14章
現代の不信 ― 引き続き探求してゆくべきですか
「人間にとって神はもはや常に考慮される事柄ではなくなった。人間が日常の営みを続けたり,決定をしたりする際に神を思い起こすことはますます少なくなった。……神は収入や生産性などの他の価値観で置き換えられてきた。神はかつて人間のあらゆる活動の意義の源とされていたかもしれないが,今日では,歴史の秘密の地下牢に葬られてしまった」―「現代の無神論の源」。
1 (紹介の言葉も含める。)(イ)「現代の無神論の源」という本の中で,今日の人々に見られる神に対する信仰はどのように説明されていますか。(ロ)現代の不信はさほど遠くない昔の状況とどのように鋭い対照をなしていますか。
西洋世界の人々の生活の中で神がたいへん肝要な要素となっていた時代は,さほど遠い昔のことではありません。たとえすべての人が自分が信じていると公言することをまじめに実践していなかったとしても,社会的に受け入れられるには,神を信じているという証拠を示さなければなりませんでした。疑念や不安感は何であれ,慎重に心のうちに秘めておかれました。そのようなことを公然と表明するのはけしからぬことで,そうしようものなら激しい非難を招いたでしょう。
2 (イ)多くの人々は神を探求するのをなぜやめましたか。(ロ)どんな疑問を提起せざるを得ませんか。
2 しかし今日,形勢は逆転しました。何らかの宗教的な強い確信を持つことを狭量で,独断的で,狂信的なこととさえ見る向きが少なくありません。神や宗教に対する無関心,つまり関心の欠けた態度が幅をきかせている国は少なくありません。大抵の人は神の存在を信じていないため,あるいはその存在が分からないため,もはや神を探求しようとはしません。実際,「キリスト教時代以後」という用語を使って現代のことを表わす人々もいます。ですから,次のように問わざるを得ません。神に関する考えがどのようにして人々の生活からすっかり遠ざけられてしまったのでしょうか。どんな力の影響で,このような変化が生じたのでしょうか。神を探求し続けるべき確かな理由がありますか。
宗教改革の反動
3 プロテスタントによる宗教改革のもたらした一つの結果は何でしたか。
3 13章で述べたように,16世紀のプロテスタントによる宗教改革は宗教上の権威,あるいはその他の権威に対する人々の見方に著しい変化をもたらしました。自己主張や表現の自由が順応や服従に取って代わりました。大抵の人々は伝統的な宗教の枠内にとどまりましたが,一部の人々はより急進的な政策にそって運動し,既成の諸教会の教義や基本的な教えに異議を唱えました。さらに,他の人々は宗教が歴史を通じて戦争や苦難や不公正に関連して演じた役割に注目し,総じて宗教に懐疑的な態度を取るようになりました。
4 (イ)同時代の記録は十六,七世紀の英国やフランスで無神論がどの程度広がっていたかについてどのように述べていましたか。(ロ)宗教改革が進められた間,教皇のくびきを排除する努力が払われた結果,だれが広く世に知られるようになりましたか。
4 早くも1572年に,「英国の現状に関する論文」と題する報告はこう述べています。「その領域は教皇礼賛者,無神論者,およびプロテスタントという三派に分かれており,これら三者はすべて一様に好感を持たれている。第一と第二の派は人が多いゆえに,我々はあえて彼らに不快な思いをさせたいとは思わない」。他の推定によれば,1623年のパリの無神論者の人数は5万人でした。もっとも,無神論者という言葉はかなり漠然とした意味で使われていました。いずれにしても,宗教改革により教皇権による支配を排除しようとする努力が払われると共に,既成の諸宗教団体の地位に挑戦した人々が明らかに広く世に知られるようになりました。ウィル・デュラントおよびエイリエル・デュラントが「文明物語: 第7部 ― 理性の時代が始まる」の中で,「ヨーロッパの思想家 ― ヨーロッパ人の先鋒 ― はもはや教皇の権威について論じていたのではない。神の存在について論議していたのである」と述べているとおりです。
科学や哲学による攻撃
5 どんな勢力が神に対する不信を急速に引き起こさせるものとなりましたか。
5 キリスト教世界それ自体の分解が進んだほかに,同世界の地位をさらに弱めるように働いた他の勢力もありました。科学,哲学,世俗主義,および唯物主義は,疑念を起こさせ,神や宗教に関する懐疑の念を募らせる役割を演じました。
6 (イ)科学的な知識が広がるにつれて,教会の多くの教えはどのような影響を受けましたか。(ロ)自分は最新の情報に通じていると思い込んだ人々の中には,何をした者もいましたか。
