あなたはエホバの証人の音信をわずらわしく感じますか
1 エホのバ証人の訪問に対して,ある人はどんな態度をとりますか。
ストレスと緊張の増し加わっているこの時代には,多くのものが人をいらだたせます。人は新聞やラジオのニュースを聞いて不安を感じ,日常生活の多くの問題にわずらわされて神経をいらだたせています。そこへエホバの証人が伝道におとずれ,この世が神の怒りを受けていること,その影響があなたにも及ぶことを告げるならば,あなたは腹をたてるかもしれません。同じ知性を持つあなたにむかって指図がましいことを言うのは,はなはだしく厚顔であると,思われることでしょう。
2 今日の不安なニュースを読むとき,人はそれを報道する新聞をどのように見ますか。
2 新聞はこの世の多くの不正,犯罪の増加,夜間外出の危険,核戦争の脅威,道徳の低下,政治の腐敗その他,心を乱すような事件を報じています。しかしこれらの事実を報道するからといって,新聞に腹をたてる人はいません。ニュースは新聞社の作り出すものではありません。新聞は人々に事実を知らせる大切な機能をはたしています。読者はいろいろな事実を知ることによって賢明に行動し,災いを避けることさえできるでしょう。しかし報道される事件のあるものに対して人の怒りを感じたり,あるいはそれを警告として受け取ったりします。いっぽう,正義が勝ち,公正が行なわれたことを知る時,人は喜びを感じます。
3 (イ)人はなぜエホバの証人に対して腹をたてたり,うるさく思うべきではありませんか。(ロ)エホバの証人がおとずれる理由はなんですか。そのことばに耳を傾けるのは,なぜ良いことですか。
3 では,エホバの証人のもたらす音信に対して,なぜ異なった見解をとるのですか。彼らは自分たちの聞いたことを伝えているだけなのです。その音信は新聞に報ぜられるものとは確かに異なっています。しかしそれはやはりニュースです。それが異なっているのは良いことです。それは最も高い源から出ています。それは新聞で毎日読むニュースの背後にある意味と原因を説明し,またどんな行動をとるべきかに関して,高い源からの助言を伝えています。それはだれもがよく耳にする悪いニュースに関してよりも,良い事柄,明るい見通しに関して多くのことを述べています。ゆえにエホバの証人は,真実の源から出た真理であり,安全な導きであることをみずから証明した音信を伝えているにすぎません。彼らは,その伝える良い音信が人々の望む良い事柄と一致していると考えます。また人間の願いでありながら実現されないでいる正義を,あなたが望まれていると考えます。彼らは,この世が神の怒りを受けていると言います。それは聞きたくない事のように思われるかもしれません。しかしそれが真実のことであれば,エホバの証人がなぜそれを言うか,またなぜこの世が神の怒りを受けているかを知るのは良いことです。公平な目で聖書のわずか四つの句を検討していただきたいと思います。そして聖書にのみ見いだされる情報の分野に目をむけてください。
天の光景を見る
4 神の怒りについて,何が使徒に示されましたか。
4 これから検討するニュースを初めに伝えたのは使徒ヨハネです。ヨハネはそれを初めに聞き,それが終わりの時に適用されるということを告げられました。ヨハネに示されたところによれば,神は世に対して永久に怒りをいだかれるのではなく,怒りを表わされてのちにそれを終わらせます。(黙示 15:1)これから見ようとするものは,黙示録 15章5節から8節の四つの節より成っており,それは前述の問いの答えを得るのに役だちます。
5 黙示録 15章5節から8節に示された天の光景は,何を啓示していますか。
5 「その後,わたしが見ていると,天にある,あかしの幕屋の聖所が開かれ,その聖所から,七つの災害を携えている七人の御使が,汚れのない,光り輝く亜麻布を身にまとい,金の帯を胸にしめて,出てきた。そして,四つの生き物の一つが,世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を,七人の御使に渡した。すると,聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ,七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは,だれも聖所にはいることができなかった」。
6 この天の光景になぜ関心を持つべきですか。
6 天の領域に立ち入るこの光景を見ることは大切です。天は地よりも高い領域であり,神と天使の考え,また地上の事柄に関して行なわれている神と天使のわざを知ることから,大きな益を得られるからです。そこで,これらのことばを綿密に分析し,神からの音信が何を告げているかを知ることにしましょう。またわたしたちがそれに関係しているかどうか,またそれに対してどんな行動をとることができるか見ることにします。
7 「天にある,あかしの幕屋の聖所」にはいることを,天使たちが許されていることは何を示していますか。
