結婚式と要求
1 イスラエル人の中では,どんな結婚の習慣が行われていましたか。
特にクリスチャンの為に書かれている聖書は,結婚の儀式については何の形式をも述べていません。しかし,聖書の示すところによると,両親や仲人が結婚を取極めた後,処女の娘の場合には1年ぐらいの婚約期間が設けられました。それから,結婚式の晩に花婿は花嫁の家に行つて,花嫁を新居に連れて来ました。二人が家に行く途中,よろこびに溢れる祝賀者たちが両人を取り囲んでいたのです。それで,結婚は,一般公共のものであり,人々はその結婚を認めました。そして,花嫁を家に連れてきてから,花婿の両親の準備した結婚の祝宴が開かれ,招かれた人はみなその祝宴に列席しました。結婚の夕食に招かれた人々は,幸福でした。花嫁は,愛人である婚約者を待たせてから,現われるということをしなかつたのです。彼女はいちばん美しく着飾つて,彼を待ちました。そして,彼女の父または後見人は彼女を,彼に与えたのです。―マタイ 1:24; 22:1-11; 25:1-10。ヨハネ 2:1-11; 3:29。マルコ 2:19。イザヤ 61:10; 62:5。黙示 19:7,8; 21:2,9-11。
2 結婚についてのどんな事実は,聖書の記録から分りますか。
2 最初のクリスチャンたちは,イエス御自身がユダヤ人であつたように,ユダヤ人すなわちイスラエル人であつた,ということを忘れてはなりません。それで,これらのユダヤ人のクリスチャンたちは,結婚の習慣や取極を以前のユダヤ教的な社会制度から新しいキリスト教的な制度に持ち越したことは,尤もなことと言えます。しかし,一つのことに注意して下さい。すなわちアブラハムの時代,以降,レビ人にせよ又は他の宗教的な奉仕をする者にせよ,祭司が結婚の儀式を執行うことはなかつたということです。しかし,結婚は有効であり,ヱホバ神より認められました。その結婚は,邑また村の記録所で登記せられ,その結婚によつて生まれる子供の誕生もそこで記録されました。マタイとルカは,イエスの二つの系図を,恐らくベツレヘムの町の記録から写したのでしよう。すると,有効なクリスチャンの結婚は,誰によつて挙行されるか,という質問が生じます。民事上の非宗教的な結婚は,宗教的な結婚と同じく有効なものですか。それとも,結婚は宗教儀式ですか。また宗教的な結婚だけが有効ですか。
3 イサクの結婚の行われた仕方について,聖書は何を示していますか。
3 結婚は,宗教儀式ではありません。それで,結婚の場合に宗教的な牧師やクリスチャン奉仕者の出席と挙式は必要でないのです。神の予言者であつたアブラハムは,自分の大家族に対しては神より認められた祭司でもありました。しかし,彼の年老いた僕がリベカをメソポタミアから,パレスチナのネゲブにいたイサクのところに連れて来たとき,アブラハムがその場に居合わせた,という記録はありません。イサクは,考えに耽けりながら一人で歩いていました。そのところへ僕はリベカを連れて行き,そして,どのようにリベカを見出したかをイサクに語つたのです。『イサク,リベカをその母サラの天幕に連至り,リベカを娶りて,その妻となし。』イサクがリベカを自分の妻にしたことについては,多くの人々がその証者になりました。すなわち,アブラハムの結婚代理者や,彼の『徒者等』や,またリベカの『乳母』や他の『童女』たちでした。(創世 24:2,54,59-61,66,67)今日の或る国々でも必要としないように,イサクは,結婚許可証というようなものを取り出しませんでした。神権制度の頭であり,イサクの父であるアブラハムは,その結婚を認可し,そして僕たちを導いたヱホバ神は,その結婚の手続きのすべての段階をみな指示したのです。それで,結婚の許可証は,イサクの場合に必要でありませんでした。しかし,イサクがリベカを娶つたことは,4人以上の人々に証され,アブラハムの神権的な制度の記録につけられ,そして,勿論今日の聖書の中に記録されています。終始,神の御意が求められ,そして認められましたが,それについての宗教的な儀式はひとつもなかつたのです。
