聖書の5番目の書 ― 申命記
筆者: モーセ
書かれた場所: モアブの平原
書き終えられた年代: 西暦前1473年
扱われている期間: 2か月(西暦前1473年)
1 イスラエルが約束の地に入ることに関連してどんな質問がなされるかもしれませんか。
申命記はエホバの民にとって力強い音信を含んでいます。荒野を40年間さまよった後,イスラエルの子らは今,約束の地の門口に立っていました。彼らの前途には何が待ち構えているでしょうか。ヨルダンの向こう側で彼らはどんな特別の問題に直面するでしょうか。モーセはこの国民に対して最後にどんなことを告げるのでしょうか。そしてわたしたちは尋ねます。これらの問いの答えを知ることは,今日のわたしたちにとってなぜ有益でしょうか。
2 申命記はどんな際立った仕方で重要な役割を果たしていますか。
2 その答えは,モーセが語り,聖書の5番目の書である申命記の中に彼が記録した言葉の中に見いだされます。申命記はそれ以前の書の内容の多くを繰り返して述べているのですが,それでも際立った仕方で重要な役割を果たしています。なぜでしょうか。エホバの民の歴史の中で強力な指導と明確な指示とが特に必要とされた時に備えられたものとして,それは神からの音信の大切さをいっそう強調しているからです。彼らは新しい指導者のもとに約束の地にまさに入ろうとしていました。彼らには前進して行くための激励が必要であり,同時に,エホバからの祝福に通ずる正しい進路を彼らに取らせるための神からの警告も必要でした。
3 申命記全体を通してモーセはどんなことを強調していますか。それは今日のわたしたちになぜ大切ですか。
3 この必要に応じつつ,モーセはエホバの霊に力強く動かされて,イスラエルに対し,従順でありかつ忠実であるようにと率直に訴えました。この書全体を通して,モーセは,エホバが至高の神であられ,全き専心を要求され,『心をつくし,魂をつくし,活力をつくして神を愛する』ことをご自分の民に求めておられる,という点を強調しています。エホバは「神の神,主の主,偉大で力強く,畏怖の念を抱かせる神であり,だれに対しても不公平な扱いをせず,まいないを受け取ることもされ(ません)」。エホバはご自分に対抗する者をいっさい許容されません。エホバに従うことは命を意味し,逆らうことは死を意味します。申命記の中で与えられたエホバからの指示は,イスラエルが自分たちの前途に置かれた重大な仕事のためにまさに必要とした心の準備と助言となりました。それは今日のわたしたちにも必要な訓戒であり,それによってわたしたちは,腐敗した世にあって,神のみ名を神聖なものとしつつエホバへの恐れのうちに歩み続けてゆくことができます。―申命記 5:9,10; 6:4-6; 10:12-22。
4 申命記という名称にはどんな意味がありますか。この書にはどんな目的がありますか。
4 「申命記<デュウトロノミー>」という名称は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳での表題「デウテロノミオン」からきています。このギリシャ語は,「二番目」という意味の「デウテロス」と,「律法」という意味の「ノモス」が結合したものです。したがってこれは,「二番目の律法; 律法の反復」という意味です。これは,申命記 17章18節のヘブライ語の句,「ミシュネー ハットーラー」を訳したギリシャ語から来ており,正しく「律法の写し」と訳されています。しかしながら,申命記という名称の意味するところとは異なり,聖書のこの書は,二番目の律法でも律法の単なる反復でもありません。むしろ,それは律法の説明であり,イスラエル人が間もなく入ろうとしていた約束の地において,エホバを愛し,エホバに従うようにと彼らに説き勧めています。―1:5。
5 モーセが申命記の筆者であったことをどんなことが示していますか。
5 これは五書<ペンタチューク>の中の第5巻もしくは五つ目の書ですから,その筆者はこれに先立つ四つの書と同じ,すなわちモーセであるはずです。その巻頭の陳述が明らかにしているとおり,申命記は,「モーセが全イスラエルに話した言葉」です。『モーセはこの律法を書き記した』,『モーセはこの歌を書き記した』など,後に出て来る幾つかの表現も,モーセがその筆者であることをはっきり示しています。モーセの名はこの書の中に40回近くも出ており,大抵はそこでなされた陳述の権威として示されています。モーセを指す第一人称の表現が全体にわたっておもに使用されています。結びの数節だけは,モーセの死後に,恐らくはヨシュアか大祭司エレアザルによって付け加えられたものでしょう。―1:1; 31:9,22,24-26。
