1-3. エホバは,エゼキエルがエルサレムの神 しん 殿 でん で何 なに を見 み て,どうすることを望 のぞ んでいましたか。(セクション2 の最 さい 初 しょ の見 み 開 ひら きの挿 さし 絵 え を参 さん 照 しょう 。)
預 よ 言 げん 者 しゃ エゼキエルは祭 さい 司 し の子 こ だったので,モーセの律 りっ 法 ぽう に通 つう じていました。エルサレムにある神 しん 殿 でん や,そこで行 おこな われるべきエホバの清 きよ い崇 すう 拝 はい についてもよく知 し っていました。(エゼ 1:3。 マラ 2:7 )そのエゼキエルをはじめ,忠 ちゅう 実 じつ なユダヤ人 じん なら誰 だれ でも,紀 き 元 げん 前 ぜん 612年 ねん にエホバの神 しん 殿 でん で起 お きている事 こと 柄 がら を見 み たらショックを受 う けるでしょう。
2 エホバは,エゼキエルが神 しん 殿 でん の嘆 なげ かわしい状 じょう 態 たい を見 み て,それを「ユダの長 ちょう 老 ろう たち」に伝 つた えることを望 のぞ んでいます。その長 ちょう 老 ろう たちは,エゼキエルと共 とも に捕 ほ 囚 しゅう にされたユダヤ人 じん で,エゼキエルの家 いえ に集 あつ まっていました。( エゼキエル 8:1-4 を 読 よ む。 エゼ 11:24,25; 20:1-3 )エホバは聖 せい なる力 ちから により,幻 まぼろし の中 なか でエゼキエルを,バビロンのケバル川 がわ に近 ちか いテル・アビブにある家 いえ から,何 なん 百 びゃっ キロも西 にし にあるエルサレムへ移 い 動 どう させます。そして,神 しん 殿 でん の内 うち 側 がわ の庭 にわ に連 つ れていき,北 きた の門 もん の所 ところ に立 た たせます。その場 ば 所 しょ から始 はじ めて,エゼキエルに神 しん 殿 でん の中 なか を見 み せていきます。
3 エゼキエルは,ユダ国 こく 民 みん の崇 すう 拝 はい が完 かん 全 ぜん に崩 ほう 壊 かい したことを示 しめ す,4つ のショッキングな光 こう 景 けい を目 め にします。エホバの清 きよ い崇 すう 拝 はい はどうなっていたのでしょうか。この幻 まぼろし は,現 げん 代 だい の私 わたし たちにとってどういう意 い 味 み を持 も ちますか。エゼキエルと一 いっ 緒 しょ に神 しん 殿 でん の中 なか を見 み て回 まわ りましょう。でもその前 まえ に,エホバがご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちに当 とう 然 ぜん 望 のぞ んでいる事 こと 柄 がら について考 かんが えておきましょう。
「 私 わたし エホバは 全 まった くの 専 せん 心 しん を 要 よう 求 きゅう する 神 かみ である」
4. エホバはご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちに何 なに を求 もと めていますか。
4 エゼキエルの時 じ 代 だい のおよそ900年 ねん 前 まえ に,エホバは,ご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちに何 なに を求 もと めているかをはっきりさせ,十 じっ 戒 かい の2番 ばん 目 め のおきての中 なか でイスラエル人 じん にこう告 つ げました。「あなたの神 かみ である私 わたし エホバは全 まった くの専 せん 心 しん を要 よう 求 きゅう する神 かみ である」。(出 しゅつ 20:5 )「全 まった くの専 せん 心 しん 」という言 こと 葉 ば によって,エホバは他 た のどんな神 かみ への崇 すう 拝 はい も認 みと めないことを示 しめ しました。この本 ほん の第 だい 2章 しょう で考 かんが えたように,清 きよ い崇 すう 拝 はい の1つ目 め の条 じょう 件 けん は,エホバだけを信 しん 仰 こう の対 たい 象 しょう とすることです。エホバを崇 すう 拝 はい する人 ひと は,生 せい 活 かつ の中 なか でエホバを第 だい 一 いち にしなければなりません。(出 しゅつ 20:3 )簡 かん 単 たん に言 い うと,エホバはご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちに,間 ま 違 ちが った崇 すう 拝 はい を退 しりぞ けて清 きよ さを保 たも つことを望 のぞ んでいます。