4 (イ)結婚について,律法は何を記述しませんでしたか。(ロ)結婚はどんな種類の事柄であり,その結び合わせる性質は,どのように強調されましたか。
4 イサクの息子であるヤコブが,レア及びラケルと結婚したときにも,宗教的な儀式が行われた,という記録はありません。(創世 29:18-30)選民であるイスラエルに幾百という律法を与え給うたヱホバ神は,イスラエルの為に宗教的な結婚の儀式を規定したり,記述したりすることを,されなかつたのです。結婚を挙式する権利や義務は,アロンの祭司族やレビ人の宮の僕たちにすこしも委ねられませんでした。婚約の時から花嫁と花婿が父親の家で契を結ぶ時にいたるまで,結婚はみな個人的な家族の取極であり,(レビの支族でなければ,)祭司とかレビ人は介入しなかつたのです。結婚は,すべての人に告げられて,正しく証せられ,それから地方の記録所で登記せられました。このわけで,ローマ皇帝カイザル・アウグストのとき,ヨセフはベツレヘムで生まれたマリヤと共に,故郷の町に行き登記をしたのです。―ルカ 2:1-6。
5 カナの結婚のとき,イエスはどんな役割を果されただけですか。弟子たちの中の結婚について,イエスは,何をしませんでしたか。
5 ガリラヤ地方のカナで,イエスが最初の奇跡を行つたとき,彼は婚礼に招かれたときでした。しかし,挙式者として結婚式を行うために招待されたのではありません。彼はアロンの祭司族の者でもなければ,レビの支族にも属さず,宗教的な挙式者とは認められなかつたからです。彼は母親と弟子と共に,お客として招待されていました。その町は,むかし大工の仕事をしていたところに近かつたからです。イエスは,そこにいる時に結婚を潔めず,ただ出席者たちを楽しますために最上の葡萄酒を与えられただけです。(ヨハネ 2:1-11)12人の使徒たちや福音伝道者たちに与えたすべてのいましめの中で,イエスは結婚の挙式をせよ,などと告げもしなければ,命じてもいません。結婚の事柄は,ヱホバの民の中で取極めるものとされたのです。イエスは,結婚を宗教儀式 ― 使徒たちや,クリスチャン奉仕者だけの行うもので,その賛助を必要とするもの ― にしませんでした。
6 法律の要求する民事上の結婚についての聖書的な立場は何ですか。
6 宗教的な結婚は是非とも必要ですか。必要ではありません。民事上の結婚は,神の本である聖書によつて是認せられますか。是認されます。そして,このことに関しては,クリスチャンは「カイザルに属するものはカイザルに与え」ます。キリスト教国の多くの国々では,国家の任命した役人によつて取り行われる民事上の結婚は,許可されるものか又は絶対的に要求されています。それですから,民事上の結婚に社会的な非難や宗教的な非難をかけることは,間ちがいです。そして,最高の神は御自分の献身した民の民事上の結婚を認められ,二人はその結婚に結ばれたもの,と見なします。キリスト教国内にせよ,またはキリスト教国外にせよ,或る国々の政府はローマ・カトリックの牧師または他の認可されている宗教牧師の司会する結婚を認めます。これらの牧師たちは,政府からの認可を受けて,宗教的な建物や,または特定な登記所で結婚式を執行うことができます。これらの牧師だけでなく,ヱホバの証者の任命された奉仕者たちも結婚を挙式することが,承認せられており,認可されています。このような場合には,宗教的な挙式者は,国家の僕としての行をなし,結婚を公認するのです。それで,そのような結婚も有効なものであり,神の承認をうけます。認可されている宗教の宗教儀式によつて結婚した人が新世社会に来るとき,ヱホバの証者はそのような人の結婚は有効である,と認めます。ヱホバの証者の中に,権限を持つ奉仕者が居らないために,結婚の挙式ができない場合は,良心に従うヱホバの証者は任命された政府の役人のところに行き,国家の役人によつて,神の認める有効な結婚をいたします。
7 ローマ・カトリック教会は,民事上の結婚をどう見なしますか。それは,最近のどんな出来事で示されていますか。
