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  • 清 第5章 52–61ページ
  • 「人々がここで行っている邪悪で忌まわしい事柄を見なさい」

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  • 「人々がここで行っている邪悪で忌まわしい事柄を見なさい」
  • エホバの清い崇拝 ついに回復される!
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エホバの清い崇拝 ついに回復される!
清 第5章 52–61ページ
暗い中,エルサレムの神殿の北の門の所で,背教したユダヤ人たちが偶像を崇拝している。

第5章

「人ひと々びとがここで行おこなっている邪じゃ悪あくで忌いまわしい事こと柄がらを見みなさい」

エゼキエル 8:9

ポイント: 背はい教きょうしたユダは崇すう拝はいと道どう徳とくの両りょう面めんで堕だ落らくする

1-3. エホバは,エゼキエルがエルサレムの神しん殿でんで何なにを見みて,どうすることを望のぞんでいましたか。(セクション2の最さい初しょの見み開ひらきの挿さし絵えを参さん照しょう。)

預よ言げん者しゃエゼキエルは祭さい司しの子こだったので,モーセの律りっ法ぽうに通つうじていました。エルサレムにある神しん殿でんや,そこで行おこなわれるべきエホバの清きよい崇すう拝はいについてもよく知しっていました。(エゼ 1:3。マラ 2:7)そのエゼキエルをはじめ,忠ちゅう実じつなユダヤ人じんなら誰だれでも,紀き元げん前ぜん612年ねんにエホバの神しん殿でんで起おきている事こと柄がらを見みたらショックを受うけるでしょう。

2 エホバは,エゼキエルが神しん殿でんの嘆なげかわしい状じょう態たいを見みて,それを「ユダの長ちょう老ろうたち」に伝つたえることを望のぞんでいます。その長ちょう老ろうたちは,エゼキエルと共ともに捕ほ囚しゅうにされたユダヤ人じんで,エゼキエルの家いえに集あつまっていました。(エゼキエル 8:1-4を読よむ。エゼ 11:24,25; 20:1-3)エホバは聖せいなる力ちからにより,幻まぼろしの中なかでエゼキエルを,バビロンのケバル川がわに近ちかいテル・アビブにある家いえから,何なん百びゃっキロも西にしにあるエルサレムへ移い動どうさせます。そして,神しん殿でんの内うち側がわの庭にわに連つれていき,北きたの門もんの所ところに立たたせます。その場ば所しょから始はじめて,エゼキエルに神しん殿でんの中なかを見みせていきます。

3 エゼキエルは,ユダ国こく民みんの崇すう拝はいが完かん全ぜんに崩ほう壊かいしたことを示しめす,4つのショッキングな光こう景けいを目めにします。エホバの清きよい崇すう拝はいはどうなっていたのでしょうか。この幻まぼろしは,現げん代だいの私わたしたちにとってどういう意い味みを持もちますか。エゼキエルと一いっ緒しょに神しん殿でんの中なかを見みて回まわりましょう。でもその前まえに,エホバがご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちに当とう然ぜん望のぞんでいる事こと柄がらについて考かんがえておきましょう。

