あなたは今年,ギリシャを訪れますか
ギリシャの「目ざめよ!」通信員
バルカン半島の先端に位置し,地中海に面した国ギリシャは,今年,五百万人以上の旅行客を迎えるものと期待されています。その中には,6月28日から7月2日までと7月12日から16日まで,アテネ及びテサロニケで開かれた国際大会に出席した何百人ものエホバの証人たちが含まれています。
13万7,269平方㌔の面積を持ち,約一千万人の人口を抱えるこの国は,世界の観光の中心地となっています。行楽客は,古今の文明の発達を雄弁に物語る史跡や芸術的財産を一目見ようと,ギリシャに集まってきます。聖書研究生にとって特に関心の的となるのは,フィリピ,テサロニケ,ベレア,アテネ,そしてコリントといった場所でしょう。
ここギリシャのさらに魅力的な特色は,快適な気候です。飛行場や海港では,“陽光の国へようこそ”というキャッチフレーズが目につきます。ギリシャでは晴天の日が年間290日もあります。旅行者は,よく透き通ったまっ青な海で泳いだり,日のふりそそぐ海岸ではしゃいだりしたいという気持ちを抑えるのに一苦労です。エーゲ海に浮かぶ美しい島々はそれだけでも喜びを感じさせるものです。それに,ギリシャでの滞在費はそれほど高いものではありません。簡単な朝食も出る,清潔で気持ちのよいホテルが,ほどよい宿泊費で利用できます。
アテネの“アゴラ”
ギリシャ旅行は多くの点で意味深いものです。例えば,アテネの町を考えてみてください。ギリシャを征服したローマ人でさえ,アテネの文明を取り入れました。彫刻術,雄弁術,言語学などの教育の中心地として,アテネは古代世界において並ぶもののない町でした。
聖書研究生は,使徒パウロが西暦50年,第二次宣教旅行の途上でアテネを訪れたことを思い起こすことでしょう。聖書にはパウロが「毎日,市の立つ広場でそこに居合わせる人々と……論ずるようになった」と記されています。(使徒 17:17)この節にある「市の立つ広場」に相当するギリシャ語はアゴラであり,この名は今だにアテネのこの区域をさす言葉として用いられています。
アテネの北西部にあるディピュロン門をくぐり抜けて町に入ると,アゴラに着きます。そこから幅の広い道路がアゴラに通じているからです。アゴラとはアテネ市民が社会生活を送るために用いたその地方独特の集合場所です。ここには,裁判所,市役所,教育を目的とした講堂,会議用の建物,図書館,そしてあらゆる種類の商店が存在していました。この市の立つ広場の中央部には,演劇や音楽のための公共施設が設けられ,運動競技を行なう場所もありました。その地域全体は大小さまざまな神殿で埋めつくされ,他にも種々の神々や英雄たちにささげられた社や幾百もの像が立っていました。これは古代史の真実の記録であり,ギリシャの成し遂げた業績でした。
アゴラの第一印象は観光客の心に深く焼き付くことでしょう。装飾を施されたポーチが,その名も昔の行列に由来するパンアテナイア中央通りの両側に立ち並んでいました。毎年,大規模な祝典のさなかに,女神アテナのための衣服がこの道路沿いに,町の門のすぐ隣にある行列の家からアゴラの南東,アクロポリスの上にあったアテナ神殿つまりパルテノンまで運ばれます。
使徒パウロがアゴラに入った時,目に映ったものは彼の鋭敏な意識に大きな衝撃を与えたに違いありません。神話に登場する神ヘルメスの,男根崇拝的な彫像はおびただしい数に上り,それらを収めるためにヘルメスの列柱廊として知られるポルチコ全体が必要とされるほどでした。その他の絵画に描かれたヘルメス像が着用している衣服には,多産と生命の象徴であるかぎ十字の例がふんだんに見られます。性愛の女神であるビーナス・ジェニトリクスの像や,男根を象徴する数多くの十字を身にまとったディオニュソスの像もありました。アゴラの“神聖さ”を特徴づけていたのは境界となる一つの石で,それには,アゴラに入って来た人すべてを清める“聖なる”水をたたえる噴水が付随していました。
アクロポリスに登る
パンアテナイア通りを南西に登りつめると,アクロポリスに到着します。この言葉は“高い場所”を意味するギリシャ語に由来しています。アテネのアクロポリスは町の他の部分より61㍍ほど高い所に位置しているのです。ここでは西暦前五世紀から残っている宗教的建造物の遺跡が見られ,例えば,アクロポリスの西側には“アテナ,勝利をもたらすもの”という意味のアテナ・ニケ神殿があります。この建物の特色は支柱の上方にあるフリーズすなわち帯飾りで,それは西暦前479年にギリシャがペルシャを打ち破ったプラトーの戦いを描いたものです。アクロポリスの西の端にはプラパリーアとして知られる大きな玄関があり,それは古典的美しさをたたえた,ひときわみごとな建造物です。
もう一つの曲がりくねった道を登ると,パルテノンが見えてきます。これは古代ギリシャの建造物の中でも傑作中の傑作であるという人は少なくありません。パルテノンは,白色大理石で作られ,かつて金と象牙でできたアテナの像を安置していた神殿でした。西暦前五世紀の建築家がこの建物を設計しましたが,彼らがよりどころとした基準は,現代の技術者でさえ,十分に知ることができません。
アクロポリスの北西部,一つの狭谷によって隔てられた所に,アレオパゴスつまりマースの丘があります。この石灰質で不毛の尾根には,野外の最高法廷があり,この前で使徒パウロがキリスト教の真理を立派に証言したのです。―使徒 17:19-34。
旅行者は,それらが美術品としての価値を持つゆえに,あまたの古代ギリシャの遺跡を賞賛します。しかし西暦一世紀当時には,これらのものはギリシャの住民が自分たちの偶像崇拝を行なう手段だったのです。アテネを一度訪れるなら,聖書の中に「さて,アテネで彼らを待っている間,その都市に偶像が満ちているのを見て,パウロの内なる霊はいらだつようになった」と書かれている理由が理解できるようになるでしょう。―使徒 17:16。
ここでは,この国で見たり楽しんだりできるものをほんの少しだけ,簡単に触れてみたに過ぎません。でも,今年あなたがギリシャを訪ねることになっているなら,この情報があなたの関心と好奇心を十分にそそるものであるよう希望しています。