生存の希望は問題に直面する
1 なぜこの世的な要素は,生存の希望をこの世にさしのべることができませんか。
政治,軍事主義,資本主義,共産主義,社会主義あるいは,キリスト教国や異教国の宗教は生存の希望をこの時代にさしのべるかも知れません。彼らが,来たるべきものに対して防御の手段を講じても諸国民になされる神のさばきの執行に耐えることはできません。
2 この世的な見地に立つと,なぜ別の世界大戦に生き残るよりも,それ以前に死ぬ方が良いのですか。
2 1952年,当時80歳であった英国の著述家,哲学者,数学家であるバートランド・ラッセル卿は,次のように語ったと伝えられました,「別の世界大戦がないなら,私はもう10年生きたい。もし世界大戦があるなら,死んでいる方がましだ」。この英国の貴族は,核兵器やC・B・R兵器を用いて行なわれる別の世界大戦まで生き延びるよりは,その前に死ぬ方をのぞんでいました。諸国民の残余の者が,そのような大戦に生き残ったと考えてみましょう! しかし,この地上で生きるための美しいもの,高めるもの,そして健全なものが,その戦いの後に残るというような希望は,とうてい諸国民の提出し得るものではありません。それで,私たちが聖書を持っているということは,ほんとうによろこばしいこと,ほんとうに感謝すべきことであります! それは,真実の希望,信頼すべき希望をさしのべています。この希望をいだいて,私たちは生存の問題に直面することができます。聖書がないなら,私たちには希望はまったくありません。
3 神は人類の生存に興味を持っていることをどのように示していますか。イエスはその最大の患難についての預言の中で,私たちにどんな保証を与えましたか。
3 聖書の神は,人類の生存に深い関心を持っておられます。彼は,その聖書の中で,生存のための唯一つの希望をさしのべています。その聖書は,神が人間の永久の生存のために準備された,と明白に述べています。神の子イエス・キリストは,聖書の頁をとおして,地上における人間の生存を私たちに保証しました。彼は人間歴史上の最大の患難についての預言に,次の言葉をつけ加えました,「まったく,エホバaがその日を短かくされなかったなら,救われる者はひとりもいないであろう。しかし,その選民のために彼は日を短かくされた」。(マルコ 13:19,20,新世)奇跡的な生存は,そのように約束されました。そして,キリストの預言は成就されるでしょう。すなわちノアの日に人間や獣と鳥の肉が救われて,今日まで地上で生き得たことと同じようでありましょう。
4 ヨハネ伝 3章の中で,イエスは地上における人間の生存に対する神の関心をどのように示しましたか。神の御行為は,イエスのために何をふくみましたか。
4 神は,人間が地上で生存するということをのぞまれております。そして,それは彼の目的でもあります。神はそれについての最大の証拠を与えられました。神の独り子,イエス・キリストは,聖書のヨハネ伝 3章16,17節(新口)に記録されている次の言葉を語って,そのことを指し示しました,「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは,世をさばくためではなく,御子によって,この世が救われるためである」。神が御自分の独り子を与えられたことは,彼を天からつかわして,処女より人間の子として生まれさせるということを意味しました。また,敵が衆人環視のうちに彼を苦しみの抗につけて,恥ずかしい死をとげさせる,ということも意味しました。前述の言葉のすこし前のところで,イエスは次のように語られました,「天から下ってきた者,すなわち人の子のほかには,だれも天に上った者はない」。そして,ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように,人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が,すべて永遠の命を得るためである」。―ヨハネ 3:13-15,新口。また民数記略 21:4-9も見て下さい。
5 (イ)エホバ神は,どのように独り子を天の御自分のもとに戻らせましたか。(ロ)人類の生存ということについては,イエスはどのように彼の父のようであると示しましたか。
