火に耐えるものを用いて正しい土台の上に建てる
「それぞれの仕事は,はっきりとわかってくる。すなわち,かの日は火の中に現われて,それを明らかにし,またその火は,それぞれの仕事がどんなものであるかを,ためすであろう」― コリント第一 3:13。
1 余分の資金を投じて耐火性の資材を使うことの価値はどのようにあらわれますか。
耐火構造にするなら高価な建物を火災から守ることができます。これは主として耐火性の材料を使うことによってなされます。耐火構造の建物であれば,そのどこかに火災が起きても,それが全体に燃えひろがり,建物全部を灰にすることはありません。また周囲から火の手が及んでも,ただ火のにおいがつき,外部が少し色あせるだけですみ,建物そのものはほとんど影響を受けません。建物に使った耐火材の価値はあらわれ,余分の資金と労力を投じたことは報われます。
2 アメリカの建築法規にある防火建築の規準は,建築資材の重要な役割をどう示していますか。
2 それゆえ,建築法規に従う建築主は報いを受けるでしょう。アメリカの建築法規は防火建築に規準を設け,「外壁,柱,および壁をささえる大ばりや屋根のけた構えなどには4時間,床と壁には3時間の耐火能力のある不燃性資材を使用した建物で,重みのかかる内外の壁にはすべて石および鉄筋コンクリートを用いたもの」と定めています。(「アメリカナ百科事典」1956年版第2巻246ページ,「防火」の項)ここにも明らかなとおり,大切なのは土台の上にたつ建物の材料です。
3,4 エルサレムにあったヘロデの宮はどんなものによって破壊されましたか。そのことはどのように起きましたか。
3 ヘロデ大王の建てた宮は大きさと高価さにおいて史上有数の建物とされていますが,これは火で焼かれました。この宮は同じく火炎の犠牲となった,エルサレムのソロモン王の宮のあとに建てられたものです。1900年前のヘロデの宮の壊滅について,一百科辞典a にはこう書かれています。
4 「西暦70年のローマ人に対するユダヤ人の最終的な抵抗の際に,決戦の場となったのは宮である。ローマ人はアントニオの塔から宮の境内になだれ込んだが,宮の広間に火をつけたのはユダヤ人自身である。ローマ軍の一兵士は宮の北側の建物にたいまつを投げ込んだ。これは〔ローマの将軍〕チツスの意に反するものであったが,結果として宮の全域に火をかけることになった。チツス自身は消火に努めたのである。……〔ユダヤ人の歴史家フラビウス〕・ヨセハスはこう述べている。『このことの起きた時期についてはただ驚くのみである。なぜなら,すでに述べたとおり,同じ月の同じ日〔月暦第5月の月アブの10日〕は,バビロニア人が最初に宮を焼いた日として記念されているからである。さて,ソロモン王が最初に宮の土台をすえた時から,ベスパシアン〔帝〕の第2年に起きたこの宮の壊滅までは1130年と7カ月15日である。また,〔ペルシャの〕クロス王の第2年にハガイによってなされたこの宮の再建からベスパシアンの治世におけるその壊滅までは639年と45日である』」。
5 ソロモン王の宮はどのように破壊されましたか。だれによって?
5 エルサレムにあったソロモンの宮がバビロンの征服王によって紀元前607年に滅ぼされたことについては,聖書の歴史家がこう書いています。「〔彼は〕神の宮を焼き,エルサレムの城壁をくずし,そのうちの宮殿をことごとく火で焼き,そのうちの尊い器物をことごとくこわした」― 歴代下 36:19。エレミヤ 52:12-14。
6 (イ)これらエルサレムにあった宮の壊滅と共にエホバの像がなくなることはありませんでした。それはなぜですか。(ロ)エホバの崇拝のために今どんな建物が造られていますか。どんな建築規準に従って?