紀 き 元 げん 前 ぜん 1513年 ねん ,イスラエル人 じん は喜 よろこ んで律 りっ 法 ぽう 契 けい 約 やく を結 むす び,エホバに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ すことに同 どう 意 い しました。(出 しゅつ 24:3-8 )エホバは,揺 ゆ るぎない愛 あい を抱 いだ いて契 けい 約 やく を必 かなら ず守 まも る方 かた であり,契 けい 約 やく を結 むす んだ民 たみ にもそうすることを望 のぞ んでいました。(申 しん 7:9,10。サム二 に 22:26 )
5,6. エホバがイスラエル人 じん から全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ されるのにふさわしい方 かた だったのはなぜですか。
5 エホバがイスラエル人 じん に全 まった くの専 せん 心 しん を求 もと めたのは,妥 だ 当 とう なことでしたか。もちろんです。エホバは全 ぜん 能 のう の神 かみ であり,宇 う 宙 ちゅう の主 しゅ 権 けん 者 しゃ であり,命 いのち を与 あた えて保 たも たせる方 かた です。(詩 し 36:9。使 し 徒 と 17:28 )また,イスラエル人 じん を救 きゅう 出 しゅつ した方 かた でもあります。民 たみ に十 じっ 戒 かい を与 あた えた際 さい にそのことを思 おも い起 お こさせ,こう述 の べています。「私 わたし はあなたの神 かみ エホバである。奴 ど 隷 れい となっていたあなたをエジプトから連 つ れ出 だ した」。(出 しゅつ 20:2 )明 あき らかにエホバは,イスラエル人 じん から全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ されるのにふさわしい方 かた でした。
6 エホバは変 か わることがありません。(マラ 3:6 )これまでずっと全 まった くの専 せん 心 しん を求 もと めてきました。ですから,幻 まぼろし の中 なか でエゼキエルに見 み せた,胸 むね が悪 わる くなるような4つの光 こう 景 けい について,エホバがどう感 かん じていたかは容 よう 易 い に想 そう 像 ぞう できます。
1つ 目 め の 光 こう 景 けい : 人 ひと 々 びと が「 嫉 しっ 妬 と をかき 立 た てる 偶 ぐう 像 ぞう 」を 崇 すう 拝 はい していた
7. (ア)背 はい 教 きょう したユダヤ人 じん たちは,神 しん 殿 でん の北 きた の門 もん の所 ところ で何 なに をしていましたか。エホバはどうしましたか。(冒 ぼう 頭 とう の挿 さし 絵 え を参 さん 照 しょう 。)(イ)エホバが抱 いだ いた嫉 しっ 妬 と はどういうものでしたか。(脚 きゃく 注 ちゅう を参 さん 照 しょう 。)
7 エゼキエル 8:5,6 を 読 よ む。 エゼキエルはショックを受 う けたことでしょう。神 しん 殿 でん の北 きた の門 もん の所 ところ で,背 はい 教 きょう したユダヤ人 じん たちが偶 ぐう 像 ぞう を崇 すう 拝 はい しています。それは,カナン人 じん からバアルの妻 つま と見 み なされていた女 め 神 がみ アシェラを表 あらわ す聖 せい 柱 ちゅう だったのかもしれません。何 なん だったにせよ,その偶 ぐう 像 ぞう を崇 すう 拝 はい していたイスラエル人 じん たちはエホバとの契 けい 約 やく を破 やぶ っていました。エホバだけに示 しめ すべき専 せん 心 しん を偶 ぐう 像 ぞう に示 しめ すことにより,神 かみ を嫉 しっ 妬 と させました。神 かみ に正 せい 当 とう な怒 いか りを抱 いだ かせたのです。(申 しん 32:16。エゼ 5:13 )考 かんが えてみてください。400年 ねん 余 あま りにわたって,神 しん 殿 でん の聖 せい なる所 ところ はエホバの臨 りん 在 ざい と結 むす び付 つ けられてきました。(王 おう 一 いち 8:10-13 )しかし,人 ひと 々 びと は神 しん 殿 でん 域 いき に偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい を持 も ち込 こ むことにより,エホバを「聖 せい なる所 ところ から遠 とお く離 はな れ」させていました。