7 ヨハネは,天に開かれたあかしの幕屋の聖所の中を見ました。聖所は神聖な場所であり,神が実際に,あるいはみたまによって間接に住まわれる所です。イスラエルの時代に,荒野の幕屋すなわち崇拝の天幕は聖所と呼ばれました。その中の至聖所と呼ばれる仕切りの中には,エホバご自身の臨在を表わす聖なる契約の箱が安置されていました。贖罪の日に大祭司は動物の血を契約の箱の前にふりそそぐため,あたかも天そのものにはいるかのように,至聖所にはいりました。それが意味したものは,復活したイエス・キリストが全人類のための,永久の真の大祭司として,ご自身の人間の犠牲の価値をささげるため,天において神の前に現われた時に成就されました。
8 天使たちの着ける亜麻布の衣と帯は,何を象徴していますか。
8 さてこの聖所すなわち神の臨在の宮の中にはいるのを許された7人の天使が見えます。聖所から出てくる天使は,汚れのない白い亜麻布を身に着けています。亜麻布は清さと義を象徴します。(黙示 19:8)これは,最高度に清く,聖なる神の臨在の場所にはいることを彼らが許された事実と一致しています。(イザヤ 6:1-4。黙示 1:12-17)これらの天使が胸に帯をしめていることは,彼らが神のしもべであるしるしです。聖書にはこの象徴的な語法が使われています。イエスはふたたび来られて追随者に仕えることを言われ,その時に帯をしめると言われました。(ルカ 12:37)イエスはしもべとなって使徒たちの足を洗われた時,手ぬぐいを腰にまかれました。(ヨハネ 13:4,5)イラエルの集会の幕屋で神に奉仕した大祭司,祭司およびレビ人は,帯をしめました。―レビ 8:7,13。サムエル上 2:18。
9 帯が金であることは何を示し,また何の保証となっていますか。
9 7人の天使は黄金の帯をしめています。イスラエルの集会の幕屋において,黄金は天的な,神の事柄を表わすのに用いられました。(出エジプト 25:10,11,17,23,24,29,31)それで「七人の御使」によって代表される天使たちは,最も貴重な,神への奉仕を委ねられています。したがってこれらの天使の行なう奉仕は,清く,正しいものであり,神のみこころと一致したものでなければなりません。わたしたちは,これらの天使が神のみこころに従って災いをそそぎつくすことを期待できます。
災いは全く正義のもの
10 四つの生き物は何の象徴ですか。
10 まちがった事が正しくされるのを望む人ならば,ここで起きる出来事に喜ぶでしょう。「四つの生き物の一つが,世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を,七人の御使に渡した」。四つの生き物は何の象徴ですか。また御使に鉢を渡したのはそのうちのどれですか。黙示録 4章6,7節には,神の御座の中およびその回りに四つの生き物のいることが描れています。それらは,四つの属性を持つ被造物の組織を象徴しています。これら四つの属性は創造者ご自身に宿り,また創造者のかたちに造られた被造物に授けられているものです。聖書は神の四つの主要な性質が,正義,力,愛,知恵であることを述べています。それは完全な平衡と調和を保って神ご自身の中に宿っている,生きた性質です。それらは神に似た被造物にも宿っています。
11 四つの生き物のそれぞれを描写し,それが何を象徴するかを述べなさい。
11 これらの生き物が何を表わすかを理解するかぎは,聖書の中にあります。四つの生き物はそれぞれ(1)ししのようであり,(2)雄牛のようであり,(3)人のような顔をしており,(4)わしのようです。ししは正義を象徴します。(列王上 10:18-20。歴代下 9:17-19)雄牛は力を表わすために用いられています。(箴言 14:4)人間は神のかたちに造られました。そして人間の造り主について,「神は愛である」と聖書に書かれています。(ヨハネ第一 4:16)そこで人のような顔をしたものは愛という属性を表わしています。わしは天的な知恵の象徴です。―ヨブ 39:27-29。
12 7人の天使に七つの鉢を渡したのはどの生き物ですか。そのことは何を保証していますか。
12 天使のはたす役割は,神を立証し,神の義を証明するため神の怒りをそそぐことと関連しています。ゆえに天使に鉢を渡すのは第一の生き物です。災いをそそぐことは,エホバによって位につけられた王,「ユダ族のしし」,ダビデの若技であるかたの指図の下に天子たちの手によって行なわれます。(黙示 5:5)このように表わされる神の怒りが,完全な正義によって制御されているのを知ることは喜びです。これらの災いの中にひとつとして不正なものはありません。
神ご自身が音信にかかわりを持たれている
13 聖所を満たした煙は何を表わし,だれも聖所にはいれなかったことは何を表わしていますか。
13 天使のこの活動に関する音信を聞くべき大きな理由は,次に起こる畏怖すべきでき事によって強調されています。「すると,聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ(た)」。煙は聖所における神の臨在を表わしています。それはソロモンの建てた宮の献納に際して起きた栄光のある出来事と似ています。神の栄光があまりにも大きかったため,「たれも聖所にはいることができなかった」のは,やはりソロモンの宮の献納の時に類似しています。雲がエホバの家に満ちた時,「祭司は雲の故をもて立ちて奉事をなすことを得ざりきエホバの栄光神の室に充ちたればなり」。(歴代下 5:13,14,文語)これは,エホバが力と栄光をもってさばきのため天の宮に臨在されており,神の怒りをこの世にそそぐことを支援しておられる証拠です。
