若い人は尋ねる…
どうすれば遊び半分の恋愛に傷つけられずにすむだろうか
「あなたって何という人なの? そんなに冷たい人だったの?」 傷つき困惑したミッシェルは,エドアートのそれまでの行為は一体何だったのか尋ねます。ミッシェルに対してあれほど恋心をちらつかせておきながら,深入りする気はないなどとどうして今さら言えるのでしょうか。傷つけるつもりはなかったとエドアートは言います。でも,ミッシェルは許しそうにありません。彼女にしてみれば,エドアートは遊び半分の恋愛をする残忍な男にしか見えません。
遊び半分の恋愛とは,真剣な気持ちもなく恋をもてあそぶ行為のことです。ただ人の注意を引きたいだけの,あるいは自分の誇りの気持ちを満足させたいだけの学齢期の若者でさえ,遊び半分の恋愛をするなら,相手を傷つける危険があります。また,結婚できる年齢にある青年が他の人の感情をもてあそぶなら,非常な苦痛と心の痛みを与える結果になるかもしれません。
遊び半分の恋愛をして,故意に,時には悪意を抱いて人の感情を傷つけ,次々に罪もない犠牲者の感情をかき乱す人がいます。しかし興味深いことに,他人の感情を害する人の多くは,悪意があるからというより,経験のなさのためにそうします。とかく,若い男女は自分の行動が他の人に与える影響を理解していないだけなのです。あるいは,『不実な心』に欺かれ,都合のよい理屈をつけて遊び半分の恋愛を正当化するのかもしれません。―エレミヤ 17:9。
エドアートとミッシェルの場合を考えてみましょう。エドアートは交際を始めたばかりのころ,友達としてはミッシェルを好きでも,本気で付き合うつもりはないことを入念に説明しました。しかしエドアートは彼女と一緒に出かけたり,いろいろな事を一緒に行なったり,電話で話したり,プレゼントを交換したりしていました。彼女の手を握ったりもしました。それでもエドアートは,自分が約束をしない限り自分には全く責任がないと考えました。ですから,ミッシェルがエドアートのことをどれほど思っているかを告白した時には,彼は言葉が出ませんでした。
とはいえ,エドアートが自分の心に欺かれるままになっていたことは明らかです。あなた自身も同じ失敗を避けるにはどうしたらよいでしょうか。遊び半分の恋愛に傷つけられないようにする方法があるでしょうか。
遊び半分の恋愛は本人も傷つく
まず第一に,結婚する気がないのにその気があるかのように装って異性に接するなら,率直に言って,それは人をだます行為であることを認めなければなりません。遊び半分の恋愛をする人は二つの基準をを持った,残酷な生き方をします。他人からは誠実に接してもらうことを期待しますが,自分は他の人に誠実さを示しません。まるではかりに「二種類の分銅」を用いていた聖書時代の商人のようです。一つは正確な分銅,もう一つは客をごまかすための分銅でした。そのような不正行為は昔も今もエホバにとって「忌むべきもの」です。(箴言 12:22; 20:23)また,そのためにあなたの評判も落ちてしまうかもしれません。
著述家キャシー・マッコイはセブンティーン誌(英文)の記事の中でこう述べています。遊び半分の恋愛は「他人と分かち合う能力を失わせ,親密さを非常に効果的に妨げることがある。しばらくすれば,感情の伴わない遊びの恋は感動のない経験になりかねない」。
遊び半分の恋愛を避ける方法
ですから,異性に関心を示したいという気持ちになった時には,自分の動機をよく調べなければなりません。あなたは本当に結婚に関心を持っていますか。もしそうでなければ,その人に過度に注意を向ける理由がどこにあるでしょうか。たとえ結婚を意識しているとしても,公正に,正直に,率直な態度で相手に接するよう自分を訓錬する必要があります。聖書には,ある羊飼いと若い乙女との間の健全な関係が描かれています。二人の間にはあいまいさや裏切りはありませんでした。二人は互いに対する気持ちを正直に,また率直に伝え合いました。―ソロモンの歌 2:16。
今日でも,そのような原則に基づいて生活するなら良い結果が生まれます。ジュアンとアナエリは結婚して2年余りになります。ジュアンはこう言います。「僕たちが真の幸福を味わうのに何よりも助けになったものを挙げるとすれば,それは正直さの一語に尽きます」。互いに正直であることによって,真の愛を育てる固い土台を据えることができたのです。レオ・ブスカリアは,自著「愛し合う ― 人間関係における難問」の中でこう述べています。「我々は,たとえ善意から出たうそであっても,うその上に関係を築くという危険を冒してはいけない。……長続きする関係を持つためになくてはならない信頼を生み出すのは真実だけである」。聖書は昔から正直さと愛とを関連づけて,「真理を語りつつ,愛により,すべての事において……成長してゆきましょう」と述べています。―エフェソス 4:15。箴言 3:3と比較してください。
もちろん,正直さと思いやりを懸命に示しても交際がうまくゆかないことがあります。そのような場合には,問題をよく話し合い,必要であれば交際をやめるのが正直な行為です。a エリックはイングリッドと1年以上交際していましたが,彼女とは結婚すべきでないことに気づきました。エリックは自分の感情に堂々と立ち向かおうとせず,徐々に交際を終わらせようとしました。ついに真相が明らかになった時,イングリッドは,「彼が気持ちをはっきりさせてくれるのをこれまでずっと待っていたのに,今になってこんなことを言われて,ショックだわ」と言って嘆きました。実を結ばない恋愛をだらだらと長引かせるのは本当の親切ではありません。さらに,そうしているうちに,恋をもてあそぶ人というらく印を押されかねません。
しかし多くの場合,「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」という聖書の助言を当てはめるなら,恋愛の出だしから失敗したり誤解を生んだりすることを未然に防ぐことができます。(コリント第一 10:24)キャシー・マッコイが言っているように,「あなたが他の人に起こさせる反応に気をつけ,ある程度その責任を取る」べきです。他の人との関係に黄金律を当てはめ,「いつも,自分を扱ってほしいと思うとおりに他の人を扱い」ましょう。(マタイ 7:12,新英訳聖書)他の人も感情を持っているということを忘れないでください。誤解されたといって他の人を非難するのではなく,他の人に間違った印象を与えないようにしましょう。
遊び半分の恋愛に傷つけられてはいけません!