6 これらエルサレムの宮の壊滅に伴って,神の像や彫像が焼失することはありませんでした。なぜなら,そこで崇拝された神は,崇拝者が偶像を作ることをいっさい禁じられたからです。(出エジプト 20:1-6)また,それらの宮で行なわれた神の崇拝は物質の宮の壊滅の後にも存続して今日まで行なわれ,事実それは今日繁栄しています。この神は地上の物質の宮を必要とされません。それでも神はご自分の崇拝のために,全時代を通じて最大の宮を建設しておられます。(イザヤ 66:1。列王上 8:27-30。使行 17:24-28)この宮は永遠に存続するでしょう。なぜならそれは火に耐えるもので造られているからです。それは世界に来らんとする火のような苦難の時代を無きずで通過するだけでなく,そのことによって美しさと輝きをいや増すでしょう。この宮の設計や資材は地上の特定の国家の建築規準や防火規則に従っていません。これは至上の設計者であられる天と地の創造者の建築規準に従っているのです。そして創造者が選し,創造者ご自身が供給される資材で造られています。
7 エホバの永遠の宮とヘロデの宮や聖ペテロ寺院との建築期間を比べなさい。
7 創造者であられる神は,地上のいかなる建物の建設に費やされたよりも多くの時間を,この宮の造営にあてておられます。ヘロデの宮について,ユダヤ人は1900年前,イエス・キリストに言いました。「この神殿を建てるのには,46年もかかっています」。(ヨハネ 2:20)ローマカトリック教会の中心的な建物であるバチカン市の聖ペテロ寺院の礎石を置いたのは4世紀のコンスタンチン帝ですが,これは16世紀の宗教改革者ルターの時代になってもまだ完成されていませんでした。しかし神は,崇拝のためのご自分の永遠の宮の建設を第1世紀のイエス・キリストの使徒の時代に始められ,今日なお続けておられます。そして19世紀後の今日はじめて,それは完成に近づいているのです。
建設のために共に働く人々
8 (イ)宮の建設において,神はだれを用いることをよしとされますか。(ロ)パウロはこの点をどう論じていますか。また会衆内の党派的な傾向をどう戒めていますか。
8 この火に耐える宮の建設において,神は地上の人間が共に働くことをよしとしておられます。あなたはこの宮の建設のために神と共に働いておられますか。クリスチャン使徒パウロはそのひとりでした。またパウロのよく知る有弁なキリストの弟子,エジプト,アレキサンドリア生まれの改宗したユダヤ人アポロもそのひとりでした。ふたりが互いに神と共に働く者であることについて,使徒パウロはギリシャ,コリントのクリスチャン会衆に手紙を送り,宗教上の特定の人物に従おうとする党派心を戒めました。「ある人は『わたしはパウロに』と言い,ほかの人は『わたしはアポロに』と言っているようでは,あなたがたは普通の人間ではないか。アポロは,いったい,何者か。また,パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ,主から与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え,アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは,神である。だから,植える者も水をそそぐ者も,ともに取るに足りない。大事なのは,成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであって,それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり,神の建物である」― コリント第一 3:4-9。
9 どういう意味でパウロは植え手でしたか。コリント会衆を例として述べなさい。
9 水をそそぐことより植えることのほうが先です。そして自らを植え手にたとえているとおり,初めに開設の仕事をしたのは使徒パウロです。彼はキリスト教の開拓者となって働いていました。このことはコリントのクリスチャン会衆の場合に特にあてはまります。パウロは宣教者としてこの町に着き,ユダヤ教の会堂でイエスがメシヤであることを伝道し始めました。後にパウロは信者となったユダヤ人を会堂の隣の家の集会所に移さねばなりませんでした。パウロは会堂づかさクリスポとその家族,およびガイオという名の信者とステパナの家族に浸礼を施しました。
10 パウロがコリントに植えたものにアポロが水をそそぐにいたったいきさつを述べなさい。