6 (イ)申命記の中にどんな時代のことが扱われていますか。(ロ)この書はいつごろまでに事実上書き終えられていましたか。
6 申命記の中に記されている出来事はいつ起きましたか。その初めのところで,この書そのものが,『第四十年,第十一月,その月の一日に,モーセはイスラエルの子らに話すことになった』と述べています。申命記の記録の完成後,ヨシュア記は,ヨルダンを渡る三日前のことからその記述を始めています。それを渡ったのは「第一の月の十日」でした。(申命記 1:3。ヨシュア 1:11; 4:19)上記のことから,申命記の中の出来事の期間としては2か月と1週間が残ります。しかしながら,この9週間の期間のうちの30日はモーセの死を悼むことに用いられました。(申命記 34:8)つまり,申命記の中のすべての出来事は事実上,第40年の第11月のうちに起きたに違いありません。その月の終わりまでに,この書を書き記すこともほとんど完了し,モーセの死は第40年の第12月の初め,すなわち西暦前1473年の初めごろのことであったに違いありません。
7 申命記が信ぴょう性のあるものであることを何が示していますか。
7 五書<ペンタチューク>の最初の四つの書の信ぴょう性を証明するために既に提出された証拠は,その5番目の書である申命記についても当てはまります。申命記はまた,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に最も多く引照されているヘブライ語聖書の四つの書のうちの一つでもあります。残りの三つは,創世記と詩編とイザヤ書です。そのような引照は83か所に上り,クリスチャン・ギリシャ語聖書の17の書に申命記への言及が含まれています。a
8 イエスによるどんな決定的な証言が申命記の信ぴょう性を十分に示していますか。
8 申命記に関しては,イエスご自身がその記録を支持する最も強力な証言をしておられます。その宣教を開始した当初,イエスは悪魔から3度の誘惑を受けましたが,3回とも,「……と書いてあります」という形でお答えになりました。どこに書いてあるのですか。それはほかならぬ申命記(8:3; 6:16,13)であり,イエスは霊感による権威としてそこから引用されたのです。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。「あなたの神エホバを試みてはならない」。「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」。(マタイ 4:1-11)後に,パリサイ人が来て,神のおきてに関してイエスを試みた時,イエスはその答えとして,申命記 6章5節から「最大で第一のおきて」を引用されました。(マタイ 22:37,38。マルコ 12:30。ルカ 10:27)イエスの証言は,申命記の記述が信頼できるものであることを決定的に示しています。
9 どんな外面的な証拠が申命記の真正さを示していますか。
9 さらに,この書に記されている出来事や陳述は歴史的な状況や環境にぴったり適合しています。エジプト,カナン,アマレク,アンモン,モアブ,エドムなどに言及している部分はその時代の情況に忠実であり,場所の名前も正確に述べられています。b 考古学は,モーセが書き記した事柄の正確さに関する証拠を次々と明るみに出しています。ヘンリー・H・ハーレーはこう書いています。「近年,考古学は盛んな発言を行なっており,[モーセがペンタチュークを書いたという]保守的な見方を決定的に再生させている。モーセの時代に文字を書くことはまだ知られていなかったという理論は完全に論破されている。そして,[ヘブライ語聖書]の記述は真の歴史の記録であるという,碑文や地層の中からの証拠が,エジプト,パレスチナ,メソポタミアで年ごとに掘り起こされている。そして,『学識』は,モーセが著者であるという伝統的な見解に対して明らかにいっそうの敬意を抱くようになりつつある」。c こうして,外面的な証拠でさえ,申命記そして五書<ペンタチューク>の他の部分も神の預言者モーセによる信頼できる真実の記録であることを支持しています。
申命記の内容
10 申命記はどんな部分から成り立っていますか。