8. エゼキエルが幻 まぼろし の中 なか で見 み た,嫉 しっ 妬 と をかき立 た てる偶 ぐう 像 ぞう にまつわる状 じょう 況 きょう は,現 げん 代 だい でも見 み られますか。
8 エゼキエルが幻 まぼろし の中 なか で見 み た,嫉 しっ 妬 と をかき立 た てる偶 ぐう 像 ぞう にまつわる状 じょう 況 きょう は,現 げん 代 だい でも見 み られるでしょうか。背 はい 教 きょう したユダは,キリスト教 きょう 世 せ 界 かい を思 おも い起 お こさせます。キリスト教 きょう 世 せ 界 かい の諸 しょ 宗 しゅう 派 は では偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい が当 あ たり前 まえ になっているので,神 かみ への専 せん 心 しん を示 しめ しているといくら主 しゅ 張 ちょう しても意 い 味 み がありません。エホバは変 か わることがないので,背 はい 教 きょう したユダに対 たい するのと同 おな じようにキリスト教 きょう 世 せ 界 かい に対 たい しても正 せい 当 とう な怒 いか りを抱 いだ いているに違 ちが いありません。(ヤコ 1:17 )このゆがんだ形 かたち のキリスト教 きょう から,エホバは遠 とお く離 はな れているのです。
9,10. 神 しん 殿 でん にいた偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい 者 しゃ たちの例 れい からどんな教 きょう 訓 くん が得 え られますか。
9 神 しん 殿 でん にいた偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい 者 しゃ たちの例 れい から,どんな教 きょう 訓 くん が得 え られるでしょうか。エホバに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ すには「偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい から逃 に げ去 さ 」らなければならない,ということです。(コリ一 いち 10:14 )「私 わたし は偶 ぐう 像 ぞう など絶 ぜっ 対 たい に使 つか わない」と思 おも うかもしれません。しかし,偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい はさまざまな形 かたち を取 と り,中 なか には見 み 分 わ けにくいものもあります。ある聖 せい 書 しょ 注 ちゅう 釈 しゃく 書 しょ にはこう述 の べられています。「偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい には,何 なに かしらの価 か 値 ち や影 えい 響 きょう 力 りょく を持 も つものが関 かん 係 けい していると言 い える。つまり,人 ひと の最 さい 大 だい の関 かん 心 しん 事 じ になり,神 かみ を締 し め出 だ すことにつながるものである」。ですから,お金 かね や物 もの ,セックス,娯 ご 楽 らく などが,偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい の対 たい 象 しょう になり得 え ます。何 なん であれ,私 わたし たちの生 せい 活 かつ の中 なか で第 だい 一 いち の場 ば を占 し めてしまい,エホバに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ すのを阻 はば むものが,偶 ぐう 像 ぞう になってしまうのです。(マタ 6:19-21, 24。 エフェ 5:5。 コロ 3:5 )私 わたし たちはあらゆる形 かたち の偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい を避 さ けなければなりません。エホバに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ し,エホバだけを崇 すう 拝 はい することが求 もと められているからです。(ヨハ一 いち 5:21 )