10 コリントで1年半ほどキリスト教を教えたのち,パウロは事情があってエルサレムへ行くことになりました。その道すがら,彼は小アジアのエペソに立ち寄り,同行のアクラとプリスキラをその地に残しました。(使行 18:1-22。コリント第一 1:13-16)そののち,キリスト教に少し通じたアポロがエペソに着き,会堂で伝道しました。アクラとプリスキラは彼と知り合い,キリスト教についてさらに説き明かしました。アポロが(ギリシャの)アカヤに行こうとした時,エペソのクリスチャン兄弟たちは彼を推薦する手紙を持たせました。こうしてアポロはコリント会衆と関係を持つことになり,ここの人々を助けるために働きました。たとえで言うなら,彼は使徒パウロが植えた種に水をそそいだのです。(使行 18:24–19:1)しかしだれが成長をはかりましたか。それは神です。
11 (イ)コリントで働いたパウロは実際に何を植えていたのですか。(ロ)成長をはかられたのはどなたですか。成育する作物畑はだれのものでしたか。
11 パウロはコリントでどんな種を植えましたか。それはクリスチャン,つまりイエス・キリストの弟子です。これは麦と毒麦(雑草)に関するイエスのたとえに似ています。「畑は,〔人類の〕世界である。良い種と言うのは御国の子たちで(ある)」。(マタイ 13:38)パウロはキリスト教の真理を伝道するのみならず,クリスチャンすなわち主イエス・キリストに従う人々を植えることもしたのです。彼は追随者に対するイエスの命令に従って,『人々を弟子とし』ていました。(マタイ 28:19,20)神の同労者であったパウロは,信者となって浸礼を受けたコリント人の会衆に対して,『あなたがたは神の畑である』と言うことができました。(コリント第一 3:9)しかし,その会衆の成員をクリスチャンとして成長させたのは神です。また,み子イエス・キリストの弟子として彼らを命に導かれたのは神ご自身です。パウロは単なる同労者であり,命を得させるキリストの福音を彼らに伝えるべく神に用いられたにすぎません。しかもパウロはその福音を神から受けていました。それゆえ成長するクリスチャンの畑はパウロのものではありませんでした。それは真実正当な所有者であられる神のものでした。それで神の祝福とみたまとを受けないなら,パウロやアポロがどんなに働いても,それは無駄に終わりました。
12,13 (イ)これらの事実から,宗派を作ることをどう見るべきですか。(ロ)わたしたちはどれだけの奉仕者から奉仕を受けることができますか。弟子としてだれに従うべきですか。
12 それゆえ,クリスチャンの成長ないし存在のほまれはパウロやアポロなど人間に帰すべきものではありませんでした。また,コリントのクリスチャン会衆の人々にも,パウロやアポロに従う務めはありませんでした。これらは奉仕者ないしはしもべであり,コリント人を信者とするための仲立ちとなったにすぎません。むしろコリント会衆の人々は,神の弟子となり,クリスチャンを作り,成長させる力の源である真の所有者に従う者になるべきでした。それゆえ,宗派を作り,著名な人間に従おうとするのはなんと狭量でしょう。神にくらべれば人間はあまりにも小さく,神は人間全部を合わせたより偉大です。奉仕者として神に用いられる人も神のものであり,つまるところすべては神のものです。
13 わたしたちはどの奉仕者にも属していません。また一人の奉仕者から奉仕を受けるように神から定められていません。わたしたちは神の奉仕者すべての奉仕を受けるべきです。それゆえパウロが言うごとく,「だれも人間を誇ってはいけない。すべては,あなたがたのものなのである。パウロも,アポロも,ケパ〔ペテロ〕も,世界も,生も,死も,現在のものも,将来のものも,ことごとく,あなたがたのものである。そして,あなたがたはキリストのもの,キリストは神のものである」。(コリント第一 3:21-23)それでわたしたちは,神がわたしたち,およびわたしたちのために働く特別の奉仕者すべての所有者であられることを認めて,神に従いましょう。
「神の建物」
14 (イ)クリスチャンに関する仕事という面で,神を農夫以外に何にたとえることができますか。(ロ)それで神の同労者はどんな者にもなりますか。またアダムの子孫であるわたしたちは,同時に何になり得ますか。
14 クリスチャンに関する神の仕事は農作だけでなく,建築の仕事にもたとえることができます。神は建築者つまり建物の作り手です。そして「神の同労者」であるなら,わたしたちも建築者となるべきです。「わたしたちは神の同労者である。あなたがたは……神の建物である」と論じた使徒パウロはわたしたちにそのことを銘記させています。(コリント第一 3:9)パウロの言うところを理解できますか。人々が神の建物であると言うのです。自分が神の創造された最初の人間アダムの子孫であるだけでなく,神によって建物とされ,神の特別の建物の一部であるということを聞いて,人は当惑を覚えるかもしれません。人はすべて神が最初に創造された人間の子孫ですが,「神の建物」となっている人は今日どれほどいますか。
15,16 (イ)ご自分の建築作業において,神はどんな人々を使っておられますか。(ロ)すべての人が同じ任務を受けていますか。パウロはコリント人への第一の手紙 3章10,11節でこの点をどのように明らかにしていますか。