10 この書はおもに,エリコの向かいのモアブの平原でモーセがイスラエルの子らに行なった一連の講話から成り立っています。その最初のものは第4章で終わり,2番目のものは26章の終わりまで続き,3番目のものは28章まで続き,次いで別の講話が第30章の終わりにまで及んでいます。次いでモーセは,自分の死が近いことを見越して最終的な取り決めを設け,自分の後継者としてヨシュアの任命も行ない,その後エホバを賛美する極めて美しい歌を記録し,次いでイスラエルの各部族に対する祝福の言葉を述べています。
11 モーセは自分の第一の講話をどのように話し始めていますか。
11 モーセの第一の講話(1:1-4:49)。これは,その後に続く部分のための歴史的な導入となっています。モーセはまず,ご自分の民に対するエホバの忠実なご処置について回顧します。モーセは,アブラハム,イサク,ヤコブなど,父祖たちに約束された土地に入って,それを取得するようにと彼らに告げます。また,エホバが,荒野での徒歩旅行の初めに,賢明で思慮深く,経験のある人々をモーセに選ばせて,千人,百人,五十人,十人の長とならせ,この神権社会の活動が相互的な関係を保って行なわれるようにされたことについても話します。イスラエルが「あの広大で畏怖の念を抱かせる荒野をすべて進んで行った」時,エホバが見守る申し分のない組織ができ上がっていました。―1:19。
12 カナンの地の最初の偵察にまつわるどんな出来事をモーセは次に思い起こしていますか。
12 次いでモーセは,カナンから戻って来た斥候たちの報告を聞いて民が不平を言った際のその反逆の罪について思い返します。自分たちをエジプトから連れ出して,ただアモリ人の前に見捨てるのは,エホバが自分たちを憎んでいるためだと彼らは唱えたのです。エホバは,その信仰の欠如のゆえに,カレブとヨシュアを除けば,そのよこしまな世代のだれもその良い地を見ないであろう,と告げました。これを聞いて彼らはまたも反逆的な行動を取り,すっかり激こうして,勝手に敵への襲撃を仕かけますが,それはただ,蜜ばちの群れに追われるかのようにしてアモリ人に追い散らされる結果となったにすぎません。
13 どんなことに基づいてモーセはヨシュアに勝利の保証を与えましたか。
13 彼らは紅海に向かって荒野を旅行し,その後の38年の間に,その戦人の世代のすべての人々は死に絶えました。次いでエホバは,アルノンの北の土地へ渡って行ってそこを取得するようにと彼らに命じて,こう言われました。「この日から,わたしは,あなたに対する畏怖とあなたに対する恐れを,全天下のもろもろの民の前,あなたについての知らせを聞く者たちの前に置いてゆく。あなたのゆえに彼らはまさに動揺し,子を産む者のような苦痛を味わうであろう」。(2:25)シホンとその土地はイスラエル人の手に落ち,その後オグの王国も占領されました。エホバはそれと同じようにしてイスラエルのために戦われ,すべての王国に打ち勝たせてくださるであろうと,モーセはヨシュアに保証を与えました。その後モーセは,自分自身が何とかしてヨルダン川の向こうの良い土地に渡って行けないでしょうかと神に尋ねましたが,エホバはなおもこれを拒まれ,ヨシュアを任命して,これを励まし強めるようにとお告げになりました。
14 モーセは神の律法と全き専心の大切さをどのように強調しましたか。
14 次いでモーセは神の律法の大切さを大いに強調し,神のおきてに付け加えることも,それから取り去ることもしないようにと警告します。不従順は災いを招く結果になるでしょう。「ただ自分に気を付け,自分の魂によく注意して,あなたの目が見た事を忘れないようにしなさい。そして,命の日の限りそれがあなたの心を離れることのないようにしなさい。またあなたはそれを自分の息子と孫たちに知らせなければならない」。(4:9)エホバがホレブの恐るべき情景の中で十の言葉を述べられた時,彼らは何の形も見ませんでした。彼らが今,偶像礼拝や像の崇拝に傾くとすれば,それは彼ら自身にとって身の滅びとなるでしょう。モーセが述べるとおり,「あなたの神エホバは焼き尽くす火であり,全き専心を要求する神」であるからです。(4:24)彼らの父祖たちを愛して,これを選び取られたのはエホバ神でした。上の天にも下の地にもこれ以外に神はいません。この方に従いなさい,それは「あなたの神エホバの与えてくださる地にあってあなたが常に自分の命の日を長くするためである」,とモーセは説き勧めます。―4:40。
15 ヨルダン川の東側で避難都市のためのどんな取り決めが設けられましたか。