5 しかし,私たちのために神は独り子を天に再び戻されました。彼はかつて地上におられたときの人間の子として戻ったのでなく,栄光にかがやく,超人間の霊者として戻りました。彼が死んで三日目に,全能の神は死人の中から彼を天の生命によみがえらせました。(ペテロ前 3:18。コリント前 15:20,42-46)こういうすばらしい方法で,復活された神の御子は,その人間としての犠牲の価値をたずさえて天にのぼり,御自分の天的な父なる神にその価値をささげました。エホバ神は,人類の中の信者たちのために,イエスの人間としての犠牲の価値を,愛の御心の中にうけいれました。それで,この完全な人間の犠牲は,むだに捨てられなかったのです。その貴重な価値は,人類のためにこれからも全く適用されるでしょう。イエス・キリストも人類の生存に興味を持っているという点で,天の御父ににていることを示しました。彼が御自分の人間としての生命を犠牲として捨てられたのは,信仰を働かす人間種族が死なずに,楽園の状態になったこの地上で永遠の生命を得るためでありました。
神の目的は生存と結びついている
6 平和を叫ぶ諸国民は,神の述べたもうたどんな目的を挫折させようとつとめていますか。
6 諸国民は,公正をともなう平和や全世界の軍縮について大声に叫び立てています。しかし,彼らは実際には,人間をつくりたもうた神の目的を挫折させようと努力しているのです。神はこの地球を創造することについて目的を述べられています。その目的によると,人類,つまり人間家族は生存し,保存されます。神は聖書の筆記者イザヤを通して,私たちにその目的いてげておられます。神の目的に耳を傾けて聞を告ごらんなさい,「ヱホバは天を創造したまへる者にしてすなはち神なり,また地をもつくり成してこれをかたくしいたづらにこれを創造し給はず,これを人の住所につくりたまへり」。(イザヤ 45:18)20世紀の都会に建てられる巨大な家屋のように,私たちの地球は人間の住居になるために,エホバ神によりつくられました。聖書の詩篇 115篇15,16節は,私たちの地球についての神の目的をさらに説明する次の言葉を述べています,「なんぢらは天地をつくりたまへるヱホバに恵まるゝ者なり,天はエホバの天なり,されど地は人の子にあたへたまへり」。
7 神のどんな目的は,完全な男と女により成就されるはずでしたか。今日,ちがった色の皮膚を持つ諸国民は,誰の子孫ですか。
7 この地球は,ひとつの家族,すなわちアダムの家族,人間の家族によって住まわれるべきであります。今日のすべての国民は,皮膚の色がどのようなものであろうと,それにはかかわりなく,みなノアを通して最初の人間アダムの子孫です。クリスチャン使徒パウロは,正確にもこう語りました,「この世界と,その中にある万物とを造った神は,天地の主であるのだから,手で造った宮などにはお住みにならない。また,何か不足でもしておるかのように,人の手によって仕えられる必要もない。神は,すべての人々に命と息と万物とを与え,また,ひとりの人から,あらゆる民族をつくり出して,地の全面に住まわせた」。(使行 17:24-26,新口)神は最初の男と女にこう言われました,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物を治めよ」。(創世 1:28,新口)神のこの目的は,エデンの楽園から始まって,完全な夫婦によって成就されるはずのものでした。
8 今日,増大している諸国民は,この地に対する神の目的と一致して働いていますか。神がさばきを執行することは,なぜ神御自身の目的をくじきませんか。
8 神のこの目的は,すでに成就されましたか。今日の諸国民は,最近は人口過剰であり,またこの地球は,ほとんど不愉快になるほど多くの人でいっぱいになっていると考えます。しかし,諸国民がこの地球を人々でまったくみたすと,彼らは全人間種族を抹殺し,地から人をなくしてしまう道を追い求めるのです。間もなく,地球の人口は激滅するでしょう。神はそのさばきの日に諸国民にさばきを執行するからです。なぜなら,この世界,すなわちこの世の組織制度は滅ぼされねばなりません。しかし,神は全部の人間種族をひとりのこらず滅ぼすようなことをしません。神は大患難の日を短かくすることによって,この世に属さない人を救うでしょう。
9 なぜ神のさばきの執行は,救われる「人々」に対してなされませんか。
9 救われる人とは,ノアのような人々でしょう。彼らは,人間の悪が大きく,人間が心にはかることがいつも悪いこの世の中にあって,ノアのように神と共に歩きます。(創世 6:5,9)この世のものでない人々は,イエス・キリストの足跡にしたがいます。彼も,この地上で人間であられたとき,この世のものでありませんでした。(ヨハネ 17:14,16)これらの者たちに対して神は,諸国民のさばかれるこの日に是認のさばきをします。これらの者たちは,キリストの次の預言の成就にあずかっている者たちです,「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう」。その御国は,滅びに定められているこの世のものではありません。イエス・キリストは,「わたしの国はこの世のものではない」と言われました。(ヨハネ 18:36,新口)それで,滅亡に定める神のさばきは,その新しい世の御国の伝道者たちに対してなされません。