15 この建築の仕事において,神は人間の「同労者」を使うことをよしとされました。人間の同労者は建築作業のどんな部分を受け持つのですか。同労者のすべてが同一のもしくは同様の作業をするのではありません。神から受ける過分の恵みによって,より顕著な,ないしはより重要な役割をになう者もいます。使徒パウロは自分が特別な任務を受けたことを知り,それを大切にしました。彼はその責任を果たすことに努力し,それに伴う余分の,また不断の労苦をいといませんでした。それで,自分の特別の活動,特にコリント会衆に関する活動についてパウロは次のように書きました。
16 「神から賜わった恵みによって,わたしは熟練した建築師のように,土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし,どういうふうに建てるか,それぞれ気をつけるがよい。なぜなら,すでにすえられている土台以外のものをすえることは,だれにもできない。そして,この土台はイエス・キリストである」― コリント第一 3:10,11。
17 イエス・キリストの使徒であったパウロは建物のどんな部分に特に関心をもっていましたか。黙示録 21章9-14節はこのことの適切さをどう示していますか。
17 「神のみ旨によりキリスト・イエスの使徒となった」パウロは,神の建築計画において「建築師」つまり主任技術者もしくは棟梁としての任務をもっていました。そうした立場にあったパウロは建物の礎にまず心を配ったことでしょう。熟練の建築師として,彼は建物の土台の大切さを知っていたからです。クリスチャン使徒たちは会衆の基礎を置く仕事に関係しました。なぜなら黙示録 21章9-14節において,キリストに従う会衆は一つの都つまり新しいエルサレムにたとえられており,使徒たちつまり「小羊の12使徒」はこの象徴的な天の都の基礎とされているからです。(コリント第一 1:1,2)パウロが努めてクリスチャンの建築計画の基礎作業に従事したのは適切なことです。彼が特に努力を払ったのは未伝道の区域を開拓することでした。それゆえ彼はこう語っています。
18 福音を携えて自分が働く区域について,パウロはローマ人になんと書きましたか。
18 「わたしは,異邦人を従順にするために,キリストがわたしを用いて,言葉とわざ,しるしと不思議との力,聖霊の力によって,働かせて下さったことの外には,あえて何も語ろうとは思わない。こうして,わたしはエルサレムから始まり,巡りめぐってイルリコ〔今日のユーゴスラビアの一部〕に至るまで,キリストの福音を満たしてきた。その際,わたしの切に望んだところは,他人の土台の上に建てることをしないで,キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。すなわち,『彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見,聞いていなかった人々が悟るであろう』と書いてあるとおりである。こういうわけで,わたしはあなたがた〔ローマ人〕の所に行くことを,たびたび妨げられてきた。しかし今では,この地方にはもはや働く余地がなく,かつイスパニヤに赴く場合,あなたがたの所に行くことを,多年,熱望していたので,― その途中あなたがたに会い,まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら,あなたがたに送られてそこへ行くことを,望んでいるのである」― ローマ 15:18-24。
19 建物の重要な部分に心を配ったパウロは神やキリストの精神をもっていたと言えます。この点を説明しなさい。
19 こうしてパウロは骨の折れる仕事をしただけでなく,物事を始め,その成長を見る喜びを味わいました。彼は建築者がまちがった方向に仕事を始め,あるいは正しい土台を置かないで仕事を進める場合のあることを知っていました。彼は物事には正しく,しっかりした土台の大切なことをよく知っていました。この点で彼は神やキリストの精神をもっていたと言えます。万物の偉大な建築者であられる神は,神を恐れたヨブに対することばの中で土台の大切さを明示しておられます。「わたしが地の基をすえた時,どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。あなたがもし知っているなら,だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか」。(ヨブ 38:4-6)イエス・キリストも強固な土台を置くことの大切さを示しておられます。「それは,地を深く掘り,岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても,それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」― ルカ 6:47,48。
