8. 辛抱強さは仲間との関係にどう役立ちますか。
8 「愛は辛抱強[い]」。愛がある人は辛抱強いので,人のことを我慢できます。(コロサイ 3:13)そういう人になりたいと思いませんか。不完全な人間同士が肩を並べて神に仕えているので,兄弟姉妹にいらいらさせられたり,逆に仲間をいら立たせてしまったりすることが時々あるでしょう。でも,辛抱強さがあれば,少し腹が立つようなことがあっても相手の落ち度を見過ごせます。皆がそのようにすると,会衆の平和が守られます。
9. 例えばどのように親切を示せますか。
9 「愛は……親切です」。人を助けたり,思いやりのある言葉を掛けたりすることによって,親切を示せます。愛がある人は,人のために何かできないかいつも考えます。特に,大変そうな人たちに目ざとく親切を示します。例えばどんな人がいるでしょうか。年配の兄弟や姉妹が寂しく感じていて,誰かに元気づけてほしいと思っているかもしれません。シングルマザーの姉妹や,夫がエホバの証人ではない姉妹が,何か助けを必要としていることもあります。病気の人や,つらい状況にある人は,友達から温かい言葉を掛けてもらいたいことでしょう。(格言 12:25; 17:17)いろいろな人に親切を示すよう努力する人は,本当に純粋な愛があると言えます。(コリント第二 8:8)
10. 真実を語って正しいことを行うのが簡単でない場合もありますが,愛がある人はどうしますか。
10 「愛は……真実を喜びます」。愛があると,真実を曲げたりせずに正しいことを行い,「真実を語り合い」たいという気持ちになります。(ゼカリヤ 8:16)例えば,親しい人が重大な罪を犯してしまった場合,その人やエホバを愛しているなら,神から見て正しいことをしたいと思うはずです。その罪を隠したり,正当化したり,何もなかったとうそをついたりはしません。事実を受け入れるのはつらいことですが,本当にその人のためを思っているので,その人が神の愛情深い矯正を受け入れて生き方を正すことを願います。(格言 3:11,12)私たちは愛を抱くクリスチャンとして,「何事においても正直に行動したい」ものです。(ヘブライ 13:18)
11. 「愛は全てのことに耐え」るので,私たちは仲間に欠点があってもどうすべきですか。
11 「愛は全てのことに耐え」ます。この表現を直訳すると,「すべてのことをそれは覆っている」となります。(「王国行間逐語訳」[英語])ペテロ第一 4章8節には,「愛は多くの罪を覆う」と書かれています。愛を大切にしているクリスチャンは,兄弟姉妹の欠点や失敗ばかりに注目して感情を害したり,それについて言い触らしたりはしません。多くの場合,仲間の落ち度はささいなもので,愛で覆うことができます。(格言 10:12; 17:9,脚注)
12. パウロはフィレモンを信頼していることをどのように伝えましたか。パウロの手本からどんなことを学べますか。
12 「愛は……全てのことを信じ」ます。愛があれば,すぐに不信感を抱いたり,兄弟姉妹の善意を疑ったりしません。仲間を信頼するように努めます。 その点でパウロがどんな手本を示しているか,フィレモンに宛てた手紙に注目してみましょう。パウロがその手紙を書いたのは,クリスチャンになった逃亡奴隷のオネシモを優しく迎えるようフィレモンに勧めるためでした。手紙の中でパウロは,フィレモンに圧力をかけるのではなく,愛情を込めてお願いしました。そして,フィレモンが正しいことをするに違いないと信じていることを次のように伝えました。「私はあなたが応じてくれることを確信して書いています。あなたは私が言う以上のことをしてくれるに違いありません」。(21節)私たちも仲間を信頼していることを愛情を込めて伝えるなら,相手の良いところを最大限に引き出すことができます。
13. 愛がある人は仲間についてどんなことを願いますか。
13 「愛は……全てのことを希望し」ます。愛がある人は,仲間を信頼するだけでなく,仲間に良いことがあるように願います。兄弟が「気付かず」に「道を踏み外した」場合には,優しく正そうとする長老たちのアドバイスをその人が受け入れることを願います。(ガラテア 6:1)信仰が弱くなっている人がいたら,その人が再び強い信仰を持てるようになることを願い,できる限りのことをして辛抱強く助けます。(ローマ 15:1。テサロニケ第一 5:14)家族や友人がエホバから離れていったとしても,その人がいつの日かイエスの例え話の放蕩息子のように本心に立ち返り,エホバのもとに帰ってくるという希望を捨てません。(ルカ 15:17,18)
14. 会衆内でどのように忍耐が試されることがありますか。愛がある人はどうしますか。
14 「愛は……全てのことを忍耐します」。忍耐力があれば,がっかりするようなことやつらいことがあってもエホバへの信仰をしっかりと持っていられます。試練は会衆の外から来るとは限りません。会衆の中で試練となる状況が生じることもあります。みんな不完全なので,兄弟姉妹に期待を裏切られることもあるでしょう。心ない言葉に傷つくこともあるかもしれません。(格言 12:18)長老たちの判断や決定が,自分が思っていたのと違うということもあり得ます。尊敬されている兄弟の行動が気に障り,「クリスチャンなのにどうしてあんなことをするんだろう」と考えてしまうこともあるかもしれません。そういうことがあったら,会衆から離れてエホバに仕えるのをやめてしまいますか。愛があれば,そんなことはしないでしょう。愛がある人は,兄弟姉妹の短所ばかりを見て,その人や会衆全体の良いところが見えなくなってしまう,ということはありません。不完全な仲間たちの言動がどうであれ,会衆の中で忠実に神に仕え続けます。(詩編 119:165)