暗い中,エルサレムの神殿の北の門の所で,背教したユダヤ人たちが偶像を崇拝している。

「私わたしエホバは全まったくの専せん心しんを要よう求きゅうする神かみである」

4. エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちに何なにを求もとめていますか。

4 エゼキエルの時じ代だいのおよそ900年ねん前まえに,エホバは,ご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちに何なにを求もとめているかをはっきりさせ,十じっ戒かいの2番ばん目めのおきての中なかでイスラエル人じんにこう告つげました。a「あなたの神かみである私わたしエホバは全まったくの専せん心しんを要よう求きゅうする神かみである」。(出しゅつ 20:5)「全まったくの専せん心しん」という言こと葉ばによって,エホバは他たのどんな神かみへの崇すう拝はいも認みとめないことを示しめしました。この本ほんの第だい2章しょうで考かんがえたように,清きよい崇すう拝はいの1つ目めの条じょう件けんは,エホバだけを信しん仰こうの対たい象しょうとすることです。エホバを崇すう拝はいする人ひとは,生せい活かつの中なかでエホバを第だい一いちにしなければなりません。(出しゅつ 20:3)簡かん単たんに言いうと,エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちに,間ま違ちがった崇すう拝はいを退しりぞけて清きよさを保たもつことを望のぞんでいます。紀き元げん前ぜん1513年ねん,イスラエル人じんは喜よろこんで律りっ法ぽう契けい約やくを結むすび,エホバに全まったくの専せん心しんを示しめすことに同どう意いしました。(出しゅつ 24:3-8)エホバは,揺ゆるぎない愛あいを抱いだいて契けい約やくを必かならず守まもる方かたであり,契けい約やくを結むすんだ民たみにもそうすることを望のぞんでいました。(申しん 7:9,10。サム二に 22:26)

5,6. エホバがイスラエル人じんから全まったくの専せん心しんを示しめされるのにふさわしい方かただったのはなぜですか。

5 エホバがイスラエル人じんに全まったくの専せん心しんを求もとめたのは,妥だ当とうなことでしたか。もちろんです。エホバは全ぜん能のうの神かみであり,宇う宙ちゅうの主しゅ権けん者しゃであり,命いのちを与あたえて保たもたせる方かたです。(詩し 36:9。使し徒と 17:28)また,イスラエル人じんを救きゅう出しゅつした方かたでもあります。民たみに十じっ戒かいを与あたえた際さいにそのことを思おもい起おこさせ,こう述のべています。「私わたしはあなたの神かみエホバである。奴ど隷れいとなっていたあなたをエジプトから連つれ出だした」。(出しゅつ 20:2)明あきらかにエホバは,イスラエル人じんから全まったくの専せん心しんを示しめされるのにふさわしい方かたでした。

6 エホバは変かわることがありません。(マラ 3:6)これまでずっと全まったくの専せん心しんを求もとめてきました。ですから,幻まぼろしの中なかでエゼキエルに見みせた,胸むねが悪わるくなるような4つの光こう景けいについて,エホバがどう感かんじていたかは容よう易いに想そう像ぞうできます。

1つ目めの光こう景けい: 人ひと々びとが「嫉しっ妬とをかき立たてる偶ぐう像ぞう」を崇すう拝はいしていた

背教したユダヤ人たちがひれ伏して偶像を崇拝している。

7. (ア)背はい教きょうしたユダヤ人じんたちは,神しん殿でんの北きたの門もんの所ところで何なにをしていましたか。エホバはどうしましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)(イ)エホバが抱いだいた嫉しっ妬とはどういうものでしたか。(脚きゃく注ちゅうを参さん照しょう。)

7 エゼキエル 8:5,6を読よむ。エゼキエルはショックを受うけたことでしょう。神しん殿でんの北きたの門もんの所ところで,背はい教きょうしたユダヤ人じんたちが偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいしています。それは,カナン人じんからバアルの妻つまと見みなされていた女め神がみアシェラを表あらわす聖せい柱ちゅうだったのかもしれません。何なんだったにせよ,その偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいしていたイスラエル人じんたちはエホバとの契けい約やくを破やぶっていました。エホバだけに示しめすべき専せん心しんを偶ぐう像ぞうに示しめすことにより,神かみを嫉しっ妬とさせました。神かみに正せい当とうな怒いかりを抱いだかせたのです。b(申しん 32:16。エゼ 5:13)考かんがえてみてください。400年ねん余あまりにわたって,神しん殿でんの聖せいなる所ところはエホバの臨りん在ざいと結むすび付つけられてきました。(王おう一いち 8:10-13)しかし,人ひと々びとは神しん殿でん域いきに偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを持もち込こむことにより,エホバを「聖せいなる所ところから遠とおく離はなれ」させていました。