10 御国のたよりの伝道が終わってのち,何が来ますか。これは,誰にまたは何に適用しますか。
10 しかし,「この御国の福音」が伝道されて,全国民に対する証言が全地において完成した後は,どうなりますか。イエスは言葉をこうつづけられています,「そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14,新口)人間の全部あるいは全人類の「最後」でなく,この「組織制度」の「最後」です。なぜなら,その終りは最高潮に達するからです。(マタイ 24:3,14)この組織制度の一部になる者たちは,それとともに終るでしょう。
11 (イ)ノアの日の大洪水の結果と一致して,マタイ伝 24章35節の成就は,私たちの地球について何を意味しませんか。(ロ)なぜ御国伝道者は,その滅びからのぞかれますか。
11 イエスは,彼らの終りに言及しつつ,次のように言われました,「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」。(マタイ 24:35,新口)地上にいるキリストの弟子たちが述べ伝えている神の御国に反対する者たち,すなわち天と地にいる神の敵たちは,神がこの悪い組織制度にさばきを執行するときに滅んでしまうでしょう。現代の時代と良く類似している昔のノアの日には,人類の地的な住居は滅ぼされず,またそのときの大洪水ですべての肉が溺死したわけでもありません。(創世 7:4)それで,イエスの言葉が成就するとき,この地と月が文字通りに燃えあがり,人間の住民がひとりのこらず燃されてしまうということはありません。たしかに,聖書の筆記者ペテロは,神の言葉により「今の天と地とは……火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである」と述べています。しかし,ペテロは次のようにも言葉をつけ加えているのです,すなわちこの悪い天と地は「不信仰な人々がさばかれ,滅ぼさるべき日……まで,そのまま保たれているのである」。(ペテロ後 3:7,新口)しかし,今日生存している人全部が不信仰というわけではありません。神に献身しているキリストの弟子たちは不信仰ではありません。彼らは,この世のものではないのです。そのことをあかしするものとして,彼らはすべての国において家から家に出かけ,「御国のこの良いたより」を伝道しているのです。洪水の日のノアとその家族のように,彼らは来たるべき「不信仰な人々の滅び」にはいらないでしょう。
12 1900年のむかし,長くしのばれた神の寛容について,ペテロは何を書きましたか。
12 忠実なクリスチャンたちにあてられたペテロ後書は,64年頃に書かれました。すると,使徒ペテロがエホバ神の寛容について書いたのは,1900年むかしのことでした,「愛する者たちよ,この一事を忘れてはいけない。エホバbにとって一日は千年のようであり,千年は一日のようである。ある人々はおそいと考えているが,エホバcは彼の約束を果たすのにおそいのではない。エホバはあなたがたに対して忍耐されているのである。というのは彼はひとりでも滅びるのを望まれず,すべての者が悔い改めるようのぞまれているからである。しかし,エホバの日は盗人のように来るであろう。そのとき天は鳴りとどろく音と共に過ぎ去り,ひじょうに熱した諸要素はとけさり,地とその中にあるわざはばくろされるであろう」。―ペテロ後 3:8-10,新世。
13,14 それではペテロ後書 3:11-14にあるペテロの次の言葉は,だれに対して告げられているものですか。なぜ彼らに対してですか。
13 ノアが箱舟を建てた日の場合のように,西暦1914年以来の40年以上も,エホバは長く忍耐されてきました。聖書預言の光に照らし合わせてみるとき,あらゆる徴候は次のことを示します,すなわち不信仰な者たちに対してエホバがさばきを執行する日は近づいて,この時代の中に行なわれるということです。それで,聖書の生存の希望をしっかり保つ私たちに対して,ペテロは次の言葉を告げています。
14 「このように,これらのものはみなとけさるのであるから,あなたがたはきよい振舞と敬虔な行いをし,エホバの日の臨在を待ちのぞんで心にしっかりおぼえていなければならない。エホバの日には,天は燃えくずれ,天体はひじょうな熱でやけうせてしまう。神の約束により,私たちは正義のやどる新しい天と新しい地を待っている。それで,愛する者よ。あなたがたはこれらのことを待っているのであるから,最善をつくして,しみもなく,きずもなく,安らかな心で,神のみまえに立てるようはげみなさい」。―ペテロ後 3:11-14,新世。