15 この強力な話を結んだ後,モーセは,ベツェル,ラモト,ゴランを取り分けて,ヨルダンの東側における避難都市とします。
16 モーセの第二の講話はどんなことを強調していますか。
16 モーセの第二の講話(5:1-26:19)。これは,シナイでイスラエルに対し顔と顔を合わせて話されたエホバに聞き従うように,という呼びかけです。モーセが,幾らかの必要な調整を加えて,ヨルダンを渡った後の新しい生活に適応させつつ再度律法を述べる様子に注目してください。それは規定や定式の単なる言い直しではありません。どの言葉も,モーセの心が自分の神に対する熱意と専心とに満たされていたことを示しています。彼は国民の福祉のために語ります。全体にわたって,律法に対する従順,そうです,強いられてではなく,愛の心による従順が強調されています。
17 イスラエルはエホバが示された愛にどのようにこたえなければなりませんか。
17 まずモーセは,十の言葉,すなわち十のおきてを復唱し,右にも左にもそれることなくそれに従いつづけるようにとイスラエルに告げます。それは,その地において彼らが自分の日を長くし,非常に多くなるためです。「イスラエルよ,聴きなさい。わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」。(6:4)イスラエルは神を愛することに心と魂と活力を尽くし,その子らに教えて,エホバがエジプトで行なわれた大いなるしるしと奇跡についてこれに語らねばなりません。偶像礼拝を行なうカナン人との間に姻戚関係を結んではなりません。エホバはイスラエルを選んでご自分の特別の所有物とされましたが,それは彼らの人口が多いからではなく,エホバが彼らを愛して,その父祖たちに対して立てた誓いのことばを守られるからなのです。イスラエルは悪霊宗教のわなを退け,その地から像を滅ぼし去り,真に「偉大で畏怖の念を抱かせる神」エホバに付き従わなければなりません。―7:21。
18 モーセは何に注意すべきことをイスラエル人に説き勧めますか。
18 エホバは荒野で40年のあいだ彼らを謙遜にならせ,人がマナやパンによって生きるのではなく,むしろエホバの口から出るすべての言葉によって生きるものであることを彼らに教えられました。矯正のためのこの全期間を通じて,彼らの衣服はすり切れず,その足がはれることもありませんでした。今彼らは豊かで産出的な地に入ろうとしています。しかし彼らは物質主義や独善主義のわなに警戒しなければならず,『力と富とを与え』,邪悪な諸国民を立ち退かせてくださるのはエホバであることを覚えていなければなりません。(8:18)次いでモーセは,イスラエルが神の怒りを引き起こした幾つかの場合について再度語ります。荒野においてエホバの怒りが彼らに対していかに激しく燃えたか,それによって災厄と火と殺りくがいかにもたらされたかを彼らは思い起こさなければなりません。破滅をもたらした彼らの黄金の子牛の崇拝についても思い出すべきです。それはエホバの激しい怒りを来たらせ,律法の書き板が書き直されなければなりませんでした。(出エジプト記 32:1-10,35; 17:2-7。民数記 11:1-3,31-35; 14:2-38)確かに,彼らは今エホバに仕えて,これに堅く付かなければなりません。エホバは彼らの父たちのゆえに彼らを愛し,彼らを「天の星のように数多くされた」のです。―申命記 10:22。
19 どんな選択の道がはっきり述べられますか。その国民のためにどんな律法が略述されますか。
19 イスラエルは「おきて全体」を守り,必ずエホバに従い,自分たちの神としてエホバを愛し,心と魂をつくしてこれに仕えなければなりません。(11:8,13)彼らが従うなら,エホバは彼らを支え,報いを与えます。しかし,彼らは身を入れて自分の子らを勤勉に教えなければなりません。イスラエルの前に置かれた選択の道については明確に述べられました。すなわち,従順であれば祝福にあずかり,不従順であれば呪いに至るのです。彼らは『他の神々に付いて行って』はなりません。(11:26-28)次いでモーセは,約束の地に進んで行ってそれを取得するイスラエルに影響する個々の律法を略述します。その中には,(1)宗教と崇拝にかかわる律法,(2)公正の実施や,統治や戦争に関する律法,(3)民の私的また社会的生活を規定する律法があります。
20 崇拝に関する律法にはどんな際立った点がありますか。