暗い中,エルサレムの神殿の北の門の所で,背教したユダヤ人たちが偶像を崇拝している。

8. エゼキエルが幻まぼろしの中なかで見みた,嫉しっ妬とをかき立たてる偶ぐう像ぞうにまつわる状じょう況きょうは,現げん代だいでも見みられますか。

8 エゼキエルが幻まぼろしの中なかで見みた,嫉しっ妬とをかき立たてる偶ぐう像ぞうにまつわる状じょう況きょうは,現げん代だいでも見みられるでしょうか。背はい教きょうしたユダは,キリスト教きょう世せ界かいを思おもい起おこさせます。キリスト教きょう世せ界かいの諸しょ宗しゅう派はでは偶ぐう像ぞう崇すう拝はいが当あたり前まえになっているので,神かみへの専せん心しんを示しめしているといくら主しゅ張ちょうしても意い味みがありません。エホバは変かわることがないので,背はい教きょうしたユダに対たいするのと同おなじようにキリスト教きょう世せ界かいに対たいしても正せい当とうな怒いかりを抱いだいているに違ちがいありません。(ヤコ 1:17)このゆがんだ形かたちのキリスト教きょうから,エホバは遠とおく離はなれているのです。

9,10. 神しん殿でんにいた偶ぐう像ぞう崇すう拝はい者しゃたちの例れいからどんな教きょう訓くんが得えられますか。

9 神しん殿でんにいた偶ぐう像ぞう崇すう拝はい者しゃたちの例れいから,どんな教きょう訓くんが得えられるでしょうか。エホバに全まったくの専せん心しんを示しめすには「偶ぐう像ぞう崇すう拝はいから逃にげ去さ」らなければならない,ということです。(コリ一いち 10:14)「私わたしは偶ぐう像ぞうなど絶ぜっ対たいに使つかわない」と思おもうかもしれません。しかし,偶ぐう像ぞう崇すう拝はいはさまざまな形かたちを取とり,中なかには見み分わけにくいものもあります。ある聖せい書しょ注ちゅう釈しゃく書しょにはこう述のべられています。「偶ぐう像ぞう崇すう拝はいには,何なにかしらの価か値ちや影えい響きょう力りょくを持もつものが関かん係けいしていると言いえる。つまり,人ひとの最さい大だいの関かん心しん事じになり,神かみを締しめ出だすことにつながるものである」。ですから,お金かねや物もの,セックス,娯ご楽らくなどが,偶ぐう像ぞう崇すう拝はいの対たい象しょうになり得えます。何なんであれ,私わたしたちの生せい活かつの中なかで第だい一いちの場ばを占しめてしまい,エホバに全まったくの専せん心しんを示しめすのを阻はばむものが,偶ぐう像ぞうになってしまうのです。(マタ 6:19-21,24。エフェ 5:5。コロ 3:5)私わたしたちはあらゆる形かたちの偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを避さけなければなりません。エホバに全まったくの専せん心しんを示しめし,エホバだけを崇すう拝はいすることが求もとめられているからです。(ヨハ一いち 5:21)

10 エホバがエゼキエルに見みせた1つ目めの光こう景けいでは,「ひどく忌いまわしい事こと柄がら」が行おこなわれていました。しかし,エホバは忠ちゅう実じつな預よ言げん者しゃエゼキエルに,「あなたはもっとひどく忌いまわしい事こと柄がらを見みる」と言いいます。嫉しっ妬とをかき立たてる偶ぐう像ぞうを神しん殿でん域いきで崇すう拝はいすること以い上じょうにひどい事こと柄がらがあるのでしょうか。