6 科学的な知識が広がるにつれて,聖書の章句の誤った解釈に基づく教会の多くの教えに疑いが差し挟まれるようになりました。例えば,コペルニクスやガリレオのような人々による天文学上の発見により,地球は宇宙の中心であるという教会の天動説はまともに挑戦を受けるようになりました。その上,物質界の営みを律する自然法則を理解することにより,雷鳴や稲妻などのそれまでの不思議な現象,あるいはある種の恒星やすい星の出現さえ神のみ手,もしくは神慮によるものとする必要がもはやなくなりました。人間社会の営みにおける“奇跡”や“神の介入”もやはり疑われるようになりました。神や宗教は突如,多くの人々にとって時代遅れの代物に思えるようになり,自分は最新の情報に通じていると思い込んだ人々の中には,たちまち神に背を向け,群がって科学を神聖視する崇拝を行なうようになった者もいます。
7 (イ)宗教にとって確かに何が最も重大な打撃となりましたか。(ロ)諸教会はダーウィン主義に対してどんな反応を示しましたか。
7 宗教にとって最も重大な打撃となったのは確かに進化論でした。英国の博物学者チャールズ・ダーウィン(1809-1882年)は1859年に「種の起源」を発表し,神による創造という聖書の教えに真っ向から挑戦しました。諸教会はどんな反応を示しましたか。最初,英国や他の国の僧職者はこの理論を公然と非難しました。しかし,反対はやがて消滅しました。ダーウィンの推測は,ひそかに疑念を抱いていた多くの僧職者の求めていた,うってつけの言い訳となりました。ですから,「宗教百科事典」によれば,ダーウィンの生涯中に,「自分の意見をはっきり言える,極めて考え深い僧職者は苦労したあげく,進化論と啓発された聖書理解とは完全に両立できるという結論に達し」ました。キリスト教世界は聖書を弁護する側に立つどころか,科学的な意見の圧力に屈して,人気のある考えに同調しました。そうすることによって,神に対する信仰を徐々に弱めさせました。―テモテ第二 4:3,4。
8 (イ)19世紀の宗教批評家は何に疑いを差し挟みましたか。(ロ)宗教批評家はどんな人気のある見解を提唱しましたか。(ハ)多くの人々が反宗教的な考えをいち早く受け入れたのはなぜですか。
8 19世紀が経過するにつれて,宗教批評家は一層大胆に攻撃するようになりました。そして,単に諸教会の失敗を指摘するだけでは満足せず,宗教の基盤をさえ疑問視するようになり,神とは何か,神が必要なのはなぜか,神に対する信仰はどのように人間社会に影響を及ぼしてきたかなどの疑問を提起しました。ルートウィッヒ・フォイエルバハ,カール・マルクス,ジグムント・フロイト,およびフリードリヒ・ニーチェのような人々は,哲学的,心理学的,および社会学的用語を使って自分たちの論議を行ないました。『神は人間が想像力を駆使して描き出したものにほかならない』,『宗教は人民のアヘンである』,あるいは『神は死んだ』というような見解はすべて,諸教会の無味乾燥で分かりにくい教義や伝統と比べて非常に斬新で,極めて興味深いもののように聞こえました。多くの人々はついに,心の奥に潜んでいた疑問や疑念をはっきり表現する方法を見いだしたように感じて,いち早く,また喜んでそれらの考えを新しい福音的真理として受け入れました。
重大な妥協
9 (イ)科学や哲学による攻撃を受けた諸教会は何をしましたか。(ロ)諸教会が妥協した結果,どうなりましたか。
9 科学や哲学による攻撃や精査を受けた諸教会は何をしましたか。聖書の教える事柄を支持する立場を取る代わりに,圧力に屈して,神による創造や聖書の信ぴょう性というような基本的な信仰箇条に関してさえ妥協しました。結果ですか。キリスト教世界の諸教会は信用を失い始め,多くの人々が信仰を失うようになりました。諸教会が自らを弁護する側に回らなかったため,扉は大きく開かれて,一般大衆は立ち去って行きました。多くの人々にとって,宗教は社会学的な遺物,つまり人生の主要な事柄 ― 誕生,結婚,死 ― をしるし付けるものにすぎなくなりました。多くの人はまことの神を探求するのをほとんどやめてしまいました。
10 どんな緊急な疑問を考慮しなければなりませんか。
10 このすべてを前にして,次のように問うのは筋の通ったことです。科学や哲学は本当に神に対する信仰の死亡証明書の署名同然のものとなりましたか。諸教会の失敗は,教会が教えていると唱えているもの,すなわち聖書が失敗作であることを意味していますか。実際,神を引き続き探求してゆくべきでしょうか。これらの問題を簡単に調べてみましょう。