10 エホバがエゼキエルに見 み せた1つ目 め の光 こう 景 けい では,「ひどく忌 い まわしい事 こと 柄 がら 」が行 おこな われていました。しかし,エホバは忠 ちゅう 実 じつ な預 よ 言 げん 者 しゃ エゼキエルに,「あなたはもっとひどく忌 い まわしい事 こと 柄 がら を見 み る」と言 い います。嫉 しっ 妬 と をかき立 た てる偶 ぐう 像 ぞう を神 しん 殿 でん 域 いき で崇 すう 拝 はい すること以 い 上 じょう にひどい事 こと 柄 がら があるのでしょうか。
2つ 目 め の 光 こう 景 けい : 70 人 にん の 長 ちょう 老 ろう が 偽 にせ の 神 かみ 々 がみ に 香 こう を 捧 ささ げていた
11. 神 しん 殿 でん の祭 さい 壇 だん がある内 うち 側 がわ の庭 にわ に入 はい ったエゼキエルは,胸 むね が悪 わる くなるようなものを見 み ました。何 なに を見 み たのでしょうか。
11 エゼキエル 8:7-12 を 読 よ む。 エゼキエルは壁 かべ の穴 あな を掘 ほ り広 ひろ げて,神 しん 殿 でん の祭 さい 壇 だん がある内 うち 側 がわ の庭 にわ に入 はい ります。そして,「地 じ 面 めん を動 うご く生 い き物 もの と忌 い まわしい動 どう 物 ぶつ のさまざまな像 ぞう ,……あらゆる汚 けが らわしい偶 ぐう 像 ぞう 」が壁 かべ に彫 ほ られているのを見 み ます。胸 むね が悪 わる くなるような彫 ちょう 刻 こく です。 それらは偽 にせ の神 かみ 々 がみ を表 あらわ していました。エゼキエルはさらに胸 むね が悪 わる くなるような光 こう 景 けい を見 み ます。「イスラエル国 こく 民 みん の長 ちょう 老 ろう 70人 にん 」が「暗 くら 闇 やみ の中 なか 」に立 た ち,偽 にせ の神 かみ 々 がみ に香 こう を捧 ささ げていたのです。律 りっ 法 ぽう の下 もと で,香 かお りの良 よ い香 こう をたくことは,忠 ちゅう 実 じつ な崇 すう 拝 はい 者 しゃ たちが神 かみ に受 う け入 い れられる祈 いの りを捧 ささ げることを表 あらわ していました。(詩 し 141:2 )しかし,70人 にん の長 ちょう 老 ろう が偽 にせ の神 かみ 々 がみ に捧 ささ げていた香 こう は,エホバから見 み て汚 けが れていました。彼 かれ らの祈 いの りはエホバにとって悪 あく 臭 しゅう のようでした。(格 かく 15:8 )長 ちょう 老 ろう たちは,「エホバは私 わたし たちを見 み ていない」と考 かんが えていました。ですが,エホバは見 み ており,ご自 じ 分 ぶん の神 しん 殿 でん で彼 かれ らが行 おこな っていたことをエゼキエルに見 み せたのです。
エホバは「暗 くら 闇 やみ の中 なか 」で行 おこな われる忌 い まわしい事 こと 柄 がら を全 すべ て見 み ている。(11節 せつ を参 さん 照 しょう )
12. 「暗 くら 闇 やみ の中 なか 」でも忠 ちゅう 実 じつ でなければならないのはなぜですか。この点 てん で,特 とく に誰 だれ が良 よ い模 も 範 はん を示 しめ すべきですか。
12 偽 にせ の神 かみ 々 がみ に香 こう を捧 ささ げていた,イスラエル人 じん の長 ちょう 老 ろう 70人 にん に関 かん するエゼキエルの記 き 述 じゅつ から,何 なに を学 まな べますか。祈 いの りを神 かみ に聞 き いていただき,神 かみ から見 み て清 きよ い崇 すう 拝 はい を行 おこな うには,「暗 くら 闇 やみ の中 なか 」でも忠 ちゅう 実 じつ でなければなりません。(格 かく 15:29 )エホバは全 すべ てのものを見 み ており,私 わたし たちのこともいつも見 み ている,ということを意 い 識 しき していましょう。エホバが自 じ 分 ぶん にとって現 げん 実 じつ の存 そん 在 ざい であるなら,1人 ひとり でいる時 とき にも,エホバに喜 よろこ ばれないことを行 おこな ったりはしないでしょう。(ヘブ 4:13 )特 とく に会 かい 衆 しゅう の長 ちょう 老 ろう たちは,日 ひ 々 び の生 せい 活 かつ の中 なか でクリスチャンとしての良 よ い模 も 範 はん を示 しめ さなければなりません。(ペテ一 いち 5:2,3 )集 しゅう 会 かい で演 えん 壇 だん に立 た ち,崇 すう 拝 はい において率 そっ 先 せん する長 ちょう 老 ろう たちは,「暗 くら 闇 やみ の中 なか 」でも,つまり人 ひと が見 み ていない時 とき にも,聖 せい 書 しょ の原 げん 則 そく に従 したが っているべきです。会 かい 衆 しゅう の人 ひと たちは当 とう 然 ぜん そのことを期 き 待 たい しています。(詩 し 101:2,3 )