2つ目めの光こう景けい: 70人にんの長ちょう老ろうが偽にせの神かみ々がみに香こうを捧ささげていた

エゼキエルが神殿の内側の庭にある部屋の中を見ている。中で長老たちが壁に彫られた偽の神々の彫刻に香を捧げている。

11. 神しん殿でんの祭さい壇だんがある内うち側がわの庭にわに入はいったエゼキエルは,胸むねが悪わるくなるようなものを見みました。何なにを見みたのでしょうか。

11 エゼキエル 8:7-12を読よむ。エゼキエルは壁かべの穴あなを掘ほり広ひろげて,神しん殿でんの祭さい壇だんがある内うち側がわの庭にわに入はいります。そして,「地じ面めんを動うごく生いき物ものと忌いまわしい動どう物ぶつのさまざまな像ぞう,……あらゆる汚けがらわしい偶ぐう像ぞう」が壁かべに彫ほられているのを見みます。胸むねが悪わるくなるような彫ちょう刻こくです。c それらは偽にせの神かみ々がみを表あらわしていました。エゼキエルはさらに胸むねが悪わるくなるような光こう景けいを見みます。「イスラエル国こく民みんの長ちょう老ろう70人にん」が「暗くら闇やみの中なか」に立たち,偽にせの神かみ々がみに香こうを捧ささげていたのです。律りっ法ぽうの下もとで,香かおりの良よい香こうをたくことは,忠ちゅう実じつな崇すう拝はい者しゃたちが神かみに受うけ入いれられる祈いのりを捧ささげることを表あらわしていました。(詩し 141:2)しかし,70人にんの長ちょう老ろうが偽にせの神かみ々がみに捧ささげていた香こうは,エホバから見みて汚けがれていました。彼かれらの祈いのりはエホバにとって悪あく臭しゅうのようでした。(格かく 15:8)長ちょう老ろうたちは,「エホバは私わたしたちを見みていない」と考かんがえていました。ですが,エホバは見みており,ご自じ分ぶんの神しん殿でんで彼かれらが行おこなっていたことをエゼキエルに見みせたのです。

70人の長老たちが壁に彫られた偽の神々の彫刻に香を捧げている。

エホバは「暗くら闇やみの中なか」で行おこなわれる忌いまわしい事こと柄がらを全すべて見みている。(11節せつを参さん照しょう)

12. 「暗くら闇やみの中なか」でも忠ちゅう実じつでなければならないのはなぜですか。この点てんで,特とくに誰だれが良よい模も範はんを示しめすべきですか。

12 偽にせの神かみ々がみに香こうを捧ささげていた,イスラエル人じんの長ちょう老ろう70人にんに関かんするエゼキエルの記き述じゅつから,何なにを学まなべますか。祈いのりを神かみに聞きいていただき,神かみから見みて清きよい崇すう拝はいを行おこなうには,「暗くら闇やみの中なか」でも忠ちゅう実じつでなければなりません。(格かく 15:29)エホバは全すべてのものを見みており,私わたしたちのこともいつも見みている,ということを意い識しきしていましょう。エホバが自じ分ぶんにとって現げん実じつの存そん在ざいであるなら,1人ひとりでいる時ときにも,エホバに喜よろこばれないことを行おこなったりはしないでしょう。(ヘブ 4:13)特とくに会かい衆しゅうの長ちょう老ろうたちは,日ひ々びの生せい活かつの中なかでクリスチャンとしての良よい模も範はんを示しめさなければなりません。(ペテ一いち 5:2,3)集しゅう会かいで演えん壇だんに立たち,崇すう拝はいにおいて率そっ先せんする長ちょう老ろうたちは,「暗くら闇やみの中なか」でも,つまり人ひとが見みていない時ときにも,聖せい書しょの原げん則そくに従したがっているべきです。会かい衆しゅうの人ひとたちは当とう然ぜんそのことを期き待たいしています。(詩し 101:2,3)

