記憶力は向上させることができる
関心を持つ
記憶力を向上させるうえで重要なのは,関心です。物事をよく観察する習慣を身につけるなら,つまり人々や周囲の出来事にいつも関心を払うなら,頭脳は刺激されます。そうすれば,何か永続的価値のある物事について読んだり聞いたりするときにも,関心を持って当たれるようになります。
人の名前が覚えにくいのは,不思議なことではありません。しかし,わたしたちはクリスチャンとして,大切なのは人々であることを知っています。つまり,仲間のクリスチャン,証言の対象となる人,生活上の必要な事柄を果たす際に接する人たちなどです。では,覚えるべき名前を覚えるのに何が助けになるでしょうか。使徒パウロは,自分が手紙をあてた会衆の成員26人の名前を挙げています。パウロがそれらの人に関心を抱いていたことは,一人一人の名前を知っていただけでなく,多くの人について細かな点を具体的に述べていることに示されています。(ロマ 16:3-16)現代のエホバの証人の旅行する監督で,週ごとに会衆から会衆へと移動するにもかかわらず,人の名前をよく覚えている人たちがいます。何が助けになっているのでしょうか。初めて言葉を交わすときに相手の名前を何度か使うようにしているのかもしれません。その人の名前と顔を関連づけるように努力しています。それだけでなく,野外宣教や食事で様々な人と一緒に過ごします。あなたはだれかに会ったら,その人の名前を覚えますか。まず,名前を覚えるための良い動機を持ち,そのうえで,ここに述べた提案を幾つか試してみてください。
読んだ事柄を記憶することもやはり重要です。この点で向上を図るのに何が役立つでしょうか。関心と理解力の両方が関係しています。読んでいる事柄に注意を集中するには,内容に強い興味を抱く必要があります。読もうとしていながら,ほかのことを考えたりすれば,情報を記憶にとどめることはできません。情報を,自分の慣れ親しんでいる物事やすでに知っている事柄と関連づけると,理解力は向上します。『この情報を,いつ,どのように自分の生活に当てはめることができるだろうか。だれかほかの人を助けるためにどのように使えるだろうか』と自問するのです。理解力は,個々の語ではなくひとまとまりの語句を読もうとすることによっても向上します。そうすれば,概念を把握して主要な考えを見定めることが容易になるので,記憶しやすくなります。
復習の時間を取る
教育関係の専門家は,復習の価値を強調しています。ある研究で,一教授は,直ちに1分間の復習をすれば,記憶に残る情報量が2倍になることを実証しました。ですから,全体を,あるいはひとまとまりの部分を読み終えたらすぐ,重要な考えを銘記するため頭の中で復習してください。何か新しい点を学んだなら,それを自分の言葉でどのように説明できるかを考えましょう。何かの考えについて読んですぐにそれを思い返せば,要点を長く記憶にとどめることができます。
それから数日のうちに何かの機会をとらえ,だれかにその情報を伝えることによって,読んだ事柄を復習するようにしてください。家族や会衆内のだれか,仕事場の仲間,学校の友達,近所の人,あるいは野外宣教で会う人に話せるかもしれません。単にかぎとなる点だけでなく,それに関連した聖書の論議も述べるようにしてください。そうすることは,重要な事柄を記憶するのに役立ち,自分の益になります。そして,他の人の益にもなるのです。
重要な点について黙想する
読んだ事柄を復習し,それについて他の人に話すほかに,学んだ重要な点について黙想することも有益です。聖書筆者のアサフやダビデはそうしました。アサフはこう述べています。「わたしはヤハの行なわれたことを思い出し,昔のあなたの驚嘆すべき行ないを思い出します。そして,あなたのすべての働きを確かに思い巡らし,あなたの行なわれたことを思いに留めます」。(詩 77:11,12)同じくダビデも,こう書いています。「夜警時の間に,わたしはあなたのことを思い巡らします」。「わたしは昔の日々を思い出し,あなたのすべての働きを思い巡らしました」。(詩 63:6; 143:5)あなたもそうしていますか。
そのように集中して深く考え,エホバの行なわれたことや,エホバの特質,表明されたご意志などについて熟思することは,様々な事柄を記憶にとどめる助けになるだけではありません。そのように考えることを習慣にすれば,本当に肝要な事柄を心に刻み込むことができます。内面の人となりを形作ることができます。記憶された事柄が内奥の思考となるのです。―詩 119:16。