神に対する信仰の根拠
11 (イ)どんな2冊の本が長い間,神に対する信仰の根拠となってきましたか。(ロ)これらの本はどのように人々に影響を及ぼしてきましたか。
11 神の存在について教えている2冊の本があると言われています。それは創造物,つまりわたしたちの周囲の自然という“本”と,聖書です。それは過去および現在の何億もの人々にとって信仰の根拠となってきました。例えば,たくさんの星のある天を観察して感銘を受けた,西暦前11世紀のある王は,次のような詩の形で,「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている」と叫びました。(詩編 19:1)月の周囲を飛行した宇宙船から地球の劇的な光景を眺めた,20世紀の一宇宙飛行士は,「初めに神 天地を創造したまえり」という言葉を引用するよう心を動かされました。―創世記 1:1,欽定。
12 創造物という本と聖書はどのように攻撃されてきましたか。
12 しかし,これらの2冊の本は,神の存在を信じていないと主張する人々から攻撃されています。そのような人々は,わたしたちの周囲の世界を科学的に調査した結果,生物は知的な創造によってではなく,全くの偶然や計画性のない進化の過程によって存在するようになったことが証明されたと言います。そして,それゆえに,創造者はいなかったし,また当然,神という問題は余計なことだと論じます。その上,そのような人々の多くは,聖書は実際,時代遅れで,不合理で,したがって,信仰を持つに値しない本だと考えています。その結果,彼らには,神の存在に対する信仰のための根拠はもはや一つもありません。このすべては真実ですか。事実は何を示していますか。
偶然,それとも設計によるもの?
13 生物が偶然に生じたというのであれば,何が起きなければならなかったはずですか。
13 もし,創造者がいなかったとしたら,生物は偶然に,しかも自然に発生したに違いないということになります。生物が生じたというのであれば,ともかく種々の適当な化学物質が適当な温度・圧力その他の制御要素のもとで,適当量一緒になっていたはずですし,そのすべては適正な長さの期間保たれていたはずです。その上,生物が存在し始め,地上で養われていたというのであれば,それらの偶然の出来事が何万回となく繰り返されていたはずです。しかし,そのような出来事の一つでさえ起きる可能性はどれほどあるでしょうか。
14 (イ)たった一個の単純な蛋白質分子が偶然に形成される確率はどれほど微小ですか。(ロ)数学的な計算は生物が自然に生じたという考えにどのように影響を及ぼしますか。
14 適当な原子や分子がたった一個の単純な蛋白質分子を形成する場所に落ちる確率は10113(1の後に0を113個並べた数)分の1になることを進化論者は認めています。この数は実に,宇宙の原子の推定総合計よりも大きな数なのです。数学者は,何であれ,1050分の1以下の確率で起きるとされる事柄は決して起きない事柄として片づけます。しかし生物には,たった一つの蛋白質分子よりもはるかに多くのものが必要です。ただ一つの細胞が活動を維持するのに,およそ2,000個の異なった蛋白質が必要ですから,そのすべてが無作為に生ずる見込みは,実に1040,000分の1となります。天文学者フレッド・ホイルは,「もし人が社会的な信条か科学的な教育のいずれかにより偏見を持たされて,生物は[自然に]生じたのだという信念を抱いているのでなければ,この単純な計算により,その考えは問題外の事柄として完全に一掃される」と述べています。
15 (イ)科学者は物質の世界を研究して何を発見しましたか。(ロ)ある物理学教授は自然界の法則について何と述べましたか。
15 一方,科学者は原子以下の極微な粒子から膨大な星雲に至るまで,物質の世界を研究して,既知の自然現象はすべて,ある基本的な法則に従っているらしいということを知りました。言い換えれば,すべて宇宙で起きている事柄には論理と秩序があることを科学者は発見しており,その論理と秩序を簡単な数学用語で表わすことができるようになりました。物理学教授ポール・デービスはニュー・サイエンティスト誌の中で,「それらの法則のおよそ不合理なまでの単純さ,および優雅さに感動を覚えない科学者はほとんどいない」と書いています。
16 (イ)自然の法則の基本的な定数とは何ですか。(ロ)もし,そのような定数の値がほんのわずかだけ変化したならば,どうなったでしょうか。(ハ)ある物理学教授は宇宙や人間の存在について何と結論しましたか。