3つ目めの光こう景けい: 「女じょ性せいたちが……タンムズという神かみのために泣ないていた」

女性たちがタンムズという神のために泣いている。

13. エゼキエルは,背はい教きょうした女じょ性せいたちが神しん殿でんの門もんの所ところで何なにをしているのを見みましたか。

13 エゼキエル 8:13,14を読よむ。エホバは人ひと々びとが忌いまわしいことを行おこなう2つの光こう景けいをエゼキエルに見みせた後あと,またしてもこう言いいます。「あなたは,彼かれらが行おこなっている,もっとひどく忌いまわしい事こと柄がらを見みる」。エゼキエルは次つぎに何なにを見みたのでしょうか。「エホバの家いえの北きたの門もんの入いり口ぐち」で,「女じょ性せいたちが座すわっていて,タンムズという神かみのために泣ないて」いました。タンムズはメソポタミアの神かみで,シュメール語ごの文ぶん献けんではドゥムジと呼よばれており,豊ほう作さくの女め神がみイシュタルの配はい偶ぐう者しゃとされています。d イスラエル人じんの女じょ性せいたちは,タンムズの死しにまつわる宗しゅう教きょう儀ぎ式しきの一いっ環かんとして泣ないていたようです。エホバの神しん殿でんでタンムズのために泣なくことにより,清きよい崇すう拝はいの中ちゅう心しん地ちで異い教きょうの儀ぎ式しきを行おこなっていました。神かみの神しん殿でんで行おこなったからといって,間ま違ちがった宗しゅう教きょうの儀ぎ式しきが神しん聖せいなものとなるわけではありません。その背はい教きょうした女じょ性せいたちは,エホバから見みて「忌いまわしい事こと柄がら」を行おこなっていたのです。

14. 背はい教きょうした女じょ性せいたちの行おこないに対たいするエホバの見み方かたからどんな教きょう訓くんを学まなべますか。

14 この女じょ性せいたちの行おこないに対たいするエホバの見み方かたからどんな教きょう訓くんを学まなべるでしょうか。清きよい崇すう拝はいを行おこなうには,汚けがれた異い教きょうの慣かん行こうを持もち込こんではならない,ということです。異い教きょうを起き源げんとする祝しゅく祭さいなども断だんじて避さけなければなりません。起き源げんはそれほど重じゅう要ようなのでしょうか。確たしかに重じゅう要ようです。現げん代だいにおいて,クリスマスやイースターなどの祝しゅく祭さいに関かん連れんした慣かん行こうは,一いっ見けん無む害がいに思おもえるかもしれません。しかし,エホバは異い教きょうの慣かん行こうが徐じょ々じょに現げん代だいの祝しゅく祭さいへと変へん化かしていくのをじかに見みてきました。異い教きょうの慣かん行こうは,人ひと々びとがそれをどれほど長ながく行おこなってきたとしても,清きよい崇すう拝はいに取とり込こもうとしてきたとしても,エホバにとって忌いまわしいものであることに変かわりはありません。(コリ二に 6:17。啓けい 18:2,4)

4つ目めの光こう景けい: 25人にんの男だん性せいが「太たい陽ようにひれ伏ふしていた」

神殿の内側の庭で25人の男性が太陽にひれ伏している。

15,16. 神しん殿でんの内うち側がわの庭にわでは,25人にんの男だん性せいが何なにをしていましたか。その行こう動どうがエホバをひどく怒いからせたのはなぜですか。

15 エゼキエル 8:15-18を読よむ。エホバは最さい後ごの4つ目めの光こう景けいを見みせる前まえにも,「あなたはこれよりももっとひどく忌いまわしい事こと柄がらを見みる」と言いいました。エゼキエルは,「すでに見みたものよりもひどい事こと柄がらなどあるのだろうか」と思おもったかもしれません。内うち側がわの庭にわにいるエゼキエルは,神しん殿でんの入いり口ぐちの所ところで,25人にんの男だん性せいがひれ伏ふして「東ひがしにある太たい陽よう」を崇すう拝はいしているのを見みます。それはエホバをひどく怒いからせる最さい悪あくの行おこないでした。なぜそう言いえるでしょうか。