20 (1)宗教と崇拝(12:1-16:17)。イスラエルがその地に入るとき,偽りの宗教のあらゆるこん跡 ― その高き所,祭壇,柱,聖木,像 ― を根絶しなければなりません。イスラエルは,ただその神エホバが選んでご自身の名を置かれる場所においてのみ崇拝しなければなりません。その場所で彼らすべてはエホバにあって歓び楽しむのです。肉や犠牲のものを食べることに関する規定の中では,血を食べてはならないということが繰り返し諭されます。「ただ,血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。……それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行なうことによって,あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである」。(12:16,23-25,27; 15:23)次いでモーセは偶像礼拝に対する率直な非難を開始します。イスラエルは偽りの宗教の種々のやり方を探ってみることさえしてはなりません。偽りの預言者であることが判明するなら,その預言者は死に処されなければなりません。また背教者は ― たとえそれが自分の愛する親族や友人であっても,そうです,たとえそれが一つの都市全体であっても ― 同じように滅びのためにささげられなければなりません。次に,清い食物と汚れた食物に関する規定,什一の支払いとレビ人に対する世話のことが述べられます。債務を負う人,貧しい人,奴隷などの利益は愛によって保護されるべきです。最後に,モーセは年ごとの祭りについて再び述べて,その祝福に対してエホバに感謝を表わす時とします。「年に三度,あなたに属するすべての男子は,あなたの神エホバの選ばれる場所でそのみ前に出るべきである。すなわち,無酵母パンの祭り,七週の祭り,そして仮小屋の祭りの時である。だれもむなし手でエホバの前に出てはいけない」― 16:16。
21 公正に関してどんな律法が与えられていますか。モーセはどんな重要な預言を語りますか。
21 (2)公正,統治,戦争(16:18-20:20)。まず初めに,モーセは裁き人やつかさたちに関係する律法を述べます。公正を守るのは重要なことであり,わいろやゆがんだ裁きはエホバの憎まれるところです。証拠の確立や法的な事件の処理のための手順が略述されます。「二人の証人または三人の証人の口によって,その死ぬべき者は死に処せられるべきである」。(17:6)王たちに関する律法も述べられます。祭司やレビ人たちのための取り決めも作られます。心霊術は「エホバにとって忌むべきもの」として禁じられます。(18:12)遠い将来を見通してモーセはこう宣言します。「あなた自身の中,あなたの兄弟たちの中から出るわたしのような預言者を,あなたの神エホバはあなたのために起こされる ― その者にあなた方は聴き従うべきである」。(18:15-19)しかし,偽りの預言者は死ななければなりません。この部分は,避難都市と血の復しゅうに関する律法,兵役を免除される資格と戦争の際の規則をもって結ばれています。
22 私的また社会的などんな事柄を規定する律法について述べられていますか。
22 (3)私生活と社会生活(21:1-26:19)。イスラエル人の日常生活にかかわる律法は次のような事柄に関連して述べられています。すなわち,殺害されて発見された人,捕虜の女との結婚,長子の権利,反抗的な息子,犯罪者を杭に掛けること,処女の証拠,性の犯罪,去勢,庶出の子,異国人の取り扱い,衛生,利息の支払いと誓約,離婚,誘拐,貸借,賃金,落ち穂や採り残しについてなどです。人をむち打つ際の限度は40回までです。脱穀している牛にくつこを掛けてはなりません。義兄弟結婚の手順についても略述されています。分銅は正確なものを用いなければなりません。不正はエホバの忌み嫌われる事柄だからです。
23 モーセは,神の民がそのおきてに従うときどんな結果になることを示していますか。
23 この熱烈な講話を結ぶ前に,モーセは,イスラエルがエジプトから逃れ出て来た際,アマレクがうみ疲れたイスラエル人に後方から打ちかかったことを思い起こさせて,「アマレクについて述べることを天の下からぬぐい去るように」とイスラエルに命じます。(25:19)その土地に入ったら,彼らはその地の初なりを歓びをもってささげ,また什一をエホバへの次の感謝の祈りをもってささげなければなりません。「どうか,あなたの聖なる住まいである天からご覧になり,あなたの民イスラエルとわたしたちにお与えくださった土地とを祝福してください。父祖たちにお誓いになったとおりに,この乳と蜜の流れる地を」。(26:15)彼らが心と魂をつくしてこれらのおきてを実行するなら,エホバとしても,『彼らが自分たちの神エホバに対して聖なる民となるかぎり,彼らをそのお造りになったあらゆる国民の上に高めて,賛美と名声と美とし,その約束のとおりに』されるのです。―26:19。