土台
20 (イ)神の同労者であるなら,だれの設計の明細に従うべきですか。(ロ)神の同労者がパウロの置いた土台以外のものをすえることができないのはなぜですか。
20 神の同労者であるなら,最大の建築者であり,建物の所有者であられる神の設計の明細を無視してはなりません。建物の基礎として神はただ一つの土台を是認しておられます。使徒パウロは土台となるべきものが何であるかをよく知っていました。そしてコリント会衆を設立した時,彼はしっかりとその土台をすえました。それは神と一致して働くためであり,また自分の仕事に神の是認を求めたためでした。ほかの同労者はすべてパウロの置いたその土台を認めてその上に建てるべきであり,ほかに土台を求めてそこに建物を移そうとしてはなりませんでした。それでパウロはこう戒めています。「すでにすえられている土台以外のものをすえることは,だれにもできない。そして,この土台はイエス・キリストである」。(コリント第一 3:11)これは主イエスが使徒ペテロに語られた岩のことでした。「わたしはこの岩の上にわたしの〔会衆〕を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」― マタイ 16:18,〔新世訳〕。
21 水の浸礼に関して,パウロはイエス・キリストをどのように土台としましたか。
21 開拓者であったパウロはコリント会衆について,『わたしは土台をすえた』と語っています。(コリント第一 3:10)さて,パウロがイエス・キリストを土台に置いたとはどういう意味ですか。伝道のために初めてコリントに来た時,パウロが宣べ伝えたのはケパつまりシモン・ペテロや有弁なアポロ,また自分自身ではありませんでした。またパウロは自分の名によって浸礼を施すということもありませんでした。それでパウロはコリント人にむかって,「あなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと,だれにも言われることのないためである」と論じています。(コリント第一 1:15)コリントを離れて間もなくパウロはエペソに立ち寄りましたが,そこでパウロはイエスの名によって浸礼を施しています。(使行 19:1-7)それでパウロはコリントにおいてもこの名によって浸礼を施しました。
22,23 (イ)コリントのユダヤ人と働いたパウロはイエス・キリストの土台をどのようにすえましたか。(ロ)土台であるイエス・キリストはご自分の弟子に対し,神によってどんなものとされましたか。
22 使徒パウロはイエス・キリストを土台としてすえました。すなわち,イエス・キリストが罪と死からの救いの基であることを教えました。コリントにおけるパウロの開拓活動に関する記録は簡明にこう述べています。「パウロは安息日ごとに会堂で論じては,ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた。シラスとテモテが,マケドニヤから下ってきてからは,パウロは御言を伝えることに専念し,イエスがキリストであることを,ユダヤ人たちに力強くあかしした」。(使行 18:1-5)異教のギリシャ哲学に染まったこの土地においても,パウロは知恵に重きを置く異教徒やこの世的に賢い哲学とイエス・キリストとを混合せず,神に対する人間の犠牲として刑柱に付けられたイエス・キリストを伝道しました。パウロはこう語ります。
23 「いったい,キリストがわたしをつかわされたのは,バプテスマを授けるためではなく,福音を宣べ伝えるためであり,しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それはキリストの〔刑柱〕が無力になってしまわないためなのである。ユダヤ人はしるしを請い,ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは,〔刑柱〕につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは,ユダヤ人にはつまずかせるもの,異邦人には愚かなものであるが,召された者自身にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力,神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く,神の弱さは人よりも強いからである。あなたがたがキリスト・イエスにあるのは,神によるのである。キリストは神に立てられて,わたしたちの知恵となり,義と聖とあがないとになられたのである。それは,『誇る者は〔エホバ〕を誇れ』と書いてあるとおりである」― コリント第一 1:17,22-25,30,31,〔新世訳〕。エレミヤ 9:24。
24 コリントのような異教哲学のとりでにはいりながら,パウロはだれを宣べ伝えつづけましたか。なぜ?