16 しかし,それらの法則に関する甚だ興味をそそる事実は,それらの法則には種々の要素があって,わたしたちの知っている宇宙が存在するためには,それらの要素の値が精確に定められなければならないということです。そのような基本的な定数の中には,陽子の電荷の単位,ある種の基本的な粒子の質量,および普通,Gというローマ字で表わされるニュートンの万有引力定数があります。このことについて,デービス教授はさらにこう続けています。「それらの要素のあるものの値がほんのわずか変動するだけで,宇宙の有様には徹底的な変化が生ずるであろう。例えば,フリーマン・ダイソンは,もし核子(陽子と中性子)の間の力がほんの数パーセント強かったならば,宇宙には酸素がなかったであろうと指摘した。水は言うに及ばず,太陽のような恒星も存在できなかったであろう。少なくとも我々の知っている生物は存在することができなかったであろう。ブランドン・カーターは,Gの中でごくわずかな変化が生じても,恒星は皆,青色巨星,もしくは赤色矮星と化してしまい,生物にも等しく凄まじい結果の生ずる恐れがあることを示した」。ですから,デービスは次のように結論しています。「この場合には,宇宙はただ一つしかあり得ないのかもしれないと考えられる。もしそうであれば,我々が意識のある人間として存在していること自体,論理の必然的な結果であるというのは,注目すべき考え方である」。―下線は本書。
17 (イ)宇宙に見られる設計や目的は明らかに何を示唆していますか。(ロ)それは聖書の中でどのように確証されていますか。
17 このすべてからどんなことを推論できますか。まず第一に,もし宇宙が法則によって支配されているのなら,法則を考案,もしくは制定した,理知のある立法者が存在するに違いありません。その上,宇宙の作用を支配する法則は生物と生物を養うのに都合の良い状態を見越して作られていると考えられるゆえに,明らかに目的が関係しています。設計や目的 ― これは全くの偶然の特徴ではありません。それはまさしく理知ある創造者が表明なさるものでしょう。そして,それこそ聖書が次のように言明して,示唆している事柄なのです。「神について知りうる事柄は彼らの間で明らかだからであり,神がそれを明らかにされたのです。というのは,神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからで(す)」― ローマ 1:19,20。イザヤ 45:18。エレミヤ 10:12。
わたしたちの周囲にある豊富な証拠
18 (イ)ほかのどんなものにも設計や目的のあることが分かりますか。(ロ)知的な設計を示す,どんななじみ深い実例を挙げることができますか。
18 もちろん,設計や目的は単に宇宙の秩序整然とした営みだけでなく,単純なものであれ,複雑なものであれ,生物が日常の活動を続ける仕方,ならびに生物間の,また生物と環境との相互作用にも見られます。例えば,人体のほとんどすべての部位 ― 脳,目,耳,手 ― も現代科学では十分説明し得ないほどの複雑な設計を示しています。それから,動物や植物の世界があります。陸上や海上を毎年,何千キロも飛ぶ,ある種の鳥の渡り,植物の光合成,1個の受精卵が分化した機能を持つ何億もの異なった細胞でできた複雑な有機体にまで発達する過程は ― ほんの二,三の例ですが ― すべて知的な設計を示す,顕著な証拠です。a
19 (イ)ある事物の働き方を科学的に説明できるからといって,知的な設計などないこと,あるいはそのような設計者などいないことが証明されますか。(ロ)わたしたちの周囲の世界を研究することによって何を学べますか。
19 しかし,中には,科学知識が増大したので,そのような絶妙な営みの多くが説明されてきたと論ずる人々もいます。確かに,かつて神秘とされていた多くの事柄が科学によって,ある程度説明されてきました。しかし,子供が時計の働き方を知ったからといって,時計はだれかによって設計されたり,作られたりしたのではないことが証明されるわけではありません。同様に,物質界の多くの事物の驚嘆すべき機能の仕方を人間が理解したからといって,その背後に知的な設計者の存在しないことが証明されるわけではありません。それとは逆に,わたしたちの周囲の世界について知れば知るほど,理知のある創造者であられる神の存在を示す,一層多くの証拠が得られます。ですから,わたしたちは,神のみ業を認めて次のように語った詩編作者の言葉に偏見のない心を抱いて同意することができます。「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています」― 詩編 104:24。