16 状じょう況きょうを思おもい描えがいてみてください。神しん殿でんの入いり口ぐちは東ひがしを向むいています。崇すう拝はいのために神しん殿でんに入はいる人ひとは,西にしの方ほうを向むくので,東ひがしから上のぼる太たい陽ように背せを向むけることになります。ところが,幻まぼろしの中なかの25人にんの男だん性せいは,太たい陽ようを崇すう拝はいするために東ひがしの方ほうを向むき,「神しん殿でんに背せを向むけ」ています。神しん殿でんは「エホバの家いえ」ですから,彼かれらはエホバに背せを向むけていたのです。(王おう一いち 8:10-13)その男だん性せいたちは背はい教きょう者しゃでした。エホバを無む視しし,申しん命めい 4章しょう15-19節せつのおきてに背そむいていました。全まったくの専せん心しんを示しめされるべき神かみがひどく怒いかったのも当とう然ぜんです。

エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちから全まったくの専せん心しんを示しめされるべき方かた。

17,18. (ア)神しん殿でんで太たい陽ようを崇すう拝はいしていた人ひとたちに関かんする記き述じゅつから何なにを学まなべますか。(イ)背はい教きょうしたイスラエル人じんたちは誰だれとの関かん係けいを損そこないましたか。なぜですか。

17 太たい陽ようを崇すう拝はいしていた人ひとたちに関かんする記き述じゅつから何なにを学まなべるでしょうか。清きよい崇すう拝はいを行おこなうには,理り解かいや知ち恵えをエホバに求もとめなければならない,ということです。「エホバ神かみは太たい陽よう」であり,エホバの言こと葉ばは私わたしたちの進すすむ道みちを照てらす「光ひかり」です。(詩し 84:11; 119:105)エホバは,ご自じ分ぶんの言こと葉ばである聖せい書しょや,ご自じ分ぶんの組そ織しきが発はっ行こうする出しゅっ版ぱん物ぶつを通とおして,私わたしたちを啓けい発はつの光ひかりで照てらしてくださいます。いま充じゅう実じつした生せい活かつを送おくり,将しょう来らいは永えい遠えんの命いのちを得えられるように,進すすむべき道みちを示しめしてくださるのです。どう生いきるべきかについて世よに啓けい発はつを求もとめるなら,エホバに背せを向むけることになります。そうした行おこないはエホバをひどく怒いからせ,深ふかく悲かなしませます。神かみをそのような気き持もちにさせたくはありません。エゼキエルが見みた幻まぼろしは,真しん理りに背せを向むける人ひとたちつまり背はい教きょう者しゃを避さけるようにという警けい告こくともなっています。(格かく 11:9)

エゼキエルが神殿の内側の庭にある部屋の中を見ている。中で長老たちが壁に彫られた偽の神々の彫刻に香を捧げている。

囲かこみ 5A: 「人ひとの子こよ,これが見みえるか」

18 これまで見みてきたように,エゼキエルは間ま違ちがった崇すう拝はいのショッキングな光こう景けいを4つ目もく撃げきしました。背はい教きょうしたユダが崇すう拝はいの面めんで非ひ常じょうに汚けがれていたことは明あきらかです。そのように汚けがれたイスラエル人じんたちは,国こく民みん全ぜん体たいと神かみとの関かん係けいを損そこないました。崇すう拝はいの面めんでの汚けがれには,道どう徳とくの面めんでの汚けがれも伴ともなうものです。背はい教きょうしたイスラエル人じんたちは道どう徳とくに反はんするあらゆる悪わるいことも行おこない,神かみとの関かん係けいだけでなく仲なか間まとの関かん係けいも損そこないました。では,神かみに導みちびかれた預よ言げん者しゃエゼキエルが,背はい教きょうしたユダの道どう徳とく的てきな腐ふ敗はいをどのように描びょう写しゃしたか見みてみましょう。

