,その思いを新たにしました。
喜びを見いだした島々
「島々はよろこぶべし」という聖書の招きのことばは,今日さらに力強く差し伸べられています。(詩 97:1)太平洋上に散在する島々は,特に1969年11月9日から12月にかけて,この招きに答え応ずることができました。フィジー諸島の主都スバおよびタヒチ島の主都パペートで,時を同じくして大会が開かれたからです。スバでは英語で,パペートではフランス語とタヒチ語で,それぞれ大会のプログラムが進められました。
これら島々の風物はきわめて美しいものですが,現実の社会はそうではありません。特にフィジー諸島では,インド人移民と地元の住民との間に不信感があり,これが人種的な悪感情となっています。それに反して,神との平和を得,その証人として結び合わされている人々は,平和の良いたよりを他の人々に伝道するわざに,喜びをいだいて,ともに携わっています。これらの大会の空気はこのことをよく反映していました。
スバでは1,621名の熱心な聴衆が公開講演を聞き,全地に平和を確立するとの神のお目的がまもなく達成されるということを学び,大いに喜びました。また,それぞれ地方色豊かな衣装をまとった,フィジー,サモアそしてトンガからの三つの合唱団の美しい歌声が,約40分間にわたって紹介されました。賛美を受けるにふさわしい唯一の平和の神エホバをたたえて歌うそれら原住民の混声合唱は実にすばらしいものでした。
大会に出席したフィジーの一原住民は,この大会の数々の祝福にあずかった者のひとりとして,その感銘のほどを次のように述べました。「ノートはメモでいっぱいです。それに,わたしの心は,大会で見聞きした事柄であふれており,早くそれらのことを他の人に話さないと,心が爆発しそうな気持ちです」。
タヒチのパペートにおける「地に平和」大会もまた,地元のエホバの証人にはもとより,その地方の一般の島民にとっても,すばらしいできごとでした。それはエホバの証人がタヒチで開いた最初の国際大会であり,また,一つの御国会館の施設に加えて,他の多くの施設を必要とした初めての大規模な大会でした。そのためファウタウア競技場のサル・ド・バスケットと呼ばれるホールの使用契約が結ばれました。事実,タヒチの大会に出席したほかの土地からの代表は,地元のエホバの証人の数を上回りました。新聞は,世界の他の12か国からの代表がタヒチに到着したことを報じ,次のように伝えました。「エホバの証人について言えば,彼らは,聖書の教えが親子の別なくすべての人の日常生活にあてはまるということを強調している。……聖書の年代計算によれば,人間と人間,また人間と動物とのあいだにもたらされる平和の一千年[これは公開講演の主題]は,遠い将来のことではなく,わずか数年以内に始まるとされている。平和の訪れを望まない者がいるであろうか」。
タヒチの人々は,演壇で行なわれた聖書劇をことのほか喜びました。このことは,そのうちの一つである,「忠実を保つため自分を強くしなさい」という題の劇の時に,出席者数が最高数610人に達したことからもわかります。劇には美しい色彩の照明が用いられ,場面はいっそう真に迫るものとなりました。不法に傾く世の中にあって,神との平和を保つのに必要な霊的な強さを得るには,クリスチャンの交わりおよび聖書研究の備えすべてを活用することがどんなに大切かを,聴衆はよく学びました。
訪問者に対するはなやかな歓送迎を毎日見ている空港の一要員は,この大会に際して目撃した事柄から深い感銘を受け,次のように語りました。「お互いに未知の間柄であっても,信仰によってすばらしい一致を保っている人々を見て,わたしはほんとうに感心しました。わたしたちもみなエホバの証人になるべきだと思います。あなたがたは愛をもっておられるので,世の一般の人々とは異なっているからです」。
平和を告げる代表を歓迎するハワイ
「地に平和」大会の出席者を次に迎えたのは,美しい自然に恵まれたハワイの近代都市ホノルルです。大会初日の11月11日,ホノルルの国際センターは9,061名もの大群衆でうずまりました。隣接する別の会館に第2会場が設けられましたが,それもそのはず,公開講演には1万5,443人もの聴衆が出席したのです。