聖書 ― あなたはそれを信ずることができますか
20 神を探求するよう心を動かされるには,神の存在を信ずるだけでは不十分であることを何が示していますか。
20 しかし,神を探求するよう心を動かされるには,神の存在を信ずるだけでは不十分です。今日,何億もの人々は神に対する信仰を完全に退けているわけではありませんが,神を探求するよう心を動かされてはきませんでした。米国の世論調査員ジョージ・ギャラップ2世は,「カンニング,脱税,およびこそ泥などの点で,教会員とそうでない人々の間には実際,大した違いはないが,それは主に社交的な宗教団体が多いためである」と評し,さらにこう述べています。「多くの人々は自分にとって慰めとなり,自分をくすぐってくれる,必ずしも挑戦とはならない宗教を寄せ集めているだけである。それをお好みの宗教と呼んだ人もいた。それが今日,この国[米国]のキリスト教の主要な弱点である。不屈の信仰がないのである」。
21,22 (イ)聖書が際立った本であることを何が示していますか。(ロ)聖書の信ぴょう性を示す基本的な証拠は何ですか。説明してください。
21 その「主要な弱点」は,主に聖書に関する知識,および聖書に対する信仰の欠如の結果です。しかし,聖書を信ずるべきどんな根拠がありますか。まず第一に注目すべき点は,昔から聖書以上に不当に批判され,悪しざまに言われ,憎まれ,攻撃されてきた本はまずないということです。しかし,聖書はそのすべてに耐えて生き残り,これまでの記録では最も広く翻訳され,頒布された本となりました。このこと自体,聖書が際立った本であることを示しています。しかし,聖書は神の霊感を受けて記された,信ずるに値する本であることを示す,説得力のある,豊富な証拠があります。―340,341ページの囲み記事をご覧ください。
22 聖書は非科学的で,矛盾しており,時代遅れの本であると多少なりとも考えている人は少なくありませんが,事実はその反対であることを示しています。その著述の特異性,その歴史的,ならびに科学的な正確さ,およびその誤りのない預言すべては,唯一の当然の結論,つまり聖書は神の霊感による言葉であるということを指し示しています。使徒パウロが,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』と述べたとおりです。―テモテ第二 3:16。
不信という挑戦に立ち向かう
23 事実を調べれば,聖書に関してどんな結論を出せますか。
23 創造物という本と聖書から証拠を考慮してきた今,どんな結論を出すことができますか。それらの本はこれまでも常にそうであったように,今日でもなお有効です。先入観によって左右されずに,問題を進んで客観的に見るなら,どんな反論も筋の通った仕方で克服できることが分かります。進んで答えを探求しさえすれば,答えはあるのです。イエスは,「探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」と言われました。―マタイ 7:7。使徒 17:11。
24 (イ)多くの人々が神を探求するのをあきらめたのはなぜですか。(ロ)何に慰めを見いだすことができますか。(ハ)本書の残りの章ではどんなことが考慮されますか。
24 結局,神を探求するのをあきらめた人々は大抵,自分で証拠を注意深く調べて,聖書が真実ではないことを知ったゆえに,そうするのをあきらめたのではありません。むしろ,その多くは,キリスト教世界が聖書のまことの神を示さなかったために,遠ざかって行ったのです。フランスの作家,P・バラディエが次のように述べたとおりです。「無神論を実として生み出したのはキリスト教の伝統である。その伝統のために人々の良心の中で神が殺されたのである。なぜなら,伝統は信じ難い神を人々に示したからである」。それはともかく,使徒パウロが,「では,実情はどうなのですか。ある者が信仰を表わさなかったとすれば,その信仰の欠如が,神の忠実さを無力にでもするのでしょうか。断じてそのようなことはないように! むしろ,すべての人が偽り者であったとしても,神は真実であることが知られるように」と述べた言葉の中に慰めを見いだすことができます。(ローマ 3:3,4)そうです,まことの神を探求し続けるべき十分の理由があります。本書の残りの章では,この探求の歩みがどのように首尾よく完了するに至ったか,また人類の将来はどうなるかについて述べることにいたします。