3つ 目 め の 光 こう 景 けい : 「 女 じょ 性 せい たちが……タンムズという 神 かみ のために 泣 な いていた」
13. エゼキエルは,背 はい 教 きょう した女 じょ 性 せい たちが神 しん 殿 でん の門 もん の所 ところ で何 なに をしているのを見 み ましたか。
13 エゼキエル 8:13,14 を 読 よ む。 エホバは人 ひと 々 びと が忌 い まわしいことを行 おこな う2つの光 こう 景 けい をエゼキエルに見 み せた後 あと ,またしてもこう言 い います。「あなたは,彼 かれ らが行 おこな っている,もっとひどく忌 い まわしい事 こと 柄 がら を見 み る」。エゼキエルは次 つぎ に何 なに を見 み たのでしょうか。「エホバの家 いえ の北 きた の門 もん の入 い り口 ぐち 」で,「女 じょ 性 せい たちが座 すわ っていて,タンムズという神 かみ のために泣 な いて」いました。タンムズはメソポタミアの神 かみ で,シュメール語 ご の文 ぶん 献 けん ではドゥムジと呼 よ ばれており,豊 ほう 作 さく の女 め 神 がみ イシュタルの配 はい 偶 ぐう 者 しゃ とされています。 イスラエル人 じん の女 じょ 性 せい たちは,タンムズの死 し にまつわる宗 しゅう 教 きょう 儀 ぎ 式 しき の一 いっ 環 かん として泣 な いていたようです。エホバの神 しん 殿 でん でタンムズのために泣 な くことにより,清 きよ い崇 すう 拝 はい の中 ちゅう 心 しん 地 ち で異 い 教 きょう の儀 ぎ 式 しき を行 おこな っていました。神 かみ の神 しん 殿 でん で行 おこな ったからといって,間 ま 違 ちが った宗 しゅう 教 きょう の儀 ぎ 式 しき が神 しん 聖 せい なものとなるわけではありません。その背 はい 教 きょう した女 じょ 性 せい たちは,エホバから見 み て「忌 い まわしい事 こと 柄 がら 」を行 おこな っていたのです。
14. 背 はい 教 きょう した女 じょ 性 せい たちの行 おこな いに対 たい するエホバの見 み 方 かた からどんな教 きょう 訓 くん を学 まな べますか。
14 この女 じょ 性 せい たちの行 おこな いに対 たい するエホバの見 み 方 かた からどんな教 きょう 訓 くん を学 まな べるでしょうか。清 きよ い崇 すう 拝 はい を行 おこな うには,汚 けが れた異 い 教 きょう の慣 かん 行 こう を持 も ち込 こ んではならない,ということです。異 い 教 きょう を起 き 源 げん とする祝 しゅく 祭 さい なども断 だん じて避 さ けなければなりません。起 き 源 げん はそれほど重 じゅう 要 よう なのでしょうか。確 たし かに重 じゅう 要 よう です。現 げん 代 だい において,クリスマスやイースターなどの祝 しゅく 祭 さい に関 かん 連 れん した慣 かん 行 こう は,一 いっ 見 けん 無 む 害 がい に思 おも えるかもしれません。しかし,エホバは異 い 教 きょう の慣 かん 行 こう が徐 じょ 々 じょ に現 げん 代 だい の祝 しゅく 祭 さい へと変 へん 化 か していくのをじかに見 み てきました。異 い 教 きょう の慣 かん 行 こう は,人 ひと 々 びと がそれをどれほど長 なが く行 おこな ってきたとしても,清 きよ い崇 すう 拝 はい に取 と り込 こ もうとしてきたとしても,エホバにとって忌 い まわしいものであることに変 か わりはありません。(コリ二 に 6:17。 啓 けい 18:2,4 )
4つ 目 め の 光 こう 景 けい : 25 人 にん の 男 だん 性 せい が「 太 たい 陽 よう にひれ 伏 ふ していた」
15,16. 神 しん 殿 でん の内 うち 側 がわ の庭 にわ では,25人 にん の男 だん 性 せい が何 なに をしていましたか。その行 こう 動 どう がエホバをひどく怒 いか らせたのはなぜですか。