道どう徳とく面めんでの汚けがれ: 「みだらな行おこない」

19. エゼキエルは,エホバと契けい約やくを結むすんだ民たみの道どう徳とくの退たい廃はいをどのように描びょう写しゃしましたか。

19 エゼキエル 22:3-12を読よむ。支し配はい者しゃたちをはじめ,国こく民みん全ぜん体たいが道どう徳とく面めんで腐ふ敗はいしていました。指し導どう者しゃである「長ちょうたち」は,権けん力りょくを乱らん用ようして無む実じつの人ひとたちを殺ころしていました。一いっ般ぱんの人ひと々びとも,指し導どう者しゃたちに倣ならって神かみの律りっ法ぽうを無む視ししていました。家か庭ていでは,子こ供どもたちが親おやを「軽けい視しし」,近きん親しん姦かんが普ふ通つうに行おこなわれていました。国くにの中なかでは,反はん逆ぎゃく的てきなイスラエル人じんたちが外がい国こく人じん居きょ住じゅう者しゃからだまし取とり,父ちち親おやのいない子こ供どもややもめを不ふ当とうに扱あつかっていました。男だん性せいたちは隣りん人じんの妻つまと関かん係けいを持もち,ある人ひとたちは貪どん欲よくさをむき出だしにして,賄わい賂ろを受うけ取とったり,お金かねを脅おどし取とったり,高こう利りで貸かしたりしていました。エホバは,ご自じ分ぶんと契けい約やくを結むすんだ民たみが律りっ法ぽうを踏ふみにじり,律りっ法ぽうの根こん底ていにある愛あいを無む視ししているのを見みて,深ふかく悲かなしんだに違ちがいありません。民たみの道どう徳とくの退たい廃はいをご自じ分ぶんへの裏うら切ぎりと見みなし,不ふ道どう徳とくな人ひと々びとに「あなたは私わたしをすっかり忘わすれてしまった」と告つげるようエゼキエルに指し示じしました。

キリスト教世界の道徳面での汚れ。1. 聖職者が聖書を持って,兵士たちのために祝福を祈り求めている。2. 女性の聖職者が聖書を持って,同性愛者の男性同士の結婚を執り行っている。

キリスト教きょう世せ界かいの影えい響きょうを受うけて,世よの中なかの暴ぼう力りょくや不ふ道どう徳とくはますますひどくなっている。(20節せつを参さん照しょう)

20. ユダの道どう徳とく面めんでの汚けがれに関かんするエゼキエルの記き述じゅつが,現げん代だいでも重じゅう要ような意い味みを持もつのはなぜですか。

20 ユダの道どう徳とく面めんでの汚けがれに関かんするエゼキエルの記き述じゅつが,現げん代だいでも重じゅう要ような意い味みを持もつのはなぜでしょうか。背はい教きょうしたユダの腐ふ敗はいは,今いまの世よの中なかに見みられる道どう徳とくの退たい廃はいを思おもい起おこさせます。政せい治じ支し配はい者しゃたちは権けん力りょくを乱らん用ようし,一いっ般ぱんの人ひと々びとを虐しいたげています。宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたち,とりわけキリスト教きょう世せ界かいの聖せい職しょく者しゃたちは,無む数すうの命いのちを奪うばってきた戦せん争そうに神かみの祝しゅく福ふくを祈いのり求もとめてきました。また,性せい的てき不ふ道どう徳とくに関かんする聖せい書しょのはっきりとした高こう潔けつな基き準じゅんを軽けい視ししています。結けっ果かとして,世よの中なかの道どう徳とく基き準じゅんはどんどん低てい下かしています。エホバは,背はい教きょうしたユダに対たいして述のべたように,キリスト教きょう世せ界かいに対たいしても,「あなたは私わたしをすっかり忘わすれてしまった」と言いうことでしょう。

21. 古こ代だいユダが道どう徳とく面めんで汚けがれたことから何なにを学まなべますか。

21 エホバの民たみである私わたしたちは,古こ代だいユダが道どう徳とく面めんで汚けがれたことから何なにを学まなべるでしょうか。エホバに崇すう拝はいを受うけ入いれていただくには,行おこないが常つねに清きよくなければならない,ということです。道どう徳とく的てきに腐ふ敗はいした世よの中なかでそうした状じょう態たいを保たもつのは,簡かん単たんではありません。(テモ二に 3:1-5)しかし私わたしたちは,さまざまなひどい形かたちで表あらわれる道どう徳とく的てきな腐ふ敗はいについてエホバがどう感かんじるかを知しっています。(コリ一いち 6:9,10)エホバと律りっ法ぽうを愛あいしているので,エホバの道どう徳とく基き準じゅんに従したがいます。(詩し 119:97。ヨハ一いち 5:3)道どう徳とく面めんで汚けがれてしまうなら,聖せいなる清きよい神かみを愛あいしていないことになってしまいます。エホバから「あなたは私わたしをすっかり忘わすれてしまった」と言いわれたいとは思おもいません。