7 政府が民事上の結婚だけを認可して要求し,かつ承認する国々があります。そのような国々では,ローマ・カトリック教会は民事上の結婚を有効なものと見なさず,カトリック信徒は,後日になつて牧師のなす宗教的な結婚式をしなければならない,と命ぜられています。例えば,カトリック信徒であるモナコの王候が,最近カトリック信徒であるハリウッドの映画女優と結婚したとき,ニューヨーク・タイムス紙(1956年4月20日)は,次のように報じました,『昨日,宮廷内において民事上の儀式で結婚した32歳の王候と26歳の花嫁は,モナコの司教,ギレス・バース閣下により,教会の承認の中に結ばれた。両人は,パリーの使節パオロ,マーレラ閣下を通して,伝えられたピオ12世の祝福を受けた。……彼女は最初に白い大理石の祭壇前の自分の場所に行つた。人々に仕えられるという主権者の権利には,習慣も歩を譲つた。王候は,すこし経つて後彼女に加わつた。』
8 民事上の結婚後に,花嫁と花婿の出席して行われる宗教的な集会には,どんな価値がありますか。
8 もちろん,民事上の結婚式が行われた後にされるローマ・カトリックの宗教的な結婚は,法律上の価値をすこしも持つていません。同じように,後になつて他のいかなる宗教制度のなす宗教的な儀式も,法律上の価値をすこしも持つていないのです。しかし,もしできうるなら,或はもし求められるなら,ヱホバの証者は花婿と花嫁の出席する宗教的な集会を後に開くことができます。この集会は,必要なものではなく,また結婚でもありません。そして,すでに行われた民事上の結婚になんらかの法律上の価値をつけ加えるために行われるものでもありません。新婚の夫婦に時機に適つた健全な聖書のいましめを与え,そして結婚の機会と義務についての助言を述べ,かつ地方の会衆にその結婚をはつきりと知らせ,出席しているすべての善意者たちにヱホバの結婚の取極について証をするために,その集会は開かれるのです。またこの時は,その結婚を会衆に登記し,その届けを会衆の記録の中に綴るのに良い機会です。
9 法律に従えば,新婚の夫婦には不便な遠い町で登記せねばならないようなとき,それについてどのような処置をすることができますか。
9 会衆の前でなされることは,『神の前』でなされることです。丁度むかしのイスラエルで裁き人または司の前でなされたことは,神の前でなされたことと同じでした。(出エジプト 21:6; 22:8,9,28)アフリカ人のクリスチャンたちが結婚する際に,結婚は町か村で行われます。しかし,遠い都市に所在している政府にその結婚を登記せねばならず,しかも新婚の夫婦がすぐにそのところに行くことが難しい,という場合はどうすべきですか。ヱホバの証者の御国会館で『結婚宣言書』を作成することができます。これは法律上の価値はなく,また民事上の登記を代用するものでありません。しかし,それは神の民の中では確かに認められるものです。それは新世社会の前に次のことを証示します,すなわち新婚の夫婦は,自分たちの結婚がたしかに効力を有しており,また都合のつく限りできるだけ早く民事法に従つて結婚を登記する必要を認めていることです。この『結婚宣言書』は,それから会衆の記録とものみの塔協会事務所の記録に綴じられます。そして,新婚の夫婦は民事上の登記をするまでの期間中でも,結婚関係に入ることができます。このようにして,国家の政府が結婚の記録を持たない期間中でも,協会は結婚の記録を持つことができます。しかし,しばらくして後に,協会はその僕たちを用いて,果して民事上の登記が正しく行われたか,そして結婚した両人は法律通りに行つたであろうか,ということを調べることができます。
10 (イ)部族の習慣に従つて結婚する者たちは,何をするのが適当ですか。(ロ)新しい世の社会に属する部族民には,どんな種類の結婚がすすめられていますか。そして,なぜですか。