15 エゼキエル 8:15-18 を 読 よ む。 エホバは最 さい 後 ご の4つ目 め の光 こう 景 けい を見 み せる前 まえ にも,「あなたはこれよりももっとひどく忌 い まわしい事 こと 柄 がら を見 み る」と言 い いました。エゼキエルは,「すでに見 み たものよりもひどい事 こと 柄 がら などあるのだろうか」と思 おも ったかもしれません。内 うち 側 がわ の庭 にわ にいるエゼキエルは,神 しん 殿 でん の入 い り口 ぐち の所 ところ で,25人 にん の男 だん 性 せい がひれ伏 ふ して「東 ひがし にある太 たい 陽 よう 」を崇 すう 拝 はい しているのを見 み ます。それはエホバをひどく怒 いか らせる最 さい 悪 あく の行 おこな いでした。なぜそう言 い えるでしょうか。
16 状 じょう 況 きょう を思 おも い描 えが いてみてください。神 しん 殿 でん の入 い り口 ぐち は東 ひがし を向 む いています。崇 すう 拝 はい のために神 しん 殿 でん に入 はい る人 ひと は,西 にし の方 ほう を向 む くので,東 ひがし から上 のぼ る太 たい 陽 よう に背 せ を向 む けることになります。ところが,幻 まぼろし の中 なか の25人 にん の男 だん 性 せい は,太 たい 陽 よう を崇 すう 拝 はい するために東 ひがし の方 ほう を向 む き,「神 しん 殿 でん に背 せ を向 む け」ています。神 しん 殿 でん は「エホバの家 いえ 」ですから,彼 かれ らはエホバに背 せ を向 む けていたのです。(王 おう 一 いち 8:10-13 )その男 だん 性 せい たちは背 はい 教 きょう 者 しゃ でした。エホバを無 む 視 し し,申 しん 命 めい 4章 しょう 15-19節 せつ のおきてに背 そむ いていました。全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ されるべき神 かみ がひどく怒 いか ったのも当 とう 然 ぜん です。
エホバはご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちから全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ されるべき方 かた 。
17,18. (ア)神 しん 殿 でん で太 たい 陽 よう を崇 すう 拝 はい していた人 ひと たちに関 かん する記 き 述 じゅつ から何 なに を学 まな べますか。(イ)背 はい 教 きょう したイスラエル人 じん たちは誰 だれ との関 かん 係 けい を損 そこ ないましたか。なぜですか。
17 太 たい 陽 よう を崇 すう 拝 はい していた人 ひと たちに関 かん する記 き 述 じゅつ から何 なに を学 まな べるでしょうか。清 きよ い崇 すう 拝 はい を行 おこな うには,理 り 解 かい や知 ち 恵 え をエホバに求 もと めなければならない,ということです。「エホバ神 かみ は太 たい 陽 よう 」であり,エホバの言 こと 葉 ば は私 わたし たちの進 すす む道 みち を照 て らす「光 ひかり 」です。(詩 し 84:11; 119:105 )エホバは,ご自 じ 分 ぶん の言 こと 葉 ば である聖 せい 書 しょ や,ご自 じ 分 ぶん の組 そ 織 しき が発 はっ 行 こう する出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ を通 とお して,私 わたし たちを啓 けい 発 はつ の光 ひかり で照 て らしてくださいます。いま充 じゅう 実 じつ した生 せい 活 かつ を送 おく り,将 しょう 来 らい は永 えい 遠 えん の命 いのち を得 え られるように,進 すす むべき道 みち を示 しめ してくださるのです。どう生 い きるべきかについて世 よ に啓 けい 発 はつ を求 もと めるなら,エホバに背 せ を向 む けることになります。そうした行 おこな いはエホバをひどく怒 いか らせ,深 ふか く悲 かな しませます。神 かみ をそのような気 き 持 も ちにさせたくはありません。エゼキエルが見 み た幻 まぼろし は,真 しん 理 り に背 せ を向 む ける人 ひと たちつまり背 はい 教 きょう 者 しゃ を避 さ けるようにという警 けい 告 こく ともなっています。(格 かく 11:9 )