24 第三の講話はどんな祝福とのろいをイスラエルの前に置いていますか。
24 モーセの第三の講話(27:1-28:68)。この講話の中では,不従順に対するエホバののろいと忠実さに対する祝福とをモーセが細かに列挙し,イスラエルの年長者と祭司たちがそれに加わっています。不忠実のもたらす恐るべき結果に関して厳しい警告が与えられています。イスラエルが神の聖なる民としてその神エホバの声に聴き従い続けるなら,すばらしい祝福を享受することができ,地のすべての民は,エホバのみ名が彼らの上にとなえられていることを知るでしょう。しかしながら,もし彼らがこの点で失敗するなら,エホバは彼らの上に『のろいと混乱と叱責』をもたらされるでしょう。(28:20)彼らは忌まわしい疾病に見舞われ,日照りと飢きんにさいなまれることになるでしょう。彼らの敵は追いかけて来て彼らを奴隷にし,彼らは追い散らされ,地の上から滅ぼし尽くされるでしょう。彼らが「注意してこの書に記されるこの律法のすべての言葉を行なうようにせず,この栄光ある,畏怖の念を抱かせるみ名を,[彼ら]の神エホバを恐れない」のであれば,これらや他ののろいが彼らの上に臨むことになります。―28:58。
25 (イ)エホバは今どんな契約をイスラエルと結びますか。(ロ)モーセはどんな選択の道を民の前に置きますか。
25 モーセの第四の講話(29:1-30:20)。エホバは今,モアブでイスラエルと契約を結びます。これは,モーセが律法を繰り返し述べて説明したもので,律法に組み入れられており,それは約束の地に入るイスラエルを導くものとなります。その契約に伴う厳粛な誓いはその国民の責任を十分に銘記させます。最後にモーセは天と地に呼びかけてこれを証人とし,民の前に命と死,祝福と呪いとを置いて,こう説き勧めます。「あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。すなわち,あなたの神エホバを愛し,その声に聴き従い,これに堅く付くのである。神はあなたの命,あなたの長い日々なのであり,エホバがあなたの父祖アブラハム,イサク,ヤコブに与えることを誓われたその地にあなたが住むためである」― 30:19,20。
26 モーセは自分の死に先立ってどんな最終的な取り決めを設けますか。
26 ヨシュアの任命,およびモーセの歌(31:1-32:47)。第31章は,律法を書き記し,それを定期的に公の場で朗読することに関して指示を与え終えたモーセが,その後ヨシュアを任命して,勇気を持ち,強くあるようにと彼に告げたことを述べています。また,その後にモーセが記念の歌をまとめて,律法の言葉を書き記すことを完了し,それをエホバの契約の箱の傍らに置くように取り決めた様子を伝えています。その後モーセは,最後の説き勧めとして,その歌の言葉を全会衆に語ります。
27 モーセの歌にはどんな強力な音信が含まれていますか。
27 モーセの歌はその諭しのことばのさわやかな源について明らかにしつつ,いかにも認識にあふれたことばで始まっているではありませんか。「わたしの諭しは雨のように滴り,わたしのことばは露のように流れ落ちる。草に降る静かな雨,草木に降る豊潤な雨のように。それはわたしがエホバの名をふれ告げるからだ」。そうです,「わたしたちの神」,「岩なる方」に偉大さを帰すべきです。(32:2-4)その完全なみ業,その公正な道,その忠実さ,義と廉直さについて知らせなさい。広漠とした,遠ぼえのする砂漠の中でエホバが彼らを周りから囲み,自分の目のひとみのようにして彼らを保護し,巣立ちびなの上を舞い駆ける鷲のようになられたにもかかわらず,彼らが自ら滅びとなるようなことを行なったのは恥ずべきことでした。エホバはご自分の民を肥え太らせ,これをエシュルン,「廉直な者」と呼ばれたのに,彼らは見知らぬ神々をもってエホバのねたみを引き起こし,「忠実さのない子ら」となりました。(32:20)復しゅうと応報はエホバのものです。エホバは死に至らせることも生かすこともされます。エホバがそのきらめく剣を研ぎ,そのみ手が裁きを執るとき,神はまさに,ご自身に敵対する者たちに復しゅうを加えられるのです。このことは神の民に何という確信を抱かせるのでしょう。その歌が最高潮で述べるとおり,今は『諸国民が,神の民と共に喜ぶ』時です。(32:43)世のどんな詩人が,エホバに向かって歌われたこの歌の高められた美しさと,力と,意味の深さに近づき得たでしょうか。