15 それで,ペテロはこの時代の私たちに何を告げていますか。
15 それで,聖書の一部として今日まで保存された手紙により,使徒ペテロは滅びを避けるために何をすべきかを私たちに告げています。その滅びは,熱と,とどろく音と,燃える火と,溶解によって行なわれ,象徴的な天と不敬虔な人々の象徴的な地は,働くことができなくなるでしょう。1900年むかしのペテロは,この時代の私たちに,この不信仰な組織制度の全き終わりに生きのこるただひとつの道を告げています。私たちは,霊感をうけている彼の助言に注意をはらいますか。
16 もし私たちが,その来ることについてペテロの預言した者たちのような行いをするなら,私たちには何がのぞみますか。それで,私たちは,どのように行なうべきですか。
16 あるいは,私たちは,その来ることについてペテロによって預言された者のようになりますか。それらの者たちが来るゆえに,ペテロはこの不信仰な天と地を持つ組織制度の「末の日」に,敬虔な行いをすすめる言葉を書こうという衝動を感じました。ペテロは次のように書いています,「終りの時にあざける者たちが,あざけりながら出てきて,自分の欲情のままに生活し,『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから,すべてのものは天地創造の初めからそのままであって,変ってはいない』と言うであろう」。(ペテロ後 3:3,4,新口)もし私たちが,預言されていた嘲笑者のような行いをするなら,エホバの火のごときさばきの日は,私たちの上に突如として盗人のごとく襲いかかり,私たちは生きのこって,正しい制度なる新しい天と新しい地に救い入れられるのにふさわしい者とさばかれないでしょう。しかし,感謝の念を持って,新しい秩序に対しての希望をしっかり保つなら,私たちはペテロが私たちにつよくすすめた行いをすることにより,生存の問題に直面します。
生き残って待ちのぞむもの!
17 人間家族の敬虔な成員はどこで生き残りますか。いつ「全地の神」についてのイザヤ書 5章5節は適用しますか。
17 エホバが不信仰な天と地を滅ぼしても,この宇宙に空虚,無,あるいは空が残るということはありません。無数の太陽や遊星,宇宙塵や銀河を持つ外界に,新しい住居はつくられません。この地球は,是認をうけた敬虔な人間家族が生きつづけるために住居として生きのこります。そして,太陽も,月も,星ものこるのです。象徴的な新しい天と新しい地の創造者なるエホバについては,そのことを裏書きする言葉が,次のように書かれています,「全地の神ととなえられる」。(イザヤ 54:5,新口)今日,この預言は,共産主義者の支配する地上3分の1の場所で成就しておらず,また物質主義にみちる世俗的なキリスト教国でも成就していません。その預言は,エホバがその火のごとき日のさばきを執行して,現在の不信仰な組織制度を滅ぼしてのち,全地で実現するでしょう。エホバの大敵対者サタン悪魔は,もはや崇拝をうける「この組織制度の神」でなくなります。この「いまの悪い組織制度」は,エホバ神のさばきの日に永久に滅ぼされてしまうでしょう。それで,サタンは地上に崇拝者をひとりも持たず,彼および彼とともにいる悪鬼どもたちは,底のないところに投げいれられ,偽りの神々と唱えられるその神性をとられてしまうでしょう。―コリント後 4:4。ガラテヤ 1:4。黙示 20:1-3。
18 (イ)その時マタイ伝 6章9,10節の祈りはどのように答えられますか。(ロ)どのように,そしてなぜ生き残る人類は,新しい天の下で生活しますか。
18 すると,次のことも真実になるにちがいありません,「ヱホバ全地の王となりたまはん」。(ゼカリヤ 14:9)これは,イエスの模範的な祈りにたいするすばらしい答であります。イエスは,天の御父に祈るように弟子たちにその祈りを教えました,「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」。(マタイ 6:9,10,新口)聖書の預言および時の計算によると,エホバは1914年に御自分の右におられた御子イエス・キリストを天の御座につけエホバの御名によって全地を支配させ,生きのこる人類のためにひとつの宇宙政府を備えました。この理由の故に,彼らは新しい天,すなわち新しい霊的な政府のもとに生活するでしょう。サタン悪魔は,もはや「空中の権をもつ君,すなわち不従順の子らの中に今も働いている霊」ではありません。(エペソ 2:2,新口)そのとき,いまから1900年のむかし,エルサレムで語られたイエス・キリストの預言的な言葉は成就するでしょう,「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう」。「この世の君がさばかれるからである」。(ヨハネ 12:31; 16:11,新口)サタンとその霊者なる悪鬼共は,もはやこの世の人類を支配する,悪い天として,人間の目に見えない働きをしないでしょう。そして,苦しみなやむ人間種族の無秩序を促進するということはないでしょう。