しかし,どうすれば犠牲者にならずにすむでしょうか。まず,異性があなたに関心を示してもオーバーに反応しないことです。温かいほほえみがみな恋心を意味していると思い込まないでください。
若い人の中には,非常に短時間のうちに恋愛感情を抱いてしまう人がいます。ジョナサンは,恋をもてあそぶ人とうわさされていたデボラに関心を持ちました。ほどなくして,二人は婚約しました。その後デボラは,理由も言わずに突然婚約を解消してしまいました。ジョナサンは心痛を隠そうと虚勢を張ってこう言いました。「彼女のことなんか気にもしていないよ。これからも以前と同じように楽しく遊ぶさ」。しかし,そう言ってから,彼は両手に顔をうずめ,わっと泣きだしました。デボラのほうはどうなったでしょうか。彼女はその後2回婚約し,どちらの場合も同じようなやり方で解消しました。
明らかにデボラの責任のほうが大きいとはいえ,ジョナサンに全く落ち度がなかったとは言い切れません。一つには,ジョナサン自身も恋をもてあそぶ人としてよく知られていました。そのためジョナサンは,『自分のまくものを刈り取る』という原則にまともにぶつかりました。(ガラテア 6:7)同じような失敗をしないでください。遊び半分に恋愛をする人は同じように遊び半分の恋愛をする人を引き寄せる傾向があるので,常に敬意を持って異性に接していれば,犠牲者になる可能性ははるかに低くなるでしょう。
ジョナサンは知恵と良い判断にも欠けていました。箴言 14章15節は,「明敏な者は自分の歩みを考慮する」と述べています。言い換えれば,石橋をたたいて渡れということです。だれかに恋愛感情を抱く前に,円熟した信頼できる大人に尋ねてみて,その人が評判の良い人かどうかを知るようにしましょう。(使徒 16:2と比較してください。)ジョナサンもそうしていたなら,デボラが自分勝手な友達付き合いをすることで有名だったことに気づいたかもしれません。
最後に,愛と盲目の恋との違いを理解してください。デボラは移り気で,簡単に他の若い男性に気を取られる性格でした。ジョナサンは,彼女が自分に示す関心が一時的なものであるという事実に注意を払うべきでした。真の愛に移り気なところはありません。―ソロモンの歌 8:6と比較してください。
痛みをいやす
真の愛を見いだすまでには,幾らかの感情的な打ち傷や擦り傷はまず避けられません。しかし,遊び半分の恋愛のために感情を傷つけられても,生きることをあきらめてはいけません。(冒頭で述べた)ミッシェルは苦々しい気持ちを抱いたり,利己的になって復しゅう心を燃やしたりはしませんでした。エドアートに片思いの恋の炎を燃やす代わりに,人生に立ち向かい,その後クリスチャンの奉仕の分野で数多くの特権をいただきました。最近,彼女はあるりっぱな若い男性と婚約しました。
結婚するまでの間,自尊心を保つようにしましょう。異性のことを知るため,あるいは真の愛を見つけるために遊び半分の恋愛をしたり,遊び半分に恋愛をする人と交際したりする必要はありません。浅薄な異性や,自負心を強めることにしか関心のない異性は避けてください。公正,正直,無私の気持ちを言動に表わすようにしましょう。そうすれば,遊び半分の恋愛に傷つけられずにすみます。
[脚注]
a 「目ざめよ!」誌,1988年7月22日号に掲載された,「別れたほうがいいだろうか」をご覧ください。
[18ページの図版]
遊び半分の恋愛は誤解や心痛を招くことがある