18 これまで見 み てきたように,エゼキエルは間 ま 違 ちが った崇 すう 拝 はい のショッキングな光 こう 景 けい を4つ目 もく 撃 げき しました。背 はい 教 きょう したユダが崇 すう 拝 はい の面 めん で非 ひ 常 じょう に汚 けが れていたことは明 あき らかです。そのように汚 けが れたイスラエル人 じん たちは,国 こく 民 みん 全 ぜん 体 たい と神 かみ との関 かん 係 けい を損 そこ ないました。崇 すう 拝 はい の面 めん での汚 けが れには,道 どう 徳 とく の面 めん での汚 けが れも伴 ともな うものです。背 はい 教 きょう したイスラエル人 じん たちは道 どう 徳 とく に反 はん するあらゆる悪 わる いことも行 おこな い,神 かみ との関 かん 係 けい だけでなく仲 なか 間 ま との関 かん 係 けい も損 そこ ないました。では,神 かみ に導 みちび かれた預 よ 言 げん 者 しゃ エゼキエルが,背 はい 教 きょう したユダの道 どう 徳 とく 的 てき な腐 ふ 敗 はい をどのように描 びょう 写 しゃ したか見 み てみましょう。
道 どう 徳 とく 面 めん での 汚 けが れ: 「みだらな 行 おこな い」
19. エゼキエルは,エホバと契 けい 約 やく を結 むす んだ民 たみ の道 どう 徳 とく の退 たい 廃 はい をどのように描 びょう 写 しゃ しましたか。
19 エゼキエル 22:3-12 を 読 よ む。 支 し 配 はい 者 しゃ たちをはじめ,国 こく 民 みん 全 ぜん 体 たい が道 どう 徳 とく 面 めん で腐 ふ 敗 はい していました。指 し 導 どう 者 しゃ である「長 ちょう たち」は,権 けん 力 りょく を乱 らん 用 よう し て無 む 実 じつ の人 ひと たちを殺 ころ していました。一 いっ 般 ぱん の人 ひと 々 びと も,指 し 導 どう 者 しゃ たちに倣 なら って神 かみ の律 りっ 法 ぽう を無 む 視 し していました。家 か 庭 てい では,子 こ 供 ども たちが親 おや を「軽 けい 視 し し」,近 きん 親 しん 姦 かん が普 ふ 通 つう に行 おこな われていました。国 くに の中 なか では,反 はん 逆 ぎゃく 的 てき なイスラエル人 じん たちが外 がい 国 こく 人 じん 居 きょ 住 じゅう 者 しゃ からだまし取 と り,父 ちち 親 おや のいない子 こ 供 ども ややもめを不 ふ 当 とう に扱 あつか っていました。男 だん 性 せい たちは隣 りん 人 じん の妻 つま と関 かん 係 けい を持 も ち,ある人 ひと たちは貪 どん 欲 よく さをむき出 だ しにして,賄 わい 賂 ろ を受 う け取 と ったり,お金 かね を脅 おど し取 と ったり,高 こう 利 り で貸 か したりしていました。エホバは,ご自 じ 分 ぶん と契 けい 約 やく を結 むす んだ民 たみ が律 りっ 法 ぽう を踏 ふ みにじり,律 りっ 法 ぽう の根 こん 底 てい にある愛 あい を無 む 視 し しているのを見 み て,深 ふか く悲 かな しんだに違 ちが いありません。民 たみ の道 どう 徳 とく の退 たい 廃 はい をご自 じ 分 ぶん への裏 うら 切 ぎ りと見 み なし,不 ふ 道 どう 徳 とく な人 ひと 々 びと に「あなたは私 わたし をすっかり忘 わす れてしまった」と告 つ げるようエゼキエルに指 し 示 じ しました。
キリスト教 きょう 世 せ 界 かい の影 えい 響 きょう を受 う けて,世 よ の中 なか の暴 ぼう 力 りょく や不 ふ 道 どう 徳 とく はますますひどくなっている。(20節 せつ を参 さん 照 しょう )
20. ユダの道 どう 徳 とく 面 めん での汚 けが れに関 かん するエゼキエルの記 き 述 じゅつ が,現 げん 代 だい でも重 じゅう 要 よう な意 い 味 み を持 も つのはなぜですか。