19,20 (イ)新しい天は誰に対して支配し始めますか,しかし,その後間もなくして,だれがこれらの者たちに加わりますか。(ロ)イエスの言葉によると,なぜこれらの後者の者たちはそのようなものを正しく期待しましたか。
19 「新しい天」,すなわち即位している御子イエス・キリストの運営する神の御国は,「いまの天と地」に執行される神のさばきのわざに生き残る敬虔な人全部に対して支配しはじめるでしょう。生き残る人とは,不敬虔な人々からの干渉や非難や迫害なしに,エホバ神と歩きつづけます。ちょうど,むかしの不敬虔な世界で,ノアが大洪水前とその後でも,真の神と共に歩いたのと,同じようです。実際のところ,ノア自身も間もない中に生存者たちに加わり,彼らといっしょに,同じ真の神と共に歩くでしょう。イエス・キリストは苦しみの杭の上で死んで,死人の中からよみがえされ,天にのぼって,彼を信ずるすべての人のために,そのあがないの犠牲の価値を神にささげました。その時以前のエホバ神のむかしの他の族長や預言者,そして忠実な証者たちも,ノアの場合と同じようになるでしょう。ノアや,これらのキリスト教以前のエホバ神の証者たちは,死人からの復活を待ちのぞんでいました。それはまったく当然であります。なぜなら,イエス・キリストは,疑いの念を持っていた聴衆に,かつてこう言われたからです。
20 「記憶の墓にいる者がみな彼の声を聞いて出て来る時が来る。善を行なった者は生命に復活し,悪を行なった者は,さばきに復活するであろう。わたしは……ただ聞くままにさばくのである。そして,わたしのこのさばきは正しい。それは,わたし自身の考えでするのではなく,わたしをつかわされたかたの,み旨を求めているからである」。―ヨハネ 5:28-30,新世。
21 それで,地球はだれだけによって住まわれませんか。彼らはしばらくのあいだどんな命令に参加しますか。
21 それで,この地に住む人々は,「世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難」の生存者たちだけではありません。地的な楽園における永遠の生命という希望を持つこれらの地的な生存者たちは,エデンの楽園で完全なアダムとエバに最初与えられた,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ」(創世 1:28,新口)という神命にしばらくのあいだ参加するでしょう。この命令は,ノアの大洪水の直後,ノアとその家族が箱舟から出てきて,清められた地でエホバの崇拝を復興したときにも繰り返して言われました。神は彼らを祝福して,次のように言われました,「生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ」。(創世 8:15から9:1まで,新口)「大いなる患難」によって,この地上にのこる状態が,どんなものであっても,生き残る者たちはこの地を支配し,そして生めよふえよとの神命をすい行することにより,神が良しと見られるかぎりこの地に人をみたし始めるでしょう。
22 地上には何が現われますか。誰がその住民の残りを供給しますか。どのくらいの期間?
22 地の創造者の祝福と援助のもとに,新しい地的な楽園は現われて,しだいに全地を覆うでしょう。死人の中から復活される者たちは,地上の人口の残りの部分になるでしょう。彼らもエホバ神に忠実な崇拝をささげ,イエス・キリストによるエホバの神権政府に絶対の忠節を保って従順であるなら,全地にひろがる楽園を楽しむでしょう。その楽園の地上にいる忠実な者たちは,象徴的に言って,みな「新しい地」を構成します。すなわち,新しい基礎にもとづいて組織され,神の新しい天を通して知らされる神の御こころにしたがって運営される地的な社会です。この「新しい地」は,神の最終的なさばきを通過して,永久に存続するでしょう。
23 この新しい組織については使徒ヨハネは前もってどのように示しましたか。なぜ彼はそれを描写して書きましたか。
23 神をあがめるこの新しい組織の状態を前もって見たいとのぞみますか。年老いた使徒ヨハネは,聖書の最後の本を書いて,その状態を示しました。彼は次のように書いています,「わたしはまた,新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り,〔不敬虔な人類の〕海もなくなってしまった」。ヨハネは,そのまぼろしを書きしるしました。なぜなら,天の御座につくエホバ神からそうするように告げられたからです。「すると,御座にいますかたが言われた,『見よ,わたしはすべてのものを新たにする』また言われた,『書きしるせ。これらの言葉は,信ずべきであり,まことである』」。―黙示 21:1,5,新口。