28 モーセの最後の祝福のことばの中でエホバはどのように高められていますか。
28 モーセの最後の祝福の言葉(32:48-34:12)。モーセはここで,自分の死に関する最終的な指示を与えられますが,それでもまだ彼の神権的な奉仕は終わっていません。まず彼はイスラエルを祝福しなければなりません。そして,これを行なうにあたって,彼は再び,エシュルンの中で王であられるエホバをたたえ,エホバはその聖なる巨万の軍を率いて輝き出られたと歌います。それぞれの部族は,名を呼ばれて自分の祝福を受け,次いでモーセは,卓逸した方としてエホバを賛美します。「いにしえからの神は隠れ場であり,その下には定めなく保つみ腕がある」。(33:27)次いで彼は,感謝にあふれた心から,その国民に対する最後の言葉を述べます。「イスラエルよ,あなたは幸いな者! だれかあなたのような者がいるだろうか。エホバにあって救いを享受する民」― 33:29。
29 モーセはどんな点で際立っていますか。
29 ネボ山から約束の地を眺めた後にモーセは死に,エホバは彼をモアブに葬ります。彼の墓は今日に至るまでどこにあるか知られておらず,崇敬の対象とはされていません。彼は120歳まで生きましたが,「その目はかすまず,その生気は失われていなかった」のです。エホバは彼を用いて大いなるしるしと奇跡を行なわせました。最後の章が伝えるとおり,「エホバが顔と顔を合わせて知ったモーセのような預言者はいまだイスラエルに起きて」いません。―34:7,10。
なぜ有益か
30 どのような点で申命記は五書の適切な結びとなっていますか。
30 申命記は五書<ペンタチューク>の結びの書として,エホバ神の大いなるみ名を宣明し,また神聖なものとする点でそれ以前に起きたすべての事柄を結び合わせています。ただエホバだけが神であって,全き専心を要求され,悪霊の神々や偽りの宗教的崇拝による対抗をいっさい許容されません。今日クリスチャンすべては神の律法の基となる主要な原則に真剣な注意を払って神に従い,こうして神がご自分の敵対者に復しゅうを行なうためにそのきらめく剣を研がれる時に,神からののろいを受けることのないようにしなければなりません。神の最大で第一のおきてをその生活における指針としなければならないのです。「あなたは,心をつくし,魂をつくし,活力をつくしてあなたの神エホバを愛さねばならない」― 6:5。
31 霊感による聖書の他の部分はどのように申命記を引き合いにして神の目的に対する認識を豊かにさせていますか。
31 聖書の他の部分はしばしば申命記を引照して,神の目的に対する認識を豊かにさせています。イエスは,誘惑者に答える際に引用したことに加えて,ほかにも多くの事柄を申命記から引照しています。(申命記 5:16 ― マタイ 15:4。申命記 17:6 ― マタイ 18:16とヨハネ 8:17)このことは「啓示」の書にも続き,その中で,栄光を受けたイエスは,エホバの預言の巻き物に付け加えることも,それから取り去ることもしないようにと最後に警告しておられます。(申命記 4:2 ― 啓示 22:18)イエスがキリストであり,エホバがイスラエルに起こすことを約束されたモーセより偉大な預言者であるという強力な論議の決め手として,ペテロは申命記を引用しています。(申命記 18:15-19 ― 使徒 3:22,23)パウロは,働き人に対する報い,証人たちの口をもってなされる徹底的な調査,また子供を教え諭すことなどに関して申命記から引用しています。―申命記 25:4 ― コリント第一 9:8-10とテモテ第一 5:17,18。申命記 13:14と19:15 ― テモテ第一 5:19とコリント第二 13:1。申命記 5:16 ― エフェソス 6:2,3。
32 ヨシュア,ギデオン,預言者たちはどのような点でわたしたちに対する優れた手本ですか。