20 ユダの道 どう 徳 とく 面 めん での汚 けが れに関 かん するエゼキエルの記 き 述 じゅつ が,現 げん 代 だい でも重 じゅう 要 よう な意 い 味 み を持 も つのはなぜでしょうか。背 はい 教 きょう したユダの腐 ふ 敗 はい は,今 いま の世 よ の中 なか に見 み られる道 どう 徳 とく の退 たい 廃 はい を思 おも い起 お こさせます。政 せい 治 じ 支 し 配 はい 者 しゃ たちは権 けん 力 りょく を乱 らん 用 よう し,一 いっ 般 ぱん の人 ひと 々 びと を虐 しいた げています。宗 しゅう 教 きょう 指 し 導 どう 者 しゃ たち,とりわけキリスト教 きょう 世 せ 界 かい の聖 せい 職 しょく 者 しゃ たちは,無 む 数 すう の命 いのち を奪 うば ってきた戦 せん 争 そう に神 かみ の祝 しゅく 福 ふく を祈 いの り求 もと めてきました。また,性 せい 的 てき 不 ふ 道 どう 徳 とく に関 かん する聖 せい 書 しょ のはっきりとした高 こう 潔 けつ な基 き 準 じゅん を軽 けい 視 し しています。結 けっ 果 か として,世 よ の中 なか の道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん はどんどん低 てい 下 か しています。エホバは,背 はい 教 きょう したユダに対 たい して述 の べたように,キリスト教 きょう 世 せ 界 かい に対 たい しても,「あなたは私 わたし をすっかり忘 わす れてしまった」と言 い うことでしょう。
21. 古 こ 代 だい ユダが道 どう 徳 とく 面 めん で汚 けが れたことから何 なに を学 まな べますか。
21 エホバの民 たみ である私 わたし たちは,古 こ 代 だい ユダが道 どう 徳 とく 面 めん で汚 けが れたことから何 なに を学 まな べるでしょうか。エホバに崇 すう 拝 はい を受 う け入 い れていただくには,行 おこな いが常 つね に清 きよ くなければならない,ということです。道 どう 徳 とく 的 てき に腐 ふ 敗 はい した世 よ の中 なか でそうした状 じょう 態 たい を保 たも つのは,簡 かん 単 たん ではありません。(テモ二 に 3:1-5 )しかし私 わたし たちは,さまざまなひどい形 かたち で表 あらわ れる道 どう 徳 とく 的 てき な腐 ふ 敗 はい についてエホバがどう感 かん じるかを知 し っています。(コリ一 いち 6:9,10 )エホバと律 りっ 法 ぽう を愛 あい しているので,エホバの道 どう 徳 とく 基 き 準 じゅん に従 したが います。(詩 し 119:97。ヨハ一 いち 5:3 )道 どう 徳 とく 面 めん で汚 けが れてしまうなら,聖 せい なる清 きよ い神 かみ を愛 あい していないことになってしまいます。エホバから「あなたは私 わたし をすっかり忘 わす れてしまった」と言 い われたいとは思 おも いません。
22. (ア)古 こ 代 だい ユダについてエホバが暴 ばく 露 ろ した事 こと 柄 がら を調 しら べて,あなたはどんな決 けつ 意 い を抱 いだ きましたか。(イ)次 つぎ の章 しょう ではどんなことを取 と り上 あ げますか。
22 エホバは古 こ 代 だい ユダが崇 すう 拝 はい と道 どう 徳 とく の両 りょう 面 めん で堕 だ 落 らく していることを暴 ばく 露 ろ しました。その記 き 述 じゅつ から私 わたし たちは貴 き 重 ちょう な教 きょう 訓 くん を学 まな び,エホバに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ す決 けつ 意 い を強 つよ めることができます。エホバは確 たし かに全 まった くの専 せん 心 しん を示 しめ されるのにふさわしい方 かた です。ですから,私 わたし たちはあらゆる形 かたち の偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい を避 さ け,道 どう 徳 とく 面 めん で清 きよ さを保 たも つ必 ひつ 要 よう があります。ところで,エホバは不 ふ 忠 ちゅう 実 じつ な人 ひと 々 びと に対 たい してどう行 こう 動 どう したのでしょうか。エゼキエルが神 しん 殿 でん を見 み て回 まわ った後 あと ,エホバはエゼキエルに,「私 わたし は激 はげ しい怒 いか りのうちに行 こう 動 どう する」と率 そっ 直 ちょく に告 つ げました。(エゼ 8:17,18 )不 ふ 忠 ちゅう 実 じつ なユダに対 たい するエホバの行 こう 動 どう について知 し ることには価 か 値 ち があります。今 いま の邪 じゃ 悪 あく な世 よ も同 どう 様 よう の処 しょ 罰 ばつ を受 う けるからです。次 つぎ の章 しょう では,ユダに対 たい するエホバの裁 さば きがどのように実 じつ 現 げん したかを取 と り上 あ げます。