22. (ア)古こ代だいユダについてエホバが暴ばく露ろした事こと柄がらを調しらべて,あなたはどんな決けつ意いを抱いだきましたか。(イ)次つぎの章しょうではどんなことを取とり上あげますか。

22 エホバは古こ代だいユダが崇すう拝はいと道どう徳とくの両りょう面めんで堕だ落らくしていることを暴ばく露ろしました。その記き述じゅつから私わたしたちは貴き重ちょうな教きょう訓くんを学まなび,エホバに全まったくの専せん心しんを示しめす決けつ意いを強つよめることができます。エホバは確たしかに全まったくの専せん心しんを示しめされるのにふさわしい方かたです。ですから,私わたしたちはあらゆる形かたちの偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを避さけ,道どう徳とく面めんで清きよさを保たもつ必ひつ要ようがあります。ところで,エホバは不ふ忠ちゅう実じつな人ひと々びとに対たいしてどう行こう動どうしたのでしょうか。エゼキエルが神しん殿でんを見みて回まわった後あと,エホバはエゼキエルに,「私わたしは激はげしい怒いかりのうちに行こう動どうする」と率そっ直ちょくに告つげました。(エゼ 8:17,18)不ふ忠ちゅう実じつなユダに対たいするエホバの行こう動どうについて知しることには価か値ちがあります。今いまの邪じゃ悪あくな世よも同どう様ようの処しょ罰ばつを受うけるからです。次つぎの章しょうでは,ユダに対たいするエホバの裁さばきがどのように実じつ現げんしたかを取とり上あげます。

a エゼキエル書しょの中なかでは,「イスラエル」という言こと葉ばが多おおくの場ば合あい,ユダとエルサレムの住じゅう民みんを指さして用もちいられています。(エゼ 12:19,22; 18:2; 21:2,3)

b 「嫉しっ妬と」という言こと葉ばが使つかわれていることから,エホバがご自じ分ぶんに対たいする不ふ忠ちゅう実じつをどれほど深しん刻こくな問もん題だいと見みているかが分わかります。夫おっとは,妻つまが不ふ倫りんをするなら,嫉しっ妬とと怒いかりを抱いだくことでしょう。(格かく 6:34)同おなじようにエホバは,契けい約やくを結むすんだ民たみが不ふ忠ちゅう実じつになって偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいした時とき,正せい当とうな怒いかりを抱いだきました。ある参さん考こう文ぶん献けんにはこうあります。「神かみの嫉しっ妬とは,神かみの神しん聖せいさに起き因いんしている。この方かたは唯ゆい一いつ無む二にの聖せいなる神かみであるため……対たい抗こうするものを容よう認にんしない」。(出しゅつ 34:14)

c 「汚けがらわしい偶ぐう像ぞう」と訳やくされているヘブライ語ごの表ひょう現げんは,「ふん」を意い味みする言こと葉ばと関かん連れんがあると考かんがえられ,嫌けん悪おを表あらわしています。

d タンムズはニムロデの別べつ名めいであるとする説せつもありますが,確たしかな根こん拠きょはありません。

清きよい崇すう拝はいとあなた

  1. エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちに当とう然ぜんどんなことを望のぞんでいますか。どうすればその期き待たいに応こたえられますか。

  2. イスラエル人じんは崇すう拝はいの面めんで汚けがれてしまったことをどのように示しめしましたか。崇すう拝はいの面めんで清きよさを保たもつために何なにができますか。

  3. 道どう徳とくの面めんで清きよさを保たもつことを決けつ意いすべきなのはなぜですか。

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