8-10. (ア)ユダヤ人の宗教指導者たちは,ユダヤ人ではない人や女性を低く見るどんな規則を作りましたか。(イ)宗教指導者たちは安息日に関してどのように民に重荷を負わせましたか。
8 イエスはエホバの律法を愛し,それに従って生きました。しかし,イエスの時代の宗教指導者たちは,律法を正しく教えず,従い方も間違っていました。イエスは彼らにこう言いました。「偽善者である律法学者とパリサイ派の人たち,あなた方には災いがあります!……律法の中のもっと重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです」。(マタイ 23:23)その人たちは,神の律法を教えながら,「公正とは何か」を明らかにせず,むしろ非常に分かりにくくしていました。幾つか例を考えてみましょう。
9 エホバは自分の民に,周囲の異教の国々の人たちから離れているようにと命じていました。(列王第一 11:1,2)しかし,もっと極端な見方をする宗教指導者たちがいて,ユダヤ人ではない人たちを見下すように民に教えていました。ミシュナにはこんな規則さえありました。「家畜を異邦人の宿屋に置いておいてはならない。異邦人は獣姦を行うかもしれないからである」。ユダヤ人以外の人たちに対するそのような偏見は不公正であり,モーセの律法に示されている神の考えとは正反対でした。(レビ記 19:34)女性を低く見る規則もありました。口伝律法によれば,妻は夫と並んで歩いてはならず,後ろを付いていかなければなりませんでした。男性は公共の場所で女性と会話してはならず,自分の妻とさえ話せませんでした。女性は奴隷と同様,法廷で証言することは許されていませんでした。男性が捧げる公式の祈りの中には,自分が女性ではないことを神に感謝するものまでありました。
10 宗教指導者たちが膨大な数の規則や規定を作ったせいで,肝心な神の律法が埋もれてしまって,ほとんど分からなくなりました。例えば,安息日についての法は本来,ただ安息日に仕事をすることを禁じるものでした。その日に休息しつつ,神を崇拝して爽やかな気持ちになれるようにするためです。ところがパリサイ派の人たちは,何が“仕事”に当たるかを勝手に決めて,民に重荷を負わせました。収穫や狩りなど,全部で39の活動を禁じたのです。そうした規則のせいで,次々に疑問が起きました。もし安息日にノミを殺したら,狩りをしたことになるのでしょうか。歩きながら穀物をむしって食べたら,収穫をしたことになるのでしょうか。病人を看病したら,仕事をしたことになるのでしょうか。そのような疑問に答えるために,宗教指導者たちはさらに細かい規則を作っていきました。
11-12. イエスは,聖書に基づかないパリサイ派の人たちの伝統が間違っていることをどのように示しましたか。
11 そうした風潮の中でイエスは,人々が公正とは何かを理解できるように助けました。自分の教えと生き方によって,宗教指導者たちが間違っていることを示したのです。まず,イエスの教えについて少し考えましょう。イエスは,無数の規則を作った宗教指導者たちを非難し,「[あなた方は]自分たちが伝える伝統によって神の言葉を否定している」と言いました。(マルコ 7:13)
12 イエスは,パリサイ派の人たちが安息日についての法の趣旨を全く分かっていないことを明らかにしました。イエスの教えによれば,メシアは「安息日の主」なので,安息日に病気の人を治す権限がありました。(マタイ 12:8)そのことを強調するため,イエスは宗教指導者たちが何と言おうと,安息日に公然と奇跡によって人々を癒やしました。(ルカ 6:7-10)それはいわば,将来の千年統治の間に地球規模で行う癒やしの予告編でした。その1000年間は究極の安息日となります。それまで何千年も苦しんできた人類がついに罪と死から解放され,忠実な人たちは本当の意味で休息を味わうことになるのです。
13. キリストの地上での宣教が終わった後,どんな律法が有効になりましたか。それは前のモーセの律法とどのように違っていましたか。
13 イエスは弟子たちに新しい律法を与えることによっても,公正とは何かを明らかにしました。その「キリストの律法」は,イエスの地上での宣教が終わった後に有効になりました。(ガラテア 6:2)前のモーセの律法とは違って,たくさんの命令が書き記されたわけではなく,主にイエスが教えたいろいろな原則が新しい律法となりました。とはいえ,命令も幾つか含まれています。その1つをイエスは「新しいおきて」と呼び,私があなたたちを愛した通りにあなたたちも互いを愛しなさい,と弟子たちに言いました。(ヨハネ 13:34,35)「キリストの律法」に従って生きる人たちは,そのような自己犠牲的な愛を示すことで知られるようになります。