24 福音を伝道するためにコリントに来たパウロが,異教ギリシャ人の世俗的な知恵に圧倒されることはありませんでした。彼は世俗的な知恵を誇示してギリシャ人の哲学と対抗し,それによって追随者を得ようとはしませんでした。また彼は,世俗的な知恵,人間の論説や哲学などを求める者たちの耳をくすぐろうともしませんでした。彼はクリスチャン会衆の土台としてイエス・キリストをすえるためにそこに来たのです。それでパウロはコリント人への第一の手紙 2章1-5節でさらにこう語ります。「兄弟たちよ。わたしもまた,あなたがたの所に行ったとき,神のあかしを宣べ伝えるのに,すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら,わたしはイエス・キリスト,しかも〔刑柱〕につけられたキリスト以外のことは,あなたがたの間では何も知るまいと,決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には,弱くかつ恐れ,ひどく不安であった。そして,わたしの言葉もわたしの宣教も,巧みな知恵の言葉によらないで,霊と力との証明によったのである。それは,あなたがたの信仰が人の知恵によらないで,神の力によるものとなるためであった」。〔新世訳〕
25 コリントのパウロと同じような環境におかれる時,開拓をするクリスチャンはどのように感ずることがありますか。しかし,どうすればよいですか。
25 こうして,昔の使徒パウロのごとく,宣教の面で開拓をする今日のクリスチャンは,世俗の哲学的な知恵のとりでにはいる時,自分が弱いことを感ずるかも知れません。しかし,神の霊と力とを証明して,神に対する信仰をかためることができるのです。
26 (イ)主はコリントにいたパウロをどのように力づけましたか。それでパウロは何をしましたか。(ロ)コリント会衆がその何年後にもしっかりと立っていたのはなぜですか。
26 主がコリントにいたパウロを激励したのも不思議ではありません。「ある夜,幻のうちに主がパウロに言われた,『恐れるな。語りつづけよ,黙っているな。あなたには,わたしがついている。だれもあなたを襲って,危害を加えるようなことはない。この町には,わたしの民が大ぜいいる』。パウロは1年6カ月の間ここに腰をすえて,神のことばを彼らの間に教えつづけた」。(使行 18:9-11)神の言を世俗的に賢い異教の哲学の前に敗退させてはなりません。パウロがコリントに設立した会衆はしっかりと足場を定め,何年かのちパウロがこの地のクリスチャンに第一と第二の手紙を書いた時にも繁栄していました。それは正しい土台の上に設立されていたゆえにしっかりと立つことができました。
[脚注]
a マクリントックとストロングの「聖書,神学ならびに教会文書の百科辞典」第10巻252ページ1節参照。また,フラビウス・ヨセハスの「ユダヤ人の戦争」6:4参照。