10 部族の者が,御国の真理を知つて新世社会に入る以前に部族の習慣に従つて結婚していた場合,その結婚は有効であり,認められるものです。結婚をし直しすることは必要でありません。しかし,政府に民事上の登記がなされていないなら,結婚宣言書に署名することによつて,その部族結婚を新世社会内の記録に綴じることは適当です。しかし,特定な国では,そのような部族民が国家の民事法に従つて,結婚をし直すときに,夫や家族の者は大きな恩典をうけることがあります。まだ結婚していない部族民で新世社会の一部になる人々には,民事上の結婚をすすめます。なぜなら,その結婚には大きな恩典がともない,そして法律からの大きな保護をうけるからです。それで,夫が死んだ後にも,妻や子供たちには生活の保障がなされるのです。以前に異教の者であつたものが,異教の習慣に従つて結婚することは,たしかに後戻りした行であり,もしそれに非聖書的な異教の儀式が結びついているなら,それはこの世と妥協していることになり,信仰を否定するものです。それですから,除名されるでしよう。
11,12 (イ)真理に入つた後でも,なぜ花嫁金結婚をし直す必要はありませんか。(ロ)会衆は,民事上の結婚をすることにたいしてどのような援助をさしのべることができますか。(ハ)御祝品,招待,結婚式,祝宴について,理性と神権的な規則は何を必要とせしめますか。
11 クリスチャンになる以前に,結納結婚,つまり花嫁金結婚をした者も,莫大な費用をかけて結婚をし直す必要はありません。真理に入つて神に献身をしても,以前の結納結婚が無効になるわけではなく,また,部族の風習に従つて結婚した者や,その結婚を続けている者たちが,淫行者になるわけではありません。結婚をするときの費用を軽減させるために,新世社会の要求する記録は無料で作成されて保管されます。もし会衆内の人が結婚する際,その民事上の登記費用を会衆が支払う,または,その費用を補助する,ということは極めて実際的なことです。しかし,このことは,よろこんでその費用を負担したいと欲する人々が為すべき事柄です。『御祝品』を与える,つまり,結婚後に使用したり楽しんだりするための沢山の贈物を集めて花嫁に与えることは,会衆内の人に決して強いるべき事柄ではありません。『御祝品』は,個人的な事柄であつて,それをするかどうかは各人の自由に任さねばならないのです。
12 『御祝品』や結婚の発表は,個人的にします。御国会館の演壇からしたり,御国会館内の他の告知によつてしてはなりません。結婚式やその後の祝宴に,印刷した正式な招待状を送るときには,十分の考慮を払うことが必要です。親しい知己でない人々,或は一寸話し合うだけの知己という人々,または遠くにいる人々は,結婚式の招待状を受け取つても,それに応ずるのが難しい,と感ずるでしよう。そして,結婚招待状を送られたために,なにか強制的なものを感じて不快に思うかもしれません。結婚式は,集会とか他の奉仕の取極めの邪魔にならない時は,御国会館で開くことができます。結婚式の後の祝宴は,御国会館でしてはなりません。それは御国会館を宴楽の場所にしてしまうからです。
13 結婚式のときに,どのような衣服を着なければなりませんか。指環が用いられなくても,なぜ恥ずかしいことでありませんか。
13 民事上の結婚をするのに,豪華な衣服を着る必要はありません。大切な事柄は,適当な衣服をキチンと着ることです。そして,クリスチャンとして,愛,謙譲,従順,信実という霊的な衣服を着けるべきです。結婚の指環の使用は,習慣のものでなく,また自分の財力では買えない場合がありましよう。結婚の状態は,どの場所であつても結婚の指環では象徴されません。指環は,結婚式の大切な要素ではないのです。結婚の指環を与えないから,といつて,恥ずかしく思うことはありません。婦人が結婚している者であることを示し,そして情欲を抱く人に,そのことを知らせるのに結婚の指環が用いられているところでも,或る良心的な人々は結婚式の際に指環を用いません。それは,キリスト教国内で習慣的に行われている結婚指環の異教的な起源を考えるからです。或る場所では,婦人が結婚しているということは,その婦人の着ている衣服の様式や,衣服に何か新しいものをつけることによつて示されます。地方によつては,これは指環と同じぐらいに効果的であり,実際のところ指環よりも人目につきやすいものです。もし真実のきずながないなら,又は結婚のきずなが尊敬されないならば,結婚の指環は何の役にも立ちません。情欲に燃える婦人は,指環をしていても姦淫を犯すでしよう。それで,結婚式のときに指環を用いるかどうかは,良心に従い,また地方の習慣を考慮して各人の決定によるのです。