32 クリスチャン聖書の筆者たちだけでなく,クリスチャン時代以前の神の僕たちもまた,申命記から諭しと励ましを受けました。わたしたちも彼らの手本に倣うのがよいでしょう。モーセの後継者ヨシュアがカナンに攻め入った際に示したその絶対的な従順について考えてください。アカンのように分捕り物を自分のために取るようなことはせず,征服した諸都市を全く滅びのためにささげました。(申命記 20:15-18と21:23 ― ヨシュア 8:24-27,29)ギデオンが「恐れておののいている者」を自分の軍から除いたのは律法に従ってのことでした。(申命記 20:1-9 ― 裁き人 7:1-11)イスラエルとユダの預言者たちが,脱落してゆく国民をとがめて大胆また勇敢に語ったのも,エホバの律法に忠実に従ったためでした。アモスはこの点で優れた手本となっています。(申命記 24:12-15 ― アモス 2:6-8)実際,申命記と神の言葉の他の部分とを結び付ける例は文字通り幾百もあって,申命記が調和ある統一体のうちの欠くことのできない有益な部分であることを示しています。
33 (イ)申命記はエホバへの賛美をどのように表わしていますか。(ロ)このページの付表は世の諸国家が神の律法の原則を認めていることに関して何を示していますか。
33 申命記の核心は主権者なる神エホバに対する賛美です。『エホバを崇拝し,この方に全き専心をささげよ』ということが,全体にわたって強調されています。律法はもはやクリスチャンには課せられていませんが,その元となる諸原則は撤廃されてはいません。(ガラテア 3:19)物事を漸進的に教え,率直さと簡明さとをもって説明する,神の律法のこの力強い書から,真のクリスチャンは何と多くのことを学べるのでしょう。世の諸国家でさえ,エホバの至上の律法の卓越性を認めて,申命記の中の多くの規定を自らの法典の中に書き込んでいるのです。このページの付表は,諸国家が採用し,あるいは原則を適用した律法の興味深い実例を示しています。
34 この「律法の反復」と神の王国との間にはどんな関係がありますか。
34 さらに,この律法の説明は,神の王国を指し示して,それに対する認識を高めさせます。どのようにですか。地上におられた時,指名された王イエス・キリストはこの書の内容に十分に通じていて,それを適用しました。その巧みな引用の仕方に示されているとおりです。ご自分の王国の支配を全地に広げるにあたって,イエスはこの同じ「律法」の正しい原則に従って統治を行ない,王国の「胤」としてのイエスのもとに来て自らを祝福しようとする人々は皆,それらの原則に従わなければならないでしょう。(創世記 22:18。申命記 7:12-14)今それに従い始めることは有益であり,わたしたち自身のためになります。この3,500年昔の「律法」は,決して時代遅れなどではなく,むしろ今日のわたしたちに力強く語りかけ,神の王国のもとでの新しい世に至るまでそれは語り続けるのです。申命記は「聖書全体」の中でも,まさしく霊感を受け,かつまた人を奮い立たせる部分であり,五書<ペンタチューク>の栄光あるクライマックスとなっています。そのすべての有益な教えが適用されることによって,神の民の間でエホバのみ名が引き続き神聖なものとされてゆきますように。
[脚注]
a B・F・ウェストコットおよびF・J・A・ホートによる「ギリシャ語原語による新約聖書」(英文),1956年,601-618ページの「旧約聖書からの引用箇所」という表をご覧ください。
c 「ハーレーのバイブル・ハンドブック」(英文),1988年,ヘンリー・H・ハーレー,56ページ。
[41ページの図表]
申命記の中の幾つかの法的先例d
I. 個人および家族法 章と節
イ. 個人的関係
1. 親と子 5:16
ロ. 財産権 22:1-4
II. 憲法
イ. 王の資格と務め 17:14-20
ロ. 軍規
2. 下級士官 20:9
III. 司法制度
ロ. 最高上訴裁判所 17:8-11
IV. 刑法
イ. 国家に対する犯罪
1. 贈収賄。裁きを曲げること 16:19,20
2. 偽証罪 5:20
ロ. 反道徳的犯罪
ハ. 個人に対する犯罪
2. 強姦と婦女誘拐 22:25-29
V. 人道的法律
ハ. 建築安全規則 22:8
ホ. 貧しい人に対する博愛的な備え 14:28,29; 15:1-11; 16:11,12; 24:19-22
[脚注]
d 「イスラエルの律法と法的先例」(英文),1907年,C・F・ケント,vii-xviiiページ。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,214-220ページもご覧ください。