24 それでは,なぜ私たちは,聖書を持っていることに感謝すべきですか。そして,私たちの希望にしたがい,私たちは何に生き残りますか。
24 それで,私たちは今日聖書を持っていることに心から感謝せざるを得ません。もしエホバ神がいままで御自分の本である聖書を保存しなかったなら,私たちはエホバ神の御わざ,目的,そして約束についての正確な記録を持っていないことになります。私たちは,この悪い世の終りを通って,神の創造する永遠の新しい世にはいる方法を知ることができません。ほんとうに,生きのこって期待するものがあるのです。それは,なんとすばらしいものでしょう! 希望をいだく私たちは,その希望に従って生活することにより,今日の生存の問題を解決することができます。私たちは,放射能とか化学薬品,そして病菌で毒される地球,海,そして空気の存在する戦後の秩序に生きのこるのではありません。私たちは清められた地に生きのこるのです。楽園の美は,そのために保留されています。私たちは,サタンや悪鬼共のいない新しい秩序に生きのこります。キリストによる約束された神の正義の御国は完全な支配を行ない,生きている者でも死んでいる者でも,信仰を持つ従順な人々を永久に祝福するでしょう。
25 (イ)生きのこりたいと願う人々は,いまだれを求めるべきですか。そして,なぜ?(ロ)何に注意を払うことによって私たちは生きのこることができますか。どのくらいの期間?
25 滅亡に定められたこの組織制度が滅んでしまう大患難に生きのこるあなたがたは,みなエホバと,キリストによる彼の御国を求めなさい。サタン悪魔と,彼の支配するこの世的な組織制度は,あなたの生存に興味を持っておらず,またあなたの生存を保証しません。(黙示 12:12)エホバ神は,愛の御心のうちに,あなたの生存に興味を持っています。エホバ神はまた,王なる御子イエス・キリストを通して,あなたの生存をはかることができます。世界の支配者にとって,全人間家族の生存が問題になっているこのさばきの時に,あなたの神,生命の与え主,そして保護者としてエホバを求めなさい。いまは,ノアの日のときと同じく「ヱホバはおのれを愛しむものをすべて守りたまへど,悪者をことごとく滅したまはん」(詩 145:20)エホバ神は聖書の中で私たちのために御言葉を守られました。そして,神の御言葉は永久に存続します。(イザヤ 40:8。ペテロ前 1:25)神の朽ちることのない御言葉に注意をはらって,それを行なうことによりそれとともに永久に生き残りなさい。
26 (イ)私たちはどんな本を求めるべきですか。そしてなぜ?(ロ)聖書を読む者はまた,神の備えたもうどんな援助をうけいれるべきですか。彼らは生存の問題に成功裡にどう直面しますか。
26 「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は永遠にながらえる」。(ヨハネ第一書 2:17,新口)神の御こころを表わし示す聖書は,生存についての現在の問題に対する解決案を間ちがいなく示しています。もしあなたがまだ聖書を持っておられないなら,1000以上の言葉で訳されている聖書をはやくお求めください。美しい昔の文学作品として聖書を読むのでなく,祈りの気持をこめ,信仰の念をもって聖書を読みなさい。聖書を「神の言として ― 事実そのとおりであるが ―」信じなさい。(テサロニケ前 2:13,新口)また,神の書かれた御言葉を理解するために神が今日あなたのために備えられている援助をうけいれなさい。その援助とは,破滅的な終りが来る前に,全国民への最終的なあかしをするために全地に「この御国の良いたより」を伝道しているエホバの献身した証者たちです。(マタイ 24:14)そのとき,あなたも彼らに加わって,生存と永遠の生命についての栄光に輝く御国の音信をのべひろめる資格を持つでしょう。生存の希望によろこびなさい。そして,聖書の与える真実の解決策を適用することにより,この生存の大問題に直面し,成功して下さい。そして神に栄光をささげて下さい。
[脚注]
a キリストの生涯についてのマルコの伝記がヘブル語に訳されて出版されています。その七つの翻訳は,ここのところで「主」と述べず「エホバ」と述べています。1950年に出版された「クリスチャン・ギリシャ語聖書の新世訳」(英文)の脚注Cを参照。
b 出版されている七つのヘブル語訳は,ここを「エホバ」と訳出しています。
c 六つのヘブル語訳は,ここを「エホバ」と訳出しています。