講演者は,全地を楽園に変えるという神の明確なお目的について述べました。しかしそれがすべてではありません。アダムとエバがかつて享受していた,神との平和な関係に戻る道を見いだすのはだれですか,という質問が出されました。それを見いだしたいと願う人はみな,神のみことば聖書に述べられている段階を経なければなりません。そして,そうすることをすでに決意した人々がこの大会にもいました。314人が神への献身のしるしとして,この大会でバプテスマを受けたからです。それらの人々が太平洋の青々とした海で,水の浸礼を受けた時の光景は忘れることができません。
土曜日の午前,特別の催しが行なわれ,話や経験,それに思い出話を含めて,ハワイにおける御国のわざの歴史が紹介されました。この時,80歳を越したエリス・W・フォックスは,1915年に初めてホノルルを訪れ,真理の最初の種子をまいた当時のことを話しました。9,671人の聴衆を前にして,経験を話したフォックスは,聖書の一記述者ヤコブのしるした,「義の実は,平和を造り出している者たちのために,平和な状態の下で,種をまかれるのである」ということばの成就をまのあたりにして,どんなに喜んだでしょう。―ヤコブ 3:18,新。
ハワイ独特の美しい夕暮れが迫り,穏やかな貿易風にヤシの葉がそよぐころ,大会は幕をおろしました。大会を終えて家路についた出席者の心には,待望久しい平和の時代が今や迫り,御旨にかなう人々に関するエホバの偉大なお目的がまもなく実現して,とわの喜びにあずかれるという確信が,いよいよ深く刻みつけられていました。その時,息をするすべての者は,本来,なすべく定められたことを行なうでしょう。つまり,平和を賜わる真の神を賛美するのです。
確かに到来する平和な時代
極東の国々また諸民族に平和と,また恐怖と不安からの解放が訪れるのはいつか,という多くの人々の疑問に対して,「地に平和」大会はたしかに答えを与えました。
人種,国家,民族の面でさまざまな背景を持つエホバの証人が,これら一連の大会の際に,生活と崇拝をともにして表わした一致と愛の協力のほどは,他の何物によってももたらし得ない人間のあいだの一致を,神の霊が現在すでに実現していることの証拠です。これらの大会に出席した一般の人々は,聖書の原則が実践可能なものであり,また,そのような生き方がこの不敬虔な世の中においてさえ,すぐれた結果をもたらし得ることを知りました。「なんぢの法をあいするものには大なる平安ありかれらにはつまづきをあたふるものなし」としるした詩篇作者のことばは,なんと真実でしょう。―詩 119:165。
しかしこの大会には,またプログラム全体を貫く音信がありました。つまり,神は平和の妨害者すべてを必ず一掃して,地に対する一千年の平和な統治を確立し,しかもそのことを間近な将来に成し遂げられるということです。(黙示 20:6)人間も諸国家もそれを妨げることはできません。(ダニエル 2:44)平和と正義を心から待ち望む人々は,その時豊かに祝福されるでしょう。そのような人はみな,神の御心を知り,御心にかなうことを最善をつくして実践し,神との平和な関係にとどまらねばなりません。今日,わたしたちは利己的な人間や悪い環境に依然として囲まれていますが,今は,わたしたち各自が,神への愛と,神が全地にもたらしてくださる永遠の平和に対する信仰とを実証すべきすばらしい時です。
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韓国,ソウルの大会で,ものみの塔協会の会長N・H・ノアの閉会のことばを聞く聴衆
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ダニエルの劇を演ずる日本のエホバの証人。その現代的な意味が力づよく示された
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外国からの訪問者に紹介された,台湾のアミ族の証人たちによる御国の歌の合唱
香港の大会で,「神の自由の子となってうける永遠の生命」と題する中国語の新しい本を得て喜ぶ全時間奉仕者たち
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フィリピンのマニラ大会で公開講演に耳を傾ける64,715名の聴衆の一部
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アオリ語の「歓迎」という文字をあしらった,オークランド大会の演壇
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ハワイ風に飾った,ホノルル大会の喫茶部の売り場