神の霊の役割
わたしたちは,エホバの働きやイエス・キリストの語った事柄に関する真理を記憶しようとするとき,孤軍奮闘しなければならないわけではありません。イエスは,死ぬ前の夜,ご自分の追随者たちにこう語りました。「あなた方のもとにとどまっている間に,わたしはこれらのことを話しました。しかし,父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。(ヨハ 14:25,26)そこに居合わせた人々の中に,マタイとヨハネもいました。二人にとって聖霊はそのような助け手になったでしょうか。確かに,なりました。約8年後,マタイは,キリストの生涯に関する最初の詳細な記述を完成させました。それには,山上の垂訓や,キリストの臨在および事物の体制の終結の詳細なしるしのような,極めて貴重な記憶も含まれています。使徒ヨハネは,イエスの死後65年たって福音書を書きました。これには,主が命をなげうつ前,使徒たちと共に過ごした最後の晩に話された事柄の細部も含まれています。恐らくマタイもヨハネも,イエスが共にいた時に話した事柄や行なった事柄をはっきり覚えていたことでしょう。しかし,書き記されたみ言葉に含めるようエホバの意図した重要な事柄の細部を,この二人が忘れなかったのは,おもに聖霊の働きによりました。
聖霊は,今日の神の僕たちに対しても助け手として働くのでしょうか。そのとおりです。もちろん,わたしたちが一度も学んだことのない事柄を,聖霊が思いつかせるという意味ではありません。以前に研究した重要な事柄を思い出させる助け手として働くのです。(ルカ 11:13。ヨハ一 5:14)つまり,必要が生じると,わたしたちの思考力がかき立てられ,「聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことばと,……主また救い主のおきてを思い出す」のです。―ペテ二 3:1,2。
『忘れてはならない』
エホバはイスラエルに,『忘れてはならない』と繰り返し警告を与えました。すべての事柄を完全に記憶するよう期待しておられたわけではありません。しかし,個人的な関心事にかかわりすぎて,エホバの行なわれた事柄を思い出せなくなるようであってはなりませんでした。み使いがエジプトの初子すべてを打ったことや,エホバが紅海を開いて,後にそれを閉じ,ファラオとその軍隊をおぼれさせたことなど,エホバが救出してくださった時の記憶を生き生きと保つべきでした。イスラエル人は,神がシナイ山で律法を与えてくださり,荒野を経て約束の地へと導き入れてくださったことも思い起こすべきでした。忘れてはなりませんでした。つまり,そうした事柄についての記憶が日常の生活にいつも強い影響を及ぼすようにしなければならなかったのです。―申 4:9,10; 8:10-18。出 12:24-27。詩 136:15。
わたしたちも,忘れないよう気をつけるべきです。生活上の様々な圧力に対処するときも,エホバを覚えていなければなりません。エホバがどのような神であるかを,またみ子という賜物によって明示された愛を,常に念頭に置く必要があります。み子は,わたしたちが完全な命を永久に持てるよう,わたしたちの罪のために贖いとなってくださったのです。(詩 103:2,8; 106:7,13。ヨハ 3:16。ロマ 6:23)定期的に聖書を読み,会衆の集会や野外宣教に積極的に参加するなら,そうした貴重な真理を自分の内に生き生きと保てます。
決定を迫られるとき,事の大小にかかわらず,そうした肝要な真理を思い起こして,それが自分の考え方に影響を及ぼすようにしましょう。忘れないでください。エホバに導きを仰ぎ求めるのです。物事を単に肉的な観点から見ることなく,また不完全な心の衝動に頼るのではなく,『自分が下す決定に神の言葉のどんな助言や原則が関係しているだろうか』と自問してください。(箴 3:5-7; 28:26)読んだことも聞いたこともない事柄は思い起こせません。しかし,正確な知識とエホバに対する愛が成長するにつれて,神の霊の助けで思い出すことのできる,知識の蓄えは増大してゆきます。エホバへの愛が成長するにつれ,知識に調和した行動を取る意欲がわいてくるのです。