14 災いの終わるまでは,煙のためにだれも聖所にはいれなかったということは,何を示しています
14 創造者はこの事柄にどれほど関心を払っていられますか。「七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは,だれも聖所にはいることができなかった」。これは,最後の七つの災いが完全にそそがれるのを見とどけるため,エホバが聖所にとどまっておられることを示しています。すべての鉢が命令どおり完全にそそがれたことを,聖所の神に報告しなければなりません。ゆえに神の被造物であるあなたは,何が報告されるかを知るために最大の注意を払うべきではありませんか。
15 (イ)鉢を傾けてそそぐことは何を象徴していますか。(ロ)実際に鉢を傾けるのはだれですか。それに関連して,人間がするのはどんなことですか。
15 神の怒りを盛った黄金の鉢のそれぞれを傾けることは,神からの知らせが啓示されることを象徴しています。それは神の前でさばかれ,さばきの執行を待つ人々に関して,神から下された判決の知らせです。あとで黙示録 16章を検討する時にわかるように,鉢はいま傾けられています。鉢に盛られたものをそそぎ,事態を明らかにし,災いに関連して表明されたさばきを施行しているのは天使なのです。災いに関連して人間が用いられているのは事実です。すなわち災いの意味する事柄を人々に告げるために,人間が用いられています。しかしそれだけにすぎません。彼らは,怒りを受ける者に神の怒りが執行されて,黙示録に描かれている状態がもたらされることには何の関係もありません。
16 (イ)災いによって成し遂げられるものを悟る時,何を理解できますか。(ロ)エホバの証人からこれらの事を聞いて腹だたしく思う人は,どんな論理に従って物を考えるべきですか。
16 災いに関して神が宣べ伝えさせている音信に耳を傾け,それぞれの災いの意味するものを悟るならば,神の怒るわけを容易に理解できます。災いによって成し遂げられる事柄を知る時,災いは,地に正義の行なわれることを望む人々にとって良いものであることがわかるでしょう。サタンに支配されている悪人のために,地上には多くの災いや苦難が生じました。そして事態はますます悪くなっています。神からの災いはこれらの悪人を悩ませます。神がみことばの中で告げている災いに関して聞く時に腹だたしく思う人は,神の怒りを受けるものに対して自分がどんな立場をとっているかを反省してみなければなりません。その人の見解はまちがっているかもしれません。その人はこの世とその悪の道を愛しているのかもしれません。しかしわたしたちは創造者である神と意見を異にすることを望まないではありませんか。人間が神の怒りを招くとすれば,非常に悪い状態が存在しているのです。人間の社会が神から災いを受けるとすれば,その事物の制度とならわしには悪いところがあるのです。
災いから害を受けるのを避けなさい
17 災いを宣明するわざをエホバの証人が行なうことは,なぜ必要ですか。
17 神は,世界の事態を正す十分な機会を人間に与えてこられました。しかし人間はそのことに失敗し,しかも事態を悪化させています。いま神はご自身の態度を表明し,怒りを終わらせようとされています。そして正しいことが行なわれるのを真に願っている人々の願いをかなえてくださるでしょう。エホバの証人はそのことを知り,その音信を伝えることができるのを喜んでいます。音信を伝える者として,彼らは人々をおとずれ,人々が神の態度を知って,災いから身を守る立場をとるように援助しなければなりません。神がわざを行なわせている理由も,ここにあるのです。それは御国の福音をあかしのため全世界に宣べ伝えることの一部であり,その中には神の刑罰の日を宣明し,また地に行なわれている憎むべき事のために嘆く人々を慰めることが含まれています。エホバの証人がそのことをしなければ,石が叫ぶであろうと,聖書は述べています。(ルカ 19:40)これほど重大なことであれば,腹をたてるかわりに耳を傾けるのが当然です。それにより,自分のとるべき立場をどう考えるかにつき,決定を下すことができます。それは軽々しく考えてよいことではありません。
18 (イ)一部の人々が腹だたしく思うにもかかわらず,エホバの証人がこれらの災いに関する真理を宣明するのはなぜですか。(ロ)災いについての真理を宣べ伝えるエホバの証人の動機は何ですか。
18 エホバの証人はその使命を真剣に考え,それゆえに,たとえ,一部の人が腹を立てても伝道のわざをつづけます。彼らはだれかを怒らせようとしているのではありません。しかし彼らは神のことばに手加減を加えるようなことをしません。そのようなことをすれば,その音信はこの世の報道機関のニュースの場合に多く見られると同じく,検閲され,「片寄った」不明確な音信となるでしょう。それはまちがったもの,人をあやまらせるものとなります。エホバの証人は神の警告の重大さを知り,人々が真理を聞くことを望んでいます。災いから害を受ける必要はだれもありません。人は神の警告を聞き,それに従って行動することができます。エホバの証人は,真実の,信頼できるニュースを望む,心の正しい人々を喜んで援助します。その伝道は悪意から出たものではなく,人を非難したり,あるいは名前を売ったりするためのものではありません。彼らは隣人を愛し,それゆえに熱意をいだいてあなたの家をおとずれるのです。