14 (イ)一夫多妻の人は,真理に入るとき何をしなければなりませんか。(ロ)一夫多妻が合法なことで,習慣になつているところで,多くの妻を持つ夫に結婚している女が真理を受けいれるとき,その女は何をしなければなりませんか。
14 一夫多妻についての国家の政府あるいは部族の政府の規定がどのようなものでも神の言葉は,クリスチャンの一夫多妻を禁じています。クリスチャンの男は,多くの妻を持つてはならず,クリスチャンの女は多くの夫を持つてはなりません。もし多くの妻を持つ者が新世社会に入ることを欲し,キリストを通して神に献身したいなら,結納またはロボラなる花嫁金で得た妻たちのひとりだけを持つことができます。そして他の妻たちを去らせて実家に帰さねばなりません。それは,祭司エズラとユダヤ人の総督ネヘミヤが,異邦人と結婚して神の律法を破つたイスラエル人に行わせた仕方です。(エズラ 10:1-44。ネヘミヤ 13:23-31)一夫多妻が法律でも認められ,また習慣に行われているところで,真理を受け入れた婦人が,多くの妻を持つ夫に結婚している場合,その婦人はどうすべきですか。その婦人は,自分の取ろうと決定した段階や,また神の証者クリスチャンとして自分に課せられる神への義務を夫に説明しなければなりません。それから,自分の取つた立場についての結果を引受けねばなりません。多くの妻を持つ男が彼女を両親のところか後見人のところに帰して,彼女の為に払つた花嫁金の返還を要求し,そして彼女を自由にさせるようにしなさい。神の律法によると,多くの妻を持つ男と関係を結ぶことは,淫行であつて結婚ではない,と述べられています。この関係を続けるならば,その婦人は集会に出席して神の言葉の真理を他の人に語ることができても,洗礼をうけることは禁ぜられます。
合意結婚と不文法結婚
15,16 (イ)不文法結婚とは何ですか。合意結婚とは何ですか。(ロ)どんな環境や考え方の為に,多くの人はそのような状態に生活していますか。
15 このことから,不文法結婚の問題が生じます。それは,不文法(民事法や教会法ではない)に従う結婚で,合法の民事上の儀式や宗教的な儀式のない結婚です。つまり,男と女が秘かに夫と妻の関係で生活しよう,と決定したものであつて,合意の結婚です。そのような場合には,結納もなければ花嫁金というものもありません。教会法の支配下にあつて,合意結婚が正式に認められない場所では,そのような同意の取極をする男女が合法の結婚を欲しても,儀式を司会する牧師の要求する結婚手数料が高過ぎる為,二人には払えない場合がしばしばあるのです。二人は,非常に貧乏だからです。また,実際には存在していない出生証明証を提出する,というような合法上の必要な手続きが,できない場合があります。或は,国家の政府が,如何なる事情であろうとも,合法の離婚を一切認めぬ場合があります。また,聖書的な理由に基く正しい離婚をすることが,極めて多くの費用を要し,しかも長びくことがあります。それで,離婚せずに再婚を欲する人は,異性の相手と秘かに関係を結び,夫婦の生活をします。これは,結婚をしない同棲です。しかし,多くの場合は,女を低い地位に保つて男に依存せしめるために,男は合意結婚をします。女が男の準備する家に居て男の扶助を欲するならば,女はその男に操を立てなければなりません。しかし,男は自分に対する女の節操を欲していながら,常に扶助しようとは欲しません。結婚をしていないため,法律的には彼女と結ばれていません。それで,男は自分の好きな時なら何時でも,この合意して配偶者になつた女と子供たちを捨てて,別の女とそのような生活をすることができます。このわけで,女は自分と子供たちの保護を得る為に,合法の結婚を欲します。しかし,男は利己的に振舞つて,合法の結婚を拒絶します。