[脚注]
a 神が存在することを示す,これらの証拠に関する,もっと詳しい説明を読みたい方は,ものみの塔聖書冊子協会が1985年に発行した,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」と題する本の142-178ページをご覧ください。
[340,341ページの囲み記事]
聖書の信ぴょう性を示す証拠
著述の特異性: 聖書は巻頭の書である創世記から巻末の書である啓示の書に至るまで,66冊の書で構成されており,それらの書は社会的にも,また教育や専門職の点でも大変異なった背景を持つ40人ほどの筆者により書き記されました。その執筆は西暦前1513年から西暦98年まで,16世紀余の期間にわたって行なわれました。しかし最終結果として,メシアによる王国を通して神とその目的の正しさを立証するという際立った主題を論理的に展開して,あらましを述べる,首尾一貫した,調和の取れた1冊の書が生み出されました。―241ページの囲み記事をご覧ください。
歴史的な正確さ: 聖書に記された出来事は,証明された歴史的な事実と完全に合致しています。「聖書を調査する一法律家」と題する本はこう評しています。「恋愛物語,伝説,および偽りの宣誓証言では,出来事は必ずある遠い場所や漠然としたある時と結びつけられているが……聖書の物語では物事の年代や場所が最高度の正確さをもって示されている」。(エゼキエル 1:1-3)また,「新聖書辞典」はこう述べています。「[『使徒たちの活動』の書の筆者]は同時代の歴史の枠組みを自分の物語の背景にしており,またその紙面は市の行政長官,属州の総督,属国の王その他同様の要人に言及する言葉で満ちており,それら言及された人物は問題の場所や時代にまさしく合致していることが再三再四示されている」。―使徒 4:5,6; 18:12; 23:26。
科学的な正確さ: 隔離や衛生に関する律法がイスラエル人に与えられた当時,周囲の諸国民はそのような慣行について何も知りませんでした。伝道の書 1章7節は,古代では知られていなかった,降雨や海洋からの蒸発の関係する循環について述べています。16世紀まで科学によって確証されていなかった,地球は球形で,宇宙空間に懸かっているということが,イザヤ 40章22節やヨブ 26章7節に述べられています。ウィリアム・ハービーが血液の循環に関して発見した事柄を発表するよりも2,200年以上も前に,箴言 4章23節は人間の心臓の役割を指摘していました。ですから,聖書は科学の教本ではありませんが,科学に関連のある事柄に触れる箇所では,科学が発達した時代よりもはるか以前に理解の深さを表わしています。
誤ることのない預言: 古代のティルスの滅び,バビロンの倒壊,エルサレムの再建,およびメディア・ペルシャやギリシャの諸王の台頭と終えんなどはあまりにも詳細に予告されていたため,それらの記録は事後に記されたのだと批評家から非難されましたが,その非難は無駄に終わりました。(イザヤ 13:17-19; 44:27-45:1。エゼキエル 26:3-7。ダニエル 8:1-7,20-22)イエスが誕生する何世紀も前に,この方に関して記された預言は詳細な点まで成就しました。(245ページの囲み記事をご覧ください。)エルサレムの滅亡に関するイエスご自身の預言も正確に成就しました。(ルカ 19:41-44; 21:20,21)イエスと使徒パウロの述べた,終わりの日に関する預言は,この現代にその成就を見ています。(マタイ 24章。マルコ 13章。ルカ 21章。テモテ第二 3:1-5)しかし,聖書はすべての預言を唯一の源,エホバ神に由来するものとしています。―ペテロ第二 1:20,21。
[333ページの図版]
ダーウィン,マルクス,フロイト,ニーチェその他の人々は,神に対する信仰を徐々に弱めさせる種々の説を提唱しました
[335ページの図版]
創造物という“本”と聖書は神に対する信仰の根拠を提供しています
[338ページの図版]
わたしたちの周囲の世界について知れば知るほど,理知のある創造者の存在を示す,一層多くの証拠が得られます
[337ページの図版/図]
もし,ある種の設計上の要素がほんのわずかでも違っていたなら,生物も宇宙も存在するのは不可能だったでしょう
[図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
水素原子の構成要素
電子殻
陽子 + 電子
原子核 −