16 大戦後,多くの人々は結婚せずに同棲していますが,その理由はこうです。婦人は戦争未亡人とかその他の名目で政府から手当を受取つていますが,もし再婚するならその手当が貰えなくなります。それで,その婦人と男は,政府の手当を受けるため結婚せずに同棲しようと決定します。そして,この同棲によつてできる私生児は,ごまかしを続けるため男を『父』と呼ばず『叔父』と呼ぶように教えこまれます。
17 (イ)不文法の結婚は,しばしばどのように始まりますか。なぜこれは悪いのですか。(ロ)不文法結婚のひとつの結果は何ですか。これらは,或る国々でどのように合法化されていますか。
17 多くの場合,結婚するという口約束だけを聞いて,娘が男に身を任すために合意結婚が始まります。娘と関係を結んだ後に,男は娘と同棲しますが,法律上の手続きはしないのです。結婚の約束だけで交接を始めるのは,聖書的に見て正しくありません。許婚者同志でも,その婚約期間中は交接をしてならない,と聖書は命じています。二人が果して旨く暮して行けるかどうかを試す非合法の試験結婚は,正しいものでありません。神の律法は,試験結婚を明白な淫行,不道徳と述べています。或る州では,不文法結婚を認めているため,それは法律上の義務を持つ真実の結婚になつています。しかし,不文法婚を認めない多くの州や国(カトリックの国々でも)も,同意結婚については何もしていません。その結果,同意結婚は多くの国々で広く行われ,たいていの場所では当然至極なものと考えられています。そして,多くの私生児が生まれています。或る国では55パーセントの子供たちが私生児で,別の国では80パーセントの子供たちが私生児です。或る国々では,同意結婚をしている男女が,最少限の年月を同棲するか,または子供が一人生まれた後になると,二人は合法の民事上の結婚あるいは宗教的な結婚をした者の資格を持ちます。法廷は,その合意結婚を自動的に合法の結婚と裁定します。同意結婚者の片方または両人が願い出るならば,『事実上の』結婚は政府に登記されるでしよう。
18 私たちは,不文法結婚をしている者に証言せねばなりませんが,どんな聖句はそのことを示していますか。
18 新しい世の社会は,同意結婚や不文法結婚を全きものと認めません。といつて,そのような結婚生活している者に真理を伝道しない,という意味ではありません。サマリヤのスカルの町にあるヤコブの泉のところで,イエスは一人のサマリヤの女と話をされました。その女には夫が5人までいて,その時関係を持つていた男は,彼女の夫でなかつたのです。イエスはこの女に救を伝道され,そして自分は約束されていたメシヤなるキリストである,とさえ告げました。(ヨハネ 4:4-30)もし,真理を不道徳な者に伝道してはならない,というのであるなら,パウロが淫行者,姦淫を為す者,男色をする者は神の御国にふさわしくない,と言つて後に,忠実なクリスチャンたちに向つて『あなた方の中には,以前はそんな人もいた』などと述べることは,できなかつたはずでしよう。―コリント前 6:9-11,新口。
19 新しい世の社会は,不文法の結婚と合意の結婚について,その成員に何を要求していますか。
19 新しい世の社会に入つている人は,ひとりとして同意結婚または不文法結婚を行うことが許されません。御国の音信を聞いたときに,すでにそのような状態にあつた人々は,適当な合法の儀式を行つてその結婚を合法なものとしなければなりません。そうしてから,はじめて神に対する献身を象徴する水の洗礼を受けることができます。それで,結婚を登記して法律上の認可をうけることにより,結婚の法律上の義務を明白に認めねばなりません。同時に法律の保護や他の恩恵を受けるようになります。子供たちの出生を法律的に認証し,そして自分たちがその両親であることを認めねばなりません。そのとき,新しい世の社会もこの合法の結婚についての記録をつくり,保管します。聖書にこう書かれています,『兄弟たちよ。各自は,その召されたままの状態で,神のみまえにいるべきである。』(コリント前 7:24,新口)しかし,汚れたままの状態では,神のみまえにいることができません。
20 (イ)どんな条件の下に合意の結婚は認められますか。このため,その女にはどんな義務が課せられますか。(ロ)どんな環境にいるときに,女は一時的な合意結婚している夫と関係を結ぶことを拒絶しますか。
20 仮に,同意結婚している妻が真理をうけ入れて,その結婚を合法なものにし,登記しようと欲しますが,男は利己的な理由からそれを絶対に承諾しない,という場合はどうでしようか。新しい世の社会は,その結婚を『事実上』のもの,と認めますが,しかし,それには次の条件をともないます。すなわち,この無力な婦人は,夫に対するように同意結婚している男にも操を守り,そして結婚を合法なものにすることを男に承諾させるなら,すぐにそれを行うと約束し,かつそのことを記す書類に署名しなければなりません。それで,この婦人は自分から男と離れて,この『事実上』の結婚を解消することができないのです。彼女の『事実上』の結婚をこのように一時的に認めるにしても,その婦人に法律上の恩恵が与えられるわけではありません。この婦人には,霊的な恩恵が与えられて,神に対する彼女の献身は,神に認められます。そして水の洗礼を受けて会衆の一員となり,御国の音信を伝道する特権に与ることができます。使徒ペテロが妻たちにすすめているごとく,彼女も男を真理に導いて,その事実上の結婚を合法なものとし,登記させるように努めるでしよう。夫婦は,自分たちの住んでいる社会に対して,その結婚を登記せねばならぬ,という義務を負つています。そして,社会全部と自分たちの所属する政府の前にあつて,二人が法律による夫と妻である,と発表しなければなりません。自分の妻を愛する人は,誇りをもつてその結婚を合法なものとし,登記するでしよう。同意結婚している夫が結婚を合法なものとせず,またその婦人が夫の扶助に依存せず,それに神の会衆の前で自分が彼に結ばれた妻である,と言明したくないなら,その男に向い,離れて頂きたい,と言わねばなりません。そして,今後はその男とすこしの関係をも持つてはならず,合法の結婚をするまで独身でいなければなりません。法律によつて不文法の結婚が認められている国や州では,結婚配偶者の片方または両方のなす合法の手段によつてのみ,この結婚を廃棄することができます。
21,22 (イ)二人の妻と合意結婚している男は,真理を受けいれるとき何をしなければなりませんか。(ロ)ひとりの女,または両方の女が真理を受けいれるとき,その責任は何ですか。
21 カトリックの支配している多くの国々では,一人の男が二人かまたはそれ以上の女と合意結婚を同時に行つています。すると,女二人が神の御国の音信を受けいれたり,また男も音信をうけ入れる,という場合が生じます。或は男は音信を受けいれないかもしれません。それらの人の献身は神に認められるものでしようか。また,献身の象徴である水の洗礼を受けることができるでしようか。もし男が真理を受けいれるなら,二人またはそれ以上の女のうちの一人を選んで自分の妻となし,その女と合法的な結婚をして,今後は他の女と関係を結んではなりません。もし男が真理をうけいれないならば,二人の女が事柄を決定します。両人が一人の男と関係を続けて,淫行を支持してはなりません。二人の女の中の一人は,その男の妻になるよう取極め,その男をして結婚を合法なものにさせなければなりません。または,結婚が合法になるまで,自分はその男の妻としてその男に結ばれている,と会衆の前で宣言することが必要です。別の女はこの取極めを認めて,今後はその男と関係を結んではならないのです。もしこのようにならないなら,そして特にこの男が他の女と合意結婚をしているなら,両方の女はこの男と関係を持つてはなりません。一夫多妻の男に妻の分を与えることはできません。
22 結婚の諸問題についての研究や,独身についての聖書的な見解は,次号の『